第四章 フラワーバスケット C
フェスティバルまで残り一週間。
トニー爺さんから出場の許可を貰うため朝早くにトンプソン楽器店に集結した四人は、さっそく厳しい現実に直面していた。
「……人数不足じゃよ」
「え!?」
「だから、四人ではエントリーできんと言うとるんじゃ」
「ええええええ!?」
店内にはトニー爺さんの吸うタバコの甘ったるい煙が充満していたが、寝る間も惜しんで編曲作業をしてきた春樹の心境は穏やかでなかった。
「おい……これはどういうことだ、夏凛」
「ちょ、待って! 私だって知らなかったのよ!」
これにはトニー爺さんも呆れた様子で
「なんだ、お主らはそんなことも知らずにフェスに出ようとしておったのか?」
と目を丸くしていた。
「そもそも、どんな編成のバンドにするつもりじゃったんじゃ? まずそこを聞いてみないことには始まらんわい」
「それは……例えばギターが春樹でキーボードがシェリー、ドラムが昇、ボーカルが私、みたいな感じで……」
すると今度は、ここまで黙って話を聞いていただけの昇が急に慌てふためきだした。
「お、おい待て。俺がドラムなんて初耳だぞ。まさか本気で未経験者の俺に叩かせるつもりじゃないだろうな?」
そこはまぁ、手先の器用な昇ならばなんでもできるだろうという甘い考えだったわけだが……。
「やっぱ無理?」
「当たり前だろ!」
「とにかく」
と、すかさず割込んできたのはトニー爺さんだ。
「ギター、ベース、ドラム、キーボード、ボーカル。この基本編成が組み上がらない限り、フェス優勝など夢のまた夢……。出場を許すわけにはいかんなぁ」
「そんなぁ……」
するとここで、その重い空気を蹴散らす救世主が店の奥から姿をあらわしたのだった。
「話は聞いたよ。メンバーが足りないなら、ぜひ俺を使って欲しい」
「え!?」
そこにいたのは、ドラムのスティックを指先で器用に回しながら優雅に微笑むシュウであった。これにはカウンターの上に伏せっていた夏凛も即座に食らいついた。
「シュウ、あんたドラム叩けたの!?」
するとシュウの代わりにトニー爺さんがこれに答える。
「いや、お前さん方、あまりナメて見ない方がいい。生意気ではあるが、こやつはもう叩けるかどうかなどという次元では無いぞ?」
「な、なにそれ、どういうことよ?」
「……ふむ。人前では滅多に演奏することがないのであまり知られてはおらんが、実はこの町で最も技術力の高いドラマーといえばそれは間違いなくシュウなのじゃ」
「ええっ!?」
「マジか」
するとシュウは自信に満ち満ちた笑みを浮かべ、高らかに決め台詞を吐いてみせるのだった。
「どんな曲でも叩く。音楽を愛する心と、このスティックが折れない限り」
なんと頼もしいことだろうか。スティックを持った彼は、まるで普段とは別人のような気高い空気を体にまとっているようであった。
「っていうか、本当にシュウ君ですよね?」
さすがにシェリーが確認をとると、不敵な笑みを浮かべながら本人が答えた。
「ああ、どうにも、俺はスティックを持つとスイッチが切り替わるらしい。こんな具合いに少し態度がでかくなる。あらかじめ失礼を詫びておく」
「い、いえ、別にいいんですけど、不思議……」
とにかく、これでドラム、キーボード、ギター、ボーカルは事足りる。あとはベースだけだが……。
「わかったわ。無理に昇に押し付けるわけにもいかないし、私がボーカル兼ベースってことで対応する」
決断の声を挙げたのは、やはり夏凛だった。しかし、その意志の在り処を確かめるように、春樹が静かに問いを返す。
「おい、待て。これは俺達がフェスに出場するべきかどうかもう一度考える最後のチャンスだ。お前のその覚悟は本物なんだろうな」
