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死に至る罪  作者: 猫蓮
旅立ち
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巫女の仕事

 暗く寒い牢の中。廊下に設置されたたいまつの燈火は牢の中までは入らない。隙間風で火がゆらゆら揺れる。不規則に動く影をじっと眺める。


 杖をつきながら歩く硬い足音と重く地を踏む足音が聴こえる。音はだんだんと大きくなり、こちらに近づいて来ているのが分かる。地下牢には自分以外に人はいない。だから足音の行く先は一つしかない。


 ――今日が、始まる。


 目を閉じて心を落ち着かせる。鼻で空気を吸い込めば冷気と一緒に埃っぽい臭いも入り込む。慣れとは恐ろしいものだ。最初は鼻につく臭いに眉を顰めていたけれど、今ではなんとも思わなくなってしまった。

 その間も足音は絶えず聴こえてくる。二つの足音以外の音はない。音が大きくなるにつれて気持ちは沈んでいく。そして、自分の前で足音は止まった。


 牢の鍵を開ける音が静かな空間に響く。音を立てて重々しく扉が開かれる。鉄格子で隔てられている牢にプライバシーも何もあったものではない。廊下から牢の中の様子は丸見えで反対に中からも廊下の様子は丸見えだ。滅多に人は来ないしただ壁があるだけだけれど。


「仕事だ。立て」


 目を開かなくても声を聞いただけで相手の顔が浮かびあがる。ゆっくりと瞼を開ければ思い浮かんでいた顔と同じ顔が視界に映る。

 鉄格子越しに冷たい眼差しに見下される。両手で杖を掴み、足を揃えてまっすぐ立つ。姿勢の良いこの男は、教会の司教だ。そう、ここは教会の地下だ。なぜ教会に地下牢があるのかは知らない。


 扉を開けた屈強な男が身を屈ませて中に入ってくる。牢の中は広くないからすぐに目の前に辿り着く。影ができて逆光で顔は見えない。なのに鋭い目つきは分かる。鍛えあげられた筋肉は服を着ても主張している。そんな巨体に無言で見下ろされる威圧感は凄まじい。

 彼は上体を屈ませて首枷から手枷に繋がり垂れている鎖を掴む。鎖はそれほど長くはない。手枷から先端までは腕ぐらいの長さしかない。


 ――油断していた。


 ぼんやりと男の一挙手一投足を眺めていたから、反応が遅れた。気づけば彼は体を翻していた。慌てて立ち上がろうとしたが遅かった。距離が開けば短い鎖はすぐにピンと張ってしまう。強い力に引っ張られる。立ち上がる途中という不安定な体勢だったために硬い石畳みの地面に倒れこんでしまった。


「っぅ……!」


 けれど男は待ってくれない。倒れたわたしを一瞥もせずに構わず歩き続ける。当然、鎖は持ったままだから歩かれるとそれに伴い鎖は引かれる。力が強いせいでものともせずに引き摺られる。硬い地面に無防備な肌が擦れて痛みを訴える。引き摺られながらもなんとか立ち上がって男たちの後について行く。


 牢の中で聴こえた二人の足音にペタペタと滑稽な音とジャラジャラと鎖が揺れる音が加わる。冷えた石の上に裸足はとても冷たい。さらに床近くを通り過ぎる風が一層冷たさを与える。足元から全身に冷えが巡るのを感じて身震いする。

 窓一つない地下であるが稚拙な造りのせいか隙間風が入りとても冷える。布一枚では到底寒さを防ぐには心許ない。毛布などもなく牢では身を縮こませて耐える他なかった。


 廊下を歩くと階段が見えてくる。地下牢にはわたし以外に収監されている人はいない。だというのに入れられているのは最奥の牢だ。作りはどれも同じ。使われていないのが状態から明白だ。最初にせめて階段近くの牢にしてほしいと言っても聞く耳持たず無視された。

 階段を上がった先には廊下が伸びていて幾つものドアが見える。その内の一つを開けて入っていく。三人が入るとすぐにドアが閉められる。


 連れられた部屋は広くない。三人が入れば窮屈に感じるほどだ。ドアの左右に設置されたたいまつの火が部屋の明かりの全てだった。促されて壁の前に置かれた椅子に座る。椅子はほぼ壁に隣接して置かれているのでどうしても横向きに座るしかない。正面には鎖を持った男が陣取っている。司教はドアの横に立っている。

 小窓が開かれると一人の男と対面する。小さな台に肘をついて手を組み、虚ろな目をしながら聞き取れないほど小さな声でブツブツと何やら呟いている。小窓が開いたことにも気づいていない。


「一人目だ。早く始めろ」

「……はい」


 上半身を捻って男と向き合う。手枷によって繋げられている両手を伸ばして俯いている男の頬に触れて上げさせる。短い鎖でも問題ないほど至近距離にいるのだ。少し前のめりになって男と額を合わせる。目を閉じて集中する。


「罪の悔悛を、ゆるしをあなたに」


 触れ合う額が熱を帯びる。頭の中に知らない記憶が流れる。目の前の女性と言い争う。刃が肉に沈む感触がして呻きながら女性が倒れる。真っ赤に染まった手が震えている。自分の荒い呼吸音だけが耳に入る。拒絶と悲しみと僅かな高揚感。動かなくなった女性を見、口から笑い声が零れる。ふっと記憶は途切れ、終わったことを自覚する。


 体を戻し、男から距離を取る。ズキズキと痛む頭に顔を顰め、歯を食いしばる。ボトリと胸に黒いモノが落ちた感覚がした。


「ぁあ……ああ! ありがとうございます巫女様! ありがとうございますっ!」


 虚ろだった目に光が宿る。男はわたしを見て感謝を告げる。大の男が涙を流して何度も感謝の言葉を口に出す。その途中で小窓は閉ざされ男の顔も声も届かなくなった。


 果たして今どんな顔をしているだろうか。彼が救われたことに喜んで笑えているだろうか。痛みに堪えるように顔を歪めているだろうか。いや、いいや。きっと……死んだ顔をしているだろう。哀しい気持ちはある。流れ込んだ記憶は胸を刺すには十分だ。それでもどこかで仕方がないと諦観している自分がいる。


「次だ」


 司教の声と共に鎖を引かれる。椅子から立ち上がり部屋を出る。まだ一人目だ。今日はまだ始まったばかりだ。司教に続いて次の部屋に入る。


 左手の甲に刻まれた二重丸の刻印。これがこの地獄の始まりだった。暗闇に放り込まれてから何日経っただろうか。もうずっと日の目を見ていない。延々と他人の罪の記憶を引き受ける。心が擦り減って感情が殺されていく。ここは残酷な世界だ。

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