44.物語-序章-⑤
黒い靄を払い去ったその場に、魔物の姿はなかった。
呆然とする私に、男の子が駆け寄ってきて嬉々とした声を上げる。
「魔法使いのお姉ちゃんありがとう! 凄い! 魔物をたおせるなんて!!」
そう歓喜している男の子の方に、視線を向けることなく首を横に振る。
「……いいえ、違う」
「え?」
(だってあの魔物は、光属性でないと斃せない。……ということはつまり!)
ハッとし、嫌な汗が背中を伝った瞬間。
「キャー!!!」
「「!?」」
甲高い女性の悲鳴が耳に届いた。
(っ、やっぱり!)
魔物を斃せたのではなく、逃げられてしまったのだと気が付いたのは一瞬のこと。
私は男の子に向かって声をかけた。
「魔物は私が……、いえ、私と仲間達で斃す。
だから、あなたは……」
逃げなさいと言おうとしたけれど、それは無理だと瞬時に悟った。
だって、彼の傍らには気絶し倒れ込んでいるお母さんの姿があるのだから。
(っ、でも、私は行かなければいけない)
一瞬の迷いは命取りになる。私は一刻も早く魔物に向かわなければいけないと、肌身離さず持ち歩いていたお守りを渡そうとした、その時。
「ルビー!」
「!」
向こうから駆け寄ってくるグレン……、いえ、変装を解いて王太子の姿になっているグレアム様の姿があって。
その後ろに近衛騎士らしき方々の姿があり、ホッとして男の子に声をかける。
「あの人達に従って逃げて。あなたはお母さんを守るのよ」
「っ、うん……!」
私はにこりと笑うと、グレアム様達に向かって声を張り上げた。
「街人二人の生存を確認! 騎士二人は安全な場所へ彼らを誘導して!
グレアム殿下は私と共にもう一人の女性を救助する!」
騎士団の指揮は、お父様から直々に教わった。
エイミス辺境伯家たるもの、その場で冷静に判断し、皆を導きまとめる。
如何なる時も正しい判断を瞬時に見極める必要があると教えられた。
(そして、一瞬でも迷う姿勢を他人に見せない)
私の言葉に、騎士二人が頷く。
私も頷きを返し、グレアム様と目を合わせると、同時に駆け出した。
本当なら魔法を使った方が早いが、ここまでの戦闘でかなりの魔力を削られてしまった。
それに。
(多分、先ほどの悲鳴は……!)
どうか間に合ってと願いながら、今も家々が崩れる音のする方へと走っていると。
「……っ、ルビー! あそこだ!」
開けた大通りを出て、真っ先に反応したのはグレアム様だった。
彼が指差す先には、先ほどの魔物と一人の女性が対峙しているのが見えた。
その女性は……。
(っ、ヒロイン!)
そう、髪の色は違っているけれど、遠目からでもはっきりと分かるその顔形は、前世の乙女ゲームのヒロインそのものだった。
そして、髪の色が違っているのはまだ覚醒していない証拠だということを思い出す。
そんなヒロインに、魔物が先ほどと同じ瘴気を放った。
グレアム様は助けようと走り出したけれど。
(っ、ダメ、間に合わない!)
私はヒロインであるその女性のいる方を指差し、在らん限りの声で呪文を唱える。
「結界・防壁!!」
遠方に魔法を放つ際、遠くであればあるほど魔力を大量に消費する。
そのため、今残っている魔力全てを指先に宿し、結界魔法を彼女目掛けて放つ。
(お願い、どうか間に合って……!!)
