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第四章  フラワーバスケット B

「……なるほど」


 時より強くなびくカーテンの隙間から、南中高度を目指す陽の光がこぼれている。


 夏凜、シェリー、昇の三人はシュウの相談を聞き終えると、各々に難しい表情で黙り込んでしまった。


 ほどなく、夏凜が口火を切る。


「つまり……簡単に言うと、あんたはトニーさんに自分の娘の死としっかり向き合ってもらいたいのね?」


「……うん」


 シュウの決心は固いようだった。彼は拳をきつく握ると重苦しい口調で続ける。


「そうでもしないと、この楽器屋はもう二度と再生できなくなる。……えっと、そこの棚の上を見てみてよ」


 シュウの指さした先には、何か長い建物の模型みたいな影がずらりと立ち並んでいた。女子二人は奇妙な眼差しでそれらを見つめていたが、やがてその正体に気付き驚きの声をあげる。


「もしかして、あれって全部トロフィー? でも、一体なんの……」


 と、そこでようやく、夏凜の頭には先ほどの昇の言葉がよみがえった。


『フェスティバル? ああ、もしかしてアレのことか……?』


 続くシュウの話しが、夏凜たちに全てを把握させた。


「これは、この町の大人なら誰もが知ってることなんだけどさ……。一昔前、この楽器屋はフェスティバルで毎年のように優勝するほど名の知れた楽器屋だったらしいんだ。店こそ小さいけど、ここには多くの人が音楽を楽しむために集い、なんでも語りあったって」


 すると、今度はシェリーが独り言のようにつぶやく。


「でも、トニーさんは変わってしまったんですね……」


「そう。娘さんの死をきっかけに、店を畳むと言いだした。でも、町の人達はトニー爺をどうにか説得して、店を閉めることだけは考え直してもらったんだって」


 でもきっと、そんなのはただの気休めに過ぎなくて、結局はなんの解決にもならなかったのだろう。


「トニー爺が変わって、店も変わってしまった。それまで開いていた楽器教室や鑑賞会も廃止。それと同時に、毎年恒例となっていたバンドフェスティバルへの参加も停止」


「え……?」


 要するに、仮にあのまま夏凜がフェスティバルへの参加をトニー爺さんに申し入れたとしても、それが許可される見込みなどほぼ無かったわけだ。


 夏凜はただ呆然とした表情を昇に向けて、消えいりそうな小さい声でつぶやく。


「あんたは……この古びたトロフィーから全てを察して、それで……」


 すると昇は少し慌てたように首を横に振った。別に悪いことをしたわけでもないのに、何故か言い訳をするような素振りになる。


「いやいや、俺だってそこまで頭が回ってたわけじゃねぇよ。実際、お前らが何をしようとしているのかも良く知らねぇし。でも……」


「……でも、なによ?」


「もし、これからもトニー爺さんに関わるつもりなら、知っておいたほうがいいこともあるだろうと思ってよ」


「……!」


 その時の彼女の気持ちを、なんと言い表したらよかろうか。それは夏凜にとって味わったこともない混沌とした心境で。


 おそらく、夏凜が昇のことをこれほどまでに真っ当な人間に感じ得たのは、初めてのことだったかもしれない。とにかく、次の瞬間、彼女の中では昇を認めようとする気持ちと認めまいとする気持ちが渾然一体となって、そこへさらに、自分の情けなさを戒めようとする気持ちが追い打ちをかけていたのであった。


「ああああ! もう!」


 結果、オーバーヒートした。


「か、夏凜さん? どうしたんですか、いきなり?」


 シェリーの言葉にも、今の夏凜はまともに応えられないらしい。彼女は頭から黒い煙をあげながら、かろうじて口を開く。


「……いいわ。早く話しを続けなさいよ」


「え、あ、はい……」


 まあ、夏凜が続けろというのなら。


 シェリーはついに、シュウの話しの核心に迫ることにした。


「それで、私たちは何をすればいいんですか? トニーさんが娘さんの死と向き合うには、どんなことが必要なんでしょう?」


 正直なところ、問題がデリケートなだけにシェリーにはてんで解決策が思い浮かばなかった。下手なことをすれば本人の傷を余計に深くえぐってしまうだけだし、妙案があるというならぜひお聞きしたいところだ。


 すると意外にも、シュウは予め用意を済ませていたような顔でこれを得たりと微笑むのだった。ただし、彼の信じるその解決策が、必ずしも三人の納得できるものではなかったことは言うまでもない。


