第二章 ここから始まる四人の物語 E
パチパチと乾いた音を立てながら焚き火がゆれている。その周りに集まった五人の顔は、その炎に照らし出されて様々な影を作り上げていた。時折、謎の男が切り分けてくれたティラノサウルスの肉が汁を垂らすと、虫が合唱する中に変わった音を響かせる。
そんな中、四人の少年少女達は思い思いに考えを働かせていた。すっかり冷たくなった大気は、それとなく緊張の色を含みつつ五人の間を漂っている。
自らを老兵と称した男が最初に口を開くきっかけとなったのは、四人の子ども達の中でただ一人だけ緊張感も無く肉に目を奪われている昇の姿だった。
「食べなさい。 それはもともと君の獲物だったんだろう?」
「えっ? いいのか!? これはおっさんが焼いた肉だぞ?」
「あっはっは。かまわんよ。君が木の枝を集めてくれていなければ、この焚火は起こせなかったのだからね」
そのヒゲの下にやわらかな笑顔を見せる男に、昇は二つの瞳をめいっぱい輝かせて喜んだ。
「ありがとう、おっさん! それじゃ、さっそくいただきます!」
狐色に焼きあがった肉に飛びつこうする昇。
しかし、春樹が横から腕を伸ばしてそれを静止する。
「なんだよ」
不満げな昇であったが、春樹の諭すような視線が彼を黙らせた。
「やめておけ。さっき見ただろ? この男は猛毒を扱うことができる人間だ。だとしたら、この男を絶対に信用できるという確信がつくまでは、その肉には手を出さないのが賢明だろ」
「おいおい春樹。それはおっさんに失礼じゃないか? なんで俺たちを助けてくれたおっさんが、俺たちのことを殺そうとするんだよ?」
「いや、それは……」
言葉に詰まる春樹に、謎の男は薄笑いを浮かべる。そして彼は、数学の問題の解説をする教師のような口調で春樹に語って聞かせるのだった。
「それは、私が毒物だけでなく睡眠薬も扱える可能性を秘めているからだ。もし君たちを生け捕りにするつもりなら、あの場面で助けに入ったのも辻褄が合う。こんなところでどうかね?」
いきなり自らの身を危ぶむようなことをさらりと言い始めた男に、春樹は唖然とした様子で顔を向けた。
男のややこけた頬は炎の明かりにくっきりと映し出されていて、茶色いヒゲと一緒に闇の中に浮かび上がっている。
「君は……春樹君でよかったかな? 確かに、君の判断は間違ってはいない。こんな怪しげな人物が『食べろ』と言った物に口をつけるというのは、お世辞にも賢明だとは言えないだろう。他に、私の言葉の中で気になったことは無かったかね?」
春樹は質問を受けながら、この男が何をしようとしているのかいま一つ理解できずにいた。
おそらく、この男が答えさせようとしているのは、先ほどの会話の中でこの男が言ったあの台詞だろう。
『君が木の枝を集めていなければ、この焚火は起こせなかったのだからね』
この男は、なぜか昇がこの薪を集めたことを知っていた。いつから俺たちのことを見ていたのか知らないが、少なくともティラノサウルスの襲来前から俺たちの近くにいたことは確実だろう。
では、なぜこそこそと隠れていたのだろうか。なぜ始めから助けてくれなかったのだろうか。
春樹はそれらに思考をめぐらせるうちに、やがて一つの答えへと辿り着いた。
「まさかあんた、俺たちを試していたのか?」
鋭い視線を浴びながらも、男は満足げな表情で春樹に微笑みかけた。
「すばらしい。そうだ。それが君の言うべき言葉だった。」
春樹は酷く狼狽したい気分になった。自身のうぬぼれが浮き彫りにされたような気がして、恐ろしいほど恥ずかしかったのである。
相手の言葉の裏を読みきることができないどころか、どれほどの力があるのか試されていたとなれば、不覚などという言葉ではすまないほどの失態だ。その上、自ら選択したと思った言葉が、実は相手に誘導されて吐かされたものだったなんて……。
こんなことが、今までにあっただろうか。いや、もしかすると、とっくに経験していたのかもしれない。ただそれに気づかないまま、ずっと過ごしてきていただけで……。
深刻な表情を浮かべる春樹に、ヒゲの男は優しく語りかける。
「きっと君は今、凄まじいショックを受けているんだろうね。私にはわかるよ。君は私の親友にそっくりだからなぁ。しかし、安心しなさい。おそらく、世の中に私ほどひねくれたことを考える人間はいないだろう。実際、君の仲間たちはみんな素直な目をしている。大切にしなさい。君には必要な存在だ。ただ、それを伝えたかった」
「……。」
