鉄拳!逆襲のゴーレム令嬢!~我が拳すでに鋼なり~
石畳が続く大通りを広場目指して走る。
人混みの中、邪魔な上着は脱ぎ捨てシャツ姿になってしゃにむに走った。
「間に合ってくれ」
見えるのは歩く人々の背中ばかり。こちらに向かってくる者はいない。
誰もがこの先にある王城前広場を目指しているからだ。
「どいてくれ! どけ!」
目の前の背中たちに何度そう怒鳴ったことか。息は上がり、体は汗まみれだ。疲労で今にも倒れそうだった。
だが俺は走り続けなければならない。間に合わなければならない。
広場が見えてきた。
聞こえるのは罵声。悲鳴。何かを繰り返し叫ぶ声。
それらが混然一体となり、地鳴りを思わせるようなどよめきとなっている。
――うおおおおん……
湧き上がる群衆の大きな熱狂が王城前広場を支配していた。
どよめきがひときわ大きくなる。とうとうこの狂ったセレモニーのクライマックスが訪れようとしている。
「待ってくれ!」
叫んだ瞬間、不気味な青い魔光がギラリと広場を照らした。
「ああ」
だめだ。
刑が執行されたのだ。
叛逆者の汚名を着せられた、我が美しき婚約者伯爵令嬢ユスティーナ・デュンケルグラウの刑執行に俺は間に合わなかった。俺が北部の要塞を視察している短い間に王都で何があったのか。
「ユスティーナ! 嘘だろう! おい! どいてくれ!」
下品な野次を飛ばす者、狂ったような金切り声で神の名を叫び続ける女。そんな群衆を掻き分けて広場中央に転がり出た俺の前に彼女はいた。
太い木材で組まれた晒し台の上には垂直に立てられた黒い柩のようなもの。開かれた柩の観音扉の向こうには。
石の彫像のようになってしまった婚約者ユスティーナがいた。
「……そんな」
もはや風になびくこともない美しく長い金髪は乱れることなく今もその輝きを保っている。
刑執行の瞬間にも浮かべていたであろう彼女らしい毅然とした蒼い目を彼方の空に向けたまま凝固していた。
執行された刑は永久凍結刑。それは実質的に死刑と同じものだ。
「宮廷魔術師を呼べ! ただちに彼女を蘇生しろ! こんなことが許されて良いはずがない!」
この状況が信じられなくて、俺は近くにいた刑執行官にとびかかるようにつかみかかった。
彼女が叛逆などありえない。
「ローラント王子殿下……」
しかし若い刑執行官は俺と目を合わせようとしない。だがやがて何かを決心すると、目の前でわめき散らす半狂乱の俺を諭すように答える。
「心苦しいことではございますが、正しい手続きにより判決は出ております。にわかに信じられないこととはいえ、デュンケルグラウ伯爵家の城内で王国軍未登録の武装した戦闘ゴーレムが十数体も確認されたのです。また有力貴族に送られた彼女の筆跡からなるクーデター計画の手紙がいくつも確保されています。帝国との戦争中である今、叛逆者が軍法によって即決処刑されるのははいたしかたのないことです」
「ありえんことだろう! デュンケルグラウ家当主夫妻が我が父に付き従って戦場へ向かっているいま、令嬢である彼女が突然に王都でクーデターを企図するなど! そんなことをする理由がどこにある。手紙とやらを見せてみろ」
詰め寄られ、困惑する刑執行官。もう無意味なことはわかっている。だがどうにも許せなかった。
「なんという醜態。王子、見苦しいというほかありませんよ」
甲高い、神経質そうな男の声が響いた。
目を向ければ、この国の宰相を表す緋色の上着をきらびやかに着飾った黒髪の若い男が立っている。
その目にはいらだちと、侮蔑と、隠しきれない喜悦の色が浮かんでいるように見えた。
俺がよく知っている男だ。
「エルフェンバイン伯爵。貴公、なぜこのような狂気を止めなかった」
アルベルト・エルフェンバイン伯爵。昨年、弱冠二十歳という驚異的な若さで王国宰相に就任した男。
その冷たい緑の瞳を俺はじっと見据える。その奥を測ろうと。この男の真意を知りたくて。しかし。
「狂気とは。ローラント王子、かの叛逆者デュンケルグラウの娘こそ狂気。それを庇うは等しく叛逆者になることを意味します」
「伯爵……いやアルベルト! 彼女が、あのユスティーナが叛逆など企むわけがないと貴公も知っているだろう!」