実はこの春樹の問いを、本当の意味で夏凛へ投げかけたかったのはシェリーだった。
夏凛さん、あなたは本当に優勝賞金欲しさにこのフェスティバルに挑戦するのですか? 私達がともにステージに立つ理由って、たったそれっぽっちのことなんでしょうか……。
しかし、こうしたシェリー達の想いに対し、夏凛は既に答えを見付けていたようだった。なぜなら今、夏凛の大きな瞳には、おそらく何者にも揺るがすことのできない煌々とした意志の光が宿っているからである。
「私のわがままに付き合わせておいて、また勝手なことを言い出すようでごめんなさい。でも安心して欲しいの。確かに最初は賞金が第一義にあったけど、今は違う。私はあんた達と一緒に音楽がやりたい。今まで、ろくに協力することの無かった私達だけど、どこまでやれるか試したい。その為に、自分に挑戦できることはなんだってやらなくっちゃ。だからこそ、ここは私がベースを弾きこなしてみせるわ」
黙ってお互いの視線を重ね合わせる夏凛と春樹。やがて春樹はこれ以上何も言うまいといった様子で頷き、そしてトニー爺さんに頭を下げるのであった。
「爺さん、聞いての通りだ。もちろん、出場するからには他の連中に負ける気はない。フェス参加を許してくれ。この通り頼む」
「ふむ……」
トニー爺さんの右手の先から立ち上るタバコの煙は、窓を抜けて空へと漂っていく(とはいっても、今は飛空艇に覆われてしまって空など無いようなものだが)。それを見送りながら、トニー爺さんはまた深く煙を吐き出すのだった。
「……よかろう。お前さん達がどこまでやれるか、わしも賭けようじゃないか」
「それじゃあ……!」
「うむ。お前さん達の参加、認めよう」
きた。きたきたきた……!
ついにやった!
その時、どれほどの感激が夏凛達の胸に走ったかしれない。気が付けば、夏凛は春樹とシェリーに飛びつき、歓喜の声に身を震わせていた。
「これで……! これでやっと私達、前に進める!」
「はい! 頑張りましょう! 優勝しましょう!」
「お、おい! わかったからくっつくな、離れろっ」
「ぷ。なに恥ずかしがってんのよ。顔赤いわよ」
「んなっ……!」
しかし、この進展に誰よりもホッとしていたのは他でもない昇だったかもしれない。彼は子どものようにはしゃぎ回る夏凛とシェリーに思わず微笑みをこぼすと、今度は春樹とささやかなアイコンタクトをとった。
(おめでとさん。やったな)
(ああ、だがこれからだ)
おそらく、フェス優勝は自分達の思う以上に困難だろう。
そう、あくまでもこれはスタートラインに立っただけであって、ここから遥か先を行くライバルチームに追いつかねばならないのだ。
「……フラワーバスケット」
「え?」
突然、トニー爺さんが呟いた単語に、皆がひきつけられる。
「ああ。お前さん達を見ていたら、ふと思い出したんじゃよ、どこかの国の童話に登場する魔法の花カゴのことを……。あらゆる花を見事に納めるその花カゴに、多くの者が目を奪われたという伝説じゃ」
「あ、私それ知ってます」
と即座に反応したのはシェリーだ。
「ドルバニア公国の詩人アルセイニョによる童話詩篇『十三月の姫君へ』の中で、熊の王子が良き魔法使いから受け取る花カゴですね」
「なにそれ素敵! ねぇねぇ、それ私達のバンド名にしない?」
そういえば、出場できるのかどうかという問題ばかりに気を取られ、そんなことを考えている余裕もなかった。
「なかなか良さそうだな」
「賛成です!」
こうしてめでたく、ここにフラワーバスケットの結成が決まる。
