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死に至る罪  作者: 猫蓮
暴食編
25/61

E 愚か者の後悔

 エクエス視点


 魘されている巫女様の顔を覗き込む。玉のような汗が額に浮かび、流れて顔を濡らしていく。タオルで優しく汗を拭き取るも苦悶の表情は変わらない。


「お待ちください王女様。巫女様が起きられてからでもよろしいではないですか!?」

「時間は限られています。このようなことで足止めされるわけにはいきません」


 憤怒の末裔の記憶を奪ってすぐ、巫女様は気を失われた。それは末裔の方も同じだった。彼女はそのままソファに眠らせたままにしてこの場を後にした。


 巫女様のお体を抱き抱えてイラ領の外れに待機している馬車まで運んだ。静かに眠っていた彼女が徐々に苦しみ出した。呼吸が荒くなり、魘されるようになった。そして馬車に戻って開口一番に王女様は出立すると仰った。


 抗議を申し入れるも即刻却下された。王女様はどうも巫女様を軽く見ている節がある。いや、万人を下に見ているお方ではあるが、それでも多少は気にかけておられた。それが巫女様相手には全くといっていいほど存在していなかった。ここまで自己中心的な性格だと密かに驚いたほどだ。


 しかしながら俺は彼女に仕える騎士の身である。上の決定には従うほかない。それが騎士としての定めだ。


「巫女様……」


 変わらず馬車の中は二人っきり。ガタゴトと馬車が鳴らす音の合間に彼女と呻き声が耳に届く。狭い馬車の中では思う存分足を伸ばして休ませることはできない。せめてもと横抱きにして体にかかる負担を軽くさせることしかできなかった。


 できることならその苦しみを代わりたい。苦しんでいるのは彼女が言っていた『苛める罪の記憶』というものだろう。それがどのようなものであるかは分からない。けれど末裔の様子からとても気分のいいものではないことを察していた。俺にはどうすることもできないことだ。なんのための護衛なのかと無力感に襲われる。


 静かだ。以前はこの静けさが心地良かったのに、今は反対に落ち着かない。イラ領に向かう道中では巫女様が気を遣ってか退屈だからか、頻繁に声を掛けてくださった。中身のない、世間話にも満たないような内容だったけど。

 ご飯が美味しかった。いい天気だ。きれいな花が咲いている。うさぎがいた。その時々に見たことをそのまま言うだけのなんてことない雑談。煩わしいと思わない頻度と声の大きさ。目を輝かせて教えてくださる姿は小さな子供のように見えた。時折出る突飛な言動には彼女の思考を疑うが、まあいい。いや、良くはないが。


 けれど決してご自分のことも俺のことも話題には上げない。それが線引き故の故意であったとを知ったのは彼女が目を覚ましてからのことだった。


 それまでは護衛とは名ばかりのお守り役ではないかと思っていた。それほどまでに彼女は落ち着きがなかった。教会に居たからなのか箱入り娘と言えるほどに警戒心が一切なかった。注意力は欠如していて、向こう見ずで、楽天的。そうと思えば鋭い観察眼と包容力がある。ちぐはぐに感じたがすぐに一つの考えに至った。それは恐らくだが的を射ていると思っている。


 巫女様はご自身のことには無関心であり、他者のために行動を惜しまない方である。きれいな言い方をすれば無償の愛を与える。それも見ず知らずだった末裔相手に。


 子供のような幼稚さが際立つ彼女はその実賢いお方だと思う。能ある鷹は爪を隠すと言う。まあ、普段の残念さも天性のものなのだろうけど。


 とにかく、巫女様がご自身を鑑みないのなら俺が彼女の分まで彼女自身を気に掛ければいいだけの話だ。幸運なことに護衛である故その辺は自由に干渉できる。だから苦しむ彼女に誓ったのだ。せめて外敵からは守ると。



