第三章 オレンジタウンの洗礼 D
「ここが八番街の楽器屋ですね」
彼女達が楽器屋まで辿り着くには、さほど時間を要さなかった。途中、八番街へ向かうという路面電車に乗せてもらった際に、親切な運転手さんから道を教えてもらったのだ。
しかし、いざこうして到着してみると、あのライオン頭がなぜここを勧めたのかが良く分かる。
「これ、ほんとにやってるのかしら……」
すっかり風化してしまった看板。ツタの葉だらけの赤レンガ。チカチカと音を立てる街灯。まるで化け物屋敷のようなおどろおどろしい空気。
「とにかく、中へ入るしかありませんね」
女子二人は扉を開け、ゆっくりと中に足を踏みいれていった。
「誰かいませんかー」
シェリーの声が、うすら寒い店内に虚しく響く。蛍光灯の電源は落ちていて、人のいる様子もない。
「こんなことなら、春樹君が来るのを待った方が良かったですね」
「そ? まだわからないわよ。とりあえず、奥まで見てみましょ!」
「あ、ちょっと夏凛さん!」
敷地面積が小さいだけに、陳列棚はやたら狭い間隔で並べられていた。二人は一列になってその間を歩いていく。
と、その時だった。
「シェリー、止まって!」
男の子を抱きかかえながら歩いていた夏凛は、急に顔色を変えてシェリーの服の裾を捕まえる。
「ど、どうしたんですか、夏凛さん」
「気を付けた方がいいわ。……ここ、何かいる」
その言葉に、シェリーの表情は一気にこわばった。
「え、え? ちょっと夏凛さん、冗談でも脅かすのはやめてください。だってここ、人の気配なんて全く――」
しかし、シェリーがその台詞を言い終えるよりも早く、彼女達の行く手には得体の知れない影が姿を現していた。
「な、なんですかアレ……!」
「きたわね!」
夏凛は腕に抱えていた少年を適当な棚の上に寝かせると、謎の影に対して戦闘の構えをとる。幸いにも、相手は一人。しかもそのシルエットは、思っていたよりも随分と小柄なものだった。
「子ども?」
ふと、夏凛の能裏に様々な憶測がよぎる。いろいろと思うところはあるが、終いには面倒になって頭をぶるぶると横に振った。
「まぁいいわ。あんた誰? 何が目的なの?」
しかし、謎の影は答える素振りも見せない。
「ちょっと、何とか言いなさいよ!」
苛立ちをあらわにする夏凛だったが、もはや言葉が通じているのかさえわからなかった。
やがて謎の影は、まるで何かにとり憑かれたような動きで二人へ接近し始めた。まずは腕試しといったところだろうか。夏凛とシェリーが立っている中央通路を、一直線に走り込んでくる。
「か、夏凛さんっ……!」
「大丈夫よ!」
不安げな声をあげるシェリーに対して、夏凛はこれっぽっちも焦った様子を見せなかった。実際、動体視力のズバ抜けた彼女にとって、速いだけの相手など敵ではない。
「でりゃあっ!」
風読みの谷でならした夏凛の喧嘩拳法が唸る。
しかし、相手もなかなか勘がいい。スレスレのところで夏凛の拳をガードすると、続く連続蹴りをも見事に耐えしのいだ。
「なかなかしぶといわね」
再び間合いを取った謎の影は、今度は棚の上をあちらこちらに跳び回る。どうやら、横の動きで揺さ振りをかけながらじわじわと距離を詰めようという魂胆らしい。
それにしても、その身のこなしは見れば見るほど……。
「まるでサルね……」
と、そんなことを呟いた時だった。
これはまた一体どうしたというのだろうか。それまで全く危なげの無い動きを見せていた謎の影は、突然バランスを崩したように棚の向こう側へと転がり落ちてしまった。
「……え? うそ?」
どうやら、棚の上に置いてあった商品に足をとられたようだ。続けて、棚の中身が崩れ落ちるような物凄い音が店内を包み込む。
「……」
「……」
沈黙。
静まり返った店の中で、夏凛とシェリーは呆然と立ち尽くしていた。
えーと、これはつまり、『サルも木から落ちる』とかいうやつだろうか。
「……ぶっ! あっはは! バッカじゃないの!」
やがて、あまりにも馬鹿馬鹿しいこの展開に、夏凛は堪え切れなくなったように笑い声をあげた。まったく、どこの誰だかは知らないが、こんな格好の悪い勝負のつきかたは聞いたことがない。
「……さぁて。それじゃあ、さっそくそのマヌケ顔を拝ませてもらうことにしようかしら」
しかし、その油断があだとなる。この時、既に夏凛は警戒をすっかり解いていて、シェリーのそばから離れてしまっていたのだ。
「夏凛さん! 後ろです!」
そして、シェリーの声が聞こえた時にはもう遅かった。
「……!」
突如、店内をまばゆく照らしだした蛍光灯の光に、夏凛は目をくらませてしまう。
その視界の隅には、シェリーを目指して一直線に走り込む男の後ろ姿が映っていた。
「シェリー、逃げて!」
だが、そんな叫びも虚しく、男は驚異的な速さでシェリーに詰め寄る。
「きゃああああ!!」
万事休す。
狭い店内にシェリーの黄色い声が響く。
夏凛はその光景に釘付けとなりながら、この上ない絶望を味わっていた。
私のせいだ。私がこんな単純な罠にかかってしまったから……!
