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頼夢と古書店

作者: 折田高人

激ムカウィンウィン丸

「先生、新刊発売おめでとうございます! 『黒き旅人』とっても良かったです! 今回の新刊は短編集。さっくり読めて、でも内容はぎゅうぎゅうで……いつもの長編物と違う満足感が得られました! 正直ネタバレしてでも周りに面白さを伝えたいくらいです! 次回の作品も待ってます!」


ヘレン・ファウスト

「ご愛読ありがとうございます。コンゴトモヨロシクです」


くまばちハッチンスン

「新刊オメ! 後、アニメ第四期決定もオメオメ! アニメの第一期から『黒騎士』シリーズを知った私だけど、今じゃドップリ沼に使っていますぞ! ところでアニメの第四期、これまでのスタッフと総入れ替えになっているそうですな。名前も知らない監督が担当するって大丈夫なりか? 第三期が神アニメだっただけに、そこはかとなく不安な私なのですよ」


ヘレン・ファウスト

「アニメ、どうなるんでしょうね。新しいスタッフが担当するとの事で結果が読めませんが、ぜひ頑張ってもらいたいです」


人造人間118号-直接攻撃できない-

「友人に進められて新刊を読んでみました。何故、前巻で死亡していたダッドの妹が何の説明もなく生き返っているのですか? そして意味もなくまた荼毘に付しているし……前回の話すら忘れて今回の話を書いているのだとすれば、先生の記憶力は鶏並みなのでしょうか?」


ヘレン・ファウスト

「気付くのが数年遅いです。是非、タイムマシンを完成させて過去の私に説教してきてください」


オォン・A・オォン

「巫山戯んな! 今回の新刊、過去一最低な出来だった! 全く、解釈違いもいいところ! グイドきゅんにはダット様っていう運命の恋人がいるでしょうが! ぽっと出のオスブタ相手にキュンキュンするグイドきゅん何て見とうなかった! NTR反対! NTR反対! 公式が許してもこの私が許すまじ! ヘレン女史には謝罪としてグイドきゅん×ダッド様のラブラブチュッチュな甘々ストーリーを至急公開する刑に処する也! この要求が聞き入れられなければ(以下省略)」


「ま゛ーーーッ!」

 奇声を上げてパソコンの前から転げ落ち、床をのた打ち回る女が一人。彼女の名は飯田史。『ヘレン・ファウスト』のペンネームで活動する作家である。

 ごろごろごろごろ。埃が舞うのも構わずに奇行に走る主を、彼女の使い魔である白い巨犬のベロニカが宥めている。

 いつもの事だ。居候の少女、三井寺頼夢は特に気にした様子もなく携帯電話を弄っていた。

「何? アンチでも沸いたの? いいじゃん、アンチも人気の証っしょ。ラブの反対は無関心って言うじゃん」

 グサリ。そんな音が聞こえた気がした。これまで転げまわっていた史が動きを止めてさめざめと泣いている。

 好きの反対は無関心。その言葉が事実なら。

「何でよ……何で皆、こんな駄作ばかり話題にして、私の渾身の一作を取り上げてくれないの……?」

「あ~……そっちか……」

 今や日本で社会現象にまでなっているライトノベル『黒騎士』シリーズだが……作者である史は必ずしもその成果に満足していなかった。

 いかに人気があろうとも、彼女としては小遣い稼ぎのつもりで書き上げた作品に過ぎず、書きたいものは他にあったのだ。

 民俗学や歴史学、オカルト学……そうした学術書で名を残したい彼女にとって、ライトノベル作家として得た今の名声は甚だ不本意なものだった。

 今回も、日本各地を飛び回って『隠れキリシタンの信仰』という渾身の一冊を書き上げた史だったが、『黒騎士』シリーズ最新刊と発売日が被ったのが運の尽き。同じ著者の作品にも拘らず、『隠れキリシタンの信仰』は全くもって注目されていなかった。

 床に突っ伏しおいおいと涙を流す史。時間をかけて書き上げた自信作がアンチすらわかない……全くもって関心を持たれていない事実が、何より彼女を傷付けていた。

「フミちゃ~ん? だいじょ~ぶ~?」

「タイムマシンがあったなら~こんなん書くなと伝えたい~」

「お~い? ヘレンせんせ~?」

「新スタッフ……頑張って……アニメ盛大に爆死して……いい加減『黒騎士』シリーズに止めを刺して……ッ!」

「こりゃダメそ……ベロ、悪いけどフミちゃんの事お願いね。あーしはロビンに呼び出されてっからさ」

 こくりと頷く白犬。蹲ってブツブツと呪詛を呟く同居人を背後に、頼夢は住処を後にするのだった。


 滅三川を挟んだ鯖江道の向かい側。五道商店街は今日も活気にあふれていた。闇の住人が屯する鯖江道とは違い、真っ当な人間達が利用する場所だけに、頼夢はやや居心地の悪さを感じる。

