血の祭典
邸宅に戻ったのは昼下がりだった。空に朱が差し込むまでそう時間は掛からない。
邸宅では出立の準備が着々と進められていた。騎士たちが慌ただしく右往左往している中、玄関の前で仁王立ちしているミレスと目が合った。
どうやらわたしの帰りを待っていたらしい。
案内された部屋にはレビィ、上官らしき騎士、騎士一人、それと知らない女性が一人いた。前開きの外套から見える服はメイドが来ている服に似ていた。けれどメイドの中に彼女の顔はなかった。
「初めまして、シルファ様の側使えをしておりますアンシラと申します」
「カンナギと申します。よろしくお願いしますアンシラさん」
シルファという方が領主の娘であり、傲慢の末裔であり、教会に囚われてしまった少女だ。昨日レビィが向かった先は領主の屋敷でアンシラはその情報提供者。
「西教会では今夜、復活日と呼ばれる儀式が行われるそうです。恐らくそのためにシルファ様を……」
「これが極秘に入手した教会の地図です。儀式はこの地下で行われるそうです」
テーブルの上に広げられている地図に目を向ける。長方形の枠が一つのみ。恐らく信徒が祈りを捧げる祈りの間だろう場所しかなかった。アバリティア領やイラ領にある正教会は十字の形をしており幾つかの個室があった。
「ここに地下に続く階段があるそうです」
アンシラは入口とは反対の二隅を順に指差す。
恐らくだけど地上は表向き教会として見られる最低限の機能のみで、主用途はあくまで地下にある儀式の間。そのためだけに建てられた教会。
「レビィ。シルファさんの奪還はわたしに任せてもらえませんか?」
「っ」
エクエスが息を呑む。それを無視して話を続ける。
「末裔を神として崇めるのならシルファさんがその儀式に連れ出されないはずがありません。そしてわたしも末裔です」
「油断を誘い、機を見て助けるということですね」
「その後で騎士のみなさんには突撃して頂きたいです」
「……提案を飲みましょう。いいですね」
「御意」
レビィは鷹揚に頷き、ピグリティア領で指揮を取っていた上官らしき騎士に視線を向ける。仔細を詰め終わった頃には出立の時間になっていた。
「カンナギ様! お考え直しください。御身自ら囮になるなどと、どのような危険に見舞われるか分かっておられるのですか!?」
馬車の中でエクエスが激昂する。彼が怒るのも無理はない。命を大事にしてと言った数時間後に己の命を軽く扱うような発言をしたのだ。矛盾もいいところだ。
「考え直すも何も、もう決まったことです。それに今のわたしには微力ながら戦う力があります」
「力があっても扱えねば宝の持ち腐れです」
「仰る通りです。ですが、わたしは死ぬつもりはありません。それに、わたしを守ってくださるのでしょう?」
「そう仰るのなら! 安全な場所で守られてください」
エクエスの言葉はごもっともだ。これほど護衛するのに向かない人物はいないだろう。申し訳ないとは思うが引くわけにはいかなかった。
わたしは至って冷静だ。レビィも教会もわたしを死なせることはしない。なればそれを逆手に取って、矢面に立った方が望む結果に先導できる。
レビィは末裔の記憶を回収したという結果しか興味ない。その過程が何であれ、結果良ければすべてよしとする。
わたしの目的はシルファを助けることと教会の根絶。特に西教会は壊滅させなければならない。だから敢えて信徒と騎士が対立せざるをえない状況を作り出す。わたしたちが脱出するためには邪魔になる信徒を排除しなければならないのだから。
思惑を秘して苦笑する。考えを変える気はないので口だけの謝罪もしない。苦笑の意味を察したエクエスは逡巡して、最終的に諦めたように溜息をついた。
街を出てしばらくすると森に入った。その頃には夜になっており、森に入ると辺りは一層闇に包まれる。緊迫感が満ちた行軍が停止する。ドアが開かれエクエスのエスコートを受けて馬車から降りる。
