アザミ
部屋に戻ると糸が切れたかのようにベッドに倒れて眠った。
体を揺さぶられて目を覚ます。
「ご就寝中に申し訳ございません。時間になりましたので準備を始めます」
「んぅ? …………分かりました」
昨日とは違う子だった。下働きの子は仕事量に比べて数が足りない。人数を補うように協力して仕事を回しているから、毎日同じ子になることの方が少ない。序列によって手の込みようが決まっているから新参者ほどおざなりになる。
昨日は初見世ということもあり、手の込んだ仕様だったらしい。今日は必要最低限に施された。それでも普段からしたら見える容姿にさせられている。
「失礼します」
「ありがとうございます」
準備してくれた子にお礼を言って見送る。開館するまでにはまだまだ時間がある。扱いが不遇なのも新参者故だ。時間や人が限られているからこそ優秀な者に労力を割くようになるのは至極当然のこと。優遇されたいのならのし上がれと暗に伝えている。
「ふわ~ぁ……眠い」
大きな欠伸が零れた。目を擦ろうとして、化粧をしていることを思い出して止める。せっかくきれいにしてもらったものを安易に汚すのは忍びない。
ルクリア領に来てからというもの、どうにも眠気が襲ってくる。やはり五つの罪と力はこの身にあまるのか。過ぎたる力は身を滅ぼすと言う。
いや、それでも止まることはしない。できない。使命を果たすと決めたのはわたしだ。ならば、何があろうと突き通すのが道理というものだ。
しかし、娼館に入ってからはやることがない。閑散とした時間が流れているからか余計に眠りに誘われている気がする。
微睡んでいると勢いよくドアが開かれた。知らない男が大きく足音を立てて入ってきた。本日最初のお客人が来たようだ。ベッドに腰掛けるわたしに不躾な視線を投げてくる。頭の頂点から足の爪先まで何度も視線を滑らせると満足気に頷く。
「初々しさが残っていながら艶がある。見目も悪くないし、どうやら当たりを引いたようだ」
ニチャアと音が出るような笑みを見せて近づいてくる。眠気眼を瞬かせながら緩慢に動き出す。そして、昨日と同じように眠らせる。
未明と呼ばれる時間が過ぎた頃、ゲンが訪ねてきた。
新人は一定数客は入るが夜直とはいかない。その分一人当たりの時間が長かったりするが相対的に見れば待ち時間の方が長い。わたしも例にもれず客がいない時間の方が長かった。後半になるにつれてそれが如実に表れる。
窓を見れば当然ながらまだ空は明るくなっていない。閉館まではまだ時間があるのに、ゲンが来たことに首を傾げる。彼は娼館が開いている間はこちらに来れないはずだ。
「ゲンさん?」
「カンナギさん、今すぐ姉さんの部屋に来て欲しい」
「アザミさんの? ですが、今の時間はまだ……」
「大丈夫だから。誰かに見つかる前に早く移動しよう」
「わ、かりました」
アザミはこの娼館で一番の娼婦だ。とても人気者みたいだし、客が途切れることはないはずだ。待ち時間なく一夜が明ける。だから閉館していない今もまだ客がいるはずだけど、と疑問に思いながらもゲンについていく。周囲を警戒しながらコソコソとアザミの部屋に向かう。着くや否やノックも声も掛けずに中に入って急いでドアを閉める。
「姉さん連れて来たよ」
「ありがとう」
運のいいことに廊下で誰彼に遭遇するということはなかった。ゲンはベッドの上に座っているアザミの元に駆け寄る。
アザミの部屋の中に見知った顔を見つけて目を見開く。
「エクエスさん……」
わたしの声に彼は目礼で返す。彼は部屋の隅――ベッドの足を向ける方の短辺の前――に立っていた。アザミとエクエスに視線を行き来させていると、アザミに手招きされる。彼女の元に歩きながら横目でエクエスを見る。完全に視界を閉じている。