「そう! 今こそ、ト二―爺を墓場までおびきだす最高のチャンス! ひと呼んで、肝だめし大作戦!」


「……はい?」


 突然の展開に、さすがの昇もついていけないご様子だ。


 そして誰よりも、『肝だめし』というフレーズに凍りついたのがシェリーである。


「え? え……!」


 オバケだの怪奇現象だの、そういった類いのものが大の苦手な彼女だ。こんな、見知らぬ土地の見知らぬ墓場で肝試しなど、どう考えたってできっこない。


「え、エェェェェェ!?」


 果たして、こんな調子で彼女達がバンドフェスに参加などできるようになどなるのだろうか。


   ♯♯♯


 夏凜達三人がホテルに戻った時、春樹は目の下にクマをつくりながらも譜面とにらめっこを続けていた。夏凜やシェリーから「少し休め」と言われていたはずなのに、呆れた集中力と忍耐力だ。


「……それで、どうして俺がその『肝だめし大作戦』とやらに付き合わなきゃならねぇんだ?」


 彼は心の底から面倒くさそうな声をあげると、どこから引っ張りしてきたのか乾麺パスタをバリバリとかじり始めた。まあ、できることなら休ませてあげたいところではあるが、人員不足とあっては出動命令を出さざるを得ないだろう。


「ごめんね、春樹。でも、これがうまくいかないと、せっかく作った曲も無駄になっちゃうのよ。トニーさんにバンドフェス出場の許可をもらうには、まずは娘さんの死を受け入れてもらわないと……」


「だから、どうもその理屈が俺には理解できない」


 春樹は体重の全てをあずけるようにして座椅子にもたれかかる。しまいには首をぐったりともたげて、酔いつぶれたアヒルみたいな体勢になった。


「ん~、もうっ、なんなのよっ。どうしてあんたに理解できないのか、私が理解できないわ。いい? トニーさんはね、娘さんの死から立ち直ることができず、次第に町の行事にも顔を出さないようになっていったの。だから、このままだとバンドフェスティバルにもエントリーすることはない」


「ふむ」


「……ということは、私たちがやるべきことは一つ。まずはトニーさんを娘さんの死と向き合わせなきゃ。聞けばあの人、墓参りにさえ行ったことがないらしいのよ? だから、娘さんの眠るお墓を拝んでもらって、前に進むためのきっかけを作ってもらうの」


「いやまぁ、墓参りに行かせること自体は俺も大いに賛成なんだが……何かが違うような気がしてならないんだよなぁ」


「はあ? もうなんなのよハッキリしないわね! それならちゃんと、私にもわかるように説明してよ」


 するとこの二人の会話を聞いていたシェリーが、すかさず泡まみれのフライパンを振りかざしてきた。


「それ、実は私も引っかかってたんですよね。と言っても私の場合、春樹くんの感じている違和感とは、また別のことかもしれませんけど」


「え? シェリーもなの?」


「ええ」


 シェリーは洗い物を片付けると、今度は戸棚からカップを取り出して春樹と夏凜のために紅茶を入れ始めた。


「トニーさんが店の経営に熱心でなくなったのは、娘さんが亡くなってからのことだと、シュウくんは言いました。でも、トニーさんが本当に娘さんの死を受け入れられないでいるというなら、どうして彼は私達にあの大切なお洋服を譲ってくれたのでしょうか?」


「……!」


 それは、言われてみると確かに辻褄の合わないことであった。娘の死を受けいれられない人間が、娘の着ていた洋服を他人に譲るなんて、どうにも腑に落ちない話である。


「でも、だとしたら、トニーさんが娘さんの墓参りに行かない理由って何……? 大切な一人娘の供養を、拒み続ける理由がどこにあるのよ?」


「それは……」


 すると今度は、シェリーが答えるよりも早く春樹が口を開いた。


「それは、今ここで議論してもなんの意味もないことだろ? どっちにしろ、夜になって作戦が成功すりゃ全てがハッキリするんだ。なら、それを待とうぜ」


「え、ちょっと何よそれ!」


 それっきり、春樹は誰の言葉にも耳を貸さず、ベッドの上で爆睡を始めてしまった。この様子だと、とても夕方までは起きそうにない。


「仕方ないわ……。春樹の言う通り、その時が来るのを待ちましょう」


「そうですね」


 その後、女子二人は部屋に戻って譲り受けた洋服の試着会を開くことになった。ここしばらくストレスの溜まりっぱなしだった彼女達にとっては、久々に女の子らしい趣味に没頭できる時間となったことだろう。