「おっ! 来た来た! ライム~こっちこっち~」

 商店街の入り口で、金髪の美女が手を振っている。

 ロビン・リッケンバッカー。頼夢の雇い主である車輪党の魔女だった。

 彼女の側には見知った面々。小学生のような外観の高校生、加藤環とサメのような顔をした真宗秋水。そして、くすんだ金髪の垢抜けない印象の少女、来栖遼。

「ありゃ? たまっち、残りの二人は?」

 環と秋水だけなら、頼夢も特に気にはしなかった。この二人は幼馴染で、よく行動を共にしていたからだ。ただ、ここに遼が加わるとなると話は変わる。ロビンと一緒に居ると言う事は、彼女達も呼び出されたのだろう。だとすれば、環のアルバイト仲間である宮辺響と滋野妃も一緒に居るのが普通なのだが。

「あ~。ヒビキとキサキね。なんか先約があるってんでこれなかったんだ~」

 環に代わってロビンが二人の不在を告げる。

「だから、人手を確保したくって。それでフミトとライムを呼んだんだけど……フミー、もしかしてイヤイヤ期?」

「あたり」

「自信作だって言っていた『隠れキリシタンの信仰』、全然話題になってないもんね……」

「良い本なんだけどな~」と呟くロビン。学術書としては有益でも、一般受けはしないだろう事は理解しているようだった。

「で、今日はあーし、何すればいいのさ?」

「ロビンさんの古い友人の手伝い。バイト代も出るから期待していいよ」

 そう言って、ロビンは商店街に足を踏み入れた。


 案内された場所は古書店だった。『黒船』と看板を掲げられたその店は、どうやら個人経営の古本屋らしい。それにしては、随分と店の規模が大きかったが。

 店の入り口には張り紙があった。「店内の整理のため臨時休業中」と書いてある。ロビンはそれを気にした様子もなく、扉を開けて中へと入った。

「ヒリュー、ロビンさんが手伝いきたよ~」

 その言葉に、店内で本を読んでいた青年が顔を上げる。眼鏡の奥に見える瞳は鋭い。細身で長身の体と相まって、刃のような冷たさを感じさせた。

「来たか。待っていたぞ……と、見知らぬ顔が居るな」

「助っ人だよ。ヒビキとキサキの都合がつかなくってさ」

「そうか。お初にお目にかかる。私は王飛龍。この書店の主をやっている道楽者だ」

「あ、どもっす。あーしは頼夢。三井寺頼夢」

「うむ」

「お兄さん、ロビンとどういう関係?」

「大学時代からの腐れ縁だ」

「ロビンの大学って確か……」

「ミスカトニック大学だ」

「いや~懐かしいな~。在学中のロビンさん達、注目の的だったよね~。よくミスカトニックの四天王と恐れられたものだよ」

「ミスカトニックの四馬鹿、だろう。捏造するな」

 恐れられていたという点については否定しない飛龍。無表情に見えて、唇の端が楽し気に吊り上がったのを見るに、四馬鹿扱いも決して悪い気はしないらしい。

 そんな学生時代のろくでもない武勇伝に花を咲かせる二人を前に、頼夢の顔は苦渋に歪んでいた。

「どうした?」

 様子に気付いた飛龍の疑問に「何でもないっす」と首を振る頼夢。

 ミスカトニック大学。ロビンに雇われ稀覯書を探す毎日の中、頼夢はネットの海でこの大学に何度も煮え湯を飲まされていたのだった。

 普通の稀覯書に対しては関心が薄いというのに、魔導書のオークションとなれば札束でぶん殴っていくストロングスタイルで場を荒らすこの大学に、何度目当ての魔導書を掻っ攫われたものか。

