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第四章  フラワーバスケット D


 早朝の防音スタジオ。


 少し肌寒いような空気の中に、機材の放つ独特の緊張感が漂っている。


 やがて蛍光灯の明かりがついて、誰かが入り口の戸を開けた。


「おはようございます。今日もよろしくお願いします」


 シェリーだった。


 彼女は練習の始まりには決まって音楽機材にあいさつをする。それは相方であるキーボードに対しての愛情と、自分の練習に対する真剣な心の表れであった。


「さて、今日はいよいよ最後の仕上げですね」


 あれから五日、みっちりと練習に打ち込んだ彼女たちは、時間が過ぎるのも忘れて音楽にのめり込んでいた。


 何度やってもうまくいかない悔しさも味わった。自分の限界が目の前にチラついて、投げ出しそうになる場面もあった。


 しかし、そんな彼女達がこの短期間で恐るべき進化を遂げたのは、他でもないトニー爺さんのおかげだったと言えよう。彼は自分の豊富な経験をフルに活かし、立ちはだかる壁をいかに攻略すべきかを彼女達に叩き込んだのだ。


 きっと、自分たちにはもうこれ以上無いくらいのチャンスが与えられているに違いない。ならばこちらは、絶対に後悔しないよう、最大限の努力で臨むのみ。


「さぁ、やりますよー!」


 気合はバッチリ。眠気も吹き飛んだ。


 瞳をとじて集中力を高めるシェリー。思い描くのは、いつだって本番のステージのことだ。


 やがて張り詰めた空気と静寂の時を破って、シェリーの指先は鍵盤の上を軽やかに滑り始めた。


   §§§


 その日の昼。


 スタジオに響いた最後の音が、あたたかな余韻となって空気の中に溶けていく。


「うむ。完成じゃな」


 トニー爺さんが納得の声をもらすと、フラワーバスケットのメンバーは思わず歓喜の声をあげながらお互いにハイタッチして回った。


「サビ前の音、ここにきてグッと合うようになったな」


「最高に気持ち良かったです!」


「今の感覚、忘れちゃダメよ!」


 それはもう、一言では言い表せないような清々しい気分であろう。なにせ彼らは、あれだけ開いていた他チームとの差を、信じがたいほどの集中力と並々ならぬ努力によってほとんどゼロ距離にまで縮めたのだ。


「正直、お前さん達にここまでの力があるとは思っとらんかった。本当に大したもんじゃよ」


 これは単なるお世辞では無くて、トニー爺さんの心からの言葉だった。

春樹たちにもそれが伝わったらしく、なんだかみんなで照れ臭くなってしまう。


「それもこれも、トニー爺さんの指導があったおかげです。本当にありが……」


 しかしその言葉を、トニー爺さんは最後まで聞こうとはしなかった。


「これこれ。その言葉をわしが聞くのは、この店に新しい優勝トロフィーが増えた時じゃ。本気で目指そうという目標があるのなら、決して途中で満足してはいかん」


 そこはさすがに年の功ということもあって、言葉の重みというものが違う。すると、ぐっと握りしめた拳を胸に当てて、夏凛が一歩踏み出した。


「トニー爺。私達、負けないわ!」


「ああ、楽しみにしとるぞ」


 こうして、フラワーバスケット初の超強化練習は成功に終わり、残すは明日のリハーサル、そして明後日の本番のみとなった。


「それでは各人、しっかりと骨を休めて明日に臨むように。解散!」


   §§§


「とは言われたものの……」


 昼下がりのオープンカフェでテーブルを囲むフラワーバスケットのメンバー達。非常に脱力しきった彼らの中で、最も気が抜けてしまっていたのは夏凛だった。


「これから午後、まるまる時間が空いてるわけだけど、だからといって何かやることがあるわけでもないのよね~」


「同感だ」


 とイスに体重を乗せて器用にバランスをとっているのは春樹だ。


 その隣で、シュウがメロンソーダのアイスをつつきながらつぶやく。


「そう言えば、昇さんはどうなったんだろ……」


「……そう言えばそうだな」


「すっかり忘れてたわね」


 実は昇、人数調整の関係でフラワーバスケットのメンバーになってはいるが、楽器ができない身ゆえにほとんど蚊帳の外だったのだ。『自分なりにできることを探す』と言って出て行ったきり姿を見ていないが、さすがにもう四日も経つので心配にもなってくる。