 そんなわけで、彼女達はすっかり忘れていたのだ。今回のメインイベントが『肝試し』であり、その準備を進めているのがあの咲花昇だということを。


 ふと気づけば、時折り強く窓を揺らす風がカーテンをひるがえしていた。


 今宵の肝試し大会、少々荒れそうである。


   §§§


 現在、夜の8時過ぎ。近くのレストランにてトニー爺さんらと夕食をともにした四人は、その席でトニー爺さんをうまいこと肝だめし大会に引きずり込んだ。


 もちろん爺さんも最初は「年寄りに肝だめしなど……」と返事を渋っていたのだが、昇のひそひそ話しに耳を傾けた途端に態度が一変。


『あ、そういえばわし、肝だめし大好きじゃった』


 どうせまた夏凜やシェリーを餌に使ったのだろうが、こういう時の昇の気転にはほとほと感心させられる。


「で、このクジは何を決めるクジなんだ?」


 春樹の質問に、昇はニヤリと悪い笑みを返した。


「聞いておどろけ。見て笑え」


 普通に考えてみれば、肝だめしでクジを引く理由は一つしかない。一緒に歩くペアを決めるためだ。


 だが、彼らが引いたくじには誰かと対になりそうな番号など書かれていなかった。これはどういうことだ?


「題して、肝だめしロワイヤル」


「肝だめしロワイヤル?」


 説明しよう。『肝だめしロワイヤル』とは、従来の肝だめし大会に限界を感じた昇が、さらなるゲーム性を追求し生み出した新たな肝だめしなのである。


「まずはルールを聞け。これからお前らには、それぞれ違うアイテムの在処の書かれた地図を渡す。このゲームに勝つためには、まずこれを手に入れろ」


 するとここで、困惑を抑えきれなくなったシェリーが声をあげた。


「ちょ、ちょっと待って下さい! こういうのって、普通は二人一組みになって、折り返し地点まで行って帰ってくればゴールですよね? どうしてみんな別々に違う目的地があるんですか」


「そうよ。これじゃ意味がわからないわ」


 すると、この女子二人の不満気な声に昇は「やれやれ」と肩をすくめた。


「おい、お前ら。今時そんな平凡な肝だめしやって何が楽しいんだ?」


「……うーん、まぁ確かに」


「か、夏凜さんっ!?」


 シェリーには申し訳ないが、この件は全権を昇に委ねてしまった彼女らの責任でもあるのだ。実際、昇に準備を押し付けておいて、今さら彼の計画にケチをつけるなんてできっこない。


「まあまあ。ここはあまり構えずに、気楽に行きましょう、シェリー」


「で、でも! これじゃあ墓地の中を一人で歩くことになっちゃいますよ!」


 小さい子どものようにだだをこね始めたシェリー。よほど暗闇が怖いと見える。


 すると昇は冷静に彼女の肩を掴んで、優しく説得を始めたのだった。


「大丈夫だ、安心しろよ。このゲームは基本的には個人戦だが、だからといって他の奴らと協力するのを禁じたりはしない」


「な、なら、夏凜さんと二人で行動しても……?」


「構わない」


 ずっと曇りっぱなしだったシェリーの表情に、ようやく光が差し込んだ瞬間だった。


「ただし」


 とここで、昇の念押しが入る。


「ただし、このゲームの最終的な勝者はたった一人だぜ。これはまさに、命がけの戦い! 最後までリングに立っていられるのは、果たして誰だ!? 後半へ続く!」


「なんだそりゃ」


 まだ半分もルールがわかっていないような気もするが、とにもかくにも始めていただくこととしよう。




 ゲームの舞台は、敷地面積が約1500平方メートル以上の巨大墓地。言わばこの町全域の集約型墓地である。


 手入れの行き届いた綺麗な墓地ではあるが、さすがに夜間ともなれば雰囲気が違う。立ち並ぶ墓標の影は不気味に冷たく、ふと足をとられそうな気持ちになる。


 そしてここにも、肌を寄せ合いながら歩く人影が二つ。


「霧が出てきたわね……。いよいよオバケのお出ましかしら」


「や、やめてくださいっ! さっきから嫌な汗が止まらないっていうのに……!」


 夏凜とシェリーが目指すのは、墓地の奧にある小さな休憩所である。そこに行けば、シェリーがゲットするべきアイテムが置いてあるはずだ。


「にしても、このゲーム少しややこしくない? オバケ役の昇に捕まらないようにお宝をゲットするまではいいけど、どうしてそのお宝を最終地点まで運ばなきゃならないのよ?」