ネジが切れたように焚き火を見つめ続ける春樹に、他の三人も絶句するしかなかった。この二人は、このたった数回の言葉を交わす間に、一体どれだけのやりとりを済ませたのだろう。
何よりも、春樹がこんなにも簡単にあしらわれてしまっていることが信じられない。
「さて、自己紹介が遅れたかな。私の名はゴルドゼフ・ジャックリー。ゴルドーと呼んでくれてかまわない。元は、ある国で要人の護衛を務めていた身だ。だが、いまはただの旅人。風読みの谷という土地を目指しておるところだ」
「風読みの谷!?」
四人は思わず声を揃えて驚いた。
そんな四人のリアクションに、もっと驚いたのはゴルドーの方である。
「おぉ。もしかして、君らは風読みの谷の人間だったのかな?」
「ええ、まぁ」
「ほう。ということは、目的地はそう遠く無いらしいな。町を出て、かれこれ一週間近いものだから、そろそろこの景色にもうんざりしていたところだったのだよ」
「この森の中を、一週間もたった一人で!?」
四人は呆れるべきか尊敬するべきか見当もつかないといった顔で、飾り気なく笑うヒゲ男を見つめていた。
「あの」
やがて、四人の中で先陣を切って質問に出たのがシェリーだった。
「質問したいことは山ほどあるんですが、とりあえず、どうして風読みの谷に御用があるのかお聞きしたいです」
「あぁ、大したことではないんだ。ただ、久方ぶりに会いたくなった古い知り合いが、今はあの村にいるらしいと聞いてね」
「なるほど、そういうことでしたか。そのご友人に、会えるといいですね!」
愛らしく微笑む少女に、ゴルドーも心を癒されて微笑み返す。
「ありがとう。では、私にも君らのことを聞かせて欲しいな。そもそも君らは、なぜこんな危険な場所にいるんだ? それも、子どもばかりがたったの四人で」
「それじゃあ、それはあたしの方から説明しようかしら」
夏凛は軽くあいさつを済ませると、いままでのいきさつについて簡潔にまとめた。ゴルドーは夏凛の話を興味深そうな眼差しで聞きながら、時折何か考えをめぐらせるようにして相槌をうつ。
「ほほう。これはなかなか面白い話ではないか。ということは、君らが外の世界を見るのはこれが初めてになるのだね?」
「ええ。そういうことになるわ」
「それはそれは。きっと次に会う時までには見違えるように成長するだろうなぁ。楽しみだよ」
ゴルドーの率直な感想に、昇以外の三人は一瞬ふいをつかれたように視線を泳がせた。
それはつまり、それぞれの胸の中に思い当たる節があったということだろう。
はじめは、こんな不本意な形で巻き込まれた旅に、戸惑いと不安ばかりを感じていたはずだ。ところが、今はこの先も訪れるであろう様々な困難を乗り越えることで、自分が少しずつ成長していくビジョンを思い描いている。今はまだ知ることのない未確認の《何か》に、自分はどれだけ成長させてもらえるのだろうと期待を抱いている。
しかし、それはあまりにも都合のいい考えではあるまいか?
現実に目を向ければ、自分たちはあくまでも咲花昇の企てた旅の同行人であり、彼を見守るいち友人にすぎない。そもそも自分は、磨けば光る才能の原石のような彼とは違って、「誰にも負けない」と自信を持って言えるほどのものを何一つ持ち合わせちゃいない。
そんな自分が、何をうかれて、何を期待などしているのやら。
まるで自分がとんでもない勘違いをしていたような気持ちになって、三人の心は一瞬のうちに冷えていくようだった。
しかしその時、しんと静まった空気を切り裂くようにして威勢のいい声をあげたのは、三人の思いなどそっちのけで肉にかじりついていた昇だった。
「おう。次に会うときは、みんな今よりずっと大物になってるぜ。今の俺たちの顔、しっかりと覚えておいてくれよ」
昇が何の根拠をもってそう言ったのか三人にはわからない。しかし春樹達は、昇が溢れんばかりの自信に満ちた表情で言ったその言葉に、冷え切ってしまいそうだった心が少しだけ救われたような気がした。
「ん? なんだよ、お前ら」
いつしか三人の視線は昇に集中していたようだ。肉へと伸ばした手を止めて不気味がる昇に、三人は慌てて顔をそむけてごまかした。
そんな子ども達の様子を観察しながら、ゴルドーはどこか上機嫌だ。
「あっはっは。昇くんは面白いなぁ。確かに君なら、誰にもできなかったようなことを、やってのけるかもしれない」
「もちろんだ。でも、俺もやりたいことたくさんあっていろいろ迷っちまうんだよなー」
みるみるうちに両手の肉を食べ切った昇は、今度は何か思い出したように元気よく手をあげた。