祈るようにその光景を見つめると、彼女に瘴気が当たる寸前、彼女の前に虹色の壁が出現する。
そして、驚き目を見開く彼女に当たることなく、瘴気は霧散して消えた。
「……くっ」
成功した反動で身体が傾いだのを何とか堪え、踏ん張ると。
「っ、逃げて!!」
守ったはずの彼女が声を上げた。
驚き顔を上げた先、迫ってきていたのは。
「え……」
真っ黒な靄に包まれた大きな四足獣……紛れもない魔物で。
何度も邪魔をした結果、どうやら標的が私に切り替わったらしい、なんて魔法が枯渇して絶体絶命のピンチだという状況下にも拘らず、妙に冷静になってしまう自分を鼻で笑う。
(本当、呆気ないものね)
悔しいけれど絶対に倒れるものか、と両足を踏ん張り迫り来る魔物を睨みつけた、その時。
「やめて……!!!!!」
「!?」
そう甲高い声が頭に痛いくらいにこだました刹那、目を開けていられないほどの眩い光が辺り一面を包み込む。
「っ」
思わず目を閉じて訪れたのは、まるで温かく包み込まれるような、心地よい感覚……。
その中で、耳に届いたのは。
「水・刃!」
よく知る声……グレアム様が呪文を唱える声と断末魔のような魔物の叫び声。そして……。
「………!!」
光が消えた先、魔物の姿はどこにもなく、代わりに魔物がいたであろう場所から光の粒が空へと舞い上がっていって……。
「……聖女様だ」
「“災厄”は本当に近いのか」
ザワザワと、今まで静まり返っていた場所に騎士や魔導士らしき人々が集まってくる。
何とか両足で踏ん張っていたけれど、急に身体から力が抜けてその場にへたり込みそうになったのを、すんでのところで支えられる。
「大丈夫か!?」
支えてくれた力強い腕は、言わずもがなグレアム様のもので。
私を見下ろす空色の瞳に頷き、何とか立ち上がる。
「大丈夫。少し魔力を使いすぎてしまっただけ」
「……街を、救ってくれてありがとう」
その言葉に、首を横に振り微笑む。
「いえ、こちらこそ、助けてくれてありがとう」
「!」
「それよりも、まずはここから離れないと」
騒ぎになる前にと彼女の方に目を向ければ、その場に座り込んでいる彼女……、髪の色が先ほど目にした茶色とは違う、光り輝く金色の髪を持つ私が知るヒロインそのものの姿があって。
そんな彼女にゆっくりと近付き、その場で跪くと彼女に向かって尋ねた。
「助けてくれてありがとう」
私が声をかけたことで、ようやく私が目の前にいることに気付いた彼女が顔を上げる。
その髪と同色の瞳と視線が合わさった瞬間、不意に既視感を覚え息を呑んだ私をよそに、彼女が声を上げる。
「こ、こちらこそ! お怪我はありませんか!?」
自分のことより真っ先に私のことを心配する彼女の姿に笑みを溢すと、頷いて言った。
「ご心配ありがとう。おかげさまで、無傷で済んだわ。
……ところで、あなたのお名前は?」
ヒロインの名前には、デフォルトがあったはず。確かその名前はと思い出すよりも先に、彼女は慌てたように口を開いた。
「わ、私はマリーと申します!」
「マリー……、そう、良い名前ね。私の名前はルビー・エイミスよ。よろしくね」
私がそう言って笑みを浮かべれば、彼女はまたも慌てる。
「きっ、貴族の方、だったんですね! 申し訳ございません! 助けていただいて」
「ふふ、そんなに慌てなくても。それはこちらのセリフだもの、ありがとう」
「そんな! ……でも私、どうして魔法が使えたのでしょう? 私には、魔法なんて」
そう困惑しているマリー様に向かって微笑むと、その会話を近くで聞いていたグレアム様を振り返り、声をかける。
「グレアム様」
「……あぁ」
彼は頷くと、私と同じように私の隣で彼女に向かって跪き、王子様スマイルを浮かべ言葉を発した。
「私の名前はグレアム・スワン。この国の王太子だ」
「!? お、王太子殿下……!?」
「聖女、マリー。君に話があるため、王城へ一緒に来てもらえるだろうか?」
「せい、じょ……?」
マリー様の言葉に、私とグレアム様が頷いてみせると、マリー様は一瞬呆気に取られた後。
「……えっ!?!?」
絶句したように悲鳴交じりに声を上げる。
その彼女が驚く姿と笑みを浮かべ向き合うグレアム様の姿は、まさに乙女ゲームで描かれていた序章部分にあたる最初のスチルそのもので。
(……ついに、始まるのね)
ゲームの通りに進み始めた現実を改めて目の当たりにし、知らず知らずのうちに拳を握りしめたのだった。