 それはシェリーもつい先ほどまで考えていたことだが、既に大体の答えは見えていた。


「えっと、たぶんですけど、それはやっぱりこの作戦本来の目的のためなんじゃないでしょうかね。きっとこの地図に書かれている最終地点は、ト二―さんの娘さんが眠るお墓なんですよ。だとすれば、あとはト二―さんに花束さえ持たせれば、それはもう立派なお墓参りというわけです」


「なるほどね……。でも、本当にそんな感じでいいのかしら……」


「……夏凛さん?」


「なんだか私、今更になって怖くなってきちゃったのよ。きっと私達は、ト二―爺が心の奥底にずっとしまい込んでいたことを無理矢理に掘り返そうとしているんだわ」


 そうつぶやく夏凛の表情は、それまでずっと隣を歩いていたシェリーでさえも何と声をかけて良いのかわからなくなるほど悲しみに満ちたものだった。それだけ彼女が臆病になる理由が、そこにあるのだろうか。だとしても、シェリーはそれを知らない。容易に聞いてしまっていいかどうかさえもわからない。


 やがて、シェリーは夏凛の肩に優しく寄り添って、彼女の手を握り締めるのだった。


「でも、私達はト二―さんから娘さんの大切なお洋服をいただいてしまいました。もし私達に、あのお爺さんの背中を押すチャンスが与えられたのなら、それを黙って見過ごすわけにはいかないですよね」


 そのシェリーのあどけない微笑みが、夏凛の心にどれだけの安らぎを与えたかしれない。この時確かに、夏凛は自分の中の迷いが小さくなったのを感じることができた。


「……そうね。私達がやらなければ、もう二度とチャンスはないのかもしれないものね。私、ト二―おじさんには後悔して欲しくない! そうと決まれば、やるっきゃないわ!」


「そうです! そのいきです! 私もなんだか、オバケなんて全然怖くなくなってきましたよ!」


 まさにその時。


 ぴちゃんっ!


 と、どこからともなく飛び出してきた謎の物体が、シェリーの頬に生々しい感触を残していった。


 もちろん、シェリーは先ほどまでの勢いを完全に殺され、口をパクパクさせながらパニック状態に陥っている。ようやく正常な呼吸を行えるようになった頃には、今度は足が勝手に走り出していた。


「き、きゃああああああああっ!」


「ちょ、シェリー、どこいくのよ!」


 そしてここから、《仕掛け人》咲花昇の容赦無い連続攻撃が始まるのである。墓地を包み込む深い深い霧は、シェリーの甲高い悲鳴までも呑み込もうとしているようだった。





「ヒャッハァ! 聞いたかよ、あの可愛らしい悲鳴! 肩がぞくぞくするぜ!」


「おい昇、お前キャラおかしくなってんぞ」


 さて、こちらは仕掛け人の昇と、いつの間にか戦線から離脱していた春樹の二人である。実は彼ら、事前の打ち合わせの段階からまともに肝試しをやる気などはさらっさら無く、いっそシェリーと夏凛を驚かすためのドッキリ大作戦に路線変更してしまおうと手を組んでいたのだ。


 先ほどシェリーの頬にぶつけたコンニャクを回収しながら、昇は満面の笑みを浮かべている。よほど彼女の反応が気に入ったと見える。……なんて残酷な奴だ。


「それにしても、こんなにもあっさりと罠にかかるとはな」


 春樹の冷静なつぶやきに、昇は上機嫌で応えを返す。


「シェリーは動きが鈍いし、夏凛は頭が鈍いからな。二人には悪いが、たっぷり楽しませてもらうぜ。まぁ、このドッキリ作戦は任務遂行のための必要事項だしな」


「何が必要事項だ。ただお前が楽しみたかっただけだろうが」


「ところがどっこい、そうでもないんだぜ」


「なに?」


「考えても見ろよ。果たしてト二―のじっちゃんが、なんの変哲もない普通の肝試し大会なんかに参加しただろうか?」


「なるほどな。つまりお前はあの爺さんをドッキリの仕掛人として招くことによって、怪しまれることなくこの墓場まで誘い込むことに成功した、というわけか。標的を欺くにはまず味方から……。うまいやり口だな」