「シェリィィ!!」
そして訪れる静寂。
シェリーの体に高速アッパーを放った男は、高く腕を突き上げたまま動かない。また不思議なことに、彼の攻撃をまともに食らってしまったはずのシェリーの体も動かなかった。
「……え?」
この時、夏凛の動揺はさぞ大きかったろうと思われるが、それ以上に困惑していたのは攻撃を受けたはずの当の本人だった。
「あれ……私……? どこも痛くない??」
「ええ!?」
状況が全くわからない。まさか、男のアッパーが外れたわけでもあるまいし。
「そう、わしの技は外れてなどおらん」
「!?」
するとここで、ついに謎の男が口を開いた。その後ろ姿からはやたらと若々しさばかり感じられたのだが、その声を聞く限りではどうやらかなりの高齢らしい。
「ちょっと、あんた。いくら年寄りでも許さないわよ。一体シェリーに何をしたの?」
「……まぁ、見ておるがいい。すぐにわかる」
ごくり、と唾を飲み込むシェリー。未知の恐怖からか、体が小刻みに震えだした。
もしかして、自分はここであっさりと死んでしまうのではないだろうか。考えれば考えるほど、胸の鼓動は早くなるばかりだ。
するとその時、シェリーは周囲の空気が急に軽くなったような不思議な感覚に陥った。続けて、まるでその場所だけが無重力になってしまったかのように三つ編みの先端がフワリと宙に浮かぶ。
「な、なんですかこれ!」
「始まるぞ……。これぞわしが十年の歳月をかけて編みだした究極奥義!」
「……!」
次の瞬間、棒立ち状態だったシェリーを襲ったのは、突き抜けるような風柱だった。風速二十メートルはあろうかという強風が、彼女のスカートをひるがえし、めくりあげようとする。
「きゃあああああああ!」
シェリーは必死に前や後ろを隠そうとしたが、二つの手では全てをカバーしきることはできなかった。下手をすれば上の服まで肌けてしまいそうになるほどの強風だ。はっきり言って、彼女の抵抗はあまり意味を持たなかった。
「も、もうだめぇ……」
やがて風は終息する。
シェリーは乱れた服を直す気力も無いまま、ぐったりと床に崩れ落ちた。
「う、うう、恥ずかしい……。私、もう『恥ずかしい死に』しそうです……」
潤んだ瞳と、耳たぶまで紅潮したその顔が、彼女の言葉を象徴づけているようだった。ぽたりぽたりと、涙が床にこぼれおちていく。
「どうじゃ! やってやったぞい! これぞ秘技『竜巻旋風スカートめくり』じゃ! 記念すべき百人目は、水玉模様の可愛娘ちゃんときた! めでたいのう! めでたいのう!」
無論、この状況で夏凛が理性を保っていられるはずがなかった。
彼女は歓喜の声をあげている爺さんの背後へ音も無く回り込むと、いとも簡単に彼の頭を鷲づかみにした。そして一言。
「骨も残さないわ」
八番街の空に、一粒の流れ星が煌めいた瞬間である。
♯♯♯
「ざぎぼどは、ぼんどうにすまながっだっっ!」
さて、夏凛から嫌と言うほど鉄拳制裁を受けたお爺さんは、床に土下座しながら(というか、ぶっ倒れながら)シェリーに謝ることになった。
「か、夏凛さん! いくら変態さんとはいえ、ここまでしちゃ可哀そうですよ」
「いいのよ。この爺さんはあんたの鉄壁スカート伝説に泥を塗ったんだから、このくらいの仕打ちは受けて当然だわ!」
ちなみに、夏凛はいつもデニムの短パンばかりはいているのでスカートめくりの標的にはならない。今回もシェリーだけが狙われたのはそのためである。
「まったく、冗談じゃないってのよ! 風読みの谷じゃねぇ、いつもいつも下級生達に狙われるシェリーを私が護衛していたのよ! そうね……それってたとえばボディガードみたいなものかしら? ……あら? でもこの場合、守っているのはボディじゃなくてパンツの方だから、私は『パンツガード』と名乗るべきなのかもしれないわね」
「名乗らなくていいです」
