おまけの話79 敷かれたレールから外れて君と歩く道20
■おまけの話79 敷かれたレールから外れて君と歩く道20■
あんなにも、強く引っ張られたことはなかった。
お父さんはいつも優しく、修二さんは強く引っ張っても私の顔色を見て加減してくれていた。
けれど、トヨちゃんは強く強く引っ張るだけ。
細い背中しか見えない。
「トヨちゃん、ちょっと待って」
壁も床も幅の狭い階段も、全部真っ黒に汚れたコンクリート。
階段や床は、トヨちゃん以外の大きな足跡もたくさんあって、けれど踏み出す度に埃が舞い上がって、喉や鼻や目を刺激した。
床や階段の隅にはゴミの塊や、虫の死骸が固まっていて、蜘蛛の巣も上に下にたくさん。
小さな虫が行き交う手すりには絶対触りたくなくて、転びそうになりながらも、何とかトヨちゃんのスピードについていった。
右手はポケットに入れて、カエルの鈴を握りしめた。
「トヨちゃん、トヨちゃん」
無言でグイグイ引っ張って行くトヨちゃんが怖くて、少しスピードを落として欲しくて、トヨちゃんの名前を呼ぶけれど、トヨちゃんは少しも変わらない。
「待って、トヨちゃん」
巫女神様の言うことを聞かなかったのは自分だ。
自分が悪いんだから、自分で何とかしなきゃ。
『悪いもの』は、怖がってると面白がって余計に寄ってくるって、コ―ジさんが言ってた。
修二君みたいに、強い態度でいなきゃ!
ギュ! と、ポケットの中のカエルの鈴を握りしめて、気持ちを奮い立たせた。
階段を昇って、左右に鉄のドア。
クルッと後ろを向いて、階段を上がって小さな踊り場で方向転換。
少し上がって、左右に鉄のドア。
そんな事を、何階分したんだろう?
小さな踊り場は私の頭の高さから上がぽっかりと空いていて、登りながら空が見える。
どんよりした、今にも雨が降り出しそうな雲でおおわれていた。
何かがおかしいと思った。
昇っても昇っても、階段がある。
外から見た時は、5〜6階だと思ったけど、とっくにそれ以上昇ってる。
足の疲れは、怖いだけじゃないはず。
「トヨちゃん、帰ろう!」
何階かはわからないけれど、左右のドアの真ん中で、思いっきりトヨちゃんの手を引っ張った。
「ついたよ」
トヨちゃんは、パッと私の手を放して振り返った。
今までとは違う、普通の笑顔。
ギギギギギ•••
その笑顔にホッとした瞬間、トヨちゃんは目の前のドア、右側の鉄のドアのドアノブを引いた。
錆びた音を立てて開くと、中から強い臭いが溢れだして来て、私は思わず鼻をつまんだ。
「あ、美和ちゃんのお父さん、タバコ吸ったりお酒呑んだりしないの?」
そんな私の腕を掴んで、玄関の中に引っ張り込むと、ガチャン… とドアを閉めてしまった。
狭い玄関の向こうには、キッチンらしき部屋がみえた。
「中に、お兄ちゃん達居るんだけどさ、みんなタバコたくさん吸うし、お酒もいっぱい飲むから、臭いんだよね~。
オツマミも、生臭いモノが多いんだよ~。
窓開けよう、窓」
まるで自分の家の様に、トヨちゃんは玄関で靴を脱いで奥へと進んで行った。
… 靴のまま上がってもいいんじゃないかな?
そう思うぐらい、床は汚れている。
埃はもちろん、何かを引きずったかのような液体の跡がそこら中にあるし、まだ乾いていない液だまりもある。
今まさに、キッチンのテーブルには、上から液体が流れ落ちていた。
「… 不味いもの、食べたんですか?」
思わず、聞いてしまった。
私の方を向いて、キッチンテーブルに座っているその人は、右手にスプーンを持て、口を大きく開けて、何かを吐き出していた。
それは、どんどんテーブルに広がって、ポタポタと床に零れ落ちた。
鼻や目は、真っ黒な長い髪で覆われていて見えない。
「美和ちゃん、こっちだよ」
キッチンの奥の部屋から出て来たトヨちゃんは、その人やキッチンテーブルを通過して、私を迎えに来た。
… キッチンテーブルも、幻だったんだ。
ちょっとビックリした私を、トヨちゃんは家の中に引っ張って行った。
吐いている人の横を通る時、見るつもりはなかったんだけれど、その人の横顔に視線が動いた。
『お腹… 空いたぁ…』
口は何かを吐いているままなんだけれど、『声』は頭に響いてきた。
そっか、お腹が空いているんだ。
何か、美味しいモノがあればいいんだけれど…
見渡しても、そんな物があるはずもなかった。
「お兄ちゃん、連れて来たよ~」
それよりも、もっと印象が強かったのは、奥の部屋でドン! と胡坐をかいて、カップのお酒を呑んでいる男の人だった。
あ~、眉毛がない。
それが、第一印象だった。




