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死に至る罪  作者: 猫蓮
傲慢編
41/61

E 気づかされる心

 エクエス視点


 誤解していた。自分でも気づかぬうちに巫女様に幻想を抱いていた。心のどこかで特別視していた。けれど違った。全く大きな間違いだったと自分を恥じた。


 彼女は普通の女の子だった。どこにでもいるような、ただの人間だった。


 そのことを思い知らされたのは愚かにも彼女が憎悪を露わにした時だった。


 あれほどの深い憎しみを宿す人間を初めて見た。巫女様は怒りではなく憎しみを露わにしていた。

 感情が抜け落ちたような顔。真顔とは似ても似つかない正しく無の表情。ゾッとするような恐ろしさを感じた。肌が粟立ち、体は竦み、頭の中では警鐘が鳴り響いた。それは紛れもなく殺気だった。自分に向けられたものではないのに恐怖するほどに強い殺意。尋常ではないほどの闇を抱えていた。


 頭で考えるよりも先に、体は動いていた。正気に戻って欲しいと無我夢中だった。

 呼びかけても反応されず、掴んだ手は強い力で振り払われる。真っ直ぐ七英雄の墓に向かう。思えばあの墓を見てから巫女様はおかしくなった。ならばと隠すように前に立つ。それでも止まらない彼女に、強引かつ危険な手段を取った。


 顎を殴り上げる。脳震盪を狙った一発。護衛対象に危害を加えることも、女性に対して使っていい行為ではないことも分かっている。けれど、あの場ではこれ以外に方法が思いつかなかった。

 白状すればほぼ無意識に選択して実行していた。もちろん許されるとは露ほども思わない。何より俺自身が許さない。


 きれいに一発入りはしたが彼女の回復は早かった。一瞬飛んだ意識をすぐに取り戻し、少しフラついただけでしっかりと両足で立っていた。一縷の望みをかけて至近距離まで近づく。頬を挟んで鼻が触れるのではないかという距離まで迫って、揺れた瞳に向かって叫んだ。


 徐々に焦点が戻り、もう一度呼びかければ瞬いた。

 存在を確かめるように名前を呼ばれた。縋るように名前を呼ばれた。

 応えれば涙を零した。とめどなく零れる涙に彼女は恥じる。それは泣き方を知らない子供のようで、必死に謝る彼女に心が張り裂けそうになった。


 何が彼女をここまでにしたのだろうか。これ程までに心を揺さぶられるナニカがあったのだろう。それはきっと聞いても教えてくれないだろう。

 いいや、違う。俺に聞く勇気がない。聞いたら最後、巫女様が離れて行ってしまう気がした。それが嫌で、怖くて、聞くことができない。


 末裔の記憶を奪った後は彼女を抱き抱え馬車まで戻った。取り仕切っている第一師団の団長に報告すればすぐに出立の準備に移る。馬車に乗り込み、離れがたくて腕の中に隠すように抱えて馬車に揺られる。


 抱き締めていたら眠っているはずの彼女から呻き声が漏れた。力を入れ過ぎたかと少し距離を離して彼女の様子を窺えば、眉根を寄せていた。それは不快感を抱いているような、あるいは痛みを耐えるような苦し気な表情に見えた。


