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死に至る罪  作者: 猫蓮
傲慢編
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傲慢の記憶

 男は裕福な家庭で育った。


 父は運に恵まれ事業を成功させ富を得た。母は子宝に恵まれ愛しい子供を二人授かった。男は二番目に生まれ、両親と姉から一身に愛を与えられた。


「プライド! 今日は何して遊ぶ?」

「姉さんのしたいことでいいよ」

「もープライドったらいつもそればっか! もっと自分を出しなさい!」


 頬を膨らませて睨めつけるように怒る姉は、しかしすぐに気持ちを切り替えて男の手を引っ張る。元気よく「行ってきまーす」と言って二人仲良く家を飛び出した。


 元気な姉は人当たりが良く、町でも人気者だ。少し歩けば誰彼に声を掛けられ、明るい挨拶が飛び交う。

 対して男は人見知りで臆病だった。いつも姉の後ろに隠れてオドオドしている。だから同い年の子供たちからは馬鹿にされ、揶揄われることがよくあった。その度に姉が前に出て、彼を庇った。


 男は姉に憧れていた。太陽のように明るく笑う姉の姿。恐れを知らず、自分よりも体の大きい相手に勇敢に立ち向かう背中をずっと見てきた。満面の笑みで手を差し伸べる優しさに憧憬を抱くなという方が無理な話だった。


 夕暮れの赤い空が帰りの合図。たくさん遊んだ満足感と心地いい疲労感を感じながら手を繋いで仲良く帰路に着く。「ただいまー」と元気よく玄関を開ける。しかし、いつも出迎えてくれる母の姿が見当たらなかった。不思議に思った二人は顔を見合わせる。

 思えば家の明かりが灯されていなかった。空が暗くなると明かりのない家の中も暗くなる。明かりをつけて家の中を見て回っても父の姿はおろか、母の姿も見当たらなかった。


 夜になって両親が一緒に帰ってきた。明るく出迎えた姉弟とは反対に、両親の暗く落ち込んでいるようだった。父は帰ってすぐに食事も取らずに自室に篭った。母は二人に謝りながら食事を用意してくれたが、食欲がないのか自分の分はとても少なかった。笑みを浮かべた顔だけど、どこか元気がなく疲れているように見えた。何を聞いても「大丈夫よ」としか言ってくれず、二人は口を閉ざすしかなかった。


 その日を境に家の雰囲気はガラリと変わった。両親が家に居ることが減り、顔を合わせる時間がほとんどなくなった。居ても自室に篭り、重々しい雰囲気を纏う。明るい姉ですら話しかけるのを躊躇ったほどだ。

 朝晩と食卓を囲んでいた生活は、気づけば姉弟二人で食べるようになっていた。二人も両親に影響されてか日に日に元気がなくなっていった。


 そんな日が続いたが、すぐに変化は訪れた。父が亡くなった。

 事業の不正を指摘され、父の信用は一気に地に落ちた。事実無根だと証明するために東奔西走していたが、疲労と焦りで注意力が閑散し事故にあったらしい。訃報を受けた母は泣き崩れ、子供だった二人は現実味が湧かず途方に暮れていた。


 母の咽び泣く声と一日経っても帰ってこない父の様子にようやく父の死を理解して涙が溢れた。その日から母は生気を失ったように暗く、気力を失くしていた。


 父の訃報から三日が過ぎた。元気の無い母に変わっておつかいに出ていた二人は家に帰ることができなかった。大男の集団が家に押しかけていた。男たちの怒号と母の悲鳴が遠くでも鮮明に聞こえた。抵抗する母の腕を掴み、強引に引っ張っていた。怖くて足が動かなくなった男とは反対に、姉はずんずんと家に突き進む。


「お母さんを離して!」

「あ? なんだこのクソガキ」

「コイツらのガキか。ちょうどいい、捕まえろ」


 大男の手が姉に伸びる。姉はその手を避けて、足蹴にして反撃した。蹴られた男は怒り、感情に身を任せて姉を殴った。

 大人と子供で男と女。それも相手は大男で体格差も力の差も歴然だった。ボールのように吹き飛んだ姉は頭から血を流していた。慌てて姉の元に駆け寄ると殴った大男から攻撃的で威圧するような視線を向けられる。怖くて恐ろしくて大男に目を向けることが出来なかった。彼らの近くにいる母を見ることが出来なかった。涙を流して倒れた姉の体に縋るしか出来なかった。


