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死に至る罪  作者: 猫蓮
怠惰編
30/61

エルーフェ

 頬が熱を持って痛みを訴える。目の前の空の中には間抜けな顔のわたしがいた。


「巫女様」


 声が聞こえた。エクエスがわたしを呼ぶ声。

 瞬きする。眼前に広がる空は頭上にある(そら)ではなくエクエスの青い瞳だった。


「エ、クエ、スさ……」

「はい」

「っ、エクエスさん」

「はい」


 目頭が熱くなる。ダメだ。泣くな。堪えろ!

 そんなわたしの思いとは裏腹に、ポロリと目から涙が落ちる。その一粒を皮切りに堰を切ったようにドバドバと涙が溢れ出る。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 必死に目元を拭う。だけど涙は引いてくれない。それどころかさらに勢いを増す。情けなくてみっともなくて嫌になる。涙なんて、とっくの昔に枯れたと思ってた。

 ゴシゴシと擦るわたしの手を取られる。その直後、わたしの顔が埋まる。


「私は何も見ていません。私は何も聞いてません」


 頭を撫でられる。不器用でぎこちない手つき。おっかなびっくりでちょっと震えている。けれど彼の優しさが伝わってくる。だから、さらに涙が溢れるわけだけど。


 ごめんなさい。今はあなたのその優しさに甘えてもいいですか。


 空中で止まっていた手を彼の腰に回す。抱き締めるように腰の部分の服を握る。温かいものに包まれる。


「ぅあ、っ、わぁぁぁあああん」


 泣いた。大泣きした。それはもう醜いの一言だろう。けれどエクエスは黙ってわたしを抱き締めて胸を貸してくれた。


 吐き気がする。気持ち悪い。怒りが込み上げる。

 だから思い出したくなかった。だから考えないようにしていた。忘れたいけど忘れたくない。その顔を、その声を、放った言葉を一音たりとも正確に鮮明に思い出せる。殺したいほど憎み、殺したいほど恨んでいる。でも、今はもう、ここにはいない。


 泣くな。泣いたって何も変わらない。

 揺らぐな。動揺は隙を見せるだけなんだ。

 自分の使命を違えるな。自分の存在意義を思い出せ。わたしの名前はカンナギだ。失敗することはわたしがゆるさない。


 それでも、今だけ、今だけは弱いわたしをゆるして。涙を出し切ったらいつものわたしに戻るから。だから、どうか。……どうか。


 ズビッと鼻を啜る。涙は止まった。それと同時に羞恥心が襲ってくる。


 うーあー。恥ずかしいーよー。


 大泣きしてしまった。しかも人前で、盛大に。しかもしかもエクエスにすっごく気を遣わせてしまった。

 顔に熱を帯びる。きっとわたしの顔は真っ赤っかだ。顔を上げられない。

 涙は止まったからエクエスから離れないといけないのに、酷い顔を見られたくなくて、こうして今も動かないでいる。あう、タイミング逃した。顔の熱が収まるまでこのままでいいかな。けどそれっていつまで? わたしの予想ではしばらくは羞恥に悶えるつもりだけど?


「落ち着かれましたか? 巫女様」


 落ち着いた。落ち着いたけど別の感情で忙しい。だからもうしばらく猶予をください。

 儚くもその願いは潰えた。声を掛けられて驚いたわたしは思わず手を離してしまった。それを肯定と捉えたエクエスは体を離す。しかしわたしは一向に動く気配がない。心配したエクエスは片膝ついてあろうことかわたしの顔を覗き込んだ。そう、真っ赤になったわたしの顔を。


「あ、や……。見ないで……」


 見られた。目が合った。さらに顔が熱くなる。

 口からは消え入りそうなか細い声が漏れた。なんだこの声。

 視線から逃げるように体を反転する。加えて手で隠す。これでもう見られない。


 なのにどうして!

 全然安心できない。泣いた時より恥ずかしい。なぜ。


「っあ、えと、とりあえず、腰を落ち着かせませんか? 近くに小さいですが教会があるのです」


 エルーフェの提案に有難く頷く。もうヤダ。なんかもう、とても疲れた。わたしの疲弊は全開です。


「案内します」


 まだ顔を上げられなくて、彼女の足音を頼りに歩き出す。すると顔を隠している手を掴まれる。驚いて体が跳ねた。触れてきた手の主も驚いたのか一瞬離れて、また触れてきた。


「カンナギさん、こちらです」


 ああ、エルーフェの手か。素直に手の力を緩めるとと片手を引かれる。引っ張られてる方に向かって歩く。

 うん、エルーフェにも気を遣わせてしまった。とても不甲斐ない。うっ、また涙が出そう。気持ちは切り替えたけど涙腺はゆるゆるで、条件反射みたいに涙を出させようとしてくる。自分の体なのにままならない。


 教会に着いた。エルーフェが言っていたことは本当だった。小さい教会としか言いようがなかった。小部屋一室のみ。人が一人通れるぐらいの通路に左右に椅子が五脚ずつ。余白はほとんどない。うーん、ここならその規模でもいいのかな?


 まず顔を洗わせてもらった。冷たい水で顔と目の熱を冷ます。消化不良の気持ちも一緒に流して引き締める。キリッ。よし。

 それから水を一杯頂く。喉元までやってきた不快が流される。よし。カンナギ完全復活!