 ……誓った。そう誓った。だが結果はどうだ。巫女様は暴食の末裔によって重傷を負われた。死んでもおかしくないような大怪我と出血量だった。


 言葉を失った。

 体が動かなかった。


 青白い顔は血の気がなく、首元と腕には痛ましい傷と赤い血が流れている。傍らで巫女様を抱き、泣き叫ぶ血に塗れた女をすぐさま斬り殺してやりたいと黒い感情に支配される。剣の柄に手をかけたちょうどその時、王女様がやってきたので辛うじて最低限の冷静さを取り戻せた。恐らくあのまま誰の介入もなければ今頃は……いや、くだらない考えはやめよう。


 王女様からのお咎めはなかった。治療を終えてから一言だけ、目が覚めたら教えるようにとだけ言われた。以来、巫女様が休まれている部屋に王女様が訪れることはなかった。


 怒りを抱く気にもなれなかった。その前に己を怨んだ。何のための護衛だ。何が守るだ。結局何もできていない。巫女様にも王女様にも一片たりとも期待されていない。そのことが悲しくて悔しくて、とても恐ろしかった。


 そしてやはり巫女様は末裔に対して慈愛の心を持たれていた。殺されそうになった相手に怨み事を吐くでもなく、反対に助けさせてくれと切願する。ここまでくれば優しいを通り越して愚か者だ。


 本当に愚かだ。俺も彼女のことを悪く言えない。報われないと分かっていても惚れた弱みで彼女の意思を尊重してやりたいと思ってしまっている。強い眼差しで見つめてくる彼女に俺の心は容易く屈する。本当に、ままならない。

 恋は盲目だとよく言ったものだ。知りたくなかった。こんな気持ちは、こんなに苦しいのなら知らないままでいたかった。


 けれど、もう手遅れだ。後戻りはできない。知らなかった頃には戻れない。なかったことにはできない。

 自覚してしまった恋心はきっと叶うことはないだろう。分かっていても僅かにでも希望があると思える内は諦めたくないと藻掻く自分はなんと浅ましいことか。


 イラ領の時と同じくして、あの時より状態は悪いと言うのに、王女様は構わず馬車を出すと命令を下す。


 少し動かしただけでも辛そうにしていた彼女を自分の身勝手な都合で抱えるのは申し訳ない。幸いにもこの馬車には多くのクッションが積まれている。座面一杯に引き詰めてその上に横たわらせる。馬車の揺れを少しでもクッションで衝撃を吸収されればいい。


 俺の心配を余所に、平時と同じ速さで動く馬車を恨めしく思うも、変えることはできないことを悟る。巫女様のことで気が気でなく、対面に座ってることはせずに彼女の前に膝をつく。手を握って常に生きているかを脈を取って確認する。そうでないと不安で仕方がなかった。


 夜、テントに巫女様を寝かせた後もお側を離れることはしなかった。自分の支度もそこそこに馬鹿みたいに彼女のすぐ側に身を置いた。小さくて軽くて、今にも消えてしまいそうに儚い愛しい人。前と違って、死んだように眠る彼女の額に唇を落とす。


「っ、何をやってるんだ。……馬鹿か、俺は」


 頬に熱を持つのを感じて手で顔を覆う。寝ている病人に向かってなに夜這いみたいな下衆な真似をしているんだと心の中で自分に向かって毒づく。

 それでも片方の手は変わらず彼女の手を掴んだままなので救えない。


 仄暗い欲を孕んだ心の内に嫌悪する。それでも完全に消し去るつもりにはなれなかった。

 恋心を秘めたままでいるから、どうか旅の終わりまでは貴女の側に。


 ――カンナギ様


 その言葉は決して口には出さなかった。美しい白銀の髪に指を通し、一房取って己の唇と触れ合わせる。貴公子が令嬢に行う挨拶のように軽い口づけ。


 誰も知らない密か事。それはただいたずらに、想いを一層強く募らせた。

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