「プライド! お姉ちゃんを連れて逃げてっ! 早くここから逃げ、キャア!!」


 母の悲鳴とパシンと乾いた音に反射的に顔を上げた。映された光景に目を疑った。母が倒れていた。母は長い髪を無造作に掴まれ、引っ張り上げられていた。苦痛に歪む顔は頬が赤く膨れ、口の端からは血が垂れていた。

 遠くからでも分かった。目が合うと母は微笑んだ。痛みを耐えるような顔でそれでも笑い掛けたのだと分かった。目を見開いた次の瞬間、母はお腹を蹴られた。


 そこからの記憶は酷く曖昧で、気づいたら薄暗く埃かぶった路地裏にいた。隣に座る姉はまだ目を覚まさない。ぐったりと壁に凭れ掛かっている。

 男は姉を抱きしめて咽び泣く。怖かった。怖くて震えて動けなかった。姉が、母が、殴られているところを見ていることしかできなかった。母も姉も懸命に抗おうとしたのに、男である自分は何もできなかった。情けなくて悔しかった。大事なものが目の前から消える感覚が、何よりも怖かった。


 一夜明けて、再び家に向かった二人の前にあったのは酷く荒らされた我が家だった。至る所がボロボロで破壊の限りを尽くされていた。大好きだったわが家は見る影もなくなっていた。

 ドア窓家具は壊され踏み荒らされていた。破片は飛び散り、きれいな場所はなかった。さらには幾つか物が無くなっているようだった。

 とても住める状態ではなくなっていた。それに、またあの大男が来るかもと思うと気が気でなかった。辛うじて無事だった服を数着持って家を後にした。


「姉さんどうしよう」

「ひっ」


 昨日の路地裏に戻った男は後ろにいる姉に声を掛ける。けれど返ってきた声は怯えた悲鳴だけだった。


 目を覚ました姉は変わった。常に何かを恐れている。体を縮こませ、頻りに周囲を見渡す。声を掛けると小さな悲鳴を漏らし、体に触れると小刻みに震える。酷いとその場に蹲ってずっと謝罪を口にする。明るかった姉から笑顔がなくなった。


 それでも男は姉と二人、肩身寄せあって必死に生きた。動けない姉の代わりに食べ物をかき集めて、姉のように明るく接した。なのに、姉は食べてくれない。笑ってくれない。喋ってくれない。動いてくれない。

 目を開けない姉にとうとう心が折れた。


「つまんないの」


 父を失い、母を失い、姉を失った。家も愛も生活も幸福も失った。彼の元には何もない。全部、無くなった。

 脆かった男の心はいとも容易く壊れてしまった。このまま姉の隣で命の灯火を消し去ろうとした。みんなの元に行こうと思った。


 けれどその時、ふと疑問を抱いた。

 どうして自分が死ななければならないのか。悪いのは自分の物を奪ったアイツらで死ぬべきなのはアイツらだ。

 動かなくなった姉を見る。無様で醜く可哀想な姉。昔の輝かしさはどこにもない。自分もこれでいいのか。こんな惨めな最後でいいのか。アイツらは今ものうのうと笑って生きているのだろう? そんなの許せない。

 男の中に復讐という赤き炎が宿った。


 すべてを失った男は自由だった。己の身以外何一つ持たない男は身軽だった。食料を奪い、寝床を奪い、邪魔者の命を奪った。恐れを無くした男は容赦しなかった。


 月日が経ち、男は真相を明らかにした。事の発端は父が事業を成功させたことだ。その功績に嫉妬した同業者たちが裏で手を組み、父を陥れた。さらには事故に見せかけ父を殺した。

 共謀していた同業者の一人は母を懸想していた。未亡人となった母を強引に攫った挙句、思い通りにいかないことに逆上して殺した。


 それを知った男の復讐心はさらに膨れ上がった。そんな理由で、そんな奴らに、すべてを奪われたと知って屈辱を感じた。

 だからやり返した。アイツらと同じやり方で。仕事も家族も家も大事な物すべてを奪ってやった。驚くほど簡単で、呆気なく思うほど早く復讐を果たしてしまった。それなのに気分はちっとも晴れやかにならなかった。なぜなら、すべてを失い絶望した彼らはすぐに自ら命を絶ったのだ。


「つまんないの」


 復讐しても家族は帰ってこない。結局、男の元には何もないままだ。

 そして男は考えた。無いのなら作ればいいんだ。持ってないのなら持っている奴から奪えばいいんだ。幸い、自分にはその力がある。男は闇夜に浮かぶ三日月のように口角を上げ、雑踏の中に姿をくらました。


 これは盗人プライドが英雄になる前の物語。

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