 今や頼夢にとって、ミスカトニック大学は不倶戴天の天敵と化していた。

「ところでお兄さん。今日の仕事って、本棚の整理?」

「うむ……否、少し違うか。君には有害図書を取り除いて欲しいのだよ」

「有害図書? お兄さん、思想警察? 表現の自由はどこにいったのさ?」

「別に私は表現の規制をしたいわけじゃない。そうではなく、実害ある書物を取り除いて欲しいのだ……このような」

 そう言って手渡してきたのは、手書きの写本。表題には『黒い雌鶏』の文字。わりかし有名な魔導書だった。

「活字印刷なら目を瞑ったんだがな。どんなに下らん魔導書でも、手書きの写本は魔力を帯びるからいかん」

「あ~、なるなる。そゆことね」

 ロビンの手に入れるはずだった『ネクロノミコン』を台無しにして以降、頼夢は魔導書について正しい知識を得るべく勉強してきた。

 魔導書というものは、今だに手書き本が尊ばれる。それは、印刷では魔導書に魔力が宿らないためだ。

 だが、これにはデメリットもある。適切に保管しないと、魔導書が内包した魔力が暴発する恐れがあるのだ。

 何も知らない一般人が魔導書を購入して放置しているだけで魔術による実害を受けかねない。正しく有害図書と言えるだろう。内容が過激だとか不道徳だとか言う以前の問題であった。

「うちは真っ当な古本屋でな。こう言った怪奇現象を引き起こしかねない本が棚にあるのは困る。だから、定期的にこいつに頼んで魔導書の排除を行っているという訳だ」

 どうにも、この店で魔術に精通しているのは飛龍だけらしい。普段雇っている店員は、魔術とは無関係な一般人との事なので、こういった仕事には向かないようだった。

 その点、ロビンは理想的な人物と言えた。愛書狂を拗らせた彼女は魔導書の扱いにも詳しく、店から取り除いた魔導書は車輪党に送られ保管されるので、処分についても頭を悩ませずに済む。

「それにしてもさ。買取の時点で気付けないものなの?」

「私が担当している時は出来る限り弾いてはいるが、魔導書の知識がない従業員では難しいだろうな。それに所詮人の手仕事だ。完璧に排除するには程遠い。ましてや、知らぬうちに増えている事もあるのだからどうしようもない」

 何でも、魔導書を不気味に思った一般人が、買取を拒否された際に処分に困って黙って本棚に放置していく事があるらしい。

 それだけならまだいいのだが、文字通り、何時の間にか本棚に紛れてくるケースもあるらしく、飛龍も対処に苦慮しているようだ。

 ただ、どのケースでも堅洲町の外からやってきた者が関わっているのがほとんどで、堅洲民が関わっている事は少ないようだった。

 堅洲民ならば手書きの魔導書が鯖江道の骨董店で高値で売れるのを知っている。実害のある魔導書を手に入れても、臨時収入が得られると喜ぶのが堅洲民というものであった。


「よぐそそさん、くっくるさん、しゃぶにぐさん、あざとほさん、穴~の中からさどめるさん……およ?」

 珍妙な歌を口ずさみながら本棚を確認して回っていた環の足が止まる。魔導書を見つけたのかと頼夢が近付くと。

「ねえ、ライムちゃんが探しているのって『ねくろのみこん』だったっよね?」

「そうだけど?」

「あったよ! 『ねくろのみこん』が!」

「なんとぉーっ!」

「おわあ!」

 耳聡く聞きつけたらしいロビンが、慌ただしく駆け寄ってきた。

「タマタマタマ! どこ? 『ネクロノミコン』どこ?」

「はい、これ!」

 手渡された本を見たロビンの瞳の輝きが、スンッ……と言わんばかりに消え失せた。

 頼夢が覗き込んだロビンの手元には、確かに『ネクロノミコン』と題された書物。ただし、そこには『サイキョー魔導書シリーズ』なる文字が付随していた。

 何ともカラフルな表紙には、水晶を前にした占い師が描かれている。どう見ても、頼夢やロビンが探している魔導書とは思えない。

「……ああ、こっちね……」

「これじゃなかった?」

 この『サイキョー魔導書シリーズ』。かつてのオカルトブーム最盛期に央端書房が展開していた子供向けの書籍シリーズである。学校の怪談やこっくりさんなどに代表されるおまじない、都市伝説などが収録された人気シリーズであり、オカルトブームが過ぎ去るまでの間、央端書房に少なからぬ利益をもたらした知る人ぞ知る名著であった。

 ただの児童書と侮るなかれ。全国の小学生相手に徹底的な調査を敢行した結果、当時の学校で広まっていた噂話や怪談話、まじないなどが地方毎に事細かく記されており、しかも児童対象の本なのですこぶる読みやすい。昭和時代の小学生の文化を知る上で、貴重な資料としてあげられるほどの出来なのだ。

