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その4 桜雨の初恋

■その4 桜雨の初恋■


皆さんこんにちは、僕は傘の『カエル』です。

 今日は、(おう)()ちゃんが僕の主になった日のお話しです。


 それは、桜雨ちゃんが一か月後に小学校2年生への進級を控えたある日の夕方でした。

2年生の桜雨ちゃんは、同学年のお友達の中でも小さくて痩せていて、真っ赤なランドセルがとても大きく見えていました。

薄く入れた紅茶色の猫っ毛も背中まであって、いつもハーフアップにまとめて、薄いピンクのフワフワしたリボンを付けていました。

この頃の桜雨ちゃんには、まだ弟達が生れていなくて、お手伝いのお買い物も、いつも従姉妹の桃華ちゃんや、中学生の梅吉さんが絶対に一緒でした。

でもこの日、桜雨ちゃんは初めて一人で買い物に出ました。

それは、桃華ちゃんの誕生日プレゼントを内緒で買うためです。

桃華ちゃんに内緒なので、梅吉さんに桃華の足止めを頼んで、初めて一人で買い物に行くことにしたのです。


 プレゼントは、キラキラ輝く表紙の『かぐや姫』。

以前、本屋さんで見かけたその絵本は、表紙に描かれた『かぐや姫』がとても綺麗で、桜雨ちゃんには桃華ちゃんに見えていました。

だから、お小遣いを溜めて、桃華ちゃんへプレゼントしたかったのです。


 本屋さんは商店街の中心にある駅の隣。

小学校から帰ると、一年分のお小遣いと、お手伝いで稼いだお駄賃が入った財布を首から下げて両手で握りしめて、桜雨ちゃんは10分程かけて本屋に急ぎました。

桃華ちゃんの足止めを梅吉さんに頼んだけれど、桃華ちゃんは感が良いので、いつ気づくか分からないからと、桜雨ちゃんはすごく急ぎました。

それは、今にも雨が振り出しそうな天気なのに、傘を持って出るのを忘れる程でした。


「『かぐや姫』・・・どこ行っちゃったのかな?」


そんなに急いだのに、目当ての絵本が以前見た場所になくて、弾む呼吸を整えながら、桜雨ちゃんは絵本コーナーを一生懸命探しました。


「あった!」


ようやく見つけた絵本は、本棚の上の方に、数冊の絵本と一緒に表紙が見えるように飾られていました。

キラキラ輝く表紙に描かれている『かぐや姫』は、見上げている桜雨ちゃんに、優しく美しく微笑みかけています。

見つけてホッとしたのも束の間でした。

桜雨ちゃんの身長ではどんなに頑張って背伸びをしても、絵本にはかすりもしなかったんです。


「いつもなら、梅お兄ちゃんが取ってくれるんだけど・・・」


辺りを見渡しても、図書館のような踏み台もないし、人影もありません。

困った桜雨ちゃんは、何とか届かないかと、何度もジャンプをしました。

髪やリボン、スカートの裾ばかりが忙しそうに上下します。

けれどそのジャンプは、平置きにされている本に当たらないようにと気を付けているせいもあって、背伸びするよりはマシな程度でした。

 幾度目かのジャンプの後で、絵本がスッと棚から取られて、桜雨ちゃんの手に渡されました。

目を瞑ってジャンプしていた桜雨ちゃんは、その感触に驚いて目を開けましたが、取ってくれた人の後ろ姿しか見えませんでした。

髪は少し硬そうな、黒のベリーショート。

細身の白の学ラン姿で、袖口には細い青の3本線。

運動部なのでしょうか?黒いスニーカーを履いていて、中学生にしては、少し高めの身長でした。


「梅お兄ちゃんと、同じ制服・・・

あ、あの、ありがとうございます」


桜雨ちゃんは慌ててお礼をすると、その人は本棚の影に隠れてしまいました。


「ありがとうございます」


それでも、桜雨ちゃんは絵本を大事に抱きしめて、もう一度お礼をしました。

桜雨ちゃんはレジでお金を払って、綺麗な包装紙で包まれるのをワクワクしながら見つめ、リボンはピンクでお願いしました。

そして、本屋の自動ドアが開いて、桜雨ちゃんは泣きそうになってしまいました。

数センチ張り出したテントの向こう側で、雨が激しく降っていました。


「桃ちゃんのプレゼント、濡れちゃう・・・」


せっかく優しいお兄さんに取ってもらって、お店の人に綺麗にラッピングしてもらって、リボンまでつけてもらったのに、このままでは雨に濡れて台無しになってしまいます。

プレゼントとすぐにわからないよう、手提げ付きのビニール袋に入れてもらったけれど、この雨では家までは持たないと、桜雨ちゃんにも分かりました。

桜雨ちゃんは後ろから出てくるお客さんに押されてテントの下まで出ると、そのまま雨の下に押し出されないようにと、左側に逃げました。

けれど、雑誌の棚があるせいで、運動靴のつま先が濡れ始めました。