迷惑なだけの肩書だった。
「とにかく、その私のいる前でシェリーのパンツが人の目にさらされるなんて、これ以上無い屈辱だわ! いい? シェリーのパンツをじっくりと鑑賞する権利を持っているのはね、世界中でこの私だけなのよ!」
「そんな権利、誰にもあげた覚えはありませんけどっ! っていうか、いい加減、私の下着ネタを引っ張るのはやめてください!」
するとそこへ、横から爺さんが割り込んできた。
「いや、実に興味深い。続けるといい」
続けて夏凛の拳がゴキゴキっと音をたてる。
「あんたはまだ懲りてないのかしら」
「さて、そんな冗談はともかく……」
と、今度は逃げるようにして夏凛から離れた爺さんは、その台詞を途中で放り投げたままカウンター横のパイプ椅子に腰をおろした。
そして、満足そうにタバコをいっぷく。
「失礼。ともかく、お客人を歓迎しようじゃないか。改めまして、ようこそ可愛いらしいお嬢ちゃん方。ここはオレンジタウン東区域の楽器屋『トンプソン楽器店』じゃ。わしはこの楽器屋の店主、ト二―・トンプソン」
「店主? ということは、この店はお爺さんのお店なのね?」
「いかにも」
となると、あのシュウとかいう男の子はこのト二―爺さんの孫ということになるのだろうか。一連のゴタゴタですっかり忘れていたが、今はあの子の手当てを急ぎたいところだ。
「それで、今日はどんな要件かの、お嬢ちゃん方? さきほど、ちらと『風読みの谷』とか言っておったようじゃが、この町の者ではなさそうだ」
「ええ。実は私達、今日この町に着いたばかりなんだけれど、その観光の途中で……」
夏凛は棚の上に寝かせておいたシュウを抱きかかえると、ト二―爺さんのもとまで運んでいった。相当疲れていたのだろう。シュウは寝息を立てたまま起きる様子がなかった。
「おお……! シュウじゃないか! お前さん達、この子をどこで?」
「では、一から説明しましょう」
どうやら、お爺さんの反応から見てもここに連れてきたのは間違いではなかったようだ。
それから夏凛とシェリーは、彼女らが目撃したこと全てを話すことになった。
♯♯♯
「なるほど……そんなことが……。お嬢ちゃん達には何か礼をしなきゃならんな。本当にありがとう」
話を聞き終えたト二―爺さんは二人に向かって深々と頭を下げた。その様子から、このシュウという男の子を随分と心配していたことがうかがえた。
「いえいえ、とんでもないです。私達には何もできませんでしたから……。そのお気持ちだけ、後で春樹くんに伝えますね」
シェリーは丁寧に返事を返すと、時計を確認して少しだけ不安な思いにかられた。あの後、彼はうまくあの軍人達をまるめ込むことができたのだろうか。「自分は刀鍛冶だ」なんて思いきった嘘をついておいて、無事にすめばいいが……。頭のいい彼のことだから、何か秘策があるのだと信じたい。
「それにしたって、許せないのはあのチョビヒゲの軍人だわ!」
やがて、怒りのままに声をあらげたのは夏凛だった。彼女は応急箱のふたを手荒く閉めると、ギリギリと奥歯を噛み締める。
「だっておかしいじゃない! 仮にも“絶対正義”の紋章を背負った軍人なのよ!? こんな非道なことをしておいて、許されるわけがないわ!」
しかし、トニー爺さんは至って冷静な表情でこれを制した。
「確かに、お前さんの怒る気持ちはよくわかる。よくわかるが……わしらはどうあってもあの軍人には逆らえん」
すると今度は、夏凛に代わってシェリーが不服の意を唱える。
「どうしてです……? この国は世界でも有数の民主主義国家じゃありませんか……! 軍人の支配する軍事国家とは違うんです! 私達国民が軍人に従わなければならない理由なんて、どこにもありません」
確かに、シェリーのこの意見には十分な正当性があるといえよう。
