おまけの話30 勇一と美世7・恋心4
■おまけの話30 勇一と美世7・恋心4■
二度寝なんてしたのは、いつぶりだっただろう。
スッポリ包んでくれる体温と、夢で迷子にならない様に抱き留めてくれている逞しい腕。
心地良い微睡みは、年末の疲れと睡眠不足をしっかりと解消してくれた。
二回目の目覚ましは修二君の奇声で、夜中に降り積もった雪に2階の勇一さんのお部屋からダイブした声だったこと。
子犬の様に雪まみれになって走り回っていた修二君を回収したのは、寝巻姿のままの勇一さんだった。
そんな勇一さんの額には『王』の漢字。
私の額には『花』の漢字。
私と勇一さんが寝ている間に修二君が書いたようで、得意気に笑って言った。
「女は、花を貰うのが嬉しいんだろう?だから、ミヨは『花』。
兄ちゃんは、大人になったら東条の王様になるから『王』。
学校で習ったんだ。
上手く書けただろ?」
修二君にとっては、悪戯ではなかったらしい。
お世辞にも綺麗とは言えない字は、油性のマジックで大きく書かれていて落とすのに一苦労した。
サヨさんがお化粧落としを貸して手伝ってくれた。
「修二様の書初めね」
と笑いながら。
その後の朝食は、いつになく楽しかった。
いつもは絶対にない事だけれど、この日の朝食は勇一さんと修二君も皆と食べた。
女中や下男さん達に混ざって、私達のお部屋で。
皆で大きなちゃぶ台を囲んで、私達や下男さん達用の質素なお節とお酒を楽しんだ。
修二君は下男さん達に囲まれて、いつもみたいに食事のマナーを逐一注意されないで済んだから、終始機嫌がよく、いつも以上に食べていた。
勇一さんは、私の隣でいつもの様に黙々と食べていたけれど、やっぱりいつも以上に食は進んでいた。
50歳を目前にした今でも、楽しかったり嬉しかったりすると食が進んでいるから、この時も機嫌は良かったのだと思う。
表情に出さないのも変わらない。
後にも先にも、そんな事はこの時だけだったから、とてもよく覚えているし、皆が事あるごとに口にした言葉も覚えている。
『奥様やタカさんが居たら、絶対できない事!』
■
お昼は過ぎていたと思う。
ほろ酔いの下男の武さん達や、余所行きにお化粧をしたサヨさん達と初