57.災厄のその後②
ベリンダさんとの出会いは、丁度八歳の誕生日を迎えグレアム様と婚約した、十年程前まで遡る。
その頃の私は、“百年に一度の災厄”というものが近付いていることも、生贄という意味も、あまりよく分かっていなかった。
王家から緘口令が敷かれている中で、辺境伯であるお父様が『辺境伯家の者たるもの、民を守るため事実を知らなければいけない』と内緒で教えてくれていたのを、ただ夢物語のように聞いていた覚えがある。
だから私の頭の中では、“皆を守らなくては”という意識だけがあった。
それまで何不自由なく、お母様とお父様、そして二年前に生まれた弟と幸せに過ごしていたけれど、街外れで原因不明の病が流行り始める。
お父様はまだ幼かった私達にはあまり話さず、ただ「外に出るのは控えるように」とだけ注意していたけれど、両親の表情がどことなく暗かったのを今でも覚えている。
そしてついに、その病の原因を探るために出動していたエイミス騎士団から順に、次々と魔の手が私達に忍び寄る。
屋敷の者達がパニックに陥る中で、弟の手を繋いだ私はお父様にこう言われた。
『しばらく会えなくなるが、二人で必ず生き延びるんだ』
しばらく、の期間は分からなかったけれど、当時まだ二歳に満たない弟を抱きしめて私は頷いた。
その後すぐ屋敷の中でも病は蔓延し、私達は本邸から離れた別邸へと移されることになる。
原因がお母様が罹患されたことによるものだと分かった時には、お母様はもう、危篤状態に陥っていた時のことだった。
私は約束を破り、本邸へと向かおうとしたけれど、すぐに騎士に見つかり連れ戻される。
泣き叫んで暴れたけれど、とうとうお母様と会うことは出来ず、亡骸さえも見ることは出来なかったのだ。
そうして悲しみに明け暮れる間もなく、今度は国王陛下から直々のお手紙を賜り、婚約者であるグレアム様まで罹患され、意識不明の状態にあると知る。
グレアム様は私にとって、かけがえのない大切な人。
どんな時も心配になるくらい優しく、温かいひとだった。
たとえそんな彼が、婚約した際に仏頂面をしていたとしても、婚約している限り私は彼を支えたい。
出会った時から彼に恋をしていた私は、ただひたすらに願った。
“神様でも悪魔でも何でも良い、彼を助けて”
そう願った私に応えてくれたのが、悪魔であるベリンダさんだったのだ。―――
「あたしはベリンダ。アンタが私を呼んだのね?」
「あなたは、誰?」
グレアム様を想って泣きじゃくる私に、ベリンダさんは私の頬に流れる涙を拭ってくれながら口を開く。
「悪魔だよ。正確に言えば、“百年に一度の災厄”の百年前の生贄……なあんて言われても分かんないか。
とりあえず、私のことはベリンダって呼んで」
「ベリンダ、さん……?」
「ありゃ、良い子だね。こんな子を生贄にするなんて可哀想な気はするけど……、アンタの望みは何?」
ベリンダさんの言葉に、私はハッと目を見開き答える。
「グレアム様を……、皆を、助けて! 病気を治して欲しいの!」
「病気を治す?」
「そう! 助けることさえ出来れば何でも良い。
私があげられるものなら、何でもあげます! だから!」
「……何でも」
ベリンダさんはそうつぶやくと、悲しげに眉を顰めて笑った。
「アンタは私にそっくりだ。無鉄砲で、愚かで。だけど、気持ちは分かる。
……良いよ、アンタの願い、私が叶えてあげる」
「本当!?」
「うん。ただし、条件がいくつかある。
一つ目は、アンタの想い人……、つまりグレアムとかいう彼に知られないこと。
そうでなければ、彼がアンタの代わりになるよ」
「代わり……?」
「そう。これが二つ目の内容なんだけど、二つ目がアンタが十年後……そうだね、18歳になったらアンタは魂を悪魔に捧げ、地下世界に時が来るまでいなきゃならなくなる」
「?」
「つまり、18歳の誕生日を迎えたら死ぬってことさ」
「……‼︎」
18歳になったら死ぬ。
言葉を失う私に、彼女続ける。
「“百年に一度の災厄”ってのがあるのを知っているだろう?
