おまけの話72 敷かれたレールから外れて君と歩く道13
■おまけの話72 敷かれたレールから外れて君と歩く道13■
私と勇一さんの周りだけ、空気がフワフワしていたと思う。
その空気を破ったのは、マリさんの大声だった。
「ミヨちゃ~ん、お腹空いたぁー。
温かい物が飲みたい、食べた~い!!」
「はーい、只今」
マリさんが何しに来たのか分からないけれど、早く行かないと、キッチンが大変なことになるのは目に見えて明らか。
勇一様の防寒具を抱えたまま、キッチンに急ごうとしたら体がふわっと浮いた。
「ゆ、勇一様、私、自分の足で歩けます」
軽々と私をお姫様抱っこした勇一さんは、何も言わずにスタスタとキッチンへと向かった。
下から見上げるシャープな顎のラインや林檎の様に赤くなっている頬に、少し伸びたお髭やカサついた肌を見つけて、ちょっと嬉しかった。
「無理です!
今夜は我慢しますけど、明日の朝一番に叩きだしますから!」
「ミヨちゃ~ん、お腹空いたってばー。
あ~、勇一様に抱っこされて、赤ちゃんみたい」
勇一さんに抱きかかえられたままキッチンに入ると、サヨさんが見たことも無い剣幕で立ち上がったまま電話を切った。
受話器を叩き落とした、と言う方があっている気がする。
その横で、マリさんはコートとマフラーを付けたまま椅子に座って、テーブルの上のお煎餅をバリボリ食べていた。
マフラーに食べかすが落ちていく…
「勇一様、お帰りなさいませ。
ミヨちゃん、どうかしたの?
あ、スリッパね」
肩を激しく揺らしながら、勇一さんと私を見たサヨさん。
勇一さんが私の足先をサヨさんの方に向けると、サヨさんはすぐに替えのスリッパを持って来てくれた。
「勇一様、ありがとうございます。
マリさん、すぐにお夕飯の準備しますから、もう少し待ってください」
勇一さんの心つかいにお礼を言って、防寒具を片付けに行こうとしたら…
「ミヨちゃん、相変わらず動きが悪いんだから~」
「はぁ?!
ミヨちゃんはアンタの100万倍も動いているわよ!
ってか、訪問の約束も無しにこんな時間に来るなんて、非常識もいいところよ!!」
新しいお煎餅をバリボリ食べながら言うマリさんに、サヨさんが目を吊り上げて怒鳴った。
私としては、マリさんの頭の中に『常識』という文字は入っていないだろうと思っている。
「ひど~い。
せっかく来てあげたのにぃ… あら、何かいっぱい落ちてる」
足元に広がる紙類に気が付いたマリさんは、それらを拾おうと窮屈そうに体を丸めた。
「邪魔!!」
見事にまんまるになったマリさんの背中を、サヨさんは前に押す。
「きゃぁ~」
まぁ、それだけ丸かったら、転がるよね。
と言うぐらい、マリさんの体は見事に一回転。
もう一回転しそうな勢いだったけれど、テーブルの足にぶつかって止まった。
「サヨさん、酷いわ~… 高校?」
打った背中をさすりながら、マリさんは手にしていたプリントを見た。
「あ、それ、私のです。
さっき、玄関のベルが鳴ったから、慌ててカバン落としちゃって」
拾おうとしても、両手には勇一さんの防寒具…
代わりに、勇一さんとサヨさんが拾ってくれた。
「すみません、勇一様、サヨさん…」
勇一さんに膝をつかせているのに恐縮していたら、いつの間にかマリさんは椅子に座りなおしてプリントを眺めていた。
「へー、ミヨちゃんはお勉強できるんだ。
どの高校行くの?」
「私一人で決められる事じゃないんで。
仕舞ってきますね」
両手に抱えていた防寒具を少し持ち上げて、キッチンを出た。
お屋敷のお仕事とか、受験費や授業料とか、交通費… 色々自分の中で考えをまとめてから勇一様にプリントを出そうと思っていたんだけどな…
収納スぺースに勇一さんのマフラーやコートを片付けながら、勇一さんのシャープな顎のラインや林檎の様に赤くなっている頬に、少し伸びたお髭やカサついた肌を思い出して、そっとコートを羽織ってみた。
勇一さんのコートは当たり前だけれどブカブカで、微かに勇一さんの温もりが残っているような気がして、両腕で自分を抱きしめてみた。
勇一さんの珈琲混じりの香りがフワッと鼻先をくすぐって、幸せな気分だった。




