おまけの話48 修二と美和4・家族の形3
■おまけの話48 修二と美和4・家族の形3■
赤いランドセルを始めて背負ったのは、一年生の秋。
入学式の少し前に入院して、退院できたのが梅雨に入ってから。
入院していたから、夏に向かっていく気候の中で体力の心配もあったし、夏休みが目前になっていたので無理をしなくても… と、2学期からの登校になった。
だから、この年の夏はお父さんの希望もあって、入院中にお友達になった修二さんのお屋敷でお世話になっていた。
小学校6年生の美世さんは、少し下がった目元が私のお母さんに似ているお姉さん。
手足も身長もスラッとしていて、手先もすっごく器用。
お屋敷の管理責任者は、ショートカットの癖っ毛がキュートなサヨさん。
とってもお洒落でお話し好きで、美世さんが学校に行っている時も、色々教えてくれた。
力仕事や大工仕事は、下男の武さんがやってくれていた。
お父さんよりずっと年上で『おじいちゃん』の年齢だったのに、足腰がしっかりしていてご飯もたくさん食べていた。
女中のナツさんは、私と入れ替わりに遠くの町にお嫁に行ってしまった。
武さんより若い2人の下男さんも、お仕事を辞めてお屋敷から居なくなってしまった。
「美和ちゃんが来てくれて、本当に助かるわ」
事あるごとに、サヨさんはそう言ってくれた。
たいした仕事なんか出来ないのに、むしろ何も知らない私に、家事を1から教えないといけないから足手まといでしかないのに、時にしみじみと、時に歌うように… サヨさんはいつも私を傍に置いてくれていた。
「でも、私、知らない事ばかりで…」
そして、何も出来ない事を気にする私に、美世さんがいつも言ってくれた事。
「居てくれるだけで、本当に大助かり。
美和ちゃんが居てくれるとね、修二さんがちゃんと帰って来てくれるんだもの。
1年生の時は、私が探しに行って連れ帰って来てたり、お巡りさんに連れて来られたり、お腹が空いたら帰って来たりしていんだけれどね。
… あの日からは、帰って来なくなっちゃって」
この頃の私には、美世さんが言う『あの日』を知らなかった。
けれど、私が居ることで修二さんがちゃんと帰って来るのならと、少しは私もお役に立ててるんだと、嬉しかった。
お屋敷はとても大きくて、和室も洋室もとても高価な物も何でもあって、お掃除の仕方を覚えるのは大変だったけれど、
「どうせ誰も来ないんだから、慌てなくていいのよ。
1つ1つ、美和ちゃんのペースで覚えていいんだからね」
と、サヨさんも美世さんもゆっくり優しく教えてくれた。
ご飯の作り方も教えてくれて、たまに、皆で豪華な客室でお客様の食器を使って食べたこともあった。
ご飯はいつも通りのものだけれど。
「テーブルマナーもお勉強しなくっちゃね」
そんな時、一番嬉しそうなのはサヨさん。
白い上等なテーブルクロスをかけた円卓に、6人揃っての食事。
見惚れてしまう程、流れるように綺麗なマナーはもちろん勇一さん。
サヨさんは程々。
美世さんはサヨさんに教えてもらいながら。
一番マナーが悪いのは、やっぱり修二さん。
椅子に座る姿勢から良くない。
ナイフとフォークもお箸の様に使うから上手く切れないし、お口より大きなお肉やお魚を頬張るからソースや肉汁が周りに飛び散る。
「修二様、手先が器用なんだから、ナイフとフォークの使い方マスターしたら、お箸より楽ちんですよ」
「修二様、ミヨとどっちが先に上手に出来るようになるか、競争しましょうか?」
サヨさんも美世さんも、頭ごなしに怒るようなことは無かった。
今思えば、楽しく食事をする雰囲気を壊したくなかったのと、修二さんを『テーブルから立たせない』ことを最重要点としていたのだと分かる。
そんな修二さんに一番効果的だった言葉は…
「修二様、美和ちゃんに『お手本』を見せてあげなくちゃ」
この一言だった。
この言葉をサヨさんや美世さんが口にすると、修二さんはハッ! として、人が変わったように大人しくなって、勇一さんの食事をする姿を一生懸命マネしていた。
そうそう、武さんは最初からお箸。
ご飯を作る時は、旬の食べ物を教えてくれた。
「『トマト』はカロリー低いけれど、栄養豊富な緑黄色野菜なのよ。
美肌効果や風邪の予防に役立つビタミンC、老化を抑制するビタミンE、塩分の排出を助けるカリウム、腸内環境を整える食物繊維がバランスよく含まれているの。
で、トマトの赤はリコピンって言う栄養素なんだけれど、このリコピン! 老化やガンを予防するのに効果的なんですって!
でも、生ではあまり効果的に体に吸収できないから、ケチャップや缶のトマトみたいな加工された物や、スープやパスタにするのが効果的よ。
あと、食べすぎると体を冷やしすぎたり、消化が悪くなったり、お腹を壊したりするから程々にね。
まぁ、何事も程々が一番いいのよ」
トマトについて教えてもらった日。
この日のお夕飯は『ナスとトマトのチーズ焼き』だった。
サヨさんはお口も良く動くけれど、手も良く動いた。
もちろん、私も包丁を握ってフンフンと聞きながらお料理をする。
一生懸命聞いて、一生懸命お料理をしていると、いつの間にか修二さんがソソソソ~っと隣に立っていて、ちゃっかり『味見』と称したツマミ食いをして行った。
お父さんやお母さんは、お仕事が無い日や空き時間を作って会いに来てくれた。
それは朝だったり、昼間だったり、夜だったり… サヨさん達が
「時間は気にしないでください。
来れる時に、いつでも来てください」
と言ってくれたから。
そして、来てくれた時には、私と同じ事をしていた。
一緒にお掃除をしたり、修二さんとも一緒に遊んだり、お勉強を一緒にしてくれたのはお母さんでお父さんは隣で寝ていた。
もちろん、お料理も一緒。
皆でご飯を食べて、大きなお風呂に一緒に入った日もあった。
嬉しくて楽しくて… その分、帰ってしまう時は寂しくて悲しかった。
そんな日は、必ず修二さんが一緒に寝てくれた。
いつもは女中部屋で、サヨさんと美世さんに挟まれて寝ているのだけれど、修二さんは私とサヨさんの間に入り込んで来た。
そして必ず、手を繋いでくれた。
私はその小さな手の感触と体温を、とても嬉しく思っていた。
簾・葦簀・い草のござやスリッパ・風鈴・うちわ・打ち水・行水盥での行水や水遊び…
流し素麺・甘酒・ところてん・水羊羹・わらび餅・麩まんじゅう…
朝顔・ひまわり・鬼灯…
夏の過ごし方や楽しみ方、食べて涼む食事や冷やし過ぎない様にする食事… サヨさん、美世さん、武さんは多くの事を教えてくれた。
私の体調や理解度に合わせて、ゆっくり丁寧に。
それは大人になった今でも勿論役に立っているけれど、それより何より、次の年の夏にはとってもとぉ~っても感謝しながら自分の家で実践していた。
この年の冬に妹が産まれて、私は『お姉ちゃん』になったから。