「ちょうどいいから、俺は昇でも探しに町を歩くとするかな」


 春樹が言うと、夏凛がホッと一息ついた。


「ありがとう。それなら私はホテルに戻ってのんびり羽根を伸ばすことにするわ。シェリーはどうするの?」


 しかしシェリーは先ほどから分厚い本に夢中で話が耳に入っていないようだ。


「ちょっと、シェリー聞いてるの?」


「え、あ、は、はい! なんでしょうか!」


 まったく、『本の虫』とまでは言わないが、この子の集中力にはほとほと感心させられる。今なら大嫌いなオバケが出ても気づかないのではなかろうか。


「この後の予定のことよ。まぁその様子だと、シェリーは図書館で静かに読書しているのが一番幸せそうね」


「す、すいません。しばらく本から離れていたものですから……。では、お言葉に甘えて、そうさせていただきますね」


 シェリーは頭をかきながら照れ隠しのハニカミ笑いである。


「あ、でも私、図書館の場所覚えてません。どうしましょう……」


 どうしましょうとは言いながらも、その視線はしっかりとシュウをご指名しているのが彼女のあざといところだ。パッチリお目々の上目遣いにロックオンされてしまったシュウは、身動きをとることもできないままこれに応えるしかなかった。


「はい、僕が案内致します……。いえ僕に案内させて下さい」


「じゃあこれで決まりね。ここから自由行動になるけど、明日に備えて夜までには帰ってくるのよ?」


「へいへい」


「はーい」


「では、解散!」


 こうしてそれぞれの好き好きに町を歩くことになったフラワーバスケットの面々。久々に与えられたプライベートに、なんだか心がウキウキしてしまう。


 しかし、夏凛と春樹を見送って間もなく、シェリーは胸の奥に何か妙なざわめきが起きるのを感じていた。


「どうしたの、シェリーさん?」


 急に足を止めて後ろを振り返る彼女に、声をかけるシュウ。


 しかしシェリーはその問いに明確な答えを返すことができない。


「……いえ、なんでもないです。いきましょっか」


 本当ならこの時、彼女は気分を変えてホテルに戻る道を選択すべきだったのかもしれない。誰も気付くことのないであろう、しかし確かなその変化は、既に彼女たちの頭上で始まっていたのだ。


 それがのちの大事件に繋がる予兆であることを、人々はまだ知らない。



   §§§



 ここは街の南西部。立派な屋敷の薄暗い部屋の窓から、空を見上げる少女の姿があった。やがて彼女の足元に黒猫が擦り寄ってきて、少女は悲痛な表情のまま黒猫を抱きかかえる。


「シュウくん……」


 すすり泣く少女とオレンジ色の街並の向こうで、無言の時計台が街を見下ろしていた。




   フラワーバスケット D



 時間は流れ……。


 同日、午後七時半。


 予定では全員がホテルに戻って食事をしている時間であったが、どうやら様子が違うらしい。


「よりによって、なんであんただけしかいないのよ」


「その台詞、そのまま返す」


 現在、部屋には昇と夏凛の二人のみ。お世辞にもいい空気とは言えない感じである。


「おかしいわ。この街に来てから、春樹とシェリーの帰りがこんなに遅くなることなんて一度も無かったのよ? それなのに……」


 まるで、子どもの帰りを心配する母親のような台詞に、昇はなんだか調子が狂うような気持ちがして、おもむろにゴーグルを磨きだした。


 そもそも、他人にこんなに不安げな表情を見せる奴だっただろうか。こっちに戻ってきた時、感傷に浸るかのように部屋の隅で黒猫と会話しているのを見た時には思わず爆笑してしったが(もちろん殴り飛ばされた)、改めて考え直してみるとここ数週間で自分達の関係もだいぶ進歩したものである。


