道具たる者
規則正しい振動が体を揺する。欠伸と共に目を覚ます。閉じようとした口に異物が挟み込む感触がした。
「んー?」
目を開ける。目の前には木の板。ではなく木箱だった。確か、荷馬車に積まれている荷物はこんなのだった気がする。
起き上がろうとしたら体が動かないことに気づいた。動かないと言うより動かせないよう縛られているが正しい表現か。後ろ手の状態で腕を体に固定されている。手首には手枷。足も固定されている。口は布で縛られ声を出せない。自由が許されているのは目だけだった。
ここはいつもの馬車の中でもなければテントでも宿でもない。荷馬車の中だ。荷物に囲まれているから満足に身を翻すこともできなかった。
「……うん。あひはへほ」
諦めて荷馬車に揺られることにした。騒いだところで仕方ない。犯人だって分かっているし、慌てる必要はない。
「っ、んぃ!」
車輪が石に乗り上げたのかガタンと大きく揺れた。その直後、頭に衝撃が走る。
どうやら先程の揺れで近くに積まれた荷物がわたしの頭に落ちてきたようだ。視線を向けると木箱が近くに転がっている。うーん、わたしを転がせるためのスペースを作るために無理して積んだからかな。振動により辛うじて保たれていた均衡が崩れたと。とても危ない。
少し痛む頭を自覚しながら馬車に揺れていると振動がなくなった。止まったらしい。アザミと会ったのが明け方だとすると朝食の時間になったのだろうか。
……ん? 明け方には行動を開始している? 今までの動き始めは朝食後だった。どれだけ急いでいるんだと呆れて思わず溜息が出た。
「目を覚ましているな。来い」
突然声を掛けられたと思ったらグイっと手を引かれる。引かれたというより引っ張られたという方が正確か。
そこには当然、わたしへの配慮は欠片もない。その証拠に荷馬車に積まれた荷物にぶつかっても知らん顔だ。それどころか煩わしそうに舌打ちしている。
考えてみて欲しい。声は足の方から聞こえた。声の主から見ればわたしは縦に転がっている。そして、恐らく手枷に繋がれてるであろう鎖を引っ張ったとしよう。するとどうなるか。体が回転する。
しかし、わたしの周りには荷物が積まれている。身動き一つ取れないほど近距離に、だ。平行移動できれば良かったのだがそうはいかない。
結果、頭と足を荷物にぶつけながら引き摺られている。床に面している体の側面も同じくだ。ズリズリ擦れてとても痛い。足に繋がれていたらスムーズに引き摺られれただろうに残念だ。全く。
抵抗する気はないので大人しく引き摺られているが、出来ればもう少しお肌に優しい運び方をお願いしたい。と言っても口が塞がれているので呻き声しか出せませんが。ヒリヒリジンジンするので接地面は確実に赤くなっていることだろう。
荷馬車から落とされる。なお、その先は硬い地面だった。ゴンッと体を打ちつける。痛い。そして再び引き摺られる。
地面は明らかに人工物のそれであった。それと水が流れる音が聞こえてくる。
ルクリア領とアバリティア領の間には大河が流れている。海に繋がっているので水深は深く、流れも速い。泳いで渡ろうなんてのは無謀だ。しかし、上流は神の墓まで続いているので迂回は不可脳。向こう岸に行くにはものすごく大回りしなければならない。とても不便だったので大橋が掛けられたとエクエスに聞いた。恐らくここがその大橋なのだろう。
「んぅっ!」
強く引っ張られた。ちょっと体が浮いた。ズザザーって擦れた。
繋がられた状態では満足に転がることもできない。つまり、摩擦を直に受けることになる。硬い石の地面と人間の柔肌。無機物と有機物。軍配は無機物に上がる。負けたわたしの肌は脆く、簡単に傷がつく。
見てないから分からないけど、削れてそう……とぼんやり考えていたら髪を引っ張り上げられる。鷲掴みされて強引に頭を上げさせられる。無理な体勢になって体が痛みを訴える。
痛みに耐えていると顔を殴られた。目を開けろということらしい。これ以上痛いのは嫌なので目を開けたが、遅かったのかもう一発殴られた。痛い。
