E 巡り駆けた先
エクエス視点
カンナギ様と末裔が同時に倒れる。ベッドの上に横たわったカンナギ様を抱え上げる。
「姉さん!?」
「気を失っているだけです」
気絶した末裔に近寄って青ざめる少年につい口から言葉が漏れた。思えば自分たち以外がこの場にいるのはこれが初めてだと気がついた。
カンナギ様は一日眠られるが末裔はどうなのだろうか。グラ領で錯乱した男に力を使った時はすぐに目を覚ましたことから少しすれば目を覚ますだろうと想定する。しかし、不確定な情報を与えてはいけないと思い直し、何も言わずに部屋を出た。
大声で泣き叫ぶ少年の声に少し疑問に思うも、そのまま背を向けて娼館を出た。
娼館の前には馬車が止めてある。すぐにでも出発できる状態だった。
王女様が馬車の中から視線を投げかける。色欲の末裔の記憶は回収できたかと聞いているのだろうと予想し、首肯することで答える。そして馬車に乗り込むとすぐに動き出した。
腕の中で眠る彼女を確認する。目立った外傷はない。お会いした時の様子から特に変わりないようで安心した。館主と事前にやり取りをしていたらしく、中に入れるのも引き取るのも簡単に事が運んだ。
娼館というだけで身構え過ぎた。王女様に女の下働きもいると言われなければとても気が気でなかった。
それでも二日。たった二日だけなのにお傍を離れている間はとても寂しく感じた。重症だった。自分でも呆れるほどにカンナギ様のことで頭がいっぱいだった。
これで五つ目。元から所持していたのを合わせれば六つ目か。残すは王女様の分だけになった。王女様は領都に戻ってから取り行われるのだろうか。
――七つ集めたらどうなる?
ふとそんな疑問が頭を過った。
一つでも苦しいものを今や六つも抱えている。彼女の様子に変わりがないから頭から抜けていた。眠られている時に魘されることはあったけど、起きている時は普段通りだ。普段通り、会った時から変わらず明るい様相で……。
――カンナギ様は果たして正気なのか?
いや、そもそもの話だ。他人の記憶を奪って、変わらずにいられるものだろうか。教会での詳しいことは知らないが、グラ領での事と大きく変わらないと考えれば一体彼女の中にはどれほどの苦しみがあるのか。男性が震えるほどの恐怖を受けて、何事もなかったかのように笑っていられるのはなぜだ。
「あなたの意志の強さは生粋のものですか。それとも、想像もできぬほどの過酷な人生を歩まれたのですか」
表面しか見せてもらえてない俺はカンナギ様のことを知らない。食の好みも趣味も家族のことも知らない。唯一知っていることは空が好きだということ。しかしそれさえも知れたのは偶然だった。
旅を終えれば護衛の任は解かれる。そしたらカンナギ様はまた教会に戻るのだろうか。騎士の誓いは断られた。もし愛を告げたら受け入れてくれるだろうか。そしたら線を引かずに接してくれるだろうか。
「教えてくださいカンナギ様。俺はあなたのことを知りたい。あなたにもっと近づきたい。どうすれば俺に、心を開いてくれますか?」
恋の駆け引きなんてできない。自分が引いたら、きっと彼女は遠い場所に行ってしまう。だから、旅が終わるまでの間に少しでも距離を詰めて自分を意識してもらうしかない。それでも、成功する確率は極めて低いだろう。だからと言って、諦めることはしたくない。
昼食時に王女様に呼び出された。
「この書簡をアバリティア領の教会に届けて来てください」
「私が、ですか?」
「二度も言わせるな。お前以外に誰がいる」
「ですが、私は巫女様の護衛です。彼女のお側を離れるわけには……」
「後は大橋を超えるだけです。どこに危険があると言うのですか? それに、これも大事な任務です」
「分かったらさっさと行け。何も、戻って来るなとは行っていない」
書簡を受け取り、頭を下げる。すぐに踵を返して第一師団の騎士から馬を一頭借りてすぐに駆け出した。
ルクリア領とアバリティア領は大橋を超えてすぐだ。馬で駆ければ半日で着ける。夜には教会に着けるだろう。近くで宿を取って早朝に立てば昼前には合流できるか。叶うなら目が覚める時に傍に居たいのだがそうも言ってられない。
