郷に入れば
コンコンコンとドアが叩かれる音で目を覚ます。
「はーい! どなたでしょうか?」
欠伸を一つ零してからドアを開けると廊下に一人の少女が立っていた。彼女はわたしを見ると一礼する。
「準備をしますのでついてきてください」
それだけで察した。これから行われる事と行う事。振り向いて窓を見ると空は少し茜色に変わっていた。開館まではまだ時間があるようだけど、ハジメテだからしっかり準備する必要があるのだとか。
ぼんやりと思考にふけていると声を掛けられた。顔を向ければ少し離れたところから少女がこちらを振り向いている。後に続かないわたしを暗い表情で、憂いを隠した眼差しで見つめる。
今のわたしは遠くない彼女の未来の姿だ。多少思うところがあるのだろうけど、だからといって今の己の仕事を疎かにはできない。慰めることもできず、けれど強く出ることもできない少女はただ心を殺し諦観する。それがここで生きていくための最良の方法だと学んだから。
「ごめんなさい。すぐ行きます」
ここで駄々をこねても仕方ない。却ってそれで少女にあらぬ刃が向けられるのはわたしの望むことではない。近づくと彼女は無言で先を歩き進めた。
湯に沈められて丹念に体を洗われる。いい香りが漂うが今のわたしには堪能するほどの余裕はなかった。他人に自分の体を洗われるのはこれが二度目である。一度経験すれば慣れるか? 答えは否だ。しかも今回は子供にやってもらっている。これが彼女の仕事とはいえ、とても居心地悪く感じた。
体を洗って、髪を梳いて、丁寧に乾かして、オイルを塗りたくる。薄い生地の色鮮やかな布着に着替えさせられる。布面積は少なくないが透けているせいで体の線が鮮明に見える。あってないような物だがそれでも一枚隔てられているという安心感を覚える。まあ、透けているせいで下着が丸見えだけれど。化粧を施され、部屋に案内される。
「指示があるまでこの部屋から出ないでください。それでは失礼します」
少女は一礼して、荷物を持って部屋を出ていった。感謝を告げると迷うように視線を彷徨わせ、頭を下げてドアを締めた。
部屋の中を見渡す、と言っても部屋はさほど広くない。まず目に入るのは部屋の大部分を占める大きなベッド。明らかに一人分ではない大きさだ。インビティア領の城で用意された部屋のベッドが確かこんな感じだった。向かって右側の枕元付近にサイドテーブルが一つと壁に大きな姿見が掛けられている。左側は趣向を凝らした格子窓のみ。
「これは、また……」
ベッドに近づくと大きな姿見に否が応でも自分の姿が映し出される。
一枚着ているにも関わらず下着が丸見えだ。あるだけマシだろうと思っていたけれど透けているせいか余計に恥ずかしい格好になっていた。頬を赤く染め、紅をのせた唇が薄く開く。大変身を遂げた自分の姿に、すとんと表情が抜け落ちた。
姿見から窓へと視線を移す。装飾がなされた窓から入る光は大きさの割に少ない。覗いたとしても外を伺うには不十分な造りだ。ベッドに腰かけてぼんやりと窓を眺めていると勢いよくドアが開かれた。
振り向くと館主が部屋に入ってきて、不躾に舐めまわすように体の隅々に視線を這わせる。品定めするような眼差しから逃れるように少し俯いていると、グイッと顎を持ち上げられる。
「ふぅ〜ん。ま、悪かあないね。今から客を入れるからしっかり努めな。くれぐれも、丁重にもてなすんだよ」
脅すような圧を掛けて睨めつけてくる。ぐっと堪えて小さく頷くと目を細めて顎を突き放した。そして愉快そうに笑いながら部屋を出ていった。
開け放たれたドアをなんとはなしに眺めているとひょこっと見知った顔が覗き込む。
「ゲンさん」
彼は周囲を確認する素振りを見せた後、部屋に入ってきた。ドアは少し隙間が空けてあり完全に閉ざされていない。
「カンナギさん、さっき姉さんに話したら今日の仕事が終わった後に会いたいって」
「本当ですか!?」
「初見世の場合は他の娼婦よりかは早く切り上げられるから、タイミングを見て迎えに来るね。替えの服は最後の客と入れ替わりで用意されるから着替えたら、悪いけどこの部屋で待ってて欲しいんだ。その、辛いだろうけど、あっちの部屋よりこっちの部屋の方が距離が近いから……」
「分かりました。この部屋でお待ちしています」
憂いを見せるゲンに安心させるよう笑みを浮かべる。それでも彼の表情は暗いままでナニカを堪えるように力を入れている。
「ゲンさんは優しいですね。あなたに慕われるアザミさんはもっとお優しいのでしょうか?」
「……うん。とっっっても、優しいよ!」
大きく目を開いた後、嬉しそうに細められた。ようやく見せてくれた笑みに頷くと照れたように頬をかく。別れを告げて彼が部屋を出た後、一時の静けさが流れた。
長いような短いような時間を経てドアが開かれる。空気は揺らぎ薄い布着が軽く風になびく。閉じた瞼を上げて緩慢に首を動かせばこちらを見る瞳と視線が交わる。舌舐りして視線を這わす男に眉尻を下げると気を良くしたのかズケズケと近づいてくる。男の背後でドアが閉められたのが見えた。
「ひゅーぅ。なかなか上玉じゃねぇか。いいねえその清廉さ。色を知らない真っ白な躰がどう乱れるか、楽しみだなぁ。幸運だと思えよ。ハジメテが優しいオレなんだからな。泣き縋って息もできないぐらい気持ちよくさせてやるよ」
最初の客は首を絞めながら犯すのが最高に興奮する癖らしい。時には力の加減ができずに気づけば殺めてしまったことがあるのだとか。特に生娘が好物で抵抗されるほど燃えて力がこもる性分らしい。
最初から遠慮なく心を折に来た。これが娼館の洗礼というものだろうか。容赦ない。
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる男から逃げるように距離を取る。ベッドの奥の方に後退すると背中が当たる。男はベッドに乗り上げ距離を詰める。興奮しているのだろう男は鼻息を荒くする。
「ひひっ、逃げたって無駄だぜ。大人しくした方が痛い思いしないで済むかもしれねぇ――っ!」
俯いていた顔を上げる。目の前の男が驚いたように目を瞠る。その様子にさらに笑みを深め、口を開く。
「《眠れ》」
ふっと意識が抜けた様に前に倒れ込む。ギシッと音を立てたベッドは、しかし男を優しく受け止める。耳を澄ますと男の寝息が聞こえた。
すやすやと眠る男を見下ろしながら口は弧を描く。傲慢の力を試すにはちょうど良かった。効果は想像以上。即効性抜群。心に付け入る隙が必要かと思ったけど、そうではないと知れたのは大きい。後は視認しなくても掛かるのかとか意識の範囲とかも試したい。
さあ、長い長い夜は始まったばかりだ。夜明けを心待ちにしながらそっと瞼を閉じた。