俺とアルベルトとユスティーナ。三人は学生時代、王国アカデミーでの同窓だった。同窓。いや、もっと深い仲だった。親友だった、といってもいい。俺はそう思っていた。
いろんなことがあった。何があろうといつだって三人で怒り、泣き、そして最後には笑ったものだった。
それがわずか数年の時を経て、いまやこんなことになっている。俺たちはどこをどう間違ったのか。
わからない。
とにかく、アルベルトは変わってしまった。変わってしまって、奴は得体のしれないすまし顔の宰相になった。
「失礼ながら王子にも嫌疑がかかっております。お話は王城内で」
「……俺もお前に聞きたいことがたくさんある。王城は狭苦しい。ここで話せ」
「ではこちらに。……おいお連れしろ」
「はっ」
いつのまにか左右の腕を衛兵につかまれていた。
「おい? 離せ、何のつもりだ」
「おとなしくしておいたほうが良いですよ王子」
「ふん。逃げなどしない」
左右についた衛兵の後ろには着剣済の魔弾銃を持った兵たち、そして広場の隅には見上げるような大きさの魔導甲冑兵まで数体待機していた。
抵抗しても無駄だろう。
これは、誰かが……いやおそらく、アルベルトによって周到に準備された陰謀なのだ。
連れていかれたのは城門手前の大げさな造りのテントだった。
広場のどよめきはいまだに続いていて、民衆の興奮は醒める様子がない。
「拘束を解いて良い」
「はっ」
左右の衛兵は俺を開放すると三歩下がった。下がって、後ろから油断なく俺を注視している。テントの中にはこの二人の衛兵しかいなかったが、それでも暴れるには多勢に無勢すぎる。しょせんここはアルベルトの手のひらの上なのだ。
「説明してくれ、アルベルト・エルフェンバイン伯爵。この事態を。俺が北部要塞の視察に行っている間に、貴様何をした」
「叛逆を未然に止めた。信じてくださらないので?」
「クーデター計画を記した手紙とやらを見せてみろ」
「どうぞ」
緋色の服の袂から皮表紙の冊子を取り出し、こちらに寄越す。開いてみれば、流麗な文字で書かれた手紙、手紙、手紙。筆跡は確かにユスティーナのものに似ている。だがどれも偽物だ。
俺はそれを黙って返した。
「子供だましだな。こんな茶番は俺に通用しない。腹を割って話そう、アルベルト。おまえは俺に何をして欲しい。自決しろというならそういえ」
「……御見通しですか。まあそうですよね。はは。自決しろって? まさかそんな。むしろ逆ですよ」
手をひらひら振って小さく笑うアルベルト。
「私は旧態依然としたこの国を変えたい。それにはあなた、ローラント王子。あなたが必要なのです」
「この国を変えたい? だったらなぜ俺に相談しない! ユスティーナをあんな目に合わせる理由はなんだ! 俺とお前の仲はそんなものではなかっただろう。どんな改革であっても俺とお前、そして彼女がいればできないことはなかったはずだ」
「王子……残念です。本当に残念です。しかし、私はこうするほかなかった」
この国をどうしていくか。それは王国アカデミーにいた時代にさんざん三人で話し合ったことだった。実際に宰相になったアルベルトはその頃のアイデアをいくつか実行してさえいた。
「こうするほかなかった? ユスティーナを凍結刑に処するほかなかった、その理由をいえ!」
「彼女を助ける方法ならありますよ」
「なんだと……どうすればいい。なんでもやってやる」
俺の返事を聞いて、にっこりと微笑むアルベルト。一瞬、眉を歪ませたのは良心の呵責か。
「頼もしいですね。では、一つお願いがあります。王不在の今、本当にクーデターを起こしていただきたい、ローラント王子」
「……正気か?」
俺は目の前の男がアルベルトなのか、アルベルトの顔をした悪魔なのかわからなくなりつつあった。
「正気ですとも。なんなら戦力として先に差し押さえたデュンケルグラウ家の戦闘ゴーレムを使ってもいい。もちろん、凍結中の彼女を蘇生して指揮させても。どうですローラント王子」
「お前……何を始めるつもりだ、そんなことをして。この国の王になるとでもいうのか」
「ははっ」
アルベルトの表情はどうにも苦しそうで、その苦悩の顔の中で口元だけが無理に笑っていた。
この男の心の中がわからなかった。
「それもいいですね。ですが、私が王位を簒奪しても聞こえが悪い。それよりローラント王子が国王になるべきです。手は回してあります。国内に残っている第三軍と戦争に飽きた国民は王子に従うでしょう」
