58.災厄のその後③
(マリー視点)
私が目を覚ましたのは、エイミス辺境伯邸で、お姉ちゃん……ルビー様が亡くなってから一週間ほどが経つ朝だった。
辺境伯様の話によると、ルビー様のおかげで“百年に一度の災厄”は乗り越えることができ、また、魔物の出現もしていないとのこと。
つまり、ルビー様の死と引き換えにスワン王国には再び平和が訪れたのだ。
きっと城下も、孤児院も、まだ事情を知らない学園の生徒達も、災厄を無事に乗り越えることが出来たことに今頃ホッとしていることだろう。
自分の身が“生贄”にならなかったことに、喜んでいる人々も大勢いるだろう。
だけど、事情を知る私達は、素直に喜ぶことは出来なかった。
だって、国の平和と引き換えに、たった一人のかけがえのない命が失われたのだから。
(さすがはルビー様。誰一人、この“災厄”によって犠牲者はいなかった……)
本来ゲーム中で、ルビーは瘴気に操られ、多くの命を奪った。
それはルビーのせいではなく、身体から発せられる瘴気を制御出来なかったからだった。
けれど、ルビーであるお姉ちゃんは。
(学園に“革命”を起こし、自分が瘴気を制御出来るように魔力を鍛錬していた……)
“真理亜”としての記憶が戻るまで不思議に思っていた。
どうしてルビー様は、私に親切にしてくださるのだろうと。
ただの平民であり、ルビー様とは本来関わることのない雲の上の存在でもおかしくないのに、“聖女”として私が不自由しないように手を尽くしてくれた。
そんなルビー様が魔法が使えなくなり学園を去る間際に私にあるお願いをしたのだ。
『ねえ、一度だけお姉様と呼んでみてくれる?』
そのお願いを不思議に思いながら、私が口にすると、彼女は泣きそうな顔をして笑ったのだ。
『ありがとう。私はあなたを、本当の妹のようにいつも思っているわ』
今思えば、その時点でおかしいと気が付くべきだった。
あの温かな眼差しも、表情も、言動の一つ一つも全て、まさしく前世のお姉ちゃんそのものなのだから。
「……っ」
今頃後悔したって遅い。
お姉ちゃんは亡くなってしまったのだから。
私がもう少し早く気が付いていれば……なんて思っても、きっとお姉ちゃんはそれを許してはくれないだろう。
(お姉ちゃんは、そういう人だから)
前世のお姉ちゃんは病弱だった。
それをお姉ちゃん自身が一番よく分かっており、常に罪悪感を感じているような人だった。
両親がそのせいで忙しく働いていることも知っていたし、合間を縫って病院に駆けつけてきていることも知っていたお姉ちゃんは、ある日お母さんに言ったのだ。
『毎日来ないで。その度に起きなきゃいけないの辛いから』
そう言うと、お母さんは悲しみ、怒りながら出て行った。
それ以来、お母さんはあまり病室に顔を出さなくなった。
けれど、私は知っている。
お姉ちゃんはわざと、お母さんに負担をかけないよう『来なくて良い』と言ったことを。そして。
『……ごめんなさい』
そう小さく謝り、静かに泣いていたことも。
全部、私は知っているのだ。
(お姉ちゃんは自分を犠牲にしすぎる)
ゲーム上のルビーもそういう人だったし、お姉ちゃんはさらに拍車をかけた自己犠牲をしてわざと悪役を買って出るタイプだった。
不器用すぎるほどに優しい人。
だから、どんなに突き放されようと私は離れない。
だって私のお姉ちゃんは、世界一素敵なひとだから。
「……そうよね」
私がこんなところでうじうじしている暇はない。
お姉ちゃんは必ず、どこかで生きている。
たとえそれが地下世界でも、お姉ちゃん……ルビー様は、必ず生きていると信じて、私は今自分に出来ることをするんだ。
ベッドから飛び降りるように立ち上がると、大きく伸びをし、気合いを入れるために両頬を叩く。
「よし!」
私はお姉ちゃんとは違って頭を使うのはちょっぴり苦手。そのため即行動に移すタイプなのだ。
(私は私らしく、お姉ちゃん……じゃなかった、ルビー様を取り返すわよ!)
