暗い水の中
「ねぇねぇミア。起きて起きて」
おやすみを言い合ってから数分後の出来事だった。
ノアがすぐ隣でやけに騒がしくしていた。まったく、小さな船だからあまり動かないで欲しいのだけれど。
「なに」
「起きてってば」
「だから何? 起きてるじゃん」
私は仰向けでで目を瞑ったまま答えた。眠くはなかったが、寝たかった。
「目を開けてってば! 早く!」
うるさいノアに急かされ、私はのったりと瞼を開いた。
開いた、が、何も特別な事は無かった。黒い海に黒い空。灰色の月は少し場所を変えたようだけれど、目新しい事はなにひとつない。
「なに? なにもないじゃん。もう早く寝ようよ、ノア」
横を見ると、すぐ近くにノアの顔があった。すごく嬉しそうな顔。小さな鼻がひくひくと動いている。
「チッチッチ。ミアは目の付け所が悪いよ。いや、この場合は耳の付け所っていうのかな?」
ノアは自慢気にそう言うと、目を閉じ、船底に左耳をぴたりとつけた。
「ほら、ミアもバッグをどかしてやってみてよ」
「えー、うーん……。仕方がないなぁ」
私は枕代わりに使っていたバッグを足元に追いやり、船底に軽く右耳をつけた。
ちゃぽちゃぽと船体を揺らす波の音が聞こえた。あとは特には――。
「しーっ! 静かに聞いてて!」
ノアが口の前で人差し指を立てて言う。まるで何かの職人になったような真剣な様子だ。
「わかったよぉ」
さすがに今度は真面目にやってあげることにした。
ノアのように耳をぺたりと船底にくっつけ、ノアのように目を閉じ、ノアのように職人の表情を作ってみた。
ちゃぽちゃぽと船を揺らす波の音が聞こえた。
その音が小さくなっていくと、今度は水中の音が少しずつ聞こえ始めた。
こぽこぽ、と小さな泡の揺れる音が、
ごうごう、と大きな何かがうねる音が、
しゃあしゃあ、と水の中で動く何かの音が、
この薄い木の板の向こうから聞こえてくる。
「ね、ミア。すごいでしょ? 面白いでしょ?」
片目を開けると、ノアが嬉々とした表情で私の反応を待っていた。
「うん、たしかにすごいね」
私も気付けばその音に夢中になっていた。
風の音も聞こえないと思っていた夜なのに、私達が寝ていたすぐ隣の水の中ではこんなにも色んな音が溢れていたのか、と少しだけ驚きもした。
「ちょっとだけ怖いよね」
「ちょっとだけね」
船底から耳を離すと、途端に静かな夜に戻る。
ちゃぽちゃぽもこぽこぽもごうごうもしゃあしゃあも聞こえない。
「もう少し聞いてようか」
「うん、そうしよう」