白と黒を纏う
「ここは、霊園です。巫女様が見つけたのはこれですね」
エクエスはろうそくを見ながら言った。
森の奥で見つけた光に向かって歩くと開けた場所に出た。集落よりもずっと広いそこは白い花が咲き、幾つもの墓石が並んでいた。ろうそくは一つ一つの墓石の前に置かれ、すべてに火が灯されていた。
エクエスが前に来た時と同じ風景だそうだ。花畑だった場所を霊園にしたのだろうか。
「墓石はきれいに掃除されていますね」
「ろうそくを灯してからさほど時間は経っていないようです。まだこの近くにいるかもしれません」
集落と違って霊園は手入れが行き届いているように見える。全体像は把握しきれないけれど、目に見える範囲でも相当な面積があった。たくさんある墓石はどれも丁寧に磨かれており、周りには雑草が生えていなかった。
墓石一つ一つを掃除するとなるとそれだけで相当な時間が掛かるはずだ。加えてろうそくもとなると、下手したらそれだけで一日が終わりそうだ。霊園の管理者はとても勤勉な人なのだろうと想像した。
その想像は数秒後に音を立てて崩れた。
一際大きな墓石の前に彼女はいた。修道服を着衣し、厚みのある本を抱き締めて気持ちよさそうに眠っていた。そう、石台の上で仰向けになって眠っていた。
「……」
真顔になった。言葉が出なかった。感心を返して欲しい。
いやいや疲れて休憩してるだけって線も……でもなあ。寝ている場所が、ちょっといただけない。加えて小休止には見えないほど深い眠りについている。良い表情だけどアウトです。
うーん、と頭を悩ませていると冷たい風が吹いた。いけない、このままでは彼女は風邪を引いてしまうかもしれない。気持ち良く眠っている人を起こすのは忍びないが彼女の体調が心配だ。それに、末裔のことを聞きたいし寝るにしても家の中で寝て欲しい。
はて、彼女はどこに住んでいるのだろうか。集落には人が住んでいる痕跡はなかった。霊園の近くに家があるのだろうか。まさか、野ざらしのこの場所で……はさすがにない、よね?
「もし、起きてください」
「うぅん……」
「風邪を引きますよ」
「むにゃぁ……」
「…………起きなさい!」
「はいぃごめんなさい起きました! ……って、あれ?」
揺すっても起きなかった彼女につい大きな声を出してしまった。わたしはいつの間に短気になってしまったのだろうか。ちょっとショックです。
飛び上がるように起き上がった彼女は当然ながら困惑を見せる。
「突然失礼しました。わたしはカンナギと申します。こちらはエクエスさん」
「は、初めまして! シスターを務めております、え、エルーフェと言います。みっともない姿を晒してしまい申し訳ありませんでした!」
勢い良く頭を下げるエルーフェ。直角です。ああ、勢いについていけずベールが地面に落ちてしまいました。目を瞑っているのかベールが落ちたことにも気づいていない。そしてなかなか頭を上げません。
「頭をお上げ下さいエルーフェさん」
ベールを拾い上げて軽く汚れを落とす。黒いので汚れが目立ちにくいのがいいですよね。それを抜きにしてもしっかり手入れされているのが分かる。それは霊園と同じく丁寧に扱っている証拠だった。
怒られた子供のようにビクッと体を固くし、おずおずと頭を上げる。汚れが目立ちやすい白色のウィンブルもきれいだ。それに、着崩れしておらずぴったり着用している。
懐かしいですね修道服。わたしも昔は着てました。正しく着用しているのによく注意されてました。体の線が見えやすいと。不可抗力です。
ベールを被せてあげると至近距離で目が合う。エルーフェは固まって目を瞠った。大きく開かれた若葉のようなやわらかな黄緑色の瞳は左右で異なっていた。右目の瞳孔がハートの形をしている。恐らくこれが刻印なのだろう。
「なんて……」
小さく呟かれた声は無意識に出たのだろう。驚愕に満ちた表情。はたして彼女の視界にはどのような光景が映っているのだろうか。
ベールを正しく被せて離れるとハッと我に返った彼女はわたしの手を掴む。意識していない動きだったのか彼女自身も驚いて、でも離すことはしなかった。
