その37 いつでも思うのは・・・(剣道部合宿4)
■その37 いつでも思うのは・・・■
火よりも、煙と熱さが邪魔をします。
道着は被った水なのか、三鷹さんの汗なのか、どちらで濡れているか分かりません。
煙に向かって進んでいくので、顔面の中で唯一出ている目が、総攻撃を受けています。
火が回っていないといっても、この煙では時間との勝負です。
煙は増えるし、温度は上がっているし、聞いた事のない嫌な音があちらこちらから聞こえています。
「三木本、佐伯、小島、中本・・・どこだ?!」
たまに声を上げては、耳を澄まします。
「・・・すけ・・・」
何回目かの問いかけで、微かに声が返ってきました。
「何処だ?!!」
「ここ・・・」
「たす・・・」
直ぐ近く、壁の向こうから聞こえました。
「頭、護っておけ!」
言うが早いか、三鷹さんは持っていた消火器で、木の壁を数回殴りつけました。
壁が音を立てて崩れると、三鷹さんに向かって、火が噴き出してきました。
数センチ先に、2人の姿が確認できました。
「息、止めてろ!!!」
迷わず、2人の周りに消火器を噴射します。
周りにも噴射して1本使い切ると、素早く2人を引きずり出しました。
道着の胸元に入れておいたペットボトルの水を、2人の顔に掛けます。
「あと2人は?」
「タバコを買いに・・・」
「火が出る前に、宿を出ているんだな?」
三鷹さんの問い掛けに、2人は何とか頷きました。
「よし、出るぞ。
立てるか?」
1人は立ち上がりましたが、もう一人は座り込んだままです。
「すみません・・・足が・・・」
そう言った瞬間、三鷹さんはその生徒の顔に手拭いを巻いて、自分の道着の上を被せました。
「5分あれば、出れるはずだ。
危ないと思ったら、レバーを引け」
そして、立ち上がった生徒に頭に巻いていたタオルと、残りの消火器を持たせました。
足を怪我した生徒をオンブして、三鷹さんは外を目指して進み始めました。
火が追ってきます。
でも、その進みは思ったより遅く、その代わりに、煙が3人を襲います。
生徒達は、三鷹さんから渡されたタオルや手拭いで口と鼻を覆っていますが、三鷹さんは何もないです。
肌を守っていた道着も生徒にかけてしまったので、チラチラと舞う火の粉が、剥き出しの上半身にダイレクトに落ちてきます。
熱くないはずはないんですが、それよりも頭がくらくら、意識がボーっとし始め、三鷹さんはしきりに頭を振り始めました。
背負った重さと、隣で必死に逃げる生徒の姿が、三鷹さんの意識を繋ぎ止めています。
けれど、呼吸もままならなくなって、三鷹さんの膝はガックリと床につきました。
「先生、これ!」
足元がふらついた三鷹さんの口と鼻に、後ろから手拭いが押し当てられました。
オンブしていた生徒が、両手で当ててくれたようです。
煤まみれの、酸欠で震える指先が、手拭いを触ります。
手拭いを確かめるように指でなぞると、感覚がなくなり始めた指先が、太い糸の集まりに触れました。
・・・怪我しませんように。
・・・無事に帰ってきますように。
それは、桜雨ちゃんがワタシに込めてくれた祈りです。
そうです!
ここで止まっちゃ、ダメなんですよ!
立って!
立って、三鷹さん!
きっと、出口はもう少しなはずだから!!
そんなワタシの声が聞こえたのか、桜雨ちゃんを思ってか、三鷹さんはもう一度立ち上がりました。
生徒をオンブしたまま。
オンブされている生徒は、手拭いを三鷹さんの顔に当てたまま、無事に脱出できるよう、願い続けていました。
現実が幻か、数メートル先に、人影が見えました。
自力で歩いていた生徒が、最後の力を振り絞って、駆けだしました。
誰かが何かを言っているようですが、三鷹さんはただ、前に進むことだけしか頭にありません。
・・・三鷹さん、気を付けてくださいね。
・・・ご馳走用意して、帰りを待ってますね。
合宿に出発する日、送り出してくれた桜雨ちゃんの笑顔が、三鷹さんの目の前に浮かびました。
「・・・桜雨・・・」
呟いた瞬間、三鷹さんに勢いよく水がかけられました。
何回も何回も・・・
その勢いに押されて、三鷹さんは再び座り込みました。
2人の男の人が三鷹さんを、背中の生徒を1人の男の人が、引きずられるようにして、宿の外に出しました。
「先生!」
「水島先生!!」
呼ぶ声は、近いようで、遠くから聞こえます。
かすむ視界には、青い空に、舞い上がる火の粉がチラチラと、黒い煙がもうもうと。
息苦しさも忘れて、痺れて機能低下していく頭で考えるのは・・・
桜雨・・・
桜雨ちゃんの笑顔でした。