「あっ! はいはい質問しつもーん! おっさんが一週間前に出発した町って、もしかしてオレンジタウンって名前じゃなかったか?」
「あぁ、その通りだよ。欧風の赤みがかった町並みは、それはもう美しかったなぁ」
「よしきた! 俺たちの目的の場所はそこなんだよ!」
昇は丸太から勢い良く腰を上げると、星の瞬く空に向けて大きく腕を伸ばす。
「直径八百メートル! 夜空に開いた炎の大輪に、その場にいる誰もが釘付けにされる! それはほんの一瞬の出来事だ。だけど、そのたった数秒間の感動のために、どれだけの時間と手間がかけられているのか人々は知らない!」
瞳を輝かせながら、まるで選挙演説をする若手立候補者のように熱く語らいだす昇に、四人の視線が集まる。するとゴルドーは思い当たる節があったらしく、突然閃いたように昇に人差し指をむけた。
「なるほど。さては、伝説の花火職人、虎次郎が目当てか!」
「そうさ! おっさん、知ってたのか!」
「あの町に行って、あの職人のことを知らない者はおらんよ。町で唯一でありながら、世界的には伝説の花火職人なんだ。町民ときたら、私がよそ者だとわかる度に自慢げに語りだす。一日に五回同じ話しを聞かされたこともあるくらいだ。耳にタコができるかと思ったわい」
「そんなにすげえのか! うわぁ、もうゾクゾクしてきた。よし、今すぐ出発しよう」
「おいおい」
しかしながら、昇がこうして自分の夢を語る姿は、本当に羨ましくなるほど活き活きとしていた。そんな彼の姿を見つめながら、三人はそれぞれ、先ほどまでの自分の考えを改めようと痛感しているのかもしれない。
本当に昇を羨ましく思うのならば、まずは夢見ることを恥ずかしがったり勝手に諦めたりするのをやめなければ。それでこそ初めて、彼と同じ地平に立って、この旅での自分達の成長を思い描けるというものだ。
こうして、あれこれと話をしているうちに、夜空の色はどんどん深くなっていく。
やがて、誰かがあくびをするのを合図にして、五人はおやすみの挨拶を交わしたのだった。
♭♭♭
「昇くんは?」
「もう寝た。かなり疲れが溜まっていたんだろうな。横でブツブツと独りごとを言っていたと思ったら、いつの間にか」
「そうですか」
火の後始末はゴルドーが名乗りでてくれたのでありがたく任せることにした。が、春樹はなかなか寝付けないまま、夜空に光る星々を眺めていたのだった。
そんな時、彼のもとを訪れたのがシェリーだった。ふと誰かの視線に振り返ってみると、彼女がバスケットの向こう側から顔を覗かせていたのだ。
本人はうまく隠れていたつもりでいたらしいが、あれは全く隠れたことにはなっていなかった。どうせ人のいい彼女のことだ。子ども達とのかくれんぼでもすすんで鬼ばかりやっていたのではなかろうか。
「あれれ? どうしてそんなに昇くんと離れて寝てるんですか?」
シェリーは春樹の横まで歩み寄ると、妙に間隔を空けて地面に寝そべる二人に不思議そうに問いかける。
「ああ。どうやらあのアホは、イビキとネゾウで人を殺すことができるようだ。実際、昨晩はあと一歩で殺られるところだったぜ……。危険だから、遠くに蹴り飛ばしておいた」
春樹がいつもの仏頂面で答えるので、シェリーは少しおかしくて口元が緩んだ。どうやら、いつの間にか春樹に対する苦手意識が薄れていたようだ。まさか、彼のこの無表情が、こんなにも可笑しく思える日がくるなんて。
「座ってもいいですか?」
「ああ、構わないが……。後で夏凛に睨まれるのだけは勘弁してくれよ」
春樹は少々冷たいくらいの印象を受ける口調だ。
シェリーはどうにかして彼の警戒を解こうと、一生懸命に唇を動かした。
「あ、安心して下さい。今、夏凛さんは一人で散歩にでかけています。だから、私がいないことには気付きません。それともやはり、私がここにいてはお邪魔でしたでしょうか……」
「いや、そんなことは思ってないさ。座れよ。何か話したいことがあるんだろ?」
「はい……!」
それから二人は、しばし黙って星空を見つめた。
風の無い森は、それでも十分に空気が新鮮で、息を吸う度にその存在感を訴えてくるように感じられる。鈴虫たちの合唱に包まれて、シェリーの僅かな緊張も次第にほぐれていくようだった。
やがて、彼女は一呼吸入れて話しを切り出す。
「こうしてちゃんとお話をするのは、初めてですね」
「ああ、そうだな」
二人はその視線を重ね合わせようとはしなかった。ただずっと空に目を向けながら、静かに会話を進める。