「カンナギさん! あの、えっと……お、お辛いこととか、心苦しいことはありませんか!? そ、そのっ、誰かに話すだけで、気持ちが楽になることもあります!」
「……ありがとうございますエルーフェさん。ですが大丈夫です」
切羽詰まったように畳みかける彼女に務めて優しく微笑みかける。悲しげに揺れる表情で「でも……」と食い下がる。けれど、なんと言えばいいのか分からず視線が泳ぐ。宥めるように掴んでいる手を叩くと名残惜しそうに離された。
勤勉で慈悲深い理想の宗教者。エルーフェは人間の本質を理解しておらず、万人に救いがあると信じ切っている。まるで昔のわたしを見ているようだ。見ていられなくて彼女から視線を逸らす。すると彼女が大事そうに抱えている本に意識が向いた。
「聖書、ですか?」
「は、はい。題名もないのに良く聖書だと分りましたね」
「愛読書でしたので。読ませていただいてもよろしいですか?」
「も、もちろんです。どうぞ」
「ありがとうございます」
図らずとも話題を逸らすのに成功した。
聖書を受け取って表紙をなぞる。題名が書かれておらずとも十字架の細工が聖書だと物語っている。多分、無信仰者でも一目見ればこの本が聖書だと気づけると思う。
それにしてもわたしの知っている聖書とは異なっていた。表紙の細工を見ただけで気づいた。精巧に似せているけど違う。改版でもしたのだろうか。パラパラと捲って内容を流し読む。やっぱり変わっている。
「カンナギさんはシスターだったのですか?」
「昔の話です。ところでエルーフェさん。この聖書のことなのですが、どうやらわたしの知る聖書と内容が異なります。改版した、などという話は聞いたことありませんか?」
「改版? い、いえ。というか! カンナギさん聖書の内容を暗記しているのですか!?」
頷くとエルーフェは目を瞠り「すごい……」と感嘆の声を漏らした。
懐かしい。昔はそれはそれは穴が開くほど読み込んだものだ。毎日最初から最後まで一語一句飛ばさず読んでいたので自然と内容を覚えてた。もちろん今でも暗唱することができる。さすがに全部となるとそれだけで一日が終わってしまう。あと喉が大変なことになるでしょう。
清掃の時間に知らずの内に声に出していたらしく、叱られたことが何度かあった。理由は単純で怖い、と。それだけだ。全く理不尽である。
しかし、どうも人間側に都合がいいように書き換えられているように感じる。悪質な改ざんだ。一体誰がこのようなことを……ん? 最後の文書は全く見覚えのない内容だ。頁を戻す。文書名を探して……あった。
「え……」
書かれていた標題に目を見開く。
「カンナギさんどうかしましたか? あっ、モナリス記ですか! わたし、聖書の中でこの文書が一番好きなのです」
エルーフェの声は耳に入ってこなかった。というより何も聞こえない。はっ、はっ、と不規則な呼吸音が頭の中に響く。
ダメだ。落ち着け。大丈夫、大丈夫。
頭の中で暗示を掛けるように念じる。一先ず如何ともし難い不快感を遠ざけるように手元の本を閉じる。目を閉じて顔を上げる。冷たい風が気を安らかにする。よし、よし。そう思って目を開ける。
その行動に、すぐに後悔した。開いた視界の中央に映る大きな墓石。それは初めからそこにあって、わたしが敢えて視線を向けなかった物。その墓石に刻まれた文字に目が離せない。わたしの視線の先に気づいたエルーフェがああ、と明るい声を発する。
「これはピグリティア領の初代領主スロウス様のお墓です。あの七英雄のお一人なのですよ」
ああ、知ってる。
知っていた。だから封じていた。考えないようにしていた。
全身の血が沸騰したように熱い。ぐつぐつとマグマのような熱を孕んだ激情が湧き上がる。スロウス、わたしの最も憎き男の名前だ。
ゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるせないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない。
ソウダ、墓石ヲ壊ス。ソレデ、掘リ起コシテ奴ノ肉体ヲ――
「巫女様!」
脳が揺れて視界いっぱいに空が映った。




