波乱の予感
「――……ふぅ」
バルコニーに出て、手すりに手を乗せて、空を見上げる。空に浮かぶ星々を見てようやく一息つけた。少し冷たい風が吹いて、サラサラになった髪が打ち靡く。
――疲れた。
何かしたわけではない。というより何もしていない。馬車に乗って、体を洗ってもらい、お茶をして食事を頂いた。労働のろの字もない、まさに至れり尽くせりの待遇を受けていた。だからこそ、慣れない。気苦労というのだろう。肉体的疲労ではなく、精神的疲労が大きい。
以前は仕える側だった。そうでなくとも自分のことは自分で、という生活を送っていた。まあこれは貴族だとか地位が高い人でなければ当然だけど。
豪勢な食事も貴賓のような扱いも嬉しいと思うより申し訳なく感じる。相手も仕事だと言うのは理解している。理解しているけど、だからと言ってすぐに適応できるほどの柔軟さを持ち合わせていない。自分の性格と合っていないということもある。だから、たぶん一生慣れることはないと思う。
「護衛ってみんなあんな感じなのかな〜」
思い出して溜息が出る。エクエスを紹介されてからというもの、ずっと背後に控えられていた。城の中は必要無いでしょうと言ったら慣れるためとバッサリ切り捨てられた。
エクエスを紹介された後は旅支度するからとレビィは部屋を出た。そしたら部屋の中は彼と二人だけになる。静まり返った室内。これから一緒に行動するなら人となりを理解している方がいいよね、というわけでエクエスに話しかけた。気まずさを紛らわす意味合いもあったのは否定しない。結果は惨敗だと思われる。
受け答えはしてくれる。聞けば答えてくれるけどそれだけだ。一言、簡潔に、時には肯定か否定だけ。当然膨らむことはなく会話は即終了する。悲しいかなわたしに会話術はない。どちらかといえば聞き役だった。つまり、詰み。
自分だけ座っているのも居心地悪く、彼に座るよう勧めても固辞された。もちろん食事も同様だ。良くいえば忠実、悪くいえば堅物。彼を見て昔のことを思い出した。
よく、頑固だと溜息をつかれた。なぜそう言われるのか当時は分からなかった。尋ねても「そういうところだ」としか言われなかった。思い返しても心当たりはないけど、自分もエクエスのようだったのだろうかと思えば、溜息をつかれるのも仕方がないなと思ってしまった。さすがに彼ほどではないだろうけど。…………ない、よね?
大きく息を吸って、新鮮な空気を体に取り込む。こうしてゆっくりと夜を過ごすのは久しぶりだ。明日からはまた忙しくなるだろうから次はいつゆっくりできるか分からない。
「主よ、我、罪人を憐れみ給え。賜りし使命、身命を賭して果たし捧げます」
手を組み、目を閉じ、頭を垂れる。長き祈りを終えれば体が冷えていることを実感する。長居しすぎた。体は丈夫な方だと自負しているがこれで体調を崩しでもすれば面目が立たない。気疲れを侮ってはいけない。室内に戻ってベッドに横たわれば冷えた体を温める。眠気に誘われるように目を閉じる。
翌朝、身支度を終えて外に出ると言葉を失った。確かにレビィは安全で快適な旅をと言った。言ったけど!
甘く見ていた。いや最初が馬車一つだけだったから増えても二つぐらいだろうと思っていた。
「これで、行くのですか……?」
「少ないですか? それなら……」
「十分です。十分過ぎるほどです!」
隣にいるレビィに聞くとなんとびっくりさらに増やそうとするではないか。もちろん止めた。そりゃもう全力で。体で止めた時のミレスの射殺すような瞳は怖かった。
少なくない。どころか過剰ではないかと思う。馬車が三つに同数の荷馬車で計六台。さらには騎士団が一つ付けられる、と。視界の端で馬に乗って整列している。
馬車は一つをレビィとミレス、一つをわたしとエクエス、一つをメイド四人で使用する。荷馬車には今も大量の荷物が積み込まれている。もちろん三台ともである。重量があるからか馬車の倍の数の馬が繋がれている。
騎士団は少数精鋭で数は絞った方だと言われたけどそれでも多く感じる。あの時は気づかないだけで実は付いていたのだろうか。
「巫女様、お手を」
「ありがとうございます」
エクエスの手を借りて馬車に乗り込む。気遣いからかクッションが積まれていた。正直とてもありがたい。いくらふかふかで乗り心地良くても長時間となるとお尻が痛くなるわけで、実際昨日の時点で黙っていたが結構お尻が痛かった。残念ながら完治はしてない。
早速一つ掴んで抱き締める。
「ふっかぁ」
抱き心地抜群です。外の景色を眺めながら手慰みにクッションをもにゅもにゅ触る。
街を出たら長閑な平原を走る。アバリティア領の周辺は平原らしく何もない。野生の動物も滅多に出ることないから安全なんだそうだ。休息を挟みながら距離を進める。静かな空間で、ふかふかに囲まれ、やる事もなく、振動に揺られる。はい、退屈です。騎士の方には大変申し訳なく思っています。
うつらうつらと舟を漕いでいるともうすぐだと声が聞こえた。もうすぐ? と小首を傾げると馬車が止まり並走していた騎士が前に駆け出した。何やら只事ではない様子。もしかしてもしかしなくても非常事態ではないだろうか。
「エクエスさんっ!」
「確認してきますので巫女様は馬車に居てください。絶対に外に出てはいけません」
「は、はい! お気を付けて」
返答に頷いて颯爽と馬車から出て行った。心臓がドクドクと脈打つ。多分前方の方で何かあった。並びとしてはわたしが居る馬車は前から四番目だから窓の外を見渡しても何が起きたのかは分からない。確認しに行きたい気持ちがあるけど、何が起こってるか定かではない状況で迂闊に行動するのは危険だ。エクエスにも厳命されたし。なら邪魔にならない馬車に居た方が良いだろう。逸る気持ちを宥めるように祈る。
――どうか無事でありますように
どれくらい時間が経ったのだろうか、ガタンと音がして顔を上げる。振り向くとエクエスが馬車に乗っている最中だった。
「エクエスさん!」
「ご安心ください巫女様。賊による襲撃を受けましたが無事に撃退しました。すぐに馬車も動きます」
「そっ……うですか」
エクエスの言った通り馬車はすぐに動き出した。騎士も元の列に戻り何事もなかったように進行する。
「あの、賊の方たちはどうしましたか?」
「返り討ちにしました」
言葉を濁しているけれど殺したということだろう。グッと顔を顰める。どれほど豊かになろうとも争い事がなくなることはないのだろうか。
「巫女様が気に病まれる必要はありません」
「…………はい」
どうやらエクエスは教えられていないらしい。これが仕組まれていたことであると知らない。先程聞こえてきた声は襲撃のことを指しているとみて間違いない。だって傍から見ても手際が良すぎるから。すぐに動き出したのは被害が軽微もしくは無かったから。対応できたのは事前に知っていたから。だから森の手前で休憩を挟んだのだろう。
エクエスに気づかれないように息を吐く。望んでのことだから驚くほど順調に行くと思っていた。けれど、その考えは改めなければいけないようだ。先行きの不安が反映されたみたいに空に暗雲が垂れ込める。