「そうだ、服の中・・・

リボンがグチャグチャになっちゃうかぁ・・・」


どうしよう・・・。


目じりの下がった焦げ茶色の瞳をジワリと涙でにじませて、空を見上げた桜雨ちゃん。

すると、視界が黒で覆われました。


「・・・傘?」


それが傘だと気づくのに、少しだけ時間がかかりました。

誰かが桜雨ちゃんに、折りたたみ傘を開いて差しだしてくれていました。

顔は傘で見えなかったけれど、傘の柄を持つ腕は白い学ランで、袖には青の細いラインが3本。

白いズボンと黒のスニーカーは、すっかり濡れていました。


「あ、あの・・・」


戸惑う桜雨ちゃんに、声は答えませんでした。

代わりに、傘が押し付けられました。

桜雨ちゃんは思わず傘を受け取ると、顔を見ようと傘を上げたけれど、また後ろ姿。

しかもその人は、激しい雨の中を走って行ってしまいました。


「ありがとうございます!」


それは、桜雨ちゃんが今まで出したことのない大きな声でした。

本を取ってもらったから、桃ちゃんにプレゼントが買えた。

傘を貸してくれたから、プレゼントが濡れない。

・・・どんな人なのだろう?

風邪、ひいちゃわないかな?

梅お兄ちゃんと同じ制服だった・・・お兄ちゃん、知ってるかな?

でも、顔が見えなかった。


ちゃんと、お顔を見て、お礼が言いたいな。

そうだ、親指の付け根に、小さなホクロがあった。

覚えておかなきゃ。


そんな事を思いながら、桜雨ちゃんは濡れないように絵本を抱きしめて、借りた傘をさして雨の中を歩きました。

歩いていたら、胸がキュウっと痛いことに気が付いたけれど・・・


「桜雨!」


玄関の前で、長靴を履き、しっかりカッパを着て傘を差した桃華ちゃんに叫ばれて、桜雨ちゃんは家に着いた事に気が付きました。

桃華ちゃんの後ろで、梅吉さんが申し訳なさそうに両手を顔の前で合わせています。


「いつの間にか居ないし、桜雨の傘、傘立てにあったから、今から探しに行こうと・・・どうしたの?なんか、嫌な事あった?誰かに、何かされた?」

「え?」


桃華ちゃんの剣幕に驚いた桜雨ちゃんは、キョトンと桃華を見つめました。


「だって桜雨・・・泣いてるよ?」


言われるまで、桜雨ちゃんは自分が泣いていることに気が付きませんでした。


「あれ・・・

あ、違うの。

嫌な事じゃなくって、嬉しかったの。

凄く、嬉しかったの」


泣いている事には気が付いたけれど、キュウっとした胸の痛みは分かりませんでした。


「親切にしてくれたお兄さんがね・・・

この傘・・・」

「傘、貸してくれた人がいて良かった。

あれ?この傘可愛いね」


泣いてる桜雨ちゃんの涙を、桃華ちゃんはハンカチで優しく拭いてくれました。


「はら、ここにカエルのシール」


そうです。

僕の『カエル』を見つけてくれたのは、桃華ちゃんでした。


「桃ちゃん、私ね、この傘を貸してくれた人に会いたいの。

会って、ちゃんとお礼が言いたいの」

「そうだね・・・」


泣き止んだ桜雨ちゃんは、目をキラキラさせて、まだ心配そうな桃華ちゃんに言いました。


「だから私ね、中学校お受験する!」

「え?!」


すっごく驚いても、可愛い顔は可愛いです。


「助けてくれた人ね、梅お兄ちゃんと同じ制服着てたの。

青い線が3本入ってたし。

私も梅お兄ちゃんと同じ中学校に入って、その人探すの!」


桜雨ちゃんはとっても良い事を思いついた!って、目どころか、顔全体をキラキラさせました。

そんな桜雨ちゃんとは逆に、桃華ちゃんは冷静そのもので、梅吉さんはそんな二人を遠巻きに見ていました。


「・・・分かった!

私も中学校お受験する!」


中高一貫の学校に、どれだけの人数が・・・

その前に、私達が中学校に入学する時には、梅吉兄さんはとっくに卒業・・・

まぁ、桜雨が嬉しそうだから、いいか。

私立なら、変な人も少ないだろうし。

今から勉強頑張れば、落ちることもないだろうし。


なんて、桃華ちゃんは咄嗟に頭の中を整理して、ニッコリ笑って同意しました。


「「梅お兄ちゃん、お願い」」


そして、桜雨ちゃんと桃華ちゃんは、そんな会話を聞きながら戸惑っていた梅吉さんを見つめて、可愛くお願いしました。

計ったように、息はピッタリ。

そんな可愛い妹達に可愛くお願いされて、梅吉さんがNOと言えるはずがありません。

こうして、桜雨ちゃんと桃華ちゃんのお受験が始まりました。

そして、桜雨ちゃんは僕の主となったのです。



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