 当然の事、その内容は『ネクロノミコン』とは一切の関係がない。単にタイトル名を借りただけの本であり、魔導書ですらないのだが。

「うん……でもまあ……これはこれで……」

 あからさまに落胆しつつも、ロビンは児童書『ネクロノミコン』を持ち去ろうとする。

「ちょいちょい、ロビン。それ魔導書じゃないっしょ? どこ持ってくのさ?」

「ああ、頼夢殿には伝えてなかったでござるな。このアルバイト中に気に入った本があったら取って置くといいでござるよ。アルバイト代からの差し引きになるでござるが、安値で譲ってもらえるでござる」

「割引価格でとってもお得なんだよ! フェイにーちゃんってば太っ腹! ほら、ハルちゃんもいっぱい確保してる!」

 環の示した先には数冊の本を抱える遼の姿。背表紙を見せてもらうと、『上総掘りの歴史~今日も僕は井戸を掘る~』『優しい入門書-大江戸からくり人形-』『蘇れレトロゲーム! 自宅でできるバッテリー交換』『自作ラジオのススメ』『奥深い無線の世界-メンテナンス編-』等々、デジタル・アナログ問わない技術書の数々。

「相変わらず勉強熱心だね~はるっち」

「あはは……面目ないです……」

 仕事中にもかかわらず、無関係の本を大量に集めているのがバレてバツの悪そうな笑みを浮かべる遼。

 頼夢には彼女を責める気はこれっぽっちもない。彼女の勉強の成果は、堅洲中のカルト組織が認めている。魔術的儀式を保存した古い電子機器による記録媒体を無料で修理してくれる彼女のおかげで、鯖江道の魔術師達がどれだけ助かっているのか考えると、これくらいのお茶目は認めてしかるべきだろう。


「魔力かくに~ん! とりゃ!」

 明るい声を上げて本棚の前にしゃがみ込む環。書架の一番下から一冊の本を引き抜く。

「どれどれ? おっ? 『ソロモンの小鍵』の写本でござるな」

「あっ、この魔導書なら私も知ってるよ。『レメゲトン』だっけ? 有名な魔導書だよね」

「たまっち、あーしにも見せて!」

 手渡された写本をパラパラとめくってみる。本文の合間には、この本を書き写したであろう魔術師による注釈や覚書きなどの書き込みが記されている。

「ありゃ? これ、不完全な写本じゃん」

「ふかんぜん?」

「うん。この魔導書って、五部の章から成り立ってるんだけどさ、四部の途中で断筆してる……ほら」

 開かれたページには、血がべったりと付着していた。そこから先のページは、白紙のままだ。

「うわあ……」

「なにがあったんだろうねえ?」

「ござるなあ?」

 若干引き気味の遼であるが、それ程驚いてはいないようだ。堅洲の外の出身とは言え、伊達に鯖江道の連中と付き合いがある訳ではないらしい。

 堅洲生まれの堅洲育ちである環と秋水は言わずもがな。血痕程度で驚くようでは、怪異が跳梁跋扈する堅洲町ではやっていけないのである。

「色々書き込みがあるし、なんかヤバい魔術でも残してるかもね~。結構なお宝だよこれ。これならロビンも喜ぶっしょ……たまっち、どうしたん?」

「ん~?」

 環は再び、本棚の前に座り込んでいた。『ソロモンの小鍵』が紛れ込んでいた辺りを、念入りに探している。

「タマキチ殿?」

「なんか、まだ魔力を感じるよ~? このあたりなんだけど……」

「む?」

 環の言葉を頼りに、頼夢達は本棚を調べる。

「……これかな?」

 遼が手に取ったのは『黄金の夜明け』。

「確かに魔導書だけど……市販本だね、これ」

 手書きの写本ではない印刷本。魔力の発生源ではなかった。

「おっかしいな~? たしかにこのへんなのに~」

 キョロキョロと本棚の中を確かめている環。ふと、何かを思いついたような表情で床に這い蹲った。

「あった~! あれだよあれ!」

 覗き込んだ本棚の下の隙間。確かに一冊の本が奥に見えた。

「ん~……とどかないよ~」

 環が小さな手を精一杯伸ばすが、随分と奥にあるようである。遼と秋水の手の大きさでは、そもそも本棚の下を漁れない。

「こーゆー時はあーしにお任せ!」

 一声あげると、頼夢の身体に変化が起きる。見る見るうちに肉体が縮んでいき、体中に毛が生え……どことなく人間を思わせる顔つきの鼠へと変じた。

 人化の魔術を解いて本来の姿に戻った頼夢は、本棚の下の狭い空間に身を潜り込ませる。そのまま本の下に辿り着くと、渾身の力でそれを外へと押し出した。

「出てきた~! 頼夢ちゃんありがと~!」

 環の言葉にガッツポーズで答えた頼夢は再び人の姿に戻り、落ちていた本を手に取った。

「ちゃんと魔力を感じる……これ間違いないっしょ」

 表題の無い黒い革表紙の本だった。微かに感じる魔力から、手書きの写本である可能性が高い。

 確認のために頼夢が中を調べようとした、その時だった。

「その書を紐解いてはいかん!」

 突如として響き渡る聞き覚えの無い男の声。

 頼夢達が顔を上げると、何時の間に現れたのだろう。黒いローブ姿の怪人がそこに居た。どことなく実態感が感じられない。よくよく見ると、ローブの膝先から下が透けている。

「どちら様?」

「我の名などどうでもよい。その本の守護者とでも名乗っておこう」

「幽霊さん?」

「うむ。魔術の失敗によって命を落としたのだ」

「何? この世に未練でもあんの? 幽霊になったってモテないもんはモテないよ?」

「色恋沙汰などに興味はないし、魔道の深淵に身を置く者として失敗によって命を落とす事も覚悟していた。唯一の未練はその魔導書を残してしまった事……」

 仰々しい様子で頷く男は、頼夢の手に納まる本を忌々し気に見つめている。

「この本、そんなにヤバいの?」

「ヤバいなんてものではない。その魔導書以上に禍々しい書など、我は知らぬ。それこそかの『ネクロノミコン』ですら、その書の悍ましさには足元にも及ばぬであろう……」

「マジ?」

「マジである」

「はえ~」

 興味津々で魔導書を眺める頼夢達。『ネクロノミコン』よりも恐ろしい。そこまで言い切られてしまうと怖いもの見たさが勝る頼夢であったのだが。

「故に、その書を早急に破棄する必要性があるのだが……忌々しい事に、書に宿った魔力のせいで中々始末できずにいる。何とかしてその書を亡きものにする手を考えてほしいのだが……」

「え~? もったいな~い!」

 突如として乱入してくる緩い雰囲気の声。背後からのそれに、守護者は振り返って叫ぶ。

「何奴!」

「は~い! ロビンさんだよ~!」

 輝かんばかりの笑顔で立っていたのは、愛書狂ロビン・リッケンバッカーその人だった。

「話は聞かせてもらったよ……その魔導書、凄く凄いんだってね? いらないんならロビンさんにちょ~だい?」

「ならぬ! その書は余に災厄を齎す! この世にあってはならぬものなのだ!」

「いいじゃんいいじゃ~ん。悪いようにはしないって~」

「ならぬと言ったらならぬ!」

 交差する視線と視線。火花散る言葉の応酬。やがて、ロビンが溜息をついた。

「平行線だね……じゃあ、実力行使といこうかな?」

「我は負けぬぞ! この齎す悍ましき魔書を滅ぼすまで、成仏などしてやるものか!」

「……そこまで言うなら、決闘といこうじゃない。勝った方がその魔導書を好きに出来るという事で、どう?」

「望む所……道半ばで果てた身とは言え、魔道の深淵に身を置きし我が魔力……存分にその身に刻み付けるがよい!」

 対峙する二人の間を緊張感が包む。魔力が高まり、爆発しそうになったその時だった。

「おいお前ら。やるんなら外でやれ」

 飛龍による待ったが入ったのだった。


 店の外にて再び相対するロビンと守護者。

 ちなみにここは裏路地だ。頭に血が上っている二人であったが、真っ当な人間達が行き来している表通りで決闘をおっぱじめないだけの良心は残されていた。

 向かい合う二人の間を強い風が吹き抜けていく。

「ふぁいっ!」

 環の声と共に詠唱を始める守護者。言の葉が紡がれる度に黒い幽体の魔力が高まっていく。何とも凄まじい魔力量。魔女であるロビンを完全に凌駕している。人は鍛えればここまで魔力を高める事が出来るのかと、頼夢は感心する。

 しかし。

「常々思ってる事があるんだ。焚書なんて野蛮な真似をする輩は、ロビンさんが直々に地獄の業火に放り込んでやりたいって」

 あっけらかんとした様子でそう言うと、ロビンは守護者を指さした。次の瞬間、守護者のローブが発火した。

「ぐあああ……!」

 守護者の詠唱が中断される。苦悶の声を上げながら消えない炎を消そうと四苦八苦。

 やがて、守護者が大地に突っ伏して動きを止めた。その様を確認したロビンが指を鳴らすと、あれだけ守護者を燃やし尽くそうとしていた炎が一瞬で霧散した。

「しょ~ぶあり! しょ~しゃ、ロビンちゃん!」

「まあ、そうなるっしょ」

「分かり切った結末でござるな」

 ぶすぶすと黒い煙を上げる幽体を前に、頼夢一同は然もありなんと言わんばかりの表情を受けベていた。

 確かに守護者は魔力量だけならロビンを凌駕していた。人の身でありながら、余程の修練を積んだのだろう。果たして、この魔術師の亡霊に匹敵するほどの実力者が堅洲にどれ程いるのだろうか? それほどまでに、守護者の魔力は規格外であった。

 しかし、悲しいかな。魔術師と魔女には魔力量だけでは埋まらない差があった。魔女は詠唱などせずとも魔術を行使できるのである。如何に強力な弾丸を持っていようと、決闘にて装填済みの拳銃を向ける相手を前に弾込めから始めるようでは、撃たれ放題になるのは目に見えていた。

「さあ、勝利の宴だ、読書の時間! ライム! その本ちょ~だい!」

「ほい」

 口約束でも約束は約束。契約にはうるさい魔術師の流儀にのっとり、頼夢は件の魔導書を躊躇なくロビンに手渡した。

「どれどれ?」

「……よ、よせ……」

 なおも制止しようと必死に声を上げる守護者を後目に、ロビンは目を輝かせてページを捲る。朗らかなその笑顔が段々と邪悪に歪んでいく。

「はっは~ん。成程ね……」

「ど、どうしたのさロビン? すっごい悪そうな顔してるし……」

 ロビンは答えずに魔導書を頼夢に差し出した。読め、と言う事らしい。頼夢達が寄り集まって魔導書の中を確認してみると。

「グリモワール・ド・ウルティマティヴ・イルピュフォルテ・オブ・アビス?」

 様々な国の単語を適当に並べたようなルビが『深淵たる究極最強の魔術』というタイトルの上にふってあった。

 ページを捲る。普通の魔導書だ。頼夢も習得している初歩的な魔術が、非常に分かりやすい形で記されていた。しかし、どうにもルビがおかしい。肉体の治癒を高める魔術に『リジェネレイト・オブ・フェニーチェ』だの、鍵開けの魔術に『ベフライエン・ド・パンドーラ』だの、まるで英単語を覚えたての小学生が適当に名付けたようなセンスの文字列がこれでもかと並んでいる。

 それだけならまだよかっただろう。魔術の概要の後に、注釈のような形で挿入されているのは「最強の魔導書を生み出してしまった自分の才能が恐ろしい」だの「闇に生きる一匹狼たる自分は決してこの力を誇示はしないだろう」だの「この魔術を世界の叡智たる我が頭脳にだけに留めておくには惜しい」だの……。大した魔術でもない記載の後に、しつこいまでの自画自賛。合間合間に挟まるポエムと相まって、正直見ていてこっぱずかしくなる。

「あああ……」

 悶絶する守護者の声。若気の至りが生み出したこの魔導書。残しておくのは生き地獄もいい所だろう。成程、彼にとっては正しく『ネクロノミコン』よりも悍ましい書に違いない。

 消し去りたい過去。ただの黒歴史ノートならば、容易に始末できたであろう。されど、彼にとっては不運な事にこの魔導書、出来自体は素晴らしく良い。ルビと自画自賛とポエムに目を向けなければ、これほど分かりやすい魔導書はそうそうないだろう。正直、頼夢が魔術の教科書にしたい程度には理解しやすかった。

 なまじ完成度が高いが故に、魔導書として強力な魔力を宿してしまった黒歴史ノート。そんなものを生み出してしまった守護者に、頼夢達は憐れみの眼を向ける。

 ロビンは項垂れる守護者の肩に手を置いて微笑んだ。

「安心して。君の渾身の一作は、車輪党の図書館で輝き続ける。君の黒歴史は未来永劫、読み継がれるんだ」

「ま゛ーーーッ!」

 奇声と共に爆散する幽体。ロビンは二度目の死を迎えた守護者など初めからいなかったかのように、「さあさ皆、仕事に戻るよ~」などと吞気な声を上げて黒船へと入っていく。

 頼夢もまた、裏路地で恥ずか死した守護者を哀れに思いつつもアルバイトへと戻るのであった。

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