「私、もっとみんなのことが知りたいんです。昇くんや夏凛さん、そして春樹くんのことも」
「ほう。それで、俺の何が知りたい? 答えられる範囲でならなんでも答えよう」
「……では率直に問いますが、今回、なぜ春樹くんは村を出ようと考えたのですか?」
「やっぱりそのことか」
春樹は昼間に気球の上で夏凛のことをなだめた時、シェリーの視線がやたらと突き刺さるように感じられたことを覚えていた。夏凛のことは適当に誤魔化せても、シェリーの探究心を逸らすことはできない。それは春樹も覚悟していたことだった。
やがて春樹は「少々突飛な話しになるんだろうとは思うが、聞いてくれ」と言って続けた。
「知っているかもしれないが、俺は養子として乙竹家に引き取られた身だ。そのことは、幼いころからしっかりと理解できていたし、何を嘆くようなこともなかった。むしろ俺は、親父に言われた通りに生きて、親父の跡を継ぐのが義務だと思いながら日々を過ごしていた」
確かに、突飛な切り口ではあった。
しかし、シェリーは若干の気後れを感じながらも、長く謎のベールに包まれていた春樹の経歴がついに明らかになることに興味津津のご様子であった。
「それは初めて聞く話しです。でも養子に跡継ぎっていうのは……」
「あぁ、俺の義母さんは、子どもの産めない体でな。だから、養子の俺は、始めから跡継ぎにするために引き取られたようなもんだったんだ。とはいえ、そんな理由があっても、俺はここまで育ててくれた両親に十分に感謝してる。自分の人生は、二人のために捧げようと思っていたし、毎日の武術の稽古も全く苦にならなかった。だけど、自我に目覚める年頃になって、ついに俺は自分のやりたいことに出会っちまったんだ」
つまりそれがこの話の核心になるのだろう。
シェリーは真剣な表情で春樹の横顔を見つめた。
「春樹くんの、やりたいこと……ですか」
「そう。それは、母さんが俺の誕生日に買ってくれた小さなギターだった。あっという間にそいつに魅了された俺は、その日から夢中になってギターの練習にあけくれたんだ。もちろん、武術の稽古はさぼれなかったけど」
ギターと聞いてシェリーの驚きはより一層大きなものとなった。彼女もピアノを習い続けていたので音楽の知識はそれなりにあるのだが、ギターは難しすぎて自分には無理だと思っていたのだ。そんなわけで、ギターが弾けるというだけで十分に驚きなのに、それを春樹がやっているということを聞いた日にはもう開いた口が塞がらない。
「俺が外の世界でギター奏者を見てみたいと思っていたことは事実だ。なにせあの村にはギタリストなんていなかったからな。そんなわけもあって、俺は昇に幾ばくかの期待を抱いていたのかもしれない。正直、本当に村から出られるとは思ってなかったんだけどな。と、まぁこんなところだ。これで満足してもらえたかな?」
シェリーの頭上には未だに春樹の言葉が舞っているようであった。
「春樹くんにギター……。ギターに春樹くん……」
「なんだその顔は? まるで信用してないふうに見えるが、俺とギターの組み合わせはそんなに変か?」
春樹が拗ねたように言うと、シェリーはなんだか可笑しくなってしまった。まさかあの春樹が、こんなふうに感情をむき出しにすることがあるなんて。きっとそれだけ、彼がギターに真剣に取り組んでいるという証拠なのだろう。
すると、この反応を良しとしなかったのが春樹である。彼はますますへそを曲げて、挙句の果てにはそっぽを向くような素振りまで見せ始めるのだった。
「もういい。まさかそんなふうに笑われるとは……。どうせ俺にはギターなんて似合わないんだな……」
「い、いえ、違うんです! 似合うとか似合わないとかの問題ではなくてですね――」
と、シェリーが慌てて弁解しようとしたそのときだった。
二人の耳に、どこからともなく鈴虫の声に交じって誰かの歌声が聞こえてきたのだ。
春樹とシェリーは思わず顔を見合わせる。こんな場所で、一体誰が……?
「もしかして、これって……」
よく耳を澄まして聴いてみれば、その声の主が夏凛であることがわかった。歌詞は無く、メロディーだけをなぞっていくその歌は、今日のような月の綺麗な夜にはぴったりの曲調で、決して鈴虫たちの声に抗うことなく優しく響いていた。
しかし、二人はその曲に心を魅かれながらも、おそらく最初に抱いた感想は同じである。
この歌は、あまりにも悲しすぎる。
森の中に吸い込まれていくその歌声は、まるでどこまでも透き通る氷のように静かで、夜空に瞬く星の一粒一粒にまで響いていくようだった。
第三章へ続く