「いや無理だ、国が割れるぞ。そして内戦の後には草も残らない」
やはりこいつは魔族なのではないか。百年前に現れたという異界の怪物。
「嫌だとおっしゃるなら……私が王になるしかありませんが。ユスティーナはどうするのです」
「俺に聞くな。おまえがしでかしたことだ。アルベルト、もうおまえには愛想が尽きた。国を滅ぼしたくなければ、早く世間に事実を公表して腹を切れ」
「ローラント王子。どうあっても」
「内戦だけは起こせん。気に入らないなら俺も永久凍結刑にしろ。ユスティーナの隣で眠ってやる」
「ローラント……王子。そこまで……」
アルベルトのきつく握りしめた拳が白くなっていた。
「はは……ははははは。はーはははははっ!」
誰もいない夕刻の公園で迷子になった子供のような顔をして、王国宰相が笑っていた。
「いいでしょう! 私が王になってこの国を変えてやりましょう! 衛兵! 再び広場中央へいくぞ! ローラント王子をお連れしてな!」
「はっ! 宰相殿!」
「我らが新たな国のために!」
この衛兵二人は腹心の部下なのか、剣呑な命令にも嬉々として応えた。大丈夫なのかこいつら。なんかこれで俺らも昇進間違いなしみたいな悪い顔してるぞ。
「俺を殺しても国王が帰国すればおまえら全員処刑だぞ」
「黙れ叛逆者!」
「俺たちはむしろクーデターを未然に止めた英雄になれるのだ」
ありもしない夢に酔っている。
かくなるうえはこの衛兵を襲って武器を奪い、アルベルトと刺し違えるか。
――王子。王子
「なに?」
誰だ?
振り返ってもきょとんとした衛兵の顔しかない。
――宰相は捨て鉢になっておるぞ。いまこのまま連行されると広場で処刑される恐れがある。しばし待たれよ。なに、すぐに孫娘が駆けつける
きょろきょろ見回すが声の主がわからない。
――王子、足元じゃよ足元
見れば足元に黒猫が一匹佇んでいる。まだ小さくて、子猫に見える。
――ほっほっほ。お久しゅうございますな王子。ずいぶん大きく立派になられて
「その声。よもや……」
じっと俺を見上げる黒猫。口は動いていない。念話だ。
「ベルハルト・デュンケルグラウ翁なのか。あの翁が猫とは……変わり者だった翁とはいえ、なんというか、思い切りましたな。数年前に亡くなったと聞いていたが」
――いや、ワシは確かにもう死んでおります。これはその影、残滓のようなものでしてな。孫娘を補佐する猫のゴーレムですじゃ
黒猫はそういうと大きくあくびをした。
これ、本当に翁なのか。強いストレスにさらされた俺の脳が見せる幻ではないのか。
「いまさら狂人の振りをしてもたぶかられませんぞ王子。覚悟めされい」
後ろから俺の首をつかんですごむ衛兵。無理に首を曲げられて息が詰まる。
――おっ、来ましたぞ王子
黒猫が楽しそうに告げた。
何がくるのか。
「おいなんだこの音は」
どこか遠くからしゅるしゅるしゅると聞いたこともない大気の擦過音。しかし一瞬にしてその音が頭上までやってくると、たちまち猛烈な風が辺り一面を襲った。目も開けていられない風だ。
キーン、と甲高い音を立てながら嵐のような強風と共に何かが空から降下してくる。
驚き叫ぶ民衆がみな空を指さしていた。
「なんだあれは!」
「女だ!」
「裸の女だ」
見上げれば、どういうわけか俺の愛する婚約者が光る翼を纏いほぼ半裸で空に浮かんでいた。
青っぽいシートをいい加減に体に巻き付けてはいるが、レディとして見えてはいけないものがいくつも見えてしまっている。
「はーっはっはっは! ユスティーナ・デュンケルグラウ華麗に復☆活! です!! 悪・即・粉砕! 王国を揺るがす悪い奴らはデュンケルグラウの名のもとにこの我が拳が許しませんよ!」
宙に浮いたまま自慢げに腰に手を当て、やや開いたその両足に自信あふれたその太陽のように明るい笑顔。
ああ、学生時代、あのアカデミーで何度聞いたであろうか、このへんてこな口上。
「ユスティーナ……!」
間違いない。彼女だ。わけがわからんが彼女だ。伯爵令嬢として許されざる風体ではあるがそれも含めて確かに彼女だ。では広場で凍結刑を受けているこのユスティーナは? 二人のユスティーナが存在する?