 そんなことを考えている最中に、横で夏凛がドキッとするようなことをつぶやいた。


「もしかして、シェリーと春樹って付き合ってんのかな……」


「えっ……?」


 その言葉を聞いた時、昇の中でなんとなく夏凛の持つ不安が漠然と理解できた。


「いやいや、待てよ。それは無ぇって。二人は別行動だったし、シェリーにはシュウが付いていったんだろ?」


「そうだけど……わかんないじゃないのよ。もしかしてって考えると、いくらでも想像できちゃうんだから」


 なんてしおらしい顔してやがるんだ。らしくない、らしくないぞ……とは口に出せない。


「いやいや、よく考えてみろ。仮にそうだとしたら……」


 その時だった。何やら窓の方からコツコツとノックするような音が聞こえてきた。


「なんだ? 風の音じゃないな」


 夏凛は不気味がってテーブルの奥に身を引いてしまったので、代わりに昇がカーテンを開ける。


 するとそこには、しばらく彼らの前から姿を消していた伝書鳩パトラッシュがいた。体中が汚れ、かなり体力を消耗している様子である。


「パト! 今あけてやるから待ってろよ!」


 転がり込むように着地した彼は、まず首にかけていたポシェットを昇達に差し出した。


「なにかしら?」


「……そうかお前、伝書鳩として仕事に出てたんだな?」


 パトラッシュはその問いに答える間もなく、夏凛の腕の中で眠ってしまった。彼にとって初めての仕事は、どうやらかなり波瀾万丈なものだったらしい。


 とにかく、ポシェットの中身だ。


「シェリーがどういった内容の手紙を送ったかは知らねーけど、とりあえず返信を見てみるか……」


 と、そこで昇の手が止まった。あの恐るべき村長熊次郎の名前が目に入ったからである。


「熊爺かよ。さて、どんな暴言が飛び出すやら……」


 昇の耳には、今にも自分を批難する熊爺の声が聞こえてきそうだった。


 しかし、手紙をあけてみて二人は呆然。


「なによこれ……」


 そこには見たこともない種類の文字が不規則な色・大きさ・順序で羅列されていたのだった。しかも、よく見れば最後に血色の指印までついている。


「こんなもの送りつけてきやがって、なんの嫌がらせだ、熊爺……」


 そんなことをつぶやきつつも、昇は勘付いていた。熊爺はこんな悪戯をして喜ぶような男ではない事、そしてこの手紙が何か重要な意味を持っている事も。


「とにかく、これがなんなのか知るためにも、俺達はシェリーを探し出さなきゃならないな」


「そうよね。待っているだけじゃダメだわ。こういう時こそ、どんどん動かないと」


 そんなわけで、ようやく外に捜索に出ることになったわけだが、まずはどこからあたっていくべきか考えなければならない。


「あいつら、方向音痴というわけでもないし、目的地があれば真っ直ぐに行けるよな? だとしたら、お前らの居たっていうそのカフェから図書館と花火工房までの道をそれぞれ歩いてみるか?」


「それなら、カフェに行く前にトニー爺さんのところにも寄りたいわね。シュウがどうなったかも気になるし」


 すぐさま準備を整え、いざ出発。


 ホテルのロビーを抜けて外へ飛び出すと、霧のかかり始めた夜の街の空気が二人を包みこんだ。生温い湿度の塊が体にまとわりついてきて、まるで前進するのを引き止めるかのようである。


 しばらく進むうちに、人気のない路地に入った。相変わらず視界は悪い。


 すると突然、周囲に感覚を研ぎ澄ましていた夏凛が、何かを感じ取って昇の手を掴んだ。


「待って!」


「っ……? どうした?」


「何か、気配を感じるわ……。囲まれてるかも」


「なんだと?」


 しかし辺りを見渡しても、人がいる様子はない。しいて言えば、猫が一、二匹……三、四、五……??


「おいおい、どうなってんだ、こいつは……」


 気がつけば、そこらじゅうは猫だらけ。怪しく光る二つの目が、昇達をとり囲んでいたのだった。


 やがて、困惑する二人に何者かが声をかけてくる。


「あの……お久しぶりです、昇さん」


 か細く、透き通るような少女の声だった。シルエットも小柄で、敵意は感じられない。


「安心して下さい。状況はこの子達から伝わってます。春樹さんとシェリーさんを探してるんでしょう?」


「……!?」


    次章へつづく……


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