彼女達の住むこの国の名前は『ウィンドチャイム共和国』といい、各地に点在する多くの村や町が手を取り合うことで成り立っている。もちろん、各市町村の間に主従関係は存在しない。それぞれの自治体が文字通りの「完全自治」を執り行っているわけだ。
「じゃが、お嬢ちゃん達も知っておるように……この国は今、隣国の軍事国家に攻め入られておる。そして、そういった有事の際には、特例として“正義権”が発動することを忘れてはならない」
「正義権……」
二人とも、その言葉には聞き覚えがあったようだ。
「確か、『戦時下において、政府の要人が軍隊に与えることができる絶対の権利』よね……? だとしたって、あの軍人はシュウを殺そうとしたのよ? たとえいかなる権利をもってしても、人殺しを肯定することはできないはずだわ!」
しかし、現実的な議論になればなるほど、人の理想など呆気なく否定されてしまうものだ。
「ならば、司法権にのっとって下される“死刑”とはなんじゃ? 国家が戦争によって人を殺すとはどういうことじゃ?」
「それは……」
二人はその質問に対して咄嗟に答えを出すことができなかった。狭い部屋の中に、重苦しい沈黙が流れていく。
「……つまり、そういうことなんじゃよ。人間は“正義”という大義名分の前では“人殺し”さえもやむを得ないとすることがしばしばある。加えて、今は戦時下……。今この瞬間も国のどこかで“殺し合い”という並々ならぬ事態が起きているのじゃ。そんな時に、こんなへんぴな田舎町で親の無い子どもが一人殺されたくらいで何が問題になろうか。いや、それは誰が殺されようとて同じこと。結局、後に残るのは「正義に仇なす者が死んだ」という情報だけじゃよ。あの下劣な軍人はそのことをよくわかっておる。そしてそれをいいように利用して、この町で好き勝手にやっておるのじゃ」
「そんなのって……そんなのって、ますます許せないじゃない!!」
「もちろん、ワシらとて許すつもりなど毛頭ないわい! ……じゃが、ワシらはそれ以上に奴らに逆らってはいけないことを知っている。それだけの話しじゃ」
それでこの一件についての会話は終わったようだったが、依然としてやりきれない思いがそれぞれの心の中に渦を巻いていた。
シェリーはソファーの上の少年に目を向けながら、果たして彼がどのような思いを持って軍に立ち向かったのか想像してみた。
『お前らなんかに……この町の空は渡さない』
ふいに、彼の言葉が能裏によみがえる。
もしかしてこの男の子は、私達と同じなのかもしれない……。
と、そんな時だった。
ガララっと裏口の引き戸が開いて、聞きなれた声が飛び込んでくる。
「おーい、じーさーん。頼まれた屋根の修理、あらかた終わったぞー。あーあ、もう腹減って死にそうだぜぇ」
「の、昇くん!?」
見れば、そこにいたのは頭にタオルを巻いて腰に大工道具をぶら下げた昇だった。
彼は夏凛達の姿を確認すると、「なんだ? お前らもトイレ借りに来たのか?」とわけのわからないことを言い出す。
と、そこへ、ほぼ同じタイミングで飛び込んで来た男がもう一人。
「おい! 夏凛とシェリーは無事か! 鍛冶屋の親父から聞いたぞ! なんでも、この店の爺さんときたら、筋金入りの変態らしい!」
正面から突入してきた彼は、かなり焦ってここまで来た様子だった。トレードマークのアフガンストールは乱れに乱れ、その額には大量の汗が流れていた。
で、二人の男は互いの顔を見合わせて一言。
「あ。」
……いやいや、そんな間抜けなリアクションを取っている場合ではない。
「おー、春樹じゃねぇか。お前こんなところで何してんだ?」
「おいおい、それはこっちの台詞だろ! お前、ホテルで寝てたんじゃなかったのかよ」
「ああ。それがよぉ、まぁ話せば長くなるが……かくかくしかじか、うんちゃらこうちゃらでほにゃららら~ってわけよ。はっはは!」
