53.急展開②
(……やることが何もない)
パタンと本を閉じ、窓の外を見やる。
「もう夜なのね……」
小さく呟き、息を吐く。
学園を去ってから一ヶ月。
目まぐるしかった日々も、今では幻だったように遠くに感じ、毎日何もせずただ日々を意味もなく過ごすばかり。
(……今まで何のために頑張ってきたのか、分からないわ)
近くにあったランタンに向かい、呪文を唱える。
「火・灯」
口にしても、ランタンに反応はないその光景を目の当たりにし、落胆し、無力感に苛まれるのももう何度目だろうか。
(やはり、魔法が使えない私は、何の役にも立たない)
火を見るのが辛い。
灯を見るのも苦しかった。
まるで、魔法が使えないことを嘲笑われているかのように灯っているのを見るのが、しんどくて。
『休むと良い』
あの時グレアム様から発せられた言葉は、彼なりの励ましであり、気にするなという意味であることは分かっている。
それでも情けなさと悔しさでいっぱいになり、気付けば八つ当たりしてしまった。
あれから彼とは一度も会っていない。
当たり前だ、毎日学園に通うことがなくなったのだから。
(……喧嘩別れのようになってしまったけれど、丁度良かったのかも)
追いかけられることも、信じられないほど甘い言葉を吐かれることも、揶揄われることもなくなり、彼と関わらないという点においては結果的に私が望んでいたようになったのだから。
それなのに。
「どうして……」
どうして今頃、寂しいなんて思ってしまうのだろう。
……あぁ、そうか、今日は彼の……。
考えが至った刹那、窓の外から不意に普段耳にしない音が聞こえた。
―――パシャッ
「!?」
幻聴だろうか。そう思った私の耳にもう一度、窓に水が当たる音が聞こえてくる。
(……まさか!)
その音が何なのか、私には分かる。
幼い頃から、用がある際に窓を叩く代わりに“彼”が行っていたことだから。
信じられない思いで窓に駆け寄り、はやる鼓動を抑えて窓を開け、下を見た私の目に飛び込んできたのは。
「ルビー」
「な、何で、こんなところにいるの……!?」
「何でって、会いたかったからだ」
「そ、そんなバカな理由で今日の主役がここにいて良いわけ!? 良くないわよね!?」
私のお父様もあなたのために城へ向かったのだけど!?
と声を上げた私に、本日の主役、もとい18の誕生日を迎えたグレアム様が口を開く。
「大丈夫だ。しっかり顔だけは出してきた」
「か、顔だけ!?」
「今からそちらに行くからちょっと待っていてくれ」
「こ、来なくて良いんだけど!?」
「大丈夫、すぐに着くから」
何が大丈夫なのかさっぱり分からない! と慌てて髪を手櫛で整えようとして……、ハッと目を見開いた。
それは、彼の髪が金色からまるで雪のような白に変わったから。
(っ、まさか……!)
驚く私に、彼は呪文を唱える。
「氷・階」
「……!!」
刹那、彼の足元から氷が現れ、ほんの数秒の内に階段が窓の外……、つまり、私がいる部屋に辿り着くように現れる。
驚き言葉を失っている間に、グレアム様が階段を一歩一歩踏み締め、こちらに向かって歩み寄ってきた。
逃げなきゃ、と心のどこかで思っているのに、その光景から目を離すことが出来ずに固まっている私の目の前まで来た彼は、水色の瞳に私を映し、そして……。
「やっと、会えた」
「……!!」
窓を飛び越え、私を抱きしめる。
いつもだったら振り払うところだけど、驚いている私は呆然と立ち尽くしたまま尋ねる。
「どう、して……?」
「約束しただろう? “必ず、氷属性の魔法を習得する”と」
「……は、はあ!?」
慌てる私を、彼は離さないと言わんばかりにギュッと抱きしめて言葉を続ける。
「今まで氷属性の魔法を扱えなかったのは、思いの強さが足りなかったからだ。
使えるようになりたいと思っても、国王である父上さえも習得出来なかった魔法を俺が使えるわけがない。心のどこかでそう思っていた。
だが、今回は違う。氷属性の魔法を何がなんでも習得できなければいけない。
そうでなければ……、君に会えないと思ったから」
「……!」
不意に首筋から胸元にかけて訪れた、冷たい感触。
恐る恐る胸元に手をやった時、彼は私をようやく腕から解放し、笑った。