「お見苦しい姿をお見せして申し訳ございませんでした。もう大丈夫です」


 二人に向かって深く頭を下げる。どうか忘れてくださいと念を込めて。

 エルーフェが慌てて優しい言葉を掛けてくれる。厚意が有難い。けれどその顔は赤い。わたしの熱が移ったみたいに赤く染まっている。どうやらわたしの醜態を見て恥ずかしさを覚えたらしい。忘れてください。切実に。

 エクエスは、顔を逸らす。目も当てられないということですか。それもそうだ。あんなこと彼にとってはいい迷惑でしかない。重ね重ね申し訳ない。全く。


 さて、わたしは読んで字の如くすべて水に流しました。忘れたわけではありません。一時的に胸の奥底に押し込めただけです。過去はなかったことにはできませんから。事実を捻じ曲げて自分の都合のいいように解釈するつもりはありません。

 時待たずしてまた開くことになるでしょう。一生これを消化することはできないだろう。だって、そこにどんな理由があろうともわたしがゆるす気がありませんもの。

 とにもかくにも今はその時ではない。できる女カンナギ、切り替えは早い。


 因みにそろそろ用事を済ませないとヤバイかなとひしひしと感じている。思い出そう、レビィの要望は一刻も早くピグリティア領から出ること。正直に言えばわたしも早く出たい。あ、だからと言ってエルーフェのことを疎かにするつもりはありませんよ。


「エルーフェさん」

「は、はい」


 目が合うと彼女は少し怯えていた? ああ、しまった。自分のことでいっぱいいっぱいになっていたけど、どうやら彼女を怖がらせてしまったらしい。そういえば握ってくれた手も震えていた。怖いのにそれでも手を差し伸べてくれたのか。優しいな、本当に。……悲しいよ。


「わたしがここに来た理由ですが、あなたを助けに来ました。あなたを煩わせる誘惑から」

「っ……」

「満足に活動できないと悩んでおられますよね? ご自分の意志とは裏腹に物憂い気分になってしまう。そうして体が重く感じる」

「私は不真面目なのです。集中力は続かず、お勤めに力が入らず、楽な道へと怠けたくなってしまいます。私は、マザー・モナリスのようになりたい。けれど私の性格では叶わぬ夢です」


 うぐっ、冷静になった心が再び乱される。ダメだ。考えるな。


「それはエルーフェさんの性格ではありません。あなたの身の内に潜むロギスモイの悪魔どもの仕業です」

「ロギスモイの、悪魔?」

「はい。エルーフェさんの中に居るのは悪魔どもの内で最も厄介な真昼の悪魔と呼ばれるものです。自分が行っている生活に自信が持てなくなって、行動理由に見失ったり、何をするにも物憂くなったり億劫になったりするように仕向けるのです」


 エルーフェの目が大きく開かれる。心当たりしかないのだろう。


「わたしにはあなたの中から悪魔を取り除く力があります」

「それが、カンナギさんが巫女と呼ばれる所以(ゆえん)ですか」


 それは、少し違う。けれど大きく異なっているわけでもない。否定できないけど、肯定もできない。今現在の経緯としては合ってるけど本質は異なってる。んん?

 ああ、ややこしい。先生だったら上手く説明できたのだろうけどわたしでは、いやそもそも正確に理解できてない時点で説明のしようがない。ここは先生に倣って考えるな感じろの精神で説得を――


「分かりました。カンナギさん、お願い致します」


 エルーフェは納得した。なぜ。

 どうやら過大解釈したみたいだ。うーん、まあわたしとしては願ったりなのでもうこのまま突き抜けてしまおう。これ以上墓穴を掘るわけにはいかないし。


 エルーフェはその場で膝をつく。頭を下げて顔の前で手を組む。

 その姿を見て、とても美しいと思った。

 すべてを悟り、すべてを受け入れるかのようで。

 より一層、自分が惨めに感じた。


「とこしえにあなたに栄光がありますように」


 彼女の祈りの言葉に体が止まる。同じだ。昔のわたしと同じ。

 エルーフェの姿が昔のわたしの姿と重なる。それじゃあわたしの姿は誰と? そんなの決まってる。名前も口にしたくない(やつ)だ。


 目を閉じて思考を振り払う。

 彼女の前に膝をついて、組まれてる手の上に重ねて包み込むように握る。ウィンブル越しに額を合わせる。

 目を閉じる。すべての感情を押しとどめて無心になる。


「罪の悔悛を、ゆるしをあなたに」


 触れあう()から熱を感じる。()を通してエルーフェから莫大な記憶と感情の波が押し寄せる。しまったと思った時には手遅れだった。いつもよりゆっくりとした速度で情報が流れてくる。

 声が響く。無数の声が何重にも重なって脳内に反響する。思いが言葉になり、言葉が鎖となり、体を搦め捕る。身動き一つ取れないように何重にも隅々まで余すことなく巻き付く。唯一ゆるされた視覚は、自分では(見たこと)ない己の姿しか映さない。それと目が合って、それは感情のない笑みを浮かべた。


 プツンと流れ込む記憶が止まり、わたしは意識を手放した。

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