その89 鏡の中の『私』、それは願望(前)
■その89 鏡の中の『私』、それは願望(前) ■
やっぱり、入るんじゃなかった・・・
主は後悔してます。
お昼をお腹いっぱい食べて、エネルギーチャージした双子君達の勢いに押されて、その小さな手で両手を掴まれて引っぱり込まれた空間です。
初めての空間に興奮した双子君達は、少し進むと主の手をパッと放して、奥へと進んでしまいました。
主はすぐに、折りたたみ傘の僕を取り出して、ギュって抱きしめました。
キラキラキラキラ・・・光源が何処か分かりませんが、主の周りは反射された光が出口を失って、踊り狂っているようです。
前後左右上下・・・どこを向いても、主が居ます。
キラキラ輝く鏡の世界。
心臓の鼓動が早くなっていくのを、主は実感しています。
呼吸が浅く速く、僕を抱きしめている指先が、冷たく痺れていくのを感じます。
「大丈夫、大丈夫・・・
三鷹さん達、直ぐに追いつくから・・・大丈夫。
カエルちゃん、いるから大丈夫」
僕が人間だったら・・・
小さな声で自分に言い聞かせて、落ち着こうとしている主を助けてあげられるんですけど・・・三鷹さん、早く来てください!
自分1人しかいないのに、目の前に、横に、後ろに・・・寸分違わない、まったく同じ姿形をした自分が要る。
ここには自分しかいないのに、自分ばかりなのに、今にもどこかの鏡の隅からあの黒い影がにゅうっと・・・
光が見えなくなって、視界が自分でいっぱいになって、こめかみに流れ込む血液の音が頭に響いて・・・
「桜雨・・・」
「はぁっ!!」
後ろから三鷹さんに肩を掴まれて、主はビックリして反射的に大きく息を吸い込みました。
「はぁはぁはぁ・・・三鷹さん」
体内に空気が流れ込んで、視界が戻りました。
三鷹さんの姿を確認して安心すると、色をなくした肌に、一気に汗が吹き出しました。
僕を抱きしめている手が、大きく震えています。
「どうした?
気分が悪いか?」
「三鷹さん・・・三鷹さん、三鷹さん・・・」
怖い夢を見た子供のように、主は泣きながら三鷹さんに抱き着きました。
僕は、主と三鷹さんでサンドイッチにされました。
「桜雨、大丈夫だ。
どこにもいかないから」
様子のおかしい主を抱きしめて、激しく泣きじゃくるその背中を、ゆっくりゆっくりと撫でてくれました。
大きな大きな手で。
「桜雨、どうしたの?」
「大丈夫か?」
追いついた桃華ちゃん、梅吉さん、笠原先生が、心配そうに声をかけました。
「桜雨・・・」
桃華ちゃんは心配で心配で、そっと主の肩に手を置きました。
「桃ちゃん・・・」
しゃくり上げて、肩を上下させながら、主は桃華ちゃんを振り返りました。
「大丈夫?」
「・・・うん」
主の右手が、ギュッと三鷹さんのパーカーを握りしめました。
「うん・・・
鏡・・・鏡が怖くて・・・
龍虎、先に行っちゃって・・・
でも、カエルちゃんがいてくれたし、三鷹さん来てくれたから」
良かったです。
僕、少しはお役に立っていたみたいです。
まぁ、三鷹さんには負けますけれど。
「龍虎、先に行ったの?」
梅吉さん、聞きながら主の首で脈をとったり、呼吸の様子を見たりしています。
「うん」
「じゃぁ、二人は俺が追うからね。
三鷹、頼んだ」
最後に主の頭を優しく撫でて、双子君達を追いかけて進んで行きました。
「驚かしちゃって、ごめんね、桃ちゃん。
落ち着いてきたから、もう大丈夫。
龍虎が心配するから、先に行ってて」
弱弱しくですけど、主は下がり気味の目尻を下げて、桃華ちゃんに笑いかけました。
主の心臓の音も呼吸も、だいぶ落ち着いたみたいです。
「・・・後で、ソフトクリーム食べようね」
そう言って、桃華ちゃんは後ろ髪を引かれつつも、笠原先生と先に進みました。




