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その53 鏡の中の『私』2

■その53 鏡の中の『私』2■


その人影は、鏡の中にできた鏡の段差をピョンピョンと飛び越え、どんどん近づいてきました。

廊下はどんどん暗くなっていくのに、その人影はハッキリと見えます。


『私も、カッコいい彼氏が欲しいなぁ・・・』


その人影の顔が見えそうになった時、不意に鏡の中から声が聞こえました。


『白川先輩みたいに、可愛くなりたいなぁ・・・

先輩、可愛いの、ズルいなぁ・・・

水島先生、私も好きなんだけどなぁ・・・

絵も上手で、ズルいなぁ・・・

ズルいなぁ・・・』


人影の顔は黒くて、口だけが大きく赤く笑っています。

その声は、坂本さんの声で、顔の半分が坂本さんの顔にグニャリと変わりました。


「いや・・・

違う・・・

私・・・」


坂本さんはカタカタ震えながら、座り込みました。


『画力はあるのよ、私。

指導してくれる先生が力不足だから、私の力を生かしきれないじゃない。

この前のコンテストに落ちたのも、指導力がないせいだわ』


鏡の中の人影は、更に近づいてきます。

今度は、牧田さんの声で、顔の半分が坂本さんのものから、牧田さんの顔に変わりました。


「違うわ・・・」


『違わないわ。

だって私、絵の天才だもの。

白川先輩がチヤホヤされるの、正直言って分からないわ』


「そんなこと・・・」


牧田さんもズルズルと座り込んでしまいました。

顔色は、蒼白です。


『そうよね。

絵も上手で、家庭的で、可愛くって、モテモテの白川先輩は、ズルいわ。

一つぐらい、私にくれてもいいのに。

指の一本でも・・・』


鏡中の坂本さんの声が、更に近くなりました。

主は、鏡の中からの威圧感で固まったまま、その影を見ています。

見せられています。

顔の半分がグニャグニャと、坂本さんと牧田さんのと順番に入れ替わっています。

影の口は少しづつ大きくなり、赤色も濃くなっていきます。

まるで、皮膚の表面を切って出てきた血が、どんどん傷口を深くして、どす黒くなっていくように・・・


「思ってない・・・

思ってない・・・」


坂本さんは、両耳を押さえて首を振っています。


『でも、可愛いよね、白川先輩。

私も、可愛くなりたいわ。

髪を食べたら、白川先輩の髪になるわ。

手を食べたら、あんな絵が描けるわ。

肌を食べたら、スベスベの肌が手に入るわ。

目を食べたら、大きくてキラキラした目になるわ』


鏡の中からの声は、牧田さんと坂本さんの声になりました。

バネ仕掛けの人形みたいに、牧田さんと坂本さんはギチギチと主を見上げました。

主は激しい喉の渇きを覚えました。

動けません。


怖い・・・

逃げたい・・・


でも、動けないんです。

暗いし、音もない・・・

まるで、さっき覗いた鏡の奥のようです。


『白川先輩を全部食べたら、きっと白川先輩になれるわ』


主の足に、坂本さんの手がかかりました。


『白川先輩になれたら、カッコいい彼氏だって出来るし、絵のコンテストにも入賞出来るわ』


主の腕を、牧田さんが掴みました。


『食べちゃおうよ・・・』


主の足を坂本さんが、腕を牧田さんが物凄い力で引っ張ります。

さっき、鏡を運んでいる時に泣き言を言っていたのは嘘かと思うぐらい、強い力です。

主は痛くて痛くて、足や腕がちぎれそうなぐらい痛いのに、悲鳴を上げることも出来ません。

喉から出るのは、ヒュ・・・と言った、呼吸音だけです。

乾いた喉に、二人の空いた手がかかりました。


「ぎゃっ!」


その時、主の腕にぶら下がっていた僕が牧田さんの体で跳ね上げられて、牧田さんの顔に思いっきり当たりました。

牧田さんは相当痛かったのか、坂本さんを巻き込んで倒れ込みました。


「ゴホゴホ・・・たす・・・」


主は乾いてくっついた喉を何とか開けようと声を出しながら、手提げ袋を握りしめました。


カエルちゃん・・・

三鷹さん!!


主は、僕の存在に気が付いて、急いで手提げ袋から僕を取り出しました。


『早く・・・食べなきゃ』


鏡の中から、急かす声がします。

主は呼吸も整わないのに、僕を胸元に握りしめました。


『それとも、私が食べようか・・・』


鏡の中の顔のない人影が、姿見の縁に黒い手をかけた瞬間・・・


「やっ!!!」


主は僕のお尻で、その人影を鏡の中に押し込もうと、思いっきり姿見の鏡を突きました。


バリバリバリバリバリバリ・・・・・


雷が落ちたような音が、当たりに響き渡りました。

姿見のガラス部分は粉々に砕け落ち、後輩さん達も主も呆然と座ったまま動けませんでした。


「あら~、どうしちゃったの?

重かったら、呼んでくれれば手伝ったのに。

怪我してない?

今、お片付けセットと、他の先生も呼んでくるから、動いちゃ駄目よ」


音が聞こえたんでしょうか?

下から上がってきた三島先生が、ビックリして慌てて戻って行きました。

気が付けば、夕日が窓から差し込んでいます。

階段の電気もついていました。


「先輩・・・」

「二人とも、怪我、無い?」

「はい・・・

先輩・・・

あの・・・」


罰が悪そうな後輩さん達に、主は真っ白な顔のまま、ニッコリ微笑みました。


「とんだ、ひと夏の経験だったね。

帰りに、美味しいモノ、食べて帰ろうね」


後輩さん達は、ごめんなさいって呟きながら、大きく頷きました。


「あらあら、どこか怪我しちゃった?

ゆっくり立てる?」

「全身、ガラスだらけね。

ここからだったら、教員のシャワー室近いから、浴びてから帰りなさい」


数人の先生を連れて、三島先生が戻って来てくれました。

先生たちは掃除をしながら、主達の通路を確保してくれました。


「割ったの、この姿見だけ?」


姿見の枠と、キャスターだけが残っていました。


「壁の鏡も、割れていませんか?」


そう言った主と、壁を見た後輩さん達は再び固まりました。


「あら?

うちの学校、踊り場に鏡を置いてあるところは、ないわよ」


壁に、鏡なんてありません。

そこにあるのは、薄汚れたオフホワイトのコンクリートの壁です。

鏡があった形跡すら、ありません。


「それにしても、この姿見だけにしては、ガラスの量が多すぎるわねぇ」


先生のその一言に、主は僕をギュギュっと握って、手提げ袋からスマホを取り出しました。

LINE電話を掛けながら、主は落ち着こうとしています。


「あ、三鷹さん・・・ごめんなさい、お迎えを・・・」


通話になった瞬間、主は途中まで早口でお願いして気が付きました。


ざざざざざざ・・・


雑音が酷くて、声が聞こえません。

こんなにひどい雑音は初めてで・・・


「もしもし・・・」


不安が掻き立てられて、泣きそうになった瞬間、雑音がピタリと止まりました。

そして、ザラザラとした男性とも女性とも、若いのか年寄なのかもわからない声が、主の耳の飛びこんできました。


『食べたいなぁ・・・』


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