「急にごめんなさい。彼ね、今日の最後のお客様なの。カンナギさんの協力者ですよね。それで、ゲンにお願いしてあなたに来てもらいました」
「そうでしたか。それでは、決められましたか?」
「……ええ」
都合がいいことには目を瞑る。そんなの今更だ。
アザミはゲンを抱き締めながら言葉を紡ぐ。
「カンナギさんに言われて、考えました。あの後少しだけ外に出て、ゲンと一緒に街を歩いたの。外の空気がとても新鮮に感じました。短い時間だったけど、とても楽しかったわ。こんな時間がいつまでも続けばいいと思いました」
アザミはゲンと顔を見合わせ、二人揃って幸せそうに笑った。言葉通り、楽しめたみたいだ。
けれど、彼女の顔が陰った。
「顔を隠しても視線を向けられるの。注目されるの。どこまでも他人の視線がついて回る。気にしないようにしてもふとした瞬間に誰かの視線が体に突き刺さるのを感じました。でも……それ以上に、私は私が気になってしまいました。楽しそうに笑う人を見て、明るく笑う人を見て、私は自分の汚さを感じました。きれいな彼らと汚い私。私はもう、彼らのように笑うことはできないでしょう……」
「姉さんは汚くない!」
「ありがとうゲン。私はゲンがいてくれたから堪えられたの。ツラい思いをさせてごめんね。大変な思いをさせてごめんね。不甲斐ない姉でごめんなさい」
「謝らないでよ。姉さんは何も悪くない。ぜんぶぼくの意志だよ。ぼくが姉さんの側に居たいと決めたんだ。大好きな姉さんと離れたくないぼくの我が儘だよ」
「ゲン……ありがとう。愛してるわ」
抱き合う姉弟に強固な絆と深い愛情を感じた。心が痛む。アザミが継承者に選ばれなければ、こんなに悲しい目に遭うことはなかっただろうに。分かっていたことだけど、それでも心が揺らぐ。
「カンナギさん、あなたに会えなければ自由を望むことはありませんでした。ありがとうございます。そしてごめんなさい。お願いします。私を、助けてください」
「はい」
いそいそとベッドに上がり、アザミの前に移動する。ゲンは一度アザミを強く抱き締めてから離れる。チラリとエクエスを見ても変わらず目を閉じていた。表情を消しているのが気になるけど今はアザミが優先だ。彼がここにいるということは何かしら娼館から脱出する手段があるのだろう。
アザミに近づくと抱き締められた。豊艶な胸が押しつぶされて、彼女の肌に馴染んだ芳香がふわりと漂う。
「アザミさん!?」
「カンナギさんに最大限の感謝を。あなたのお陰で希望を持てました。これから先、どうなるかは分からないけどゲンと一緒に頑張ってみます」
耳の近くで囁かれた言葉に息を呑んだ。驚愕に見開かれた目をゆっくり静かに閉じていく。震える手を動かして彼女を抱き締め返す。温かかった。泣きたくなるほどに温かかった。
どちらが言うでもなく体を離す。手を取って微笑み合いながら額を合わせる。
――ごめんなさいアザミ。ごめんなさいゲン。
表に出さずに心の中で何度も何度も謝罪を繰り返す。分かっていたことだ。心していたことだけど、苦しいのは変わらない。それでも止めるという選択肢は存在しない。細く息を吐いて意識を集中させる。
「罪の悔悛を、ゆるしをあなたに」
触れ合う額から熱を感じる。額を通してアザミから莫大な記憶と感情の波が押し寄せる。艶めかしい声を漏らす彼女を宥めるように手の力を込める。
胸の高まりと共に全身が熱を持つ。体の隅々を這う視線、温い触感、様々な水の感触が煩わしくも愛おしい。体と心が引き離されて別々の底なし沼に埋まっていく。深い地中で心身が混ざり、別のカタチになって浮上する。
プツンと流れ込む記憶が止まり、わたしは意識を手放した。




