おまけの話90 敷かれたレールから外れて君と歩く道31
■おまけの話90 敷かれたレールから外れて君と歩く道31■
久しぶりにお会いした奥様は、お体を患う前と同じとは言えなかったけれど、それでも凛とした雰囲気は取り戻していた。
重圧感のあるグレイの着物に、中央にドン! と手刺繍された八重咲の菊の帯は濃紺。
綺麗に結い上げた艶やかな黒髪、細い眉に、さらに肉付きが薄くなった頬。
お体を患って体重が戻っていないのか、肉付きが戻っていないせいで更に目鼻立ちがハッキリとしていた。
それでも、キリッとした瞳に宿る厳しさは昔と変わらず、最後にお会いした時の様な異様さは持っていなかった。
「息災でしたか?」
客間の一番奥、大きな円卓の上座に座る奥様。
私達を気遣ってくださる声も、しっかりとしていた。
「… はい」
けれど、私や勇一さんの脳裏には、幽霊の様に髪を振り乱して叫ぶ奥様がこびりついている。
短く返事をするので精一杯だった。
「人手がない中で、よくこれだけ屋敷を保ってくれましたね。
もっと荒れていると思っていたのですが、想像していたより綺麗に保たれていたので、女中達も仕事が早く済むと喜んでいました。
学業との両立もあり、大変だったでしょう」
「… いえ、それほどでも」
奥様の横にはチヨさん。
私達の後ろにはタカさん。
広い客間の中に、たったの5人。
なのに、奥様の圧がいつもより凄くて、とても息苦しかった。
「学業については、担任の先生から伺いました。
こちらも、よく頑張りましたね。
進学ではなく就職で進路を決めたのよね」
奥様がそう言うと、隣に立っていたチヨさんが、困ったような表情で十数冊の写真の束をテーブルに置いた。
「ミヨ、お見合い写真よ。
好きな殿方を選びなさい」
ギュッと、勇一さんが握った手に力を込めた。
「奥様、私はまだ16になったばかりです。
それに、学校には就職希望といいましたけれど、それはお屋敷で働く…」
「貴女は『東条家の女中』です。
今までの女中達やチヨやサヨがしてきたように、貴女も『東条』の為に嫁ぐのが筋。
自身の身上を考えれば、尚更でしょう」
奥様は私の言葉を遮って、強くハッキリと言った。
「勇一、貴方にも縁談です。
お相手は皆さん、東条の長男と釣り合いの取れている家柄ばかりです。
後は、自分の好きな方を選びなさい」
奥様がそう言うと、チヨさんがまたお見合い写真をテーブルに出した。
今度は、私の倍の量。
「… あの時、勇一様に『東条家に必要ない』とおっしゃったではないですか!
なぜ今更…」
沸々と、怒りが湧いてきたのを覚えている。
「私が必要としていたのは『東条グループを統一する者・それを引き継げる者』よ。
勇一は、その資格を失ったわ。
それは今でも変わらない。
けれど、『東条グループの為に』なら、まだ利用価値はあると気が付いたのよ。
本人も、若隠居しているよりずっといいでしょう?
もちろん、修二の分も用意しているわ。
勇一も修二も『神事』には強いようだから、お相手は坂本の家系の者が多くなっているわ」
言いたいことは、沢山あった。
勇一さんや修二君の気持ちを、どれだけ傷ついてどれだけ頑張って来たのか、叫びたかった。
けれど、感情が大きくなり過ぎて、言葉は我先にと開いた口の内側で押し合って出てこなかった。
「お断りします」
そんな私の代わりに声を出したのは、勇一さんだった。
いつもの様に静かに、けれどハッキリと。
「俺とミヨは離れない。
それが貴女の意図するものでないのなら、『東条』を捨てる。
俺は『東条』の人間である事より、ミヨが居なくなる方が生きていくことは出来ない」
迷いがない言葉は、私の中にグルグル渦巻いていた怒りをスッ… と納めてくれた。
今まで、幾度となく意思表示はあったけれど、こうしてハッキリと言葉にされると…
嬉しいを通り越して、すんご~く嬉しい!!
「2人とも、身分の差を、置かれている立場を考えなさい。
生活はどうするのです?
ミヨの実家への仕送りは?
これから、みえるお客様達は、貴方達のお見合いのお相手です。
数時間のお話しで、その人となりが分かるとは思っていませんが、そんな時間でもないよりはマシでしょう。
… 一晩、頭を冷やしてきちんと考えなさい」
奥様は淡々と言った。
それは事務的ではなかったけれど、だからこそ余計に冷たく感じた。
「ミヨ」
私の肩を叩いて名前を呼んだのは、タカさんだった。
「お客様の前に立つのに、その姿ではいけません。
私が準備を手伝います」
「勇一様は私が」
勇一様の隣に、チヨさんが立った。
「ミヨ『立場をわきまえなさい』」
きっと、この時にはもう勇一さんの中で決めていたんだと思う。
タカさんのいつもの一言に、勇一さんは私と繋いでいた手をスッ… と放した。
思わず勇一さんを見た私の顔は、どんな表情をしていたのだろう?
勇一さんは小さく、とても小さく頷いて、チヨさんに促されて部屋を出て行ってしまった。
「勇一様…」
「勇一様は東条のご子息、貴方は下女中。
身分の違いを考えれば、立場もわきまえることが自然と出来るでしょうに」
不安げに勇一さんの名前を呟いた私に、タカさんはチクチク言いながら客間のドアを開けた。