おー! と拳を高く振り上げ、意気揚々と部屋を出たのだった。
そうして向かった先は、ルビー様のお部屋だった。
ルビー様のお部屋は、ルビー様がいなくなってからは鍵がかけられており、使用人でさえも誰も立入出来ないようになっていた。
(辺境伯様のご判断なのよね……)
辺境伯様もまた、ルビー様がずっと前から“生贄”であったことを知る数少ない人物の内の一人だった。
(辺境伯様、やつれていらっしゃったわ……)
それでも、辺境伯様は悲しむ様子をあまり私には見せずに仰ったのだ。
『君が来てから、ルビーは心から笑うようになっていた。ルビーにとって君は、暗闇の中を照らしてくれる希望の光だったに違いない。ありがとう』
『この鍵を君にも預ける。好きな時に出入りすると良い』
『それから、君さえ良ければ養子にしたいとも言っていた。考えておくと良い』
ここでもお姉ちゃんの優しさが出ていた。
自分がいなくなっても私が不自由しないように。
そう考えてのことだろう。
「……お姉ちゃん」
鍵を見つめ、ギュッと手のひらで優しく包み込む。
「絶対に助けるから。待っていてね」
そうして私は、鍵穴に鍵を差し込み回すと、ルビー様のお部屋のドアノブに手をかける。
キィッという音と共に開いた部屋の中は。
「……無機質だわ」
貴族の令嬢とは思えない、あまりにも家具が少なすぎる質素な印象を受けた。
そのことから、自分があまり長くは生きられないことを悟っていたのだと思うと泣きそうになってしまうけれど、ここで泣いてはダメだとグッと堪え、足を踏み入れる。
ルビー様にはルビー様付きの侍女がいない。
本人たっての希望らしく、お洋服も自分で着脱できるものを好んで着ていたらしい。
自分でなんでも出来るように、というのが口癖だったそうだけど、何かしら……たとえば、自分の身体に“生贄”である証があったから人に見られたくなかったとか、そういう理由もあったのではないかと思っている。
そうしてグルリと部屋の内部を見渡せば。
「あ……」
無機質な部屋の棚の上にポツンと置かれたものを目にし、ゆっくりと歩み寄ってそのものを確認して呟く。
「やっぱり、エディ殿下の仰っていた通りだったんだわ……」
それは、グレアム殿下とルビー様がまだ幼い頃の写真が収められた写真立てだった。
落としてしまったのだろうか、写真立てのガラス部分が壊れてしまっているけれど、それでも。
「……“グレアム殿下のことが嫌いだから婚約を解消した”なんて嘘だったんだわ」
だってそうでなければ、飾るなんてことはしない。
それに。
「……前世のお姉ちゃんの推しもグレアム様、だったもんね」
お姉ちゃんは乙女ゲームなんて、最初は興味もなかったし知らなかった。
だけど、私がしつこく言ってお小遣いを貯めて買ってあげたら、『絶対やらなきゃダメってことじゃない』と文句を言いながらも渋々プレイして言ったのだ。
「『強いていうなら、グレアムが好きかな』って……」
かなり好みのタイプだったのか、ほんのり顔を赤らめていうお姉ちゃんが可愛かったなぁなんて小さく笑ってしまってから慌てて首を横に振る。
「いけないいけない、趣旨が変わってしまうわ」
どうしてルビー様のお部屋に来たかというと、“日記”のようなものを探すためだ。
(そうすれば、“生贄”がどんなものなのか、ルビー様の生活や気持ちが分かる)
それによって、私がこれから行おうとしていることの足がかりになってくれると思ったのだ。
人の部屋を、ましてやルビー様の部屋を物色するなんてとは思ったけれど、ルビー様を助けるためだと自分に言い聞かせ、複数ある引き出しを片っ端から開け、最後の段の引き出しを開けたその時。
「……!」
私の目に飛び込んできたのは、“日記”ではなかったけれど。
(っ、これは……!)
私は確認する間もなく、一つではないそれらを大量に抱え、一目散に部屋を後にしたのだった。