果たして、彼らはこの町の人々の前でどのような演奏ができるのだろうか。この日から、彼らの血のにじむようや猛練習が始まるのだった。
§§§
ところ変わって、ここは町の上空、飛空艇の最深部、艦長室。本来なら軍人以外に立ち入ることのできないこの場所に、なにやら怪しげな訪問者の姿があった。
「それで? 今日はわざわざ何の用だ?」
艦長席からデスクの上に足を組んでいかにも偉そうな態度を見せるこの男は、先日、春樹達の前でシュウを切り捨てようとしたあの軍人だ。その視線の先には、黒服に金髪サングラス姿の男が、機械のような無機質な表情で佇んでいる。
「たまに顔を見せれば、随分な態度だな、ギール。安心しろ。貴様らが、きちんと仕事をしているかどうか、少し視察に寄っただけだ。邪魔をするつもりはない」
その言葉に、ギールと呼ばれた軍人は鼻で笑って毒づいてみせた。
「そりゃあご苦労なこった。……しかしこんな辺境の地にまでわざわざ足を運ぶことになるなんてなぁ。他に仕事はないのか? 暇ならさっさとアストラ連邦との戦争を終わらせろよ」
「軍人のお前がそれを言うのか」
しばし両者のにらみ合いが続く。この二人、どうやら立場的にはほぼ同格のようだ。
「……ふん、まぁいい。とにかくここでは俺が艦長であり、最高権威であることを忘れるなよ、ゼノキラ。お前の力が必用になれば、その時は存分に働いてもらうぞ」
なんだそんなことか、と表情の揺るがない金髪男ゼノキラ。
「一向に構わん。部屋と食事さえあれば、どんな任務を課せられようとも文句など無い。もっとも、こんな平凡な町で俺の手が必要になるほどの厄介な敵に遭遇するとは思えんが」
これにはギールも同意のようで、深く考えることもなく「まぁな」と返事をしていた。
「おそらく、お前の出る幕はないだろう。せいぜい、のびのびと観光でもすることだ」
「ふん。では早速、私はこの町の図書資料を調べに行くので、これにて失礼する」
「そうか。お前は目立つから、ある程度の変装はしていけよ」
「わかっている」
しかし、ゼノキラが入り口の扉に手をかけた時だった。突然何か思い出したようにギールがこれを引き止めたのだ。
「あー、おい、少し待て」
「……なんだ?」
「いや、そういえば一つ放置していた問題があったんだがよぉ」
「問題? ……言ってみろ」
「大した案件でもねぇんだがな……実はつい先日、渡航許可の無いガキが四人、この町に入ったらしい」
「ガキだと?」
「なんでも《風読みの谷》から気球でアンダーグラウンドを渡ってきたって話だぜ? 命知らずの馬鹿どもさ」
「《風読みの谷》か……。なるほど面白い。それで、俺にそいつらを捕縛しろと?」
「あーあー違う違う」
「……?」
「捕縛は、その後が面倒臭ぇからダメだ。いっそ殺すか、放っておくかのどっちかだな。お前なら、どうする?」
「極端な奴め……。そんなものは、決まっている」
そしてゼノキラの出した答えは……。
「どちらでもいい、というか、どうでもいい」
「だよな」とギールも苦笑いである。
「それじゃあ、せめて『殺せたら殺しとく』くらいのつもりでいろよ。人目につかない場所で、四人まとめて始末できる場合に限り、殺っちまえ」
「心得た」
そうして、ゼノキラが重い扉を閉めて出て行くのを視線の先で見送ると、ギールは手元にあるリモコンを操作して天窓を開放した。
天窓から覗く真っ赤な夕焼け空には、うっすらと下弦の月が浮かんでいる。
「まるで、こぼれた血をすすっているようじゃねぇか。お月様よ」
どこか皮肉めいた口調でそう言い放つと、彼は不機嫌そうに艦長室を後にした。
満月の夜まで、あと七日。夏を終わらせる風が、時折強く船を叩きつけていた。