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死に至る罪  作者: 猫蓮
色欲編
43/61

女の仕事は一つ

「そうだ。ゲンさん、このような刻印がある人を知りませんか?」


 首元に手を添えて顎を上げて首を晒す。

 あ、そういえば傲慢の刻印はまだ確認してない。それと、何故だか手袋を着けられていた。薄い布地だから違和感はあまりないけど、これで強欲の刻印は見えなくされていた。


 穏やかだった彼の表情は一転して苦痛とも悲愴ともとれるような表情を浮かべる。


「そっ…………うん、知ってるよ」


 運がいいことに心当たりがあるようだ。けれど彼の表情から察するに、何やら深い事情を抱えていそうだ。


「カンナギさんはそれの意味を知ってるの?」

「はい」

「それなら交換条件だ。ぼくが知ってる情報を教えるから、カンナギさんはその模様のことを教えて」

「分かりました」


 わたしがしっかり頷いたのを見て、ゲンは先程とは違いぽつぽつと話し始めた。


 彼女の名をアザミ。この娼館で人気ナンバーワンの高級娼婦だ。彼女は有名な人でその名を知らぬ者はこの領内にはいないと言われるほどだ。数多の美女が集うルクリア領でも別格の美しさを誇る絶世の美姫。その美しさに街を歩けば老若男女問わず誰もが振り向き目を奪われる。その美貌は女なら喉から手が出るほど欲し、男なら思わず喉を鳴らす。


「姉さんの左太ももにバツ印の模様がある。いつの間にかそこに模様ができていて、それからこの娼館に入れられたんだ」


 拳を握る手は怒りからか、悲しみからか、震えていた。苦々しく吐き出すような声は感情を必死に堪えているように感じた。


 生まれたときはなかった。いつからかアザミの左足にバツ印の模様が刻まれていた。痛みはない。洗っても取れない。しかし体に異変はない。

 体調に問題はないと、気にしないでと言われたら口を噤むしかなかった。けれど、体が成長していくにつれて彼女に向けられる眼差しが変わっていくのを幼心にも感じていた。言いようのない不快感が膨れ上がっていく。


 ある日、両親が唐突に「お前の仕事先が決まった」と血走ったような目で言った。そして抵抗する暇もなくこの娼館に連れられた。必死に抵抗したゲンは、最終的に彼女の側に、娼館で下働きすることを選んだ。


「その模様って何なの? どうして姉さんはこんなことしなちゃいけなくなったの!?」

「聞いた話ですが、これは英雄の力の証と言われているそうです。英雄譚に語り継がれる七英雄が持つ特別な力を後継した証、と」

「は? なにそれ。英雄? 特別な力? ふざけんなっ。そんなもののせいで姉さんは苦しめられているってこと? 姉さんはそんな力、望んでない。こんなのが英雄の力だなんて認めない」

「ええ、だからわたしはここに来ました。アザミさんを不条理から助けるために」


 左手の手袋を取って、手の甲を見せる。


「本来は一つの領につき一人のみに継承されるそうです。そしてわたしは幸いにも英雄の力を奪う力があります」

「っ!」


 理不尽な現実への怒りと悲観。そこに救いの手が差し伸べられる。くしゃりと顔を歪めるゲンの目からは、しかし涙が零れない。自分には泣く資格がないと必死に涙を堪えて心を抑え込んでいた。

 けれど、閉ざされた心のドアが少し開かれて、隙間から覗き込む。


「……ほんと? 本当に、姉さんは助かるの?」

「はい」


 ゲンの掠れた声に強く頷く。きらりと輝いた瞳から雫が落ちる。声を出さないように必死に口を抑えながら泣く姿はとても子供のようには見えなかった。

 子供は不自由なく育てられるのが好ましいが、それが実現できるのはほんの一握りだ。多くは大なり小なり苦労や我慢を強いられる。けれど彼の場合、姉のために子供でいることを止めざるを得なかった。


「お願いしますゲンさん。アザミさんにお会いできるよう、お力添えいただけませんか?」


 一頻り泣いて彼が落ち着いたころに話を持ち掛ける。自信満々に助けると言ったはいいが、会えなければ手の施しようがない。


「任せて! と言いたいところだけど少し時間が掛かるかも。姉さんは仕事以外の時間はずっと寝ている人だから話を持ち掛けるのがまず難しい。加えて、起きてからはすぐに準備に入るからゆっくりと腰を下ろして話をする時間が取れないんだ」

「お疲れのところを無理に起こすのは申し訳ありません。その、夕方の準備のときにわたしが彼女の元に向かうのはできませんか?」

「それは……カンナギさんは無理、かな?」


 目を逸らして言葉を濁す。理由を聞いてもはぐらかすだけで明瞭な答えを提示してはくれない。終いにはしっかり休んでねと言って逃げるように部屋から出て行ってしまった。


 ゲンの言葉の意味を知るのはそれから数時間経った後のことだった。


「――娼婦……。わたしが、ですか?」

「ああ、そうだよ。何か文句でもあるってのかい」


 文句しかありませんが?

 ……と言えるような雰囲気ではないことを察して口を閉ざす。忘れていた。完全に頭からずり落ちていた。


 娼館に突き飛ばされたことになっているわたし。年齢もそこそこの性別女。ただで置いてくれるはずもなく。仕事をさせるなら何? もちろん娼婦!


「わたしには、できません」

「あんたの意思は聞いちゃいないよ。経緯がなんであれ、あんたは今ここにいる。ここではあたしがルールだよ」


 一応反対してみたがにべもなく拒否られる。わたしが言葉を言い重ねる前に話は以上だと切り上げて背中を向ける。小さくなっていく後ろ姿を眺めていると近づいて来たゲンがわたしの袖を引く。手招きされて腰を落とすと、内緒話のように声を潜めて話し出す。


「カンナギさん、少しいい?」

「はい。何でしょうか?」

「明け方に姉さんの部屋には行ったけど、もう眠ってた。今日の夕方にまた会いに行くけど、予想してた通り、会えるまで時間が掛かりそうなんだ。ごめんね」

「いえ、ゲンさんが居なければ会うことすらできなかったかもしれません。……ですが、アザミさんは会ってくれるでしょうか」

「そこは心配しなくていいよ。姉さんが助かるならぼくは協力を惜しまない。頑張って早めに会えるようにするからカンナギさんはそれまで待っててほしい」

「分かりました。お願いしますゲンさん」


 アザミに会うにはゲンに任せるしか選択肢がないので申し出はとても有難い。


 さて、残念なことにわたしは早速今日から客を取らさせるらしい。

 ゲンが言っていた通り外出は拒否された。出入口には番犬らしき男性が監視するように立っていた。近づいて話し掛けても睨めつけられるだけで無視された。

 しかし、外に出なければ館内は自由に歩き回っていいらしい。けれどここは娼館。生活区域は少なく、また真新しい物は見つからなかった。


 館内は夜が仕事とあって日中は物静かだ。下働きらしき子供が何人か動いている程度。ただ忙しなく動いているので話し掛けて仕事の邪魔をするのが憚られた。


 特に何もすることがなかったので部屋に戻る。唯一ある窓は陽光を入れるのが主用途なのか、少し高い位置にあった。うん、空しか見えない。


 何もすることがなく暇を持て余した結果、わたしは寝ることにした。とても眠たかったのでベッドに入ってすぐに眠りに落ちた。

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