――あれはゴーレム。本体から意識を憑依させて動かしておる
「……翁。なるほどわからん」
翁が説明するがわからない。
「なんと……なぜユスティーナがもう一人……いや、いや違う、およそこやつは強力な魔族であろう。近衛兵、魔導甲冑隊でもってこれを殲滅せよ。火器使用制限はすべて解除する」
呆然としていたアルベルトは、はっ、と我に返ると命令を下した。
「えっ生身の女を撃つので? この広場で? まだ民衆が」
「あの魔族が暴れ始めたらどれほどの被害が広がるのかわからんのだぞ! 命令を聞かぬのか」
「りょ、了解。敵飛行体を殲滅します。各員、火器使用を許可する。目標、広場上空の敵飛行体」
広場の隅からゆらり、と立ち上がる巨大な影。
大きさは人の背丈の四~五倍はあろうか。甲冑兵を巨大化したようなこれは王国軍兵力の花形である魔導甲冑兵だ。一機でドラゴンを倒すほどの兵器。それが広場中央に向ってゆっくり前進を始める。
ここにいたってようやく事態に気付いた人々が悲鳴を上げ、広場から逃げようとてんでに走りだした。
――ユスティーナ。ここじゃ。ワシと王子と柩の中のお前の本体を回収したらいったん撤収するぞ。ここでの戦闘は避けなければならん
「あっおじいさま! ローラント王子! はい、わっかりました! やりますよ! ユスティーナはやっちゃいますよ」
――人の話を聞け回収して撤収じゃ
二人の念話は俺にも聞えた。いや、ユスティーナは声に出しているのだが。
「弾種貫通魔弾。射撃開始」
対空射撃体勢の魔導甲冑兵から装甲トロル兵も一撃で倒す恐ろしき魔弾が発射される。
ばんっ、と巨大な空気の壁が俺を叩いた。
魔弾発砲の衝撃波だった。続いて次々と発射される魔弾。
「ユスティーナ!」
鼓膜をつんざく轟音と衝撃波の中で彼女の名を叫びながら石畳に伏せる。空に彼女の姿を探す。しかし、すでにユスティーナの姿はそこになかった。
「おじいさま、危なっかしいんで、ちょろっとこいつら無力化してもいいですよね?」
――穏便にな
「がってん!」
がんっ。
巨大な教会の鐘が二つ、とんでもない速度でぶつかりあったような音が広場に響き渡る。やがてごおん、ごおん、と雷のようなこだまがそれに続く。
何が起きたのか。
二体の魔導甲冑兵が糸の切れた巨大な操り人形のようにゆっくりと倒れていった。
どちらも背中の装甲ハッチごと聖霊エンジンを叩き潰されて活動を停止している。いずれもユスティーナが目に留まらぬ速さで、その拳をもって貫いたのだ。
「バカな!? 三式魔導甲冑兵は革新的防御システムを持った最新式の……」
再び衝撃音。悪夢を見るかのような顔のアルベルトの前に三体目と四体目の魔導甲冑兵が転がる。いずれもやはり背中の装甲ハッチから急所を叩き潰されている。
「ああ……そんな」
「あっ、アルベルト君! おしおきの時間ですよ! 魔導甲冑兵ごときで止められるなどとデュンケルグラウの女を甘く見ないことですね! 我が拳すでに鋼なり! 我が体、すでに鋼なり! ふふ、いまや言葉の通りです」
ずぅん、と重い音を立てて最後の魔導甲冑兵が擱座した。背面上部の搭乗ハッチが開いて中の兵が転がり出る。護身用の拳銃を抜いてこちらを向いたところで兵の動きが固まった。
宰相アルベルト・エルフェンバイン伯爵は我が婚約者、ユスティーナによってすでにその動きを封じられていた。
「降参する。これまでだ。近衛、全戦闘を中止しろ。……皆に本当のことを話そう。その前に。ユスティーナ、本当に君なのか?」