馬車は教会から少し離れた場所に停める。ここからは歩いて教会に向かう。
騎士は二手に分かれる。馬車の護衛部隊と教会の襲撃部隊だ。レビィは馬車で待機する。アンシラの先導で教会に向かう。
静かな森の中、風に揺れる草木の音とわたしたちの足音しか聞こえない。それはまるで嵐の前の静けさに思えた。
教会には一切の明かりがなく暗かった。外を歩く人影はなく容易に敷地内に入ることができた。庭には何台もの馬車が停まっていた。こちらも人の気配はない。
教会の中に入ったがやはり人はいなかった。しんっと静まり返った教会は窓から入る月明かりとわたしたちが持っているランタンの灯りだけで照らされている。空虚な空間だ。外観だけ取り繕った中身のない空間。神聖さも厳かな雰囲気も感じない。
地上にアンシラと騎士数名を残して地下に降りる。地下へ続く階段を下りた先に重々しいドアがあった。僅かにドアを開くと中から声が聞こえてきた。隙間から中を確認した騎士が頷き、さらにドアを開く。身を屈めて中に足を踏み入れる。
儀式の間は扇状の形に造られていた。地上へと続く階段があるドアは外周の端。反対の端からも騎士が入ってきたから、どちらの階段から下りてもここに繋がるようだ。
円状に椅子が設置され内に行くほど段差が低くなっている。どこからでもステージを見やすくしているのだろう。しかし椅子には誰一人として座っていない。通路は二つあり等間隔にろうそくが設置されている。
半円のステージを囲うように深紅のローブが立っている。頭まで被っているので数が数えにくいがざっと見たところ五十はいると思う。まあ、想像よりは少ないが、妥当と言えば妥当の範疇だ。これからのことを考えれば少ない方がいい。
「今宵も神に生贄を捧げるのだ。穢れなき血肉によって神は我らに恵みを与えてくれるだろう。捧げろ。捧げろ。その血で心身を清め給え。その肉で神の礎を築き給え。汝は誉れ高き聖徒である。汝は世の罪を除き捧げる聖徒である。祝え。祝え。血の贖いによって罪は赦される。神の愛は我らにあり。神の祝福は我らにあり。我らに知恵と勇気を、我らを神の御国へと導き給え。アーメン!」
ステージには三つの台が囲うように置かれていた。台の中心に立つ司式者が声高々に演説している。黒色のアルバに深紅のストラとカズラを身につけている。頭には黒の下地に深紅の線が入ったミトラを被っている。
司式者の演説の最中に両袖から三人ずつ深紅のローブを纏った信徒が出てきた。片方は剣を片方は小さな子供を抱えている。それぞれ台の前に立ち、子供を台の上に横たわさせる。眠らされているのか子供が動く気配はない。
子供を持っていた信徒は場所を譲り、剣を持つ信徒が前に立つ。両手で横にして持っていた剣を掲げて一礼し、胸の前に剣を立てる。
司式者が言葉を締め、集まった信徒が最後の言葉だけを復唱する。その声とともに子供たちに剣が突き下ろされる。声もなく血を流す子供に歓喜の声が響き渡る。そして神に感謝を告げる賛美歌が奏でられる。
そこは異様な空気に包まれていた。息を呑む。言葉を失う。目を疑った。けれどすべて現実だ。耳障りな歌も微かに匂う血の匂いも行われている狂乱も。すべてが目の前で起きている。吐き気がする。
そうか、教会の周りの木に張りつけにされていた子供たちも生贄なのか。どれだけ子供を犠牲にした。子供は大人のための道具じゃない。
歯を食いしばって堪える。落ち着け、冷静になれ。自分の役目を忘れるな。目的を思い出せ。
精神を落ち着かせるように息を吐いていると、エクエスと目が合った。彼らの狂気に眉を顰めて嫌悪を露わにしていた彼は一転してわたしに心配する眼差しを向ける。小さく首を横に振って止めるように促す。
わたしはエクエスに向かって頷き、静かに立ち上がる。わたしがんばる!