「すぐに戻ってまいります、カンナギ様」
馬を駆けながら眠る彼女を想う。
予想していた通り、暮夜にアバリティア領に着いた。駈歩から常歩へ歩様を変えて領内を進む。本当はここも駆け抜けたいところだが私情で領民を危険に晒すわけにはいかなかった。第一、今急いだところで出立は明日だ。書簡を渡してとんぼ返りしたいが夜間の騎乗は危険だ。それに、馬を壊すわけにもいかない。
教会に着くと見知った顔が顔がいた。第二師団の仲間たちだ。休み、では無さそうだ。
「ここで何をしているのですか?」
「エクエス! 久しぶりだなー! 元気にしていたか!?」
俺の顔を見て明るく笑う。さっきまでの暗い雰囲気は掻き消えていた。
「……また団長ですか?」
言ってから違うだろうなと脳内で否定する。訓練にしては人数が少な過ぎる。基本的に全員揃って訓練が行われる。仮に何らかの訓練途中だとしても、団長本人がいないことがまずおかしい。次に教会にいる意味が分からなかった。団長と教会が繋がる要素が全くと言っていいほど見当たらない。実は信仰者でしたと言われても信じられない。
仲間はあーとかうーとか、気まずそうな顔をする。頭を掻いたり視線を合わせたりと困惑を顕にしている。
「そ、それより……エクエスはどうしてここに? 確か特別任務だってしばらく離れるとは聞いてたが……」
「その一環でここに書簡を届けに来ました」
詳細は伝えられていないようなので同じくぼかして答える。しかし、俺の言葉でさらに表情を硬くする。
「な、なあ。それって司教に渡す物か?」
「教会に届けろとだけ言われたので司教である必要はないと思います。ですが、最終的には上位者である司教の手にも渡ると思います。……どうしました? 本当に大丈夫ですか?」
どんどん表情が無くなっていく仲間たちに心配が募る。しかし、この書簡を届けない限りここに来た目的が達成されない。様子が気になりはするが取り敢えずは任務を優先しよう。
「先に書簡を届けに行ってきます。話していい内容なら後で教えてください」
「おー……」
もう自暴自棄みたいになっているが本当に大丈夫だろうか。謎が深まるばかりだ。
修道士に書簡を渡して仲間の元に戻る。と言っても教会を閉める時間になったので騎士団で取っているという宿に向かう。馬を休ませてからテーブルに着いた。
早々に酒を一杯呷り、ジョッキを叩きつけるように置く。これは、相当気を病んでいる。
「もうヤダ。帰りたい。これなら団長の悪ふざけの方がマシ」
だいぶ参っていた。他の人も神妙に頷いている。団長の鬼訓練よりキツイってどんなだ。想像つかない。酒が回っているからかその目には少し涙が溜まっていた。
どうやら俺が護衛任務を任じられた後、第二師団は司教の変死の原因解明を命じられたらしい。それから一度も家に戻れていないのだとか。大変長丁場で精神的な疲労が溜まっていると。
それは、俺が聞いてもいい内容だろうか。ちなみに団長並びに他の団員はイラ領の教会が壊滅しているとの情報を受けてそちらに向かっている。
「あ……」
「ん? どうしたエクエス」
「………………いえ、何でもありません。明日は早朝に出ますので先に失礼します。部屋を貸して頂きありがとうございます」
「気にすんなって仲間だろ」
「堅苦しいぞエクエス」
「ゆっくり休めよー!」
一礼して部屋に向かう。その間、冷や汗が流れて仕方なかった。イラ領の教会……思い当たる節しかなかった。
「……すみません団長」
今頃、憤慨しながら酒を飲んでいるだろう団長に向かって謝る。帰ったら良い酒を買って渡そう。
それにしても変死とは。これはカンナギ様に伝えた方が良いのだろうか。遅かれ早かれ知ることになるのなら早い方が良いだろうな。予想外の嫌な報せを抱えてしまった。きっと彼女は悲しまれるだろう。
そして翌朝。まだ日が昇って間もない時分から馬に乗る。さすがに朝が早く、街には人の姿が殆どなかった。
「ちょうど今頃、目を覚まされている時間か」
カンナギ様に思いを馳せながら駆ける。急ぐ気持ちがそのまま馬の走りを速くする。
そして、大橋の上に止まっている馬車を見つけた。