「モチのロンです。あ、このボディはおじいさまが昔おばあさまのために作った機体ですけど。今は私が憑依状態で使ってます」
――これ、余計な秘密をしゃべるでない
憑き物が落ちたように静かになってしまったアルベルト。あの勢いはどこへ行ったのか。
最強兵力たる魔導甲冑兵を倒されたからか、それとも。
「そうか。私は何をやっても君には勝てないのだな、ユスティーナ」
「相手が悪かったですね!」
ユスティーナには勝てないと悟ったからか。
それからの話は嘘のように早くまとまっていった。
アルベルトは拘束され、牢に繋がれた。
彼にそそのかされて動いた幾人かの貴族も。
実働部隊の多くは半ば騙されて命令を聞かされていたということで、無罪。しかしアルベルトのクーデター計画を知って付き従っていた兵は――あの衛兵二人も――牢屋行きとなった。王が帰国ののちに沙汰があるだろう。
もちろんユスティーナの凍結刑は解除され、生身の彼女も戻った。
「いやあ、得難い体験でした!」
彼女はいつも元気だ。
「ちょっと行ってくる」
俺は牢に赴いた。
「アルベルト」
「やあ、ローラント」
粗末な服を着て、元宰相アルベルト・エルフェンバインは牢の隅に佇んでいた。
「髪が伸びたか? 前髪を少し切ったほうがいいぞ。人を寄越すから」
「はは、変わってないよ、ローラント。数日ぐらいで伸びるわけないだろ。君が私を見ていなかっただけだ」
「そうか」
俺は看守用の木の椅子を引っ張り出して、牢の前に座った。長い話になりそうだからだ。
「なんであんなことをした」
「いいたくない」
アルベルトらしくない。いや、宰相になる前あたりからこいつはずっと、こいつらしくなかったのだ。
「アルベルト、なあ」
「ローラント。王立アカデミー時代をおぼえていますか?」
「ああ、忘れたことはない。あの頃は俺たち三人で幸せだった」
「いいえ。私はいつも幸せではなかった」
「おいそりゃあないだろ」
ズズっと椅子を進めて反論する。
「俺の思い出を傷つけるな」
「君のそばには常にユスティーナがいた。私が入る余地などなかった。アカデミー時代も、それ以降も」
「おまえ、まさか……そうかおまえもユスティーナを」
「ローラント、君の鈍感にはほとほと呆れます」
「えっ、なんで?」
「私は……私はユスティーナがうらやましかった。あの快活で美しいユスティーナになりたかった。ローラント、君に愛される彼女になりたかった! なのに! なぜだ! なぜこうもこの世界は残酷なのだ! なぜ私はユスティーナになれないのだ!?」
「ア……アルベルト……?」
「どうすればいい! どうすればよかったんだよローラント! 私はどうすれば君を手に入れられたんだよ!」
「そんなこと俺にいわれても、その……」
「だったら…だったらもうこの王国を作り変えてしまうしかない! 私がローラントを愛しても許される国に! そうだろう? それしか道はなかったんだよ!」
「えっ、それが動機なのか?」
「だが失敗した。ユスティーナは、あの常に爛漫な笑顔の彼女はその笑顔のままでいつも私を蹴落としていく。凍結刑で凍らせても、死の淵を笑顔で乗り越えて笑いながら私を殴り倒しにくる。勝てない。私は彼女には勝てないんだ……」
そういうと、アルベルトは床に顔を伏せた。
「……私も凍結刑になるのだろうな」
「アルベルト」
「ふむ。ワシに良いアイデアがある」
突然に老人の声が響いた。
「なに?」
あたりを見回しても姿はない。
「ここじゃよここ」