「あー、なるほどそういうことかー。……って、そんな言葉で伝わるかアホ! 一から十まできっちり話せ!」
で。閑話休題。
随分とにぎやかになってきたところで、それぞれに何故この場所へ至ったのかその経緯を説明することになった。
時おり頬をかすめる涼しげな風は、まるで街灯の光を誘い込むようにしてカーテンを揺らす。街は今、夕食時の穏やかな空気に包まれているようだ。
「なるほど……。つまりお前は、たまたまトイレを借りたこの店で、清々しいほどオープンな変態であるこの爺さんに衝撃を受け、暇つぶしに屋根の修理を手伝っていた……と、そういうわけだな」
「まあ、そんなとこだ」
「ふむ……。しかし、いくら意気投合したとはいえ、あの咲花昇が他人の為にタダ働きをするとは思えない」
「さすがは春樹だ。実はこの話しには裏がある」
裏がある、という表現を使いつつも、彼はそれを隠すつもりなど全く無いようだった。トニー爺さんを前にして、彼は包み隠さず腹の内を明かす。
「まあ聞いてくれよ。俺もびっくりしたんだけどな、この楽器屋のじっちゃん、なんとあの伝説の花火師“虎次郎”のマブダチなんだとさ。だから俺、こりゃ一世一代のチャンスなんじゃねぇかと思ってな、うまいことじっちゃんと仲良くなって、虎次郎さんによろしく紹介してもらおうって考えたわけよ。どうだ、結構いいアイデアだろ?」
まぁ、悪くはない考えだとは思う。しかし、果たしてこのトニー爺さんが本当に虎次郎と繋がりのある人間なのかどうなのかは怪しいところだ。
すると、そんな春樹の心の内を読み取ったのか、トニー爺さんは白い鼻ヒゲを揺らしながら高らかに笑ってみせた。
「なんじゃ若いの。まるでワシのことを信用しとらんような顔だな」
「そりゃあそうだろ。俺はまだあんたに会って間もないんだ」
すると彼は近くにあった時計に目をやりつつ、おもむろに棚の奥からウイスキーグラスを二つ取り出した。
「まぁ待て。そう焦らなくとも、じきに結論は出る」
「……?」
四人の耳に来客を知らせるベルの音が届いたのは、そんな時だ。
「おーい、ト二―はおるか? うまい酒を持ってきたぞ!」
続けて、どこか懐かしいような、威勢のいい声が聞こえてくる。
まっさきに反応を見せたのは昇だった。
「おい、じっちゃん! これってまさか……!」
「ああ、その『まさか』じゃ」
どうやらそれ以上の言葉は、二人の間には必要なかったようだ。もちろん、他の三人にも状況は十分に理解できていた。
「まぁ、そういうことじゃ。今夜は久々に奴と飲む約束をしておったのよ」
つまりは、ようやくあの伝説の花火職人に会える瞬間が訪れたというわけだ。これにはもう、昇の興奮も一通りではない。
「うっはあ! おいおい、じっちゃん! 早いとこ会いに行こうぜ!」
「そう焦らなくとも、これからゆっくり紹介してやるわい。どれ昇、お前さんちょっと正面入り口まで出迎えに行ってくるといい」
「がってん承知!」
すっかり元気を取り戻した昇の姿に、シェリー達は自然と微笑みを交わし合っていた。一時はどうなるかと思われたものだが、なんだ案外、世の中うまく回るようにできてるじゃないか。
「それにしても、花火職人さんて一体どんな人なんでしょうね」
すると、シェリーのこの言葉に、春樹と夏凛も興味深そうな反応を示した。
「さぁて。職人なんて聞くと、なんとなく、いかついイメージを受けるけどな。自分の信念は絶対に曲げない頑固親父ってところじゃねぇか」
「そうね。でも、職人気質の頑固親父って言ったら、やっぱり真っ先に思い浮かぶのは私達の村にいる熊爺じゃない? これから会うのも、あんな感じの人なのかしら」
「おいおい、そりゃあマズイんじゃねえか? あれは昇にとっちゃこの上ないほどの天敵だろ」
「案外、叫び声を上げたりしながら逃げ返ってくるかもよ?」
