闘争逃走
襲撃は一度だけでその後は何事もなく進み、イラ領に着いた。このまま街に入るかと思われたがその手前で馬車は止まった。
「イラ領は無法者が蔓延っていますのでここからは歩いて入ります。くれぐれも離れないように気をつけてください」
わたしとレビィ、護衛のミレスとエクエスに加えて騎士を二人連れて街に入る。馬車は迂回して次のグラ領方面で待機させるとのことだ。
イラ領は荒廃した街だった。ドアや窓は壊され、建物には亀裂が入っていたり崩落していたり。地面には瓦礫が散乱している。気をつけないとつまづいて転んでしまいそうだ。
「ここに末裔が……?」
「イラ領はどうにも荒くれ者が多く集まるようで、至る所で喧嘩が発生しているそうです。詳しくは判明していませんが末裔はその領地内で継承されるそうです。たとえ今この瞬間に末裔の方が命を落としたとしても領地内の別の人に力と刻印が渡ります」
堂々と前を歩くレビィについて行く。遅れないように気をつけながら街を見渡す。街に入ってから結構歩いているはずだけど、人っ子一人見当たらない。人自体いるのか不安になるぐらい静かだった。
「姫様」
ミレスがレビィの前に立ち手で制す。エクエスや他の騎士も警戒している。
「おっ! へへ、オカシラァ、見てくだせぇ。活きのいぃエサがいやがりましたぜぇ」
「オレたちに会ったのが運の尽きだぜぇ。自分の不運をあの世で泣いてなぁ」
通りに差し掛かったところで前から筋骨隆々でイカつい人相のスキンヘッド集団に出くわした。路地に隠れていたのか後ろからもぞろぞろ現れて出て、途端に囲まれてしまった。四人の騎士が各方面を警戒する。
スキンヘッドの頭頂が太陽に反射してキラーンと光り輝く。鍛え上げられた筋肉がボコボコ盛り上がっている。その手にはバットや鉄パイプ、レンガなど凶器を持つ。うーん、見るからに暴力集団って感じがするけど、なんだかちぐはぐに見える。
ニタニタと下卑た笑みを浮かべる中に満面の笑みで筋肉をアピールするようにポーズを決めている人がちらほら。あっ、ピクピクッて筋肉が動いた。すごいなと状況を忘れて見入ってしまった。
そういえば昔、時間があれば鍛練を始める同僚がいた。何でも凹凸とハリのある美筋肉を目指して努力していた。曰く、筋肉こそ男の最高の美とのこと。たかが筋肉と侮ることなかれ。日々の鍛練はもちろんのこと食事や睡眠にも気を遣わなければならない。ただ鍛えればいいというものではないと力説された。最終的に彼が理想にどれほど近づけたのかは知らない。残念ながらわたしは筋肉の素晴らしさを説かれても一切共感できなかった。仮に彼がこの場にいたら興奮して大暴走しているだろう様が容易に想像できて少し感慨深くなった。
――本当に状況を忘れていた。
ポーズを取っていた方と目が合って、見てくれと言わんばかりの喜々とした顔を向けるから、表情が緩んでしまった。後ろに振り返っていたわたしの顔を見た彼らがざわめきだす。それは目の前で牽制していたエクエスも疑問に思うわけで、チラリと後ろにいるわたしに目を向ける。エクエスの冷ややかな視線で状況を思い出して表情を取り繕う。
彼らは追い込み漁の如くジリジリと距離を詰めてくる。人の壁が迫りくる。騎士四人が剣を抜いて牽制しているが多勢に無勢。しかも護衛対象という名の足手まといを庇いながらでは本領も発揮できないだろう。一触即発な絶望的な状況に緊迫した空気が漂う。
「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの負債をおゆるしください。アーメン」
「「「アーーーメェェェン!!!」」」
朗々と読み上げるような声に振り返る。正面には黒のカソックを身にまとい、バラ色のストラを羽織る男が本を開き歌うように言葉を紡ぐ。聖職者の格好をしている男がオカシラだろう。一人だけ異質でとても目を引く。
号令だろう合図とともに一斉に向かってくる。それがどこか遠くの出来事に感じる。はたまた時間が止まってしまったのような感覚がした。外界と遮断されたかのように音が消える。ただ一人、聖職者を模した統率者と自分の二人だけの世界。一瞬だった。ともすれば勘違いとも取れるような、瞬き一つで霧散するような幻の時間。けれどそれが、とても長く感じた。彼はわたしを見て、口角を上げた。待望の瞬間だと称えて。
「きゃあああーーーーーー!!!!」
女性のような甲高い悲鳴に意識が引き戻される。次いで何かがぶつかったような轟音が聴こえた。ここに女性は三人しかいない。けれど声はその誰でもない。間近から発せられた声ではなかった。そう、斜め後方の方から――
「そこまでだよ!!」
しん、と静まり返った場に高らかな声が響き渡る。声の方に一斉に視線が向く。道を開けるように一か所が開かれる。緑色のカズラを纏った女性が腕を組んで仁王立ちしている。全員の視線を一身に受けた彼女は恐れも怯えもなく胸を張って凛と立つ。
「よってたかって弱い者いじめとは情けないね。あんたらは頭ん中までそのバカみたいな筋肉が詰まっているのかい? そんなにヤりたいんならアタシが相手になってやるよ。ほら、かかってきな!」
体の前で拳を握り横に薙ぎる。獰猛な目を大きく開いて歯を見せる。明らかに挑発していると分かる。しかしその効果は覿面だった。
「クソガキャァ、いつまでも調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
「クッセェ正義感はここで叩き潰してやらぁ!!」
「筋肉をバカにするなぁああ!!!」
プッチーンと音が聞こえるほどに怒りをあらわにする。怒りに顔を赤くした男たちが口々に喚きだす。大の大男たちが一人の若き女性に向かって吠える様はなんとも形容し難い光景だった。緊張感が一気にそがれる。
しかし相手は暴力集団。もちろん口だけというわけはなく、すぐに実力行使に移る。彼女の近くにいた男が殴りかかる。それも一人二人ではない。女だからと容赦はしない。手に持つ得物を振り上げる。
「危ないっ!」
「ぐぅあ!」「ぎゃふんっ」
悲鳴のような声を上げる。振り下ろされてギュッと目を瞑る。けれど次に聞こえてきた声は男の声で、周囲から発せられる怒号は変わりがない。恐る恐る目を開けて瞠る。彼女は攻撃を軽々と躱してお返しと拳を入れる。それはボールのように高く宙を舞う。吹き飛ばされた男は壁にぶつかり崩れる。振動が加わり崩れ気味の家屋がガラガラと崩落して追い打ちをかける。
呆気にとられる。きっととっても間抜けな顔をしていると思う。
あの細腕のどこにそんな力があるのか。気持ちいいぐらい次々と殴り飛ばしていく。男たちの怒気に恐れが混じる。それが気に食わないのかさらに感情を昂らせて彼女に迫る。
腕を掴んでグルグルと回転する。周りの男を一掃しながら投げ飛ばす。固まっていた集団の元に直撃して一緒に倒れ込む。
「今のうちに抜けましょう」
空いた穴から包囲網を突破する。大立ち回りをする女性に気を取られていたからか彼らの反応は遅れた。その隙に一気に走り抜ける。去り際に振り向くと、燃え盛る炎ように赤い瞳と目が合った。安堵したような優しく目尻が下がったのは一瞬で、すぐに視線が逸れた。
「ほらほらどうした! アタシ一人に手も足も出ないのか!」
勝気な声を後ろ髪を引かれる思いになりながらも、背を向けて走り去った。