1.目が覚めたら、前世の記憶が蘇っていたので①
「…………っ」
息苦しさを感じて目が覚めた。
肌にまとわりつく寝衣は、普段は上質な肌触りにも拘らず汗を吸い込んだせいで、重く暑苦しく鬱陶しい。
手元には割れた小さな小瓶が原型を留めることなく散乱しており、その破片が指に刺さったのだろう、血が滲んでいるというのにまるで痛みを感じない。
痛みで神経が麻痺しているのか、それとも、神経が麻痺しているから痛みを感じられないのか。
どちらかは分からないが、これだけは言える。
(あぁ、私、失敗したのね)
死ぬことを選んで毒を口にしたはずなのに、死ねなかった。
間違いなく生死の境を彷徨っていたはずなのに。
(お陰で死ぬどころか、実際に死んだ記憶……前世の記憶が蘇るなんて)
そう、私は幸か不幸か思い出し、そして気が付いてしまった。
この世界が前世プレイしていた乙女ゲームの世界であり、私、ルビー・エイミスは、ゲームの中で悪役令嬢という役割を与えられた、不幸な未来を迎える人物であることを。
前世の私は日本という国で暮らす、とにかく病弱な少女だった。
一日の大半がベッド生活、幼稚園や学校へ行くことなど以ての外。
前世の私の世界。
それは、狭い箱の中でただ一人、まるで他人事のように傍観者を気取って、何の意味もない一日が過ぎるのを待つばかりの白黒の世界だった。
そんな私には、何もかも真逆の妹がいた。
健康的で性格は明るく、前向きで眩しいほどに真っ直ぐで。
彼女だけが唯一の味方だった。
そしてある日、妹が持ってきた一本の乙女ゲーム。
これこそが、今私が生きている世界そのものだ。
『この世界で生きるために』、通称『このせか』。
百年に一度訪れるといわれる災厄から世界を救うために立ち上がる聖女……プレイヤーであるヒロインと、攻略対象者達の恋や友情を描いた、魔法育成恋愛シミュレーションゲーム。
その中の悪役令嬢、ルビー・エイミスは、ヒロインと攻略対象者達との仲を引き裂くために嫌がらせをし、最後にはそれらが露見され、どのルートでも学園退学、及び国外追放と断罪される悪役令嬢、なのだけど……。
(これが物凄く雑な描写なのよね)
ヒロインを少しいじめたという罪を着せられるのだけど、それにしては罰が重すぎる上、そもそも、本当にルビーがしでかした罪なのかも怪しいと、ファンの間で噂される始末のいわくつきの描写。
第一、ルビーは辺境伯令嬢とはとても思えない、はっきり言って地味な令嬢なのだ。
紅色の瞳が見えないほどの分厚い眼鏡にそれを隠してしまうほどの亜麻色の長い前髪に加え、後ろ髪は三つ編みと、見た目からして予測出来るように性格も大人しい。
そんな彼女がヒロインをいじめて何のメリットがあるというのだろうかと、私も疑問に思っていた。
(そうして実際、“ルビー・エイミス”に転生してしまったわけだけど)
もう一度視線を落とせば、変わらず散乱している小瓶。
「……やはり、彼女がこの先ヒロインをいじめるとは考えにくいわね」
幸い、まだゲームは始まっていない。
というのも、ゲームが始まるのはヒロインが覚醒してからなのだ。
(今私は二年生で、ヒロインは三年生になる直前で覚醒……光属性の力が目覚め、それにより三年生で編入して来て私と同じクラスになる)
つまりゲームが始まるまで、後半年ほどの猶予がある。
そして、私が転生したと分かった今やるべきこと。それは。
「彼女のストレスの根源を全て排除し、居心地を良くする!」
ルビーが自殺を選んだということは、耐えきれないほどの相当な負荷や重圧が彼女にのしかかったということ。
(もちろん追放エンドもごめんだけど、今は目先のこと……、周りの生活環境から整えていかないと)
特にゲームをプレイしていた時からこの世界は違和感がありすぎた。
ありすぎて、あまりの理不尽さにブチギレてゲーム機を放り投げることもしばしば。
(だけど、私が転生してきたからには許さないわ)
決意を込めて立ち上がれば、毒を飲んだとは思えないほど身体が軽い。
前世病弱だった自分と比べれば、ルビーの身体が健康なことは一目瞭然だ。
「文字通り、私は生まれ変わった。
これからはルビー・エイミスとして、第二の人生を歩むわよ!」
私は誰にも負けない。他人にも、己にも、絶対に。
そう決意を新たに、ぼんやりと浮かび上がる月を、まるで睨みつけるかのように見据えた。