「へぇ。そいつは傑作だな」
そんな冗談に、一同が笑い声をあげていた時だ。
突然、和やかな空気を引き裂くようにして、店の中に悲鳴が轟いた。
「ぎやあああああ!」
そのただならぬ様子に、部屋の中は一瞬にして緊迫する。
「何だ今の? 昇の声だったよな?」
続けて、パニック状態に陥った昇が帰ってきた。
「お前ら! 今すぐ逃げるぞ!」
しかしそれだけでは全くわけがわからないので、春樹は力づくで昇の体をその場に押しとどめた。
「おいおい、ちゃんと説明しろ。いきなり何の騒ぎだ?」
すると昇は乱暴に春樹の手を振りほどいてこんなことを言うではないか。
「追いかけてきたんだよ、あいつが! きっと俺達を殺すつもりなんだ!」
「はあ? だから、どこの誰が?」
「説明は後でいいから! 今はとにかく逃げろ!」
そうこう騒いでいるうちに、ついにその謎の人物のご登場だ。ぱっと見た感じでも二メートルはあろうかというその大男は、ドアの柱をくぐって部屋の中へ足を踏み入れる。
「なんじゃあ、今のガキは? おい、トニー、邪魔するぞぉ」
もちろん、春樹達の視線はその人物に集中することになるが、まさか自分達までもが驚きのあまり硬直してしまうことになろうとは思ってもいなかった。そう、その大男の容貌は、彼らのよく見知ったあの人物とあまりにも酷似していたのだ。
「え……」
「うっっそぉ!?」
「おいおい、こいつはいくらなんでも……」
これぞまさに奇想天外。見れば見るほど疑いようもない。
その男の姿は、まさしく風読みの谷の村長山田熊次郎そのものであった。
「まさか、本当に熊爺が!?」
その反応に対して、不満そうな表情を浮かべたのは“人違い”を受けた本人である。
「なんじゃあ? 黙っていればさっきから、熊だ熊だと騒がれる」
ドカン、とテーブルに一升瓶を置いた大男は、もともとでかい声をさらに大きくして春樹達を怒鳴りつけた。
「馬鹿野郎!」
それはまるで、脳天中枢にまで響く雷鳴のようで。やはりあの熊次郎の説教を彷彿とさせるものであった。
「誰と間違えてるのかはわからんが、熊なんぞ知らん! よく聞け! ワシは虎よ虎! 男一世一代、花火職人の虎次郎とはワシのことだ!」
最早、昇たちにはグウの音も出すことができない。
一体、何がどうなっているのやら。
オレンジタウンにて、ついに遭遇することのできた伝説の花火職人虎次郎。どうやら、昇の受難はまだまだ続きそうである。
§§§
その頃、遠い風読みの谷の土地では、ある二人の人物が邂逅を果たしていた。
居住区から出て北東に約十キロ。
桜崎の自衛団の中でも最も優秀なメンバーだけが集められた《龍殺し》の一向は、一体の怪鳥を討伐する任務を終え、その帰路についていた。既に陽は落ちてしまっていたが、ここまでくればもう村は目前である。
しかしそんな時、一番先頭を歩いていたリーダー格らしき人物が突然その動きを止めた。
顔に大きな傷跡のあるそのリーダーは、やがて小さく合図を出す。
「散れ」
一斉に散開する《龍殺し》のメンバー達。
後に残った男はただ一人、視界の開けた道のど真ん中に佇み続けるのだった。
それからしばらくして。
傷のリーダーが無言のままに何かを待ち続けていると、遥か前方の木々の合間から謎の光がチラつき始めた。
じっと目を凝らしてみれば、それが一台のバイクであることがわかる。ただし、バイクと言っても普通の型のものではなかった。一般人には到底乗りこなすことなどできない、超硬式重量タイプのものである。
夜の闇を引き裂くような豪快なエンジン音を響かせながら近づいてくるそれは、さながら森の中を徘徊するモンスターのようだった。これにはさすがのリーダーも、一度くらいは身を引くのではなかろうか。
しかしどういうわけか、彼は道の真ん中から一歩も退こうとはしなかった。ヘッドライトは既に男の目と鼻の先まで迫っているというのに、男はピクリとも動く気配がない。