「だろ? 夏凛とシェリーには悪いが、もう少し怖い目に会ってもらう」


「せいぜい、後でひどい目みない程度にしておけよ」


「安心しろ。そんときはお前も一緒だ、春樹」


「……やっぱそうなるのか」


 そして二人は移動を始める。次の悲鳴が待つ場所へ。





「ちょっとシェリー、落ち付きなさいって!」


 どうにかシェリーを捕まえることのできた夏凛は、とりあえず彼女の肩を掴んで動きを封じることにした。しかしシェリーは一向に落ち着きを取り戻せそうにはなく、逆に夏凛の胸に飛び込んでガタガタと震えだすのだった。


「な、ななななんだったんですか今の! 何か生ぬるいものが顔にビチャって当たったんですよぅ!」


「あら、本当だわ。シェリーのほっぺ、ちょっと濡れてる。ん……しょっぱい」


「それは私の涙ですっ! なに味見してるんですか!」


 とにかく、シェリーがこうなってしまったからには、もうこれ以上トラップにはかかりたくないものだ。先ほどの全力疾走で、予定のコースをかなり外れてしまっている。


 するとその時、シェリーがピタリと動きを止めて、霧の奥をじっと見つめ始めた。


「か、夏凛さん、あそこに誰かいませんか……?」


「え?」


 見れば、そこには確かに人影のようなものがあり、じっとこちらの様子をうかがっているようであった。


「あの背丈からするに、おそらく春樹の奴だわ。ちょっと行って、一緒に歩いてもらいましょう。そうすれば、シェリーも少しは安心よね?」


「は、はい」


 しかし、これももちろん昇の仕掛けた罠である。そうとは知らずに、二人はどんどん人影に近づいていく。


「春樹! ねぇ、ちょっと、春樹なんでしょ! さっきから黙り込んでないでなんとか言いなさいよ!」


「春樹くん! 私、怖くて怖くて仕方ないんです。よろしければ、ここから一緒に……」


 だが、シェリーはその言葉を言い終えることができないまま、再び恐怖のどん底に突き落とされることとなる。


「え……?」


 なんと、二人が春樹だと思いこんでいた人影は、二人の手の届く寸前のところでボロボロと崩れ落ち、一瞬にして土の山と化してしまったのである。


「な、なによこれ……」


 この背筋の凍るような演出には、さすがの夏凛も言葉を失った。シェリーにいたっては、もう一人では立っていることさえできず、脚をガクガクにして夏凛にしがみついている。


 そしてトドメに、背後からの奇声。


『ブオオオオオオオオ!』


「いやああああああああああああああ!」


 逃げる逃げる。振り返ることもなく、走り去る二人。


 後に残された昇と春樹は、軽い目配せだけ交わして二人の後を追い始めた。


「ちょろいな」


「油断するなよ。ここからが本番だ」


 しかし二人は気付かない。いや、気付けるはずもなかった。


 まさかこんな時間、この不気味な墓地に客人が訪れようとは、誰が想像できただろう。


 ふと四人の去った道に目を戻すと、そこには青白い光の玉が一つ、まるで彼らの後を追うようにして音も無く移動していたのだった。





 先ほどから逃げ回ってばかりいたため、シェリーの疲労は限界に近付いていた。足元はおぼつかなく、霧のせいで視界も最悪。いつまでもつかと思っていたら、案の定そこらへんに転がっている石につまずいて派手に転倒した。


「もう嫌です! 私、リタイヤでいいです!」


 本当に、できることならシェリーだけでも墓の外へ出してやりたい。しかし、こう墓の造りが複雑だと、自分達が今どの辺にいるのか探るのも容易ではない。


「とにかく、何か現在地のつかめるものが見えるまで歩きましょう。墓の出口に向かうにしたって、これじゃどうしようもないわ」


 するとその時、背後から小さな声が……。


「おねえちゃん、おねえちゃん」


 ビクリと肩を跳ねらせて振り向けば、そこにはオバケの変装をしたシュウの姿があった。黒髪のカツラで顔を隠し、血のりがベッタリと付着した服に身を包んでいる。


「早く逃げないと捕まえちゃうよ?」


 実はこのゲーム、昇に捕まったプレイヤーは、脱落者として他のプレイヤーを襲いに行かなければならないルールになっている。夏凛とシェリーは藁にもすがる思いで、シュウのもとへと駆け寄った。