 想像の範疇でしかないが、恐らく怠惰の後継者に何らかの因縁があるのだろう。怠惰の末裔に対してはどこか消極的な対応に感じた。


 眉間の皺を伸ばすようにもみほぐす。すると少しほっとしたような表情に変わった。その表情を見て、少し前の彼女の姿が脳裏をよぎる。

 泣き腫らした赤い目元。それに負けないぐらい赤く染まった顔で羞恥に震える彼女の姿。泣いていた名残で目には涙が溜まっていて、消え入りそうな声は艶めかしさを感じた。


 ごきゅっと喉が鳴る。思い出しただけで欲情が顔を出す。頭を振って邪念を振り払う。


「あれは、反則だ……」


 口元を手で覆い、視線を彼女から逸らす。彼女が眠っているのをいいことに独り言ちる。本当に困った。

 深く息を吐いて落ち着かせる。無体を働くつもりはない。それは忌まわしき彼女たちと等しく同類に成り下がる行為だ。それだけは絶対に嫌だった。


「トラウマ、か」


 もしかしたら巫女様にもトラウマがあったのかもしれない。それがあの状況を引き起こしたのなら、少し納得がいく。忌避したい気持ちは嫌でも分かる。

 俺は決定打となった女の顔を覚えていない。暗かったというのもあったし、無意識に脳が拒絶していたのだと思う。だから、特定の人物ではなく女性自体がダメになったのだが。


 と、そこまで考えてふと視線を下に向ける。どうしてか巫女様に触れるのは平気だった。他の人なら触れるどころか近づくことすら嫌気を覚えるのに。

 それは果たして惚れたからか、巫女様だからなのか。それは誰にも分からない。



「なっ、お待ちください! どういうことですか王女様!?」

「先程話した通りです。これは決定事項。予定を変更するつもりはありません」

「ですがっ」

「口を慎めエクエス。お前は誰の騎士なんだ」

「っ……」


 言葉が出なかった。苦渋の思いで頭を下げる。二人の足音が聞こえなくなるまで頭を下げ続けた。


 拳を握り、振り上げ、脱力して下ろす。物に当たったって何の気休めにもならない。ならば無益な行為だ。そんなことでは到底この怒りを発散することはできない。


 目を瞑り、視覚を閉ざす。冷たい風が高ぶった気持ちを静めていく。目を開けば、まばらに星が空に浮かんでいる。


『見てくださいエクエスさん! こんなにもたくさんの星が夜空に瞬いていますよ』

『見てくださいエクエスさん! 空が二つもありますよ』


 心の底から嬉しそうな声で、目が零れ落ちるのではないかと思うほど大きく見開いて、キラキラと輝く瞳で、口角を上げて、細くしなやかな腕を伸ばして、天を指差す。ふとした瞬間、視線を上にあげて空を眺めている様子からも想像できる通り、彼女は空が好きなのだろう。それも駄々をこねるほどに強く。


 ずっとカンナギ様を見ていた。彼女が指差す先ではなくカンナギ様のお姿を。だから覚えているのもカンナギ様のお姿だけで、風景などには意識も向かなかった。良くてカンナギ様の愛らしさを際立させる背景でしかなかった。


「誰の騎士、か……」


 王女様の護衛騎士であるミレスの言葉は忠告だった。誰に忠誠を誓い、誰に剣を捧げたのかを思い出せと暗に告げている。


 領王に忠誠を誓い、領王並びに王女、ひいてはインビティア領のために剣を振るう騎士。


 だから、本来カンナギ様に対し騎士の誓いを立てることは由々しき行為なのだ。まあ、振られてしまったが。しかも即答で。少し、いや大分結構ショックが大きい。聞かずに断られるとか、恥ずかしすぎる。


 カンナギ様はとても表情が豊かだ。思ったことがすぐに顔に表れる。だからこそ、やっちまったという焦りも、上手く誤魔化せたと喜ぶ様も否が応でも分かってしまう。本当に困ったお方だ。


「…………団長、俺はどうすればいいですか」


 問いかける相手はここに居ない。


 彼はこの場合、どんな行動を取ったのだろうか。

 職務を全うする?

 それとも私情を優先する?

 ああそれとも、俺には思いもつかない方法で両方とも取ってしまうのかもしれない。二択の問題に第三の答えを提示するような方だ。それでいて割と的確な内容かつ実行できる能力を持っている。故にまかり通してしまう。


 本当に、あのいい加減な性格と厄介極まる酒癖さえなければ、手放しに尊敬できるとても有能な男なのだ。団長は。プラスマイナスゼロ、どころか少しマイナスに傾いている。


『お前は騎士である前に一人の人間だ』


 団長の言葉を頭の中で反芻する。それでも、俺の平凡な頭ではなかなか良い案は思い浮かばない。悶々と考え込んでいる間に朝日が昇り、新たな一日が始まる。


「おはようございます。エクエスさん」


 そう言って笑い掛ける彼女の姿はここにはない。

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