あれが丁度アンタが18になる十年後に迫っているんだ。
その時になったら、私はアンタと役目を交代しなきゃなんない」
意味は、正直よく分からない。
けれど、ベリンダさんの言葉は続く。
「今契約すれば、皆を助けられるだけではなく、アンタは膨大な魔力を得られる。
そうすれば、結果的に皆を守れることになる」
「っ、本当!?」
「うん。ただし、17歳になったらその魔力が眠っている間に暴発……無意識に瘴気を生み出し、それらが魔物となって人々を襲うことになるだろう」
「!!」
魔物。瘴気。それらもまたお父様から教わった、人々を死に至らしめるもののことだった。
「そして18歳になったら、アンタは死ななければならない。
その三つ目の条件が、“愛する者の手で死ぬ”ことだ」
「“愛する者の手で死ぬ”……?」
「……つまり、アンタの言う“グレアム”っていうやつにアンタ自身が殺されなければならないのさ」
「‼︎‼︎」
思わぬ言葉に絶句する。
ベリンダさんは「酷なことだが」と、じっと私の目を見つめて口にした。
「“生贄”になるためには、絶望を味わわなければいけない。
でないと地下世界で一人、次の生贄が現れるまでの百年間、瘴気を浄化することができない」
「…………」
「もちろん、悪いことばかりではないよ。
“生贄”になることを選択すれば、18歳までは必ず生きられる。病で死ぬことも、怪我で死ぬこともない。
それと、望み通り今流行ってるという病を治せるだけでなく、アンタは生涯最も強い魔法使いになれる。それこそ、皆を守ることが出来る力を手に入れられるんだ」
「皆を、守ることが出来る……?」
「そうだ。それが“生贄”としてのメリット。
さあ、どうする?」
ベリンダさんの言葉に、私が迷うことはなかった。
「“生贄”に、ならせてください」
「! 本当に、良いのか? 後から変更することは出来ないよ?」
「分かっています! ……この私が犠牲になれば、グレアム様を……、皆を助けられるというのなら。喜んで犠牲になります」
お母様を救うことは出来なかった。
もう、あんな思いをするのは二度と嫌だから。
「……分かった。契約を実行する」
「!」
ベリンダさんはそういうと、何かを呟く。
それによって私の身体がバチバチと赤く光った。
その姿を見て、ベリンダさんは目を丸くして言う。
「驚いた。元々の魔力量が強いのか、本当なら契約時に痛みを伴うのだが……」
「痛くありません」
「何ともないようだね。それは良かった」
そういうと、彼女は腕を指し示して言う。
「腕、見てみな」
「……!」
腕、と言われ見てみると、そこには大木のような模様が描かれていた。
「これ、は……?」
「それが契約の証だ。“生贄”であるというね」
「‼︎」
「その証は契約後は見えなくなる。
だけど、17歳になったらその証がまた復活し、それからはずっと見えるようになる。
その時が来たら、アンタの“生贄”になるまでのカウントダウンが始まっているという証拠だ。後、これ」
「!」
ポンッと、ベリンダさんが魔法で取り出したのは、液体の入った小瓶とメモだった。
それを慌てて受け取ると、彼女は言う。
「アンタが所望した薬と調合したメモだよ。病に効くね」
「本当ですか!?」
「私は嘘は吐かない。ほら、行きな。
好きな人以外になら、アンタが生贄だってことも話して良い。
ただし、信用できる人間だけにするんだよ」
「なぜ……?」
「自分を守るためさ」
「…………」
やはり、ベリンダさんの言うことは分からない。
けれど、言葉を全て頭に叩き込み、小瓶を握りしめると頷いた。
「分かりました」
「よし。ほら、行っておいで」
「はい! ありがとうこざいました!」
「アンタくらいだよ、悪魔に感謝なんて口にするのは」
そう言ってベリンダさんは笑ったのだった。―――
ベリンダさんの言う通り、あれほど蔓延してた流行病は瞬く間に終息を迎えた。
私の魔力量も、その日を境に人並み外れるようになった。
ちなみに、グレアム様と手合わせをしたのもその後だったから、魔力を与えられている私が勝って当たり前のはずで。
“生贄”となったことをグレアム様に悟られないようにしなければいけないのに、18歳で彼の手で死ななければいけないことを後ろめたく思った私は、何となく彼を避けるようになってしまう。
そうして少しずつ心の距離が遠くなっていくのを感じながら、これで良いんだと必死に言い聞かせ、その時をただ静かにひたすら待っていた。
そうして17歳の誕生日を迎えた日、腕にあの“生贄の証”が現れた時には、さすがに絶望した。
それまで何となくだった“百年に一度の災厄”も“生贄”も、一気に身近に感じ、私は着々と死に近づいていることに初めて恐怖を覚えた。
何より、彼の手で死ななければならないこと。
それを思うたび、最も心を苦しめ、罪悪感に苛まれた。
そして選んだのが、自ら毒を呑むことだったのだ。
「はい、これで粗方案内を終えたわけだけど、何か質問は?」
相変わらずここが地下世界なのかと思ってしまうほど、綺麗な夜空を背景に尋ねるベリンダさんの言葉に、疑問に思っていたことを口にする。
「私、どうして魔力が暴発してしまったのでしょう?
確か約束では、18歳……つまり、後二ヶ月程の猶予があったはずでは……」
私の言葉に、ベリンダさんは難しい顔をして言った。
「そこが私にも分からないんだ。……もしかしたら、そろそろ耐え切れないのかもしれない」
「耐え切れない?」
「百年に一度の災厄で、百年毎に“生贄”を選び、交代して地下世界に瘴気を封じ込めてきた。
……だがそれももう、限界に近いのかもしれない」
「それって、つまり」
「……封じ込められなかった瘴気が地下世界を出て、国が……、世界が滅びるかもしれない」
「………!!」
ベリンダさんの衝撃の言葉に、私はその場で立ち尽くしてしまうのだった。