「良かった! ちょうど私達、道に迷ってたのよ!」


「シュウくん、お願いです! 私達を出口まで案内して下さい!」


「え、でもゲームは? 僕はもうゾンビだから、捕まったら負けですよ?」


「構いませんっ! リタイヤします!」


「そういうことなら……」


 というわけで。さっそくシュウに連れられて出口へ向かうことになる女子二人。


 言わずもがな、これも昇の作戦通り。その進路の先には既にト二―爺さんがスタンバっており、今か今かと首を長くして待っているのだった。


 するとここで、女子二人の恐怖心を駆り立てるため、シュウの作り話が始まる。


「それにしても、夏凛姉さんとシェリーさんは運が良かった」


「ん? どうしてよ?」


「実はこのお墓には噂があって……。なんでも、この町に来る旅行者達を《余所者》として食べてしまう魔物が住み着いているとかいないとか」


「そ、それは嫌ですね……。でも、どうしてそんな噂が?」


「確か、何年も前にこの町を訪れた若い夫婦が、この墓の真後ろにある深い森に足を踏み入れたまま、二度と帰ってこなかったらしいですよ。以来、噂に尾ひれがついて、この墓には魔物がいるという話に」


「なるほど……」


 ブルルッと身を震わせるシェリー。


「私、なんだかまた寒気がしてきました」


「あ、ごめんなさい。怖がらせるつもりはなかったんですけど」


 よく言う。怖がらせる目的しかなかったのに。


 そしてここからが、この怪談演出の真骨頂である。


 まず、奥の通路脇に潜んでいたト二―爺さんが物音を立てる。植木を揺らして、彼女達を警戒させることができれば十分だ。


「ちょっと待って! 今、あそこから変な物音が聞こえたわ!」


「えっ……! ど、どこですか!?」


 ここですかさず、フォローに出るシュウ。


「それじゃあ、お二人はちょっとここで待っていて下さい。僕が様子を見てくるんで」


「え、でもでも、シュウくん一人じゃ危ないです!」


「そうよ! 私達も一緒に」


「大丈夫。きっと昇さんか春樹さんが隠れているに決まってます。それに僕にも、男としてのプライドがあるんで。少しくらいカッコつけさせて下さい」


「そ、そう? なら任せるけど……」


「シュウ君、どうか気をつけて!」


「すぐに戻ります!」


 もちろん、すぐに戻るつもりなど微塵も無く、シュウは淡々と与えられた役割をこなしていくだけだ。後は二人から見えない位置まで移動して、叫び声をあげるだけである。


「う、うわああああああっ!」


 その抜群の演技に、少女二人も悲鳴を堪えるのが精いっぱいといったご様子だ。


「い、今の声って……まさか……!」


「シュウくん……?」


 静まり返った墓地の真っただ中で、二人の女子はしばらく凍りついたまま動くことができない。せっかくシュウに会えて安心していたというのに、こんな仕打ちはあんまり過ぎる。


「引き返すわよ。このまま進めば、私達まで餌食になるわ」


 しかし夏凛のこの指示に、シェリーは必死で首を横に振る。


「だ、だめです! できません! シュウ君は私達を守るために、一人で進んだんですよ! 私達があの子を助けに行かなかったら、誰が助けに行くんですか!」


「シェリー……」


 あれほどオバケを怖がっていた彼女が、こんなに勇ましい言葉を吐くなんて。


 夏凛はその漢気に感動し、恐怖心に支配され始めていた自分を戒めた。


「わかったわ。それなら私も付き合うわよ。化け物だろうが魔物だろうが成敗してくれるわ」


「か、夏凛さん!」


 だが、しかし。その決意は結果的に彼女達を追い込むことになる。


「それじゃあ、行くわよ」


「はい!」


 まるで自分を奮い立たせるように、ずんずんと前に進む二人。


 ずん。ずん。ズボ。ズボ。……。


「……あれ?」


「ちょ、な、なんなのよコレ!」


 なんと、彼女達は前方の霧にばかり気をとられていたために、昇の仕掛けた超粘着式落とし穴に仲良く足を突っ込んでしまったのだった。


「ん……! 全然抜けそうにないわ!」


「ど、どうしましょう! これでは完全に動きが!」


 するとここで、万を辞して登場するのが、最強のスカートめくりゾンビ、トニー爺さんだった! 彼はいつか見せたような奇怪な動きで右へ左へと二人を翻弄すると、じわりじわりと距離をつめてきた。


「ヘッヘッヘ! 引っ掛かりおったな! これでお嬢ちゃん達のスカートなど、もはやただの布切れじゃ!」


「い、いやああああ!」


 シェリーの脳裏を、あの忌まわしい悪夢がよみがえる。


 夏凜は必死に足を引き抜こうとするが、女子の力ではどうすることもできそうになかった。


「くっ……!」


 このままでは、シェリーが!


