第三章 オレンジタウンの洗礼 B
一方、春樹たちの観光も順調に進んでいた。
途中、店員の口車にのせられて高い服を衝動買いしそうになる夏凛を止めたり、背丈ほどもあろうかという本の山を全て借りようとするシェリーを説得したりするのに思わぬ労力を払うことになったが、この辺りでようやく春樹も一息つくことができそうだった。
「さぁ春樹。次は私達が春樹の希望する店に付き合う番よ。あんたはどこに行きたいの?」
「そうだな……」
すると、地図を広げて悩み始めた春樹に、夏凛は退屈そうな視線を向けた。
「どうせあんたは武具だの武術だのっていう男臭いお店にしか興味無いんでしょ? 正直、女としはあまり魅かれないのよねー、そういう店」
「おいおい、それが散々ひとを付き合わせた奴の言い草かよ」
これにはさすがの春樹も表情を歪めずにはいられなかったようだ。しかしその時、彼をかばうようにして声を挙げたのは一番後ろからついてきていたシェリーだった。
「そんなことありませんよ! 春樹君にだって、武芸以外の立派な趣味があるんです!」
そして
「……あ。」
と、何やらやらかしてしまったような空気が流れる。
「シェリー……お前……」
「あああああ!」
シェリーは慌てて自分の口を抑え込んだが、それももう遅い。彼女が恐る恐る振り返れば、そこには既に彼女の逃げ場を奪うようにして仁王立ちを決め込んでいる夏凛がいたのである。
「なによそれ。どうしてシェリーが春樹の趣味なんか知ってるのよ」
「そそそそそ、それは、その……」
「何? もしかして、私に言えないようなことでもあるっていうの?」
図星だった。
実は、春樹から彼の生い立ちについての話しを聞いたあの夜、シェリーは彼にある約束を結ばされていたのだ。
『いいか? 俺がギター好きだなんて絶対に他の連中には言うんじゃねぇぞ』
どうやら彼、シェリーがあまりにも彼とギターの組み合わせを奇抜だの斬新だのと言いたい放題言うので、今後一切他の誰かに話すのはやめようと決意したらしいのだ。
とはいえ、夏凛から穴のあくような視線を向けられていたシェリーは既に半泣き状態であり、春樹もそれを見捨てておくわけにいかないようで。
「あーわかった。話すよ。俺が説明すりゃあいいんだろう」
三分後。
「ぶふっ。くっくく……ふ、ふふ……あはははは!」
それは、春樹にとってはまさに最悪の反応だった。
夏凛は春樹の話を聞き終わるやいなや、急に我慢の糸が途切れたように笑い始めたのだった。それを受けて春樹はガックリと沈み込み、さらにそれに対してシェリーが「ごめんなさい私のせいです」を必死にくり返している。
しかし、やがて一通り笑い終えた夏凛は「いや、ごめんごめん違うの」と付け加えた。
「私が笑ったのは、別に春樹にギターが似合わないとか思ったからじゃないのよ。ただ、『斬新です』なんて言ったシェリーの感想が可笑しかったのと、あんたもそれを気にするような人間味のある奴だったんだなって、なんとなく安心したのね」
「安心?」
理解しかねる、と言いたげな春樹に、夏凛は続けた。
「そ、安心よ。春樹、あんたねぇ、正直こわいのよ。いっつも鉄の仮面みたいな真面目顔ぶら下げちゃってさ。まるで何も恐れてないような、何にも感じていないような……。なんていうか、冷酷なまでに冷静な雰囲気が漂っているのよね」
「それは仕方がないだろう。表情とは、それすなわち自分の心の鏡だ。下手をすれば、それは敵に弱みを握られる原因にもなる。だから俺は普段から……」
「だぁかぁらぁ、そこがあんたの悪いところなのよ。人間ってものを勘違いしているんだわ」
「勘違い? 俺はただ自分が不利にならないように一番合理的な選択を……」
「そこがおかしいって言ってるの。確かに、あんたの出す意見はいつも的確で合理的だけれど、人間ってのはそんな合理的だとか非合理的だとかってことだけで測れる生き物じゃないのよ。困った時や悲しい時に笑ったり、嬉しい時や怒った時に泣いたり、自分でも時々不自然に感じることがあるほど、複雑にできてんの」
「……」
春樹は何かを考えているようだった。その瞳の奥に、様々な考えが交錯しているように見える。
とにかく、夏凛は自分の言いたかったことを言い尽くすことにした。