「あらあらやっとお目覚めですか? お寝坊が過ぎますよ」
「んう゛!」
目の前にはレビィが立っていた。初めて会った時と同じようにニコリと笑う。当時と随分似たような状況だと気づき思わず笑みが零れてしまった。
口が塞がれているので鼻で笑ったみたいになった。それを嘲りと捉えたのだろう。頭を地面に強く打ち付けられた。
実際にはあの時より酷い状態である。手枷どころか足まで縛られているし声は出せない。さらにここに連れ出されるまでたくさんの痛みを与えられた。人間を従順にさせるにはどうすればいいのかなんてシルファで実感している。
心を砕く手段として最も有効的であり実用的なのが暴力だ。精神的苦痛はルクリア領で、最後の仕上げとして肉体的苦痛を与えられた。そして、信じていた者に裏切られることで希望すらをも粉々に打ち砕く。
レビィの後ろにはミレスが、最初から変わらない虫を見るような目で睨めつける。少し離れて騎士団の騎士たちが囲むように立っている。彼らに哀れむ気配はなく剣吞な雰囲気を纏っている。なぜなら彼らは臨戦態勢を取っているのだから。レビィが一言発するだけでわたしは骸になるだろう。
エクエスはどうしているだろう。顔を動かせないので探すことはできない。
ここに居る騎士団とは所属が違うらしいが彼も騎士だ。インビティア領の騎士。領王並びにレビィに仕える人間。つまり、レビィ側の人間だ。
しかし、心苦しいことに彼はわたしに恋簿を抱いてしまった。完全に板挟み状態だ。しかも、どちらを選択しても彼は傷つくだろう。だから拒んだのに。線引きして、情を移させないようにしたのに……。
ここに居ないのなら、いい。当事者にならなければ傷は浅いだろう。それか、わたしと同じように拘束されているだけならマシだ。最悪の場合は、この心配も杞憂に終わることになる。
「強欲、憤怒、暴食、怠惰、傲慢、色欲。残すはわたくしの嫉妬のみ。さあ、その身に宿る六つの力をわたくしに譲渡しなさい。これがわたくしの『お願い』です」
「……」
「奪うことができるのであれば、与えることもできる。そうでしょう?」
目を瞠る。わたしの反応を見て、確信したとレビィは笑みを深める。
素晴らしく都合の良い発想に舌を巻く。得意気にしている彼女には申し訳ないが全くの検討違いだ。
「抵抗するなどという無駄な考えは捨てろ。ここにお前の味方はいない。お前はただレビィ様に従えばいい。何を迷う必要がある。レビィ様のお役に立てるのだぞ? これ以上に至高なことなどあるまい。さあ、早くしろ」
ミレスがわたしに剣を向ける。従わないのなら切ると脅している。四肢など必要ないと思っている。生きていればいいと思っている。
尋問と同じだ。吐かないのなら言いたくなるまで痛めつければいい。耐え難い責苦を負わせて助かる道をぶら下げる。逃げ道は塞ぎ、他の道は存在しないと思わせる。そして目の前の希望を掴むように誘導する。
目的が達成すればそれは用済みだ。どんなに傷を負って、心を壊しても用済みは処分するだけ。最終的に殺すことが決まっているモノに何を躊躇う必要がある。
苦痛を与えることに心を痛めるか。否だ。
死ぬわたしに配慮は必要か。否だ。
敵を可哀想だと思うか。否だ。
そう思う人間はこの場にはいない。甘い考えを持つ者は第一師団にはいない。第一師団は王族直属。主人の剣であり盾である。主人が殺せと言うのなら殺す。死ねと捨てるのなら自ら命を絶つ。剣と命を捧げるとはそういうことだ。それが第一師団の信条である。
それはともかくとして、ミレスのレビィへの愛が凄い。さすが女の身で護衛騎士にまで上り詰めただけはある。レビィを盲信しているのがまた評価が高い所以だろう。彼女が罪人と言えば誰であろうと罪人になる。意思に反する行為は決してしない。意思に反する行為をする者は決して許さない。
レビィにとってはこの上なく便利な道具で、ミレスはレビィに使われることを至高の喜びとしている。見事な利害関係である。
盲目なのはレビィへの愛だけにしてほしい。本当に眼まで盲目にならなくてもいいではないか。抵抗するも何も身動き一つ取れませんが?