 そしてこのクライマックスで姿を表すのが、全ての黒幕、咲花昇である。


「さて、夏凜。お前はこのピンチをどう脱する?」


「昇っ……! さてはあんた、全てを仕組んでいたのね!」


「今更気づいても遅いぜ? すでにシェリーは人質だ。助けて欲しくば、『どうかお助け下さい、昇様』と叫ぶことだな」


「な、なんですって!」


 それが主人公の言う台詞なのか!?


 しかし、シェリーを救うためには他に方法がない。


 だからといって、こんな奴の言いなりになんて……!


「誰か……」


 この際、もう誰でもいい。


 もしも今、自分に奇跡が起こせるならば、どうにかしてシェリーを助けたい。


「お願い! 誰かシェリーを助けて!」


 それがきっかけで助っ人が現れるなどと、誰が予想できただろうか。しかし、この夏凛の叫び声が、全く予期せぬ人物を呼び寄せたのだった。


「なんだあれは!」


 突如として乱入してきた青く揺らめく火の玉。


 シェリーとト二―爺さんの間に割って入ったそれは、まるで本当にシェリーをかばっているかのようにト二―爺さんの動きを遮った。


「やれやれ……。誰かが墓場で騒いでいると通報を受けて駆けつけてみれば……」


「火の玉が……喋った!?」


 それもそのはず、実はこの火の玉はオバケでもなんでもなく、少しばかり特殊なかがり火のようなものなのだ。持ち主は、黒いコートに身を包むことで限りなく夜の闇に溶け込むことができる。


「……騒ぎの原因はあなたでしたか、お義父さん」


 そして、火の玉の主はコートを脱ぎ捨て、全員の前に姿をあらわにした。


「あ、あなたは!」


 たぶん、昇達の中でその人物の顔をはっきりと覚えていたのはシェリーくらいのものだろう。何せ彼とはこの町に着陸したあの日あの時以来、会っていなかったのだから。


「おや、僕のことを覚えてくれていたのかい」


「もちろんです。あなたは、私達がこの町へ入れるようにと、お役所でお世話になった恩人ですから」


 そのシェリーの言葉に、ようやく周りの三人も記憶が繋がったようだった。言われてみれば、確かに彼は、昇に花火の打ち上げ中止を宣告したあのお役人だ。


「で、でもどうしてその役人さんがこんなところに?」


「いえ、その前に今、ト二―さんのことを『おとうさん』って……」


 すると今度はト二―爺さんがタバコに火をつけながら静かにつぶやいた。


「よもや、こんな場所でお前さんの顔を見ることになるとはのぅ」


 困惑するシェリーや夏凛を前に、二人はじっと互いの顔を確認しているようであった。やがて、長い煙を吐き終えたト二―爺さんの口から、その場にいた全員に真実が明かされる。


「こやつの名前はエドガー・ブルックリン。わしの夢を終わらせた男の息子であり、わしの娘が生涯を賭けて愛した男じゃよ」


   §§§


 ト二―爺さんの話は、実に簡潔でわかりやすいものだった。


 四十年ほど前、まだこの町が貧しかった頃、人々を音楽で励まそうと立ちあがったのが、若き日のト二―爺さんとマルロ・ブルックリンの二人だった。彼らはともに音楽で祭りを盛り上げ、やがては同じ志を持つ花火師の虎次郎とも酒を飲む仲間になっていった。


 しかし、音楽が売れ裕福になるとマルロは一変し、ト二―爺さんとは喧嘩ばかりするようになった。彼は昔からト二―爺さんの持つ独自の才能が気に入らなかったらしい。


 そうしてト二―爺さんを妬み、やがて音楽までも恨むようになったマルロは、金欲しさにト二―爺さんの作った曲を盗んで遠くの国に逃げていってしまったのだ。


「そしてその時、やむなくうちで引き取ったのがマルロの一人息子であるエドガーじゃった。わしは娘のエリシアとはできるだけ関わらせないように工夫をこらしたが、それも無意味なことじゃった。年頃の二人はすぐにひかれ合うようになり、二十歳になる頃には結婚の話しまで持ち出しおった」


