おまけの話47 修二と美和4・家族の形2
■おまけの話47 修二と美和4・家族の形2■
幼い頃の記憶は色々あるけれど、未だに衝撃的なのは
『東条のお屋敷の門前で、お父さんが土下座』
をしていた事。
遊びに来ていた私は、その光景を門の影からサヨさんと一緒に見ていた。
梅雨明けを告げる雷が、雲一つない夜空を縦横無尽に駆け巡っていた日だった。
門の前に立っているのは、浴衣姿の勇一さんと美世さん。
お父さんは作業着のまま、勇一さんに土下座をしていた。
「白川さん、お話しなら中で…」
美世さんが、オロオロしながらお父さんの顔を上げようと腕を引っ張っているけれど、岩のような体はビクともしない。
「俺は、このお屋敷の敷居を跨ぐことは出来ねぇ。
跨ぐ権利はねぇ。
どの面下げてと、自分でも思ってる。
けれど…」
お父さんは雨上がりの濡れた地面に付けていたオデコを上げた。
「あの子は俺達夫婦の宝物なんだ。
体が弱いのに、貧乏だからいい病院にも見せてやれることが出来ねぇ。
俺や母親に『学』がないから、美和にまっとうな事を教えてやることが出来ねぇ。
でも、ここなら、美和が生きていくのに必要な事が勉強できる。
少しの間で構わねぇ! いや、少しでいいです。
あの子に、生活の知恵を教えてやってください」
美世さんはどうしていいのか分からずに勇一さんを振り返ったけれど、勇一さんはジッとお父さんを見たまま口を開かない。
雷だけがピカピカゴロゴロと騒がしい。
「白川さん、このお屋敷は今…」
「いいんじゃない?」
美世さんが申し訳なさそうに話し出した時、門の影で私と一緒に様子を見ていたサヨさんが出て行った。
「でも、サヨさん…」
「どうせ、一族の誰もこのお屋敷の事なんて気にしてないんだから。
白川さん、私達もそんなたいした頭無いわよ?」
サヨさんは心配する美世さんに手をヒラヒラさせて、お父さんの目の前にしゃがみ込んだ。
首をかしげて聞くサヨさんに、お父さんはウンウン頷きながら言った。
「退院した日みたいに、季節ごとにやった方がいい事とか、体にいい食べ物とか、そういう事を教えてやって欲しいんだ。
俺も母親もそう言ったことに疎いし、そもそも仕事仕事で一緒に居てやれる時間が短い。
美和が家に戻っても、一人っきりでいる時間が可哀そうで可哀そうで…」
体が弱かった私は、退院して家にいる時も殆どお布団の中。
お母さんとお父さんと一緒に過ごす時間はあるけれど、それでもやっぱり一人の時間が多かった。
一人の時は、図書館で借りた図鑑や絵本を読んだり、ラジオを聞いたり、大奮発して買ってくれたお人形と遊んだりしていた。
こんな日のように、雷が酷かったり嵐の日は、お布団の中でお人形を抱きしめていた。
「勇一様、これはミヨの我儘です」
美世さんが勇一さんを振り返った。
何も言わない勇一さんに、美世さんはペコリとお辞儀をして、サヨさんの様にお父さんの前にしゃがみ込んだ。
「美和ちゃん、お預かりします。
私達で教えられる事、一生懸命教えます。
その代わり、白川さんも美和ちゃんのお母さんも、お屋敷に遊びに来てください。
お泊りも大歓迎です」
「それは…」
「たとえ短い時間でも、お父さんやお母さんと一緒に居られるのが一番嬉しいんです!
以前の事を申し訳ない、敷居が高いと言うなら、裏口からどうぞ。
美和ちゃんが宝物なら、一緒に過ごす時間も宝物でしょう?」
お父さんの涙を、初めて見た。
美世さんの言葉に頷きながら静かに涙を流すお父さんの肩をポンポンと叩いて、サヨさんがいつもの調子で言った。
「ま、女中の手も足りなかったから、丁度いいのよ」
という事で、雷が鳴り響くこの日、私も『東条のお屋敷の女中さん』になることになった。
と言っても、正式な事ではないし、東条の奥様や旦那様にお話しを通すこともしなかったので、『修二様のお友達の下宿人』としての肩書だった。
それでも、美世さんのお下がりの制服を着れて、一緒にお掃除やお料理が出来るのは楽しかった。




