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おまけの話59 勇一と美世10・恋か愛か依存か5

■おまけの話59 勇一と美世10・恋か愛か依存か5■


 一日の終わりにする勉強はちょっと大変だけれど、勇一さんが優しく教えてくれるし、何より邪魔の入らないこの時間が大切だった。

 声も出さない、表情も変わらない勇一さんだけれど、ちょっとした仕草や雰囲気で、大まかなことは理解できた。

他の人は、サッパリ分からないみたいだけれど。

 そんな勇一さんが、たまに私の座椅子になってくれる時がある。

胡座をかいて、真ん中に私を座らせて…

以前は私も小さかったから重さも高さもそんなに邪魔になっていなかったと思うけれど、春が来たら中学生になるこの頃は、体重も高さもそれなりになっていたから、邪魔だったはず。

けれど、勇一さんは自ら私を手招きして、座椅子になってくれた。

 サヨさんとコージさんの結婚話を聞いた夜も、そうだった。


「あ、そう言えばさ、ちょっと小耳にしたのだけどさ… 最近、本社の各派閥が表立って争い始めたらしいよ」


 コージさんが一冊の本を持って、勇一さんのベッドに寝っ転がりながら言った。

勇一さんという座椅子に座って昨日の問題の直しをやり始めた時で、サヨさんは私の珈琲を飲みながら私の教科書を眺めていた。


「派閥争いですか…

このお屋敷でお客様や会社の方々をお迎えしていた頃は、表立った派閥争いは無かったらしいですよ。

なぜか、タカさんが自分の事の様に鼻高々に自慢してましたっけ。

奥様が、上手く納めていたんでしょうね~」

「あの人は、『東条の母』だからね。

確かに、『目』は行き届いていたね」


 奥様がお屋敷に居てお元気だった頃、お客様はひっきりなしにお屋敷にいらっしゃっていて、それが取引先の方なのか、東条グループの方なのか私には全然わからなかった。

そもそも、お客様の接客に付いていたのは、上女中のタカさん達だったから。

下女中の私達は下働き。

と、私は修二君が暴れない様に見張ってもいた。

その頃の勇一さんは、奥様と一緒にお客様のお相手をしていた。

次の当主として。

その姿がとても凛々しくて素敵だったけれど、弓のお稽古の時や勉強を見てくれる時とは少し違っていて、ちょっと私との距離を感じていた。

身分を考えれば当たり前なのだけれど、幼い私にはそれが寂しかった。


「…派閥争い、勇一様や修二様は巻き込まれちゃったりするんですかね?

ドラマみたいに」


 サヨさんが、少しワクワクした声で聞く。


「シュウジは初めから『東条』にはカウントされていないよ。

されているなら、否が応でも勇一が卒業した寄宿学校にいれてたよ」

「今、一美様が入っているところですよね?」

「そうそう。

小中とあの学校で学問の基礎や上流階級の所作をびっちり叩き込んで、卒業後は一流の高校で今まで身に着けた学力と自分の『武器』となる得意分野に磨きをかけて、さらに大学でそれらを確固たるものとする!

道は、決められてるのさ」


 昨日の直しを終えて、今日の分の問題を始めたけれど… そんな話が聞こえちゃっているから、集中出来ないでいた。


 私には、そんなお勉強だけの人生は無理だなぁ…

私も修二様と一緒で、木登りしたり虫の観察したり、家事をやったり… 今の生活の方が性に合っているな。

でも、勇一様は大学受験まではそんなお勉強の人生だったんだ… 凄いはずだよねぇ


 そんな事を思いながら計算していると、勇一さんの指がトントンと問題集を鳴らした。

「集中しなさい」の合図だ。


「は~い。

でも勇一様、それだけお勉強したのなら、お勉強教えるのが私や修二様や美和ちゃんだけって、勿体無いです。

小さな塾の先生とか、やってみたらどうです?