このまま、彼は大型バイクに跳ね飛ばされてしまうのだろうか。
するとどうだろう。信じ難いことに、男は真っ直ぐに突っ込んできたその鉄の塊を、事も無げに空中へと放り投げてみせたのだった。
水面からはねた魚の如く宙を舞う大型バイクは、やがて力を失って自由落下していく。しかしその光景さえも置き去りにして、事態は既に次の段階へと移行していたのだった。
突如、頭上から飛び込んできた一人の剣士。
おそらく彼がバイクの操縦者だったのだろう。彼は背中に背負った巨大な剣を引き抜くと、地上で待ち受ける傷の男めがけて渾身の一撃を放つ。
そして、次の瞬間――
「なんだ……。お前だったか、ゴルドー」
「やぁ、久しいな。元気にしていたかい、悠司」
なんと、二人の男は互いの喉元に剣をつきたて合いながら、朗らかに挨拶を交わしていた。
やがて二人はそれぞれに剣を納めると、互いの肩を抱き合いながら再会の喜びを分かち合う。
「はっは! おいおいこいつは夢か幻じゃなかろうな!」
「まさか! 正真正銘の現実だとも! ……まったく、本当に懐かしいものだな、悠司!」
すると、二人の周りにはいつの間にか《龍殺し》のメンバー達が戻ってきていた。彼らは未だに警戒を緩め切れない様子で傷のリーダーに説明を求める。
「乙竹さん、このヒゲの男は一体何者なんですか? 先ほどはお二人とも、本気で殺し合いをしているように見えましたが」
すると傷のリーダーは機嫌良さげに高笑いである。周りの仲間達はみなそれぞれに顔を見合わせてキョトンだ。
「はっは! いや、すまんすまん。あれは気にしなくていいんだ! 実はこの男とワシは、南部戦争以来の戦友でな」
「南部戦争……!? と、いいますと、乙竹さんがまだ政府直轄の傭兵部隊に所属しておられた頃の話しになりますよね?」
「ん……まぁ、そうだな。あの頃は訓練だとか言っていろいろと無茶をした。今の奇襲攻撃も我々にとっては朝の挨拶代わりのようなものだったわ」
しかし、普通に考えてみれば、あんなふざけた挨拶を日常的に仕掛けられていては命がいくつあっても足りやしない。この話しを聞いていた男達は皆ことごとく絶句し、改めて目の前にいるリーダーを畏れ敬う気持ちを思い出していた。
やがて、傷のリーダーはポリポリと頬を掻きながら決まり悪そうに言う。
「さて。そなたらにはすまないが、少しばかり席をはずしてもらいたい。せっかくの旧友との再会だ。積もる話しもある」
「え。それはつまり、『先に帰っていろ』という意味でしょうか」
「ああ、構わんよ。先に谷へ戻っていなさい。君達なら問題なかろう」
「は、はぁ。それでは、お気をつけて」
「ああ、君らもな」
こうして、傷の男は仲間達が去っていくのを見送った。
やがて二人は、近くに転がっていたバイクの上へ背中合わせに腰を下ろす。
「さて、それでまた、今日は突然現れておいて何の要件だ。おっとその前に、お前さん、あの戦争のあと何処で何をしていたか話すのだぞ」
「ああ、そうだな。それも話しておきたいことの一つだ。しかし、今重要なのはそんなことではない」
「ほう。ではお前さん、一体このワシに何を伝えに来た?」
空に浮かぶ朧月は、今夜は不気味なほど赤みを帯びていた。ぼんやりと浮かぶ丸い光りが、薄暗い森の中を冷たく見下ろしている。
張り詰めた空気の中で、ただ一つ風の音だけが二人の背中をかすめていくのであった。
第四章へ続く
どうも、白口七並です!
えー、私もついに大学三年となり、なんやかんやと忙しい時期になってきました。このリメイク、いつまでかかるかわかりませんが、必ず最後まで仕上げる覚悟でやっております。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。