「これでやっと、約束を果たせた」
それが彼と約束した、というよりも私が完全に無茶振りをした氷属性を宿した“お守り”だと気が付いた時、私の瞳から涙が零れ落ちて止まらなくなってしまう。
「ル、ルビー!?」
「ごめん……、ごめん、なさい……っ」
泣いても彼を困らせるだけだと分かっている。
だけど、涙は溢れて止まることを知らなくて。
慌てて拭おうとしたけれど、その手を彼が止め、私の代わりに優しく彼の指が涙を拭う。
「どうして君が謝るんだ? それに、謝るべきは俺の方だ。
あの時、魔法を使えなくなった君に無神経に言葉を放ってしまったのは俺のせいなのだから。俺の方こそ、ごめん」
「っ、違う、だって私、あなたに、酷いことばかりしてるのに、こんな……っ」
首を横に振る私に、彼ははっきりとした口調で言う。
「酷いことなんかじゃない。君は、俺に気付かせてくれた。
俺の気持ちを……、君と一緒にいたい、君が何より大切だということを。
氷属性の魔法だって、君がいなければ一生扱うことは出来なかった。
だから、君が謝るようなことは何もない」
「でも私こそ、あなたとの約束を果たせないわ。
……あなたの望みは私をエスコートすること、つまり今日のあなたの誕生日パーティーでパートナーを務めること、だったでしょう? もう時間も、魔法が使えない私に資格もないわ」
「そんなの関係ない」
「え……」
思いがけない言葉に驚く私に、彼は笑う。
「魔法が使えないとか、使えるとか関係ない。
俺は、ルビー。君だから好きになったんだ」
「!」
その言葉にハッとし、息を呑む。
それは、至近距離で彼の薄い青の瞳が私を覗き込んでいたから。
鼻先が触れ合いそうな距離に思わず目を瞑った私に、彼がポツリと呟く。
「……違う、今じゃない」
瞼の裏で彼の気配が遠くなっていったのを感じ、恐る恐る目を開けると、彼はいつものように悪戯っぽく笑って言った。
「顔が赤いぞ? 何を想像していたんだ」
「っ……、こ、これは違う! あなたが、驚かせるのがいけないんでしょう!?」
「はは、そうか、君がそんな顔をしているのは俺のせいか」
そんな顔って何!? と口にしようとしたけれど、それさえも墓穴を掘りそうで地団駄を踏む私に、彼は今度は静かに告げた。
「待っているから」
「え……?」
驚く私に向かって彼は微笑みを湛える。
「君がその気持ちを自覚するまで、俺は待っている」
「じ、自覚って!?」
「さあ? それは自分で考えるべきことだな。
……それよりも今しか出来ないことをしたいんだが」
「きゃっ……!?」
突如、彼が私の腕を引く。
そのせいでバランスを崩した私に、彼は悪戯っぽく月明かりのせいで妖艶にも見える笑みを浮かべて言った。
「俺に、何か言うことは?」
「っ、別に何もない!」
「そっちがその気なら、俺は一晩中君を離さないつもりだが?」
「……っ!?」
「あ、また顔が赤くなった」
「ば、バカ!!」
なんて人! と膨れる私に、彼は笑う。
そんな彼の言葉が本心だと……、甘やかな熱を湛えて私を見ているのに気が付かないほど、私も鈍感ではなくて。
応えてあげられない気持ちを向けられても困るのにと思う反面、嬉しいと思う気持ちを認めてしまうのもまた怖くて。
(だって私には、あなたの手を取る資格なんてないもの)
「……ルビー?」
それでも。
私も差し伸べられたその手に、手を伸ばさずにはいられないのだ。
「……グレアム」
「!」
名前を呼んだだけで、こんなにも心が震える。
この気持ちがなんなのか、多分、あなたより前からとっくに気が付いている。
でも、臆病な私にはこの気持ちを告げられない。
だから、この言葉に込めて、あなたに贈ろう。
「お誕生日、おめでとう」
そう噛み締めるように口にすれば、彼は破顔し、心から嬉しそうに笑う。
(あぁ、どうか。彼の笑みが、幸せがいつまでも続きますように)
自分の想いさえも素直に口に出来ない私に、やはり資格はないけれど。
その笑顔を見て、願わずにはいられないのだ。
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明日のクリスマス更新は、波乱の予感!?となります※ハッピーエンドです。