勇一様の教え方、学校の先生より分かりやすいから、生徒は喜ぶと思いますよ」


 勇一さんが心を病んでしまった時、お医者様には「とにかく休息を」と言われた。

あれから、もう少しで3年。

私と一緒なら、お買い物と弓道場には出るようになったけれど、基本はお屋敷で本を読むか弓のお稽古をしている毎日…。

矢を射る時以外でも、以前の様に凛とした勇一さんが恋しかった。


「ミヨちゃん、それは…」


 勇一さんの代わりに、サヨさんが口を開いた瞬間だった。

トントン!! と、勇一さんの指がさっきよりも強く、問題集を鳴らした。


「あ、ごめんなさい」


大人の会話に、口をはさむなんて…

しかも、『立場』をわきまえていなかった。

余計な事を言って、勇一さんを怒らせちゃった…。

どうしよう…


 慌てて問題に向き直ったけれど、勇一さんを怒らせてしまったと思った私は、問題を解くどころではなかった。

体が強張って、涙が出そうだった。


「ミヨちゃん、食器は私が洗っておくから、ゆっくりお勉強しててね。

失礼しました」


 サヨさんが、そそくさと3人分の珈琲カップをお盆に乗せて立ち上がった。


「俺、今夜は修二と寝る~」


 コージさんもベッドから体を起こして、サヨさんと肩を並べてお部屋から出て行こうとした。


「あ、そうそう、ユウイチ…」


 何を思い出したのか、コージさんは勇一さんに短く耳打ちして、お部屋から出て行った。


「さっきも言いましたけれど、修二様が寝ているのは女中部屋ですから、コージさんは武さんと一緒に下男部屋で寝てくださいよ」

「武さんが嫌って言うんじゃないけどさ~、せっかくなら可愛い女の子達に囲まれて寝たいなぁ~」

「冗談じゃないですよ…」


 2人のそんな話声が、だんだんと遠のいて行った。

 シィン… と、お部屋が静かになると、ぐっとこらえていた涙が出そうになった。

すると、勇一さんは静かに問題集を閉じて、私の手から優しく鉛筆を取り上げてちゃぶ台に置いた。

そして、私の体をクルっと15度程回転させて、赤ちゃんを抱っこするように優しく抱きしめて、ゆっくりと背中をトントンとしてくれた。


 凛とはしていないけれど、とっても優しい瞳で私を見てくれている。


ああ、良かった。

勇一様、怒ってない•••


 右耳から流れ込んでくる勇一さんの心臓の音と、背中をトントンしてくれるリズムは同じで、私はすぐに安心して眠くなってしまって、顔の右半分を勇一さんの胸に埋めていた。

赤ちゃんの様に。


 不意に、眠気に負けて閉じてしまった瞼の下を、勇一さんの指がなぞった。

堪えていた涙が、零れたのだろう。

そのまま頬を撫でられて、完全に私は夢の中へ…


 歌声が聞こえた。


 大好きな匂いと、大好きな体温と、逞しい腕に包まれて、いつの間にか心地よい微睡みの中•••

聞こえる歌は、行き付けのコーヒー屋さんでよく流れているレコードの曲。

外国の言葉で歌われるそれは、友達との内緒話より小さくて、とても落ち着いた男の人の声。

髪を梳いてくれる大きな手も、温かくて優しくて気持ちがいい。

言葉の意味はわからないけれど、この声は聞き覚えがある。

ずっと、ずっと待っていた声…。



 サヨさんとコージさんの、結婚のお話を聞いた日から一週間後…

授業を終えた放課後、この日は『中学校に進学するにあたっての説明会』。


 私は6年生の保護者に混ざって、底冷えする体育館に居た。

私の他にも、保護者と一緒に参加する6年生の姿が数人見える。

その子達のランドセルと一緒に、私のランドセルも体育館の入り口に置いて、どうすればいいのかと辺りを見渡す。

体育館の半分を、きちんと並べられたパイプ椅子が埋めていて、保護者の人達は適当に座り始めていたので、私も目立たない様に一番後ろの端っこの椅子に…


「… 勇一様、何でここ(学校)に居らっしゃるんですか?」


 スーツ姿の勇一さんを見つけた。


 目当ての椅子に向かったら、そこには少し伸びた髪を後ろに流して、きちっとスーツを着た勇一さんが座っていた。


「プリント?」


 無言のまま、勇一さんは胸ポケットからA4サイズのザラザラしたわら半紙を出した。

『中学校に進学するにあたって』と見出しのあるそれに、私はとても見覚えがあった。


「あ、サヨさんですね!」


 確か、旦那様に出すからと、サヨさんが受け取っていたはず。

思い出している私に、勇一さんは立ち上がって自分のコートをかけてくれた。

そして、今まで勇一さんが座っていた椅子に私を座らせた。


「勇一様、ありがとうございます」


 勇一さんが隣に座ったタイミングでお礼を言うと、勇一さんはニッコリ微笑んでくれた。


「コートも椅子もそうなんですけれど… あの、今日この説明会に来てくれて、ありがとうございます」


 旦那様の代理でも、聞きに来てくれたのが嬉しかった。

この頃の私は、学校の事は自分がしっかりしなきゃ!て、ずっと思ってずっと頑張って来たつもりだったから、勇一さんが説明会に来てくれたことが


「独りじゃないよ」


て、寄り添ってくれた気がして、とても嬉しかった。


 勇一さんがかけてくれたコートはとっても大きくて、温かくて、勇一さんの匂いで溢れていて… 説明の3割は頭に入っていなかった。

けれど、周りのお母さん達は、私以上に頭に入っていなかったと思う。

チラチラチラチラ… 勇一さんを見ていたから。



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