黒猫だ。そうだ、ベルハルト・デュンケルグラウ翁だ。正確には彼が遺したサポート用猫型ゴーレムだ。翁はいつのまにやら牢に忍び込んでいたようだ。
「猫が……喋っている」
「念話機能もついているんじゃが、もう隠す必要もないんでな。発声機能を使っておる。アルベルト・エルフェンバイン伯爵よ、そなた我が孫娘ユスティーナになりたいと、さきほど申したな」
「ああ、確かにいったさ。できることなら生まれ変わって、彼女になってローラントに仕えたい。なんなればそれが私の夢だ」
「よく申した! 提案じゃが、そなたゴーレムになってみないか?」
「ゴーレムになる?」
「広場で見たであろう、孫娘の雄姿を! アレは秘蔵のゴーレム、我が美しき妻の姿を模したものじゃが、我が孫娘はまさに妻に生き写しでな。ゆえにユスティーナの姿をしたゴーレムといって差し支えないじゃろ。つまり」
「まさか」
アルベルトが床から飛び起きる。その顔は輝いていた。
「そのまさかじゃ。もしそなたが凍結刑に処されるのであれば、ワシが手をまわしてゴーレム憑依用のリンクシステムをその身体に施してやってもよい。強いぞ、あのゴーレム。もうぶっちゃけてしまうが、実はワシは異世界から転移してやってきた科学者だったのじゃ。その異世界の知識を動員して作り上げた超技術のゴーレム。おっと、世間のみんなにはナイショじゃぞ☆ どうじゃ。ローラント王子のため、そしてこの王国のために働く最強のゴーレムになる意思はあるか」
本当の魔族の襲来があったのは、それから数年後のことだ。
長く続いていた戦争も終わり、皆が平和を実感しようとしていた矢先だった。
「ふふふ。愚かな人間どもめ。残らず血祭りにあげてくれるわ」
上位魔族が王都上空に突如として現れたのだ。
「余の名はイーシャ・ウダール! 炎の悪魔よ! さあ余に挑む人間はおるか! いなければ余のほうから行くぞ!」
身の丈は王都の聖堂ほどもあろうか。炎を纏うその姿はまさに炎の巨人。
「おーほっほっほっほ! なにかしらこれ、炎の悪魔ですってぇ? なんだかみすぼらしい焚き火ですわねえ! 魔族というからにはもうちょっと優美なものを想像していましたのに」
その頭上に現われたるは一人の娘。美しい金髪を風になびかせ、踊り子のような薄衣で体を包んでいる。
「なにやつ」
「わらわの名はアルベルタ・エルフェンバイン。伯爵令嬢。この国を守る美しき戦闘乙女ですわ。おーっほっほっほ!」
「め、面妖な……」
「ほーっほっほ……っと隙を見て脳天カチ割りチョーップ!」
「ぐわぁあああ!」
振り下ろした会心の一撃が見事に悪魔の頭部を粉砕する。
「な、なん、だと? この威力……人間ごときが余の……」
「話を聞いていませんでしたの? わらわは人間じゃなくって美しき戦闘乙女。王国第一の守護ゴーレム令嬢ですの! 以後お見知りおきを……ってここで抹殺しちゃいますけどね! 喰らえ、アルベルタ・インフェルノ・ギロチン!!」
「ギロチンって誰だよごばぁあああ!!」
高位魔族は瞬殺された。
「んふ、わらわ、美しい♪ 我が拳すでに鋼なり! 王子、帰ったら褒めてくださいね♥」
その後も王国には魔族の襲来がたびたびあったが、そのことごとくを奇妙なゴーレムが倒したと記録されている。
伝説となった今でも、王都の大聖堂には娘の姿をしたゴーレムを描いたタペストリーが保管されている。もはや戦などない現代だが、この地に危機が迫れば必ず娘の姿をしたゴーレムが飛来して人々を守ってくれると地元では信じられているという。げに尊むべきは人の情けかな。