『どうしてあの人との結婚を許してくれないの? あの人はマルロとは違う人間なのよ?』


「そんなことは、エリシアに言われるまでもなくわかっていた。わかっていたが、きっと認めることができなかったんじゃろうな。このままでは、マルロに夢も家族もなにもかも持っていかれてしまう。そう思うと、わしは怖くて怖くて、体の震えを抑えることができんかった」


 そして、ト二―爺さん不在の結婚式を挙げた翌日に、エリシアさんは亡くなったそうだ。どうやら彼女は自らの抱えていた病気を誰にも明かさず、ひた隠しにしていたらしい。


「エリシアは、わしがいつか語った夢を叶えようと必死だったんじゃ」


『音楽で世界を渡り歩くことができなくても、お前の花嫁姿を見るまで生きることができれば、わしはそれで幸せじゃよ』


「それなのに、わしは自分の過去にばかりとらわれて、娘の幸せを素直に祝ってやることさえできなかった……! なんと、なんと愚かな男じゃろうか! あの子は、もうまともに歩くことさえできないはずの体で、それでもなお、周りの人間の幸せを願っていたというのに……!」


 だから、ト二―爺さんはずっと、娘の墓参りに来ることができなかったのだ。こんな自分を、娘は許してくれるはずがないと、自分自身を責め続けて。


 何年も。何十年も。


「だから今更、わしが墓参りすることなどできんわい……。こんな惨めな父親のことなど、きっとエリシアは大嫌いだったに決まっておる……」


 シュウを含めた五人の少年少女達の中の、一体誰が彼の苦悩を理解し、励ますことができただろうか。そんなことをするには彼らはまだ若く、未熟過ぎて、そしてそれを知っているからこそ、誰も口を開くことのできないまま、ただ黙り込んでいるしかなかった。


「そうですね。僕はあなたを決して許せそうにない」


 そこへ、硬直した空気にヒビを入れるような冷たい言葉を放ったのがエドガーだった。


「結婚式のあと、彼女は一人でずっと泣いていました。あなたが最後まで結婚を認めてくれなかったことでエリシアがどれだけ悲しい思いをしたか、それは計りしれません」


「そんな言い方……!」


 その高圧的な物言いに、耐えきれなくなったシェリーが一歩前へ出ようとする。が、さらにその腕を抑えたのは、意外にも夏凛の手だった。


「待って。まだ待ってあげて」


 そして再び、エドガーが口を開く。しかしその口調は先ほどまでのものとはまるで違い、まさに風前の灯火のように震えていたのだった。


「ですが……! エリシアがあなたのことを嫌うことなど、絶対にありえません! 彼女は本当にあなたのことが大好きで、最後まで決してあなたを責めたりなどしなかったのだから!」


 そして次の瞬間、エドガーは頬を涙で濡らしながら、ト二―爺さんの前まで歩み寄っていたのだった。


「本当に、あなた方という親子はどこまでもよく似ている。エリシアが本当にあなたのことを嫌いになるとでも思っているのですか。彼女は最後にこう言い残したんですよ!」


『本当は、私なんかが幸せを望むべきじゃなかったのかもしれない。結局、私はお父さんに寂しい思いさせてしまうだけだったもの。きっと、「薄情な娘だ」と嫌われてしまったわね……』


 その言葉を耳にした時のト二―爺さんの心境は、どう表現したものかわからない。ただ、彼の大きく見開かれた瞳からこぼれ落ちた涙が、全てを語っているような気がした。


「どうか、どうかお願いします! エリシアに、お前はもう充分みんなを幸せにしてくれたと、伝えてやって下さい! そうでなければ、彼女はいつまでも自分を責め続け、安らかに眠ることさえ叶わない!」


 地に伏し、大声で懇願し始めた彼の肩を、ト二―爺さんが優しく起こしてやるまでに、さほど時間はかからなかった。


「今まで、すまなかった……」


 そして二人はお互いの心の傷を分かち合うように肩を抱き合い、立ち上がるのだった。長い歳月を経てようやく分かりあうことのできた彼らは、きっとこれからうまくやっていけるだろう。


 気がつけば、ずっと隠れていた月が顔をだして、辺りを明るく照らしていた。夏凛とシェリーの頬を濡らす涙も、月の光の中で美しく煌めいているようだった。




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