「まぁいいわ。私は別に春樹の価値観を変えてやろうなんてそんな大それたこと考えてないし……。ただ、これだけはわかって欲しいの。私達はあんたの仲間なんだから、もっと気軽に接して頂戴よね。仲間ってのは、互いの不安とか弱みとか、ある程度わかってるくらいが調度いいんだから」
「そう、なのか……」
「そ」
すっきりした様子の夏凛とは対照的に、春樹の表情は晴れないままだ。
「ま、いいわ。それじゃあとりあえず、次行く場所は決まったようなものね」
そういうわけで、三人はこの町で一番大きな音楽ショップに向かうこととなったのである。
§§§
そして到着。
「ここがその『ビースト・ステージ』ですか」
「らしいわ。いかにもロックな匂いのする看板よね」
どちらかといえば、楽しんでいるのは春樹よりも女子二人の方だ。
「……」
一方の春樹はといえば、ただただ難しい表情で店の看板を眺め続けるだけだった。
「さ、早く入りましょうよ」
やがて、夏凛とシェリーは顔を見合わせて微笑みを交わすと、二人で春樹の背中を後押ししてやった。きっとプライドの高い春樹のことだから、「入れと言われて仕方なく入った」と言えるくらい強引なやり方でなければ大人しく入店もしてくれないだろう。そう考えたのだ。
しかしちょうどその時、店の入り口から四、五人の客が顔を覗かせた。
おそらく同年代であろう彼らは、いかにも不良っぽい感じのガラが悪い連中で。見慣れない春樹達の顔を目にすると、一同が刺々しい視線を放ってきた。
これに対し春樹は全く知らん顔で歩いていたが、そんな視線をぶつけられて我慢していられないのが夏凛である。彼女は去っていく彼らの背中に向けてどす黒い殺気を送っていたかと思うと、この衝動をどうしたらいいと言わんばかりの表情で怒りを爆発させた。
「なに、今の? なんなのよ? 感じ悪いわねぇ! 揃いも揃って派手な格好しちゃってさ! まったく、どこのサーカス団かと思ったわ! バッカじゃないの!」
彼女の陰で怯えていたシェリーも、さすがにこの騒ぎ立てっぷりには苦笑いだ。
「まぁまぁ、そこまで言わなくても……。でも確かに、彼らのような人達に絡んでこられたら困りますねぇ……」
そして、そんな二人の感想を聞いて、まるで独り言のようにつぶやくのが春樹だった。
「なら、この店は少しばかり刺激が強すぎるかもしれないな」
§§§
春樹の予想していた通り、店の中は外とはまるで別世界のようだった。
大音量のBGMは、ロックと呼ぶべきかパンクと呼ぶべきかわからないほど激しく、なにより雑だった。こんな場所にいたら、いつか鼓膜がどうにかなってしまう。
「なんて店だ……」
店内にいた連中は、客から店員に至るまで誰もが派手な色に髪を染めている。やたらと装飾品の多い衣服に身を包んだ彼らは、ただただ威圧するような瞳で見知らぬ三人を睨み続けていた。
「出た方がよさそうだ」
「そうね」
春樹と夏凛は即決し、プレッシャーで硬直してしまったシェリーの腕をとってUターンした。
だがその時、三人を呼びとめる若い男の声が店内に響き渡る。
「ちょっと待とうか、お三方」
店の奥から現れたのは、ライオンのような派手な頭をした男だった。
タバコをふかしながら悠然と歩いてくるその男は、おそらくこの店のボスなのだろう。先ほどまで殺気をむき出しにしていた連中が、急におとなしくなって彼に道を譲っていた。
「お前ら、見かけねぇ顔だな……。どの番地の人間だ?」
男は体格の差を見せつけるようにして春樹のもとへ歩み寄ると、上からじっくり見下しながら声をかけてきた。
「俺たちはこの町の人間じゃない。風読みの谷からきた」
しかし春樹も負けてはいない。
彼は目の前の大男の顔になどまるで興味がないご様子で、ただただ冷めた視線を真っ直ぐ前に据えるだけだった。
「風読みの谷だと? ……なるほど」
やがて男は近くのテーブルの上から新聞を掴み取ってそれを広げる。
「お前らこれだろ。『風読みの谷で、若者四人によって祭り用の気球を使った大逃避行劇が繰り広げられる』。……少し前の記事に載ってたのを、俺も読ませてもらった」
それは確かに、春樹達のことを示した記事だった。
「……!」
さすがにあの事件が広く知れ渡っているだろうことは覚悟していたが、まさか新聞に取り上げられるほどだとは思っていなかった三人である。
(か、夏凛さん……。これじゃあ私、もうお嫁にいけません……!)
(大丈夫よ! もしもの時は私が貰ってあげるわ!)
しかし、この大男にとっては三人の複雑な心境などどうでもいいようだ。
「……ふん。それにしても残念だな。俺も、なかなか派手なことやった奴がいると思って感心していたんだが……。まさかこんなヒヨッコどもだったとは。興ざめもいいところだぜ」
その言葉に、夏凛の怒りは再び爆発しそうになる。
(こいつ、さっきから何様のつもりなのよ……!)
思わず拳に力が入った。
しかしそこへ、春樹が指で合図を送ってくる。
夏凛は苛立ちを抑えながらどうにかその指の動きを読み取った。
(これはつまり……何もするなって意味?)
拳を抑え、踏みとどまる夏凛。
だが、彼女はその瞳から怒りの色を消すことまではできない。
「おうおう、そー怖い顔しなさんなって」
一方、ライオン頭の男は実に余裕のある笑みを浮かべていた。
やがて彼はタバコの煙をめいっぱい吸って一息つくと、ようやく本題を切り出す。
「それで? てめぇらのような田舎者がこの店に何の用だ? まさか、フェスティバルに出場しようなんて馬鹿なことを考えてこの町に来たわけじゃないだろうな?」
「フェスティバル?」
「知らないということは、やはり違ったか。いいだろう。教えてやる」
彼はそう言うと、カウンターに腰を降ろして煙草の火を灰皿へと押し付けた。
「まず、この町の恒例行事、十五夜祭りのことくらいは知ってるよなぁ? その前夜祭として毎年行われているのが、この町の楽器屋から代表一組ずつが出場して競い合うバンドフェスティバルってわけだ」
「そこには、お前も出場するのか?」
「はっ! 俺はもう引退した身だからなぁ。もっと若い連中に任せるさ。それに、俺にとっちゃあ優勝賞金なんて何の意味もない。今更百万もらったところで今の生活が変わるわけじゃあるめぇし」
百万……!?
その言葉に、夏凛の胸は一気に高鳴った。それだけのお金があれば、今後の旅はかなり楽なものになる。その上、仮にそのステージで腕を認められるようなことがあるなら、その道でうまいこと儲けていくことだって夢じゃないかもわからない。
「さぁ、もう出て行け。ここはてめぇらのようなボンクラがくる場所じゃねぇ。もしも今の話しを聞いてバンドを始める気になったのなら、違う店をあたることだな。……そうだ、八番街にある店なんかがお似合いだぜ。あそこからはまだエントリーが出て無いらしいから、今からでも間に合うだろうよ。まぁ、一週間ちょいあれば幼稚園のお遊戯会で発表できる程度の曲は弾けるようにはなるさ!」
春樹はそれを聞いて最後に一度だけ顔をあげた。
その冷酷な眼差しが、男に向けられる。
「邪魔をした。それと、ありがたい情報、礼を言う」
春樹はそれだけを言い残すと、男に背を向けて店を出て行く。
夏凛は店の中をもう一度睨み回すと、シェリーの肩を抱いて鼻息荒く後に続いた。
やがて、三人が去った後の店内で、たてがみの男の近くに寄り添うように立っていた派手な化粧の女が色気づいた声で男に話しかける。
「だっさい連中だったわねぇ。それにしても、女二人も連れてこの店に入ってくるなんて、あの坊や、私たちを随分となめているんじゃなくて?」
「仕方ねぇさ、ミス・シェイピア。あいつらはきっと、まだ世の中の渡り方を知らねぇ。寛大な俺は、今回だけは見逃してやることにしたってわけよ」
「素敵よ……ジャック。あなたって本当に優しいのね。」
女が猫のようにしなやかな体を密着させてくるのを、ジャックと呼ばれたその男は静かに抱き寄せた。
「しかしあの餓鬼……単なる“坊や”ではすまされないぞ」
「どういうこと?」
ジャックは不思議そうな顔を向ける女を見て不敵な笑みを浮かべると、出陣前の将軍のような重い眼差しで入り口のドアを見つめた。
「これは久々に、、面白いことになりそうだな……」
その瞳は、まるで戦を楽しむ獣のようにギラギラ光る。
そして彼は再びタバコの火を揉み消すと、大声をあげて店の中の連中に警告するのだった。
「おい! あいつらを見かけても絶対に手ぇ出すんじゃねぇぞ! もしも何かちょっかいを出しやがったら、この俺が直々にミンチにしてハンバーグ屋に売ってやるから覚悟しておけ!」
店の中にいた誰もが、この初めてのケースにその耳を疑った。おそらく、彼がよそ者相手に「手を出すな」などと口にしたのは、後にも先にもこれっきりになるのではないだろうか。
そして男は毛皮のコートをひるがえすと、豪快な高笑いをしながら店の奥へと消えていく。
彼の名はジャック・ジョーカー。
道を外れた若者たちを束ね、JJと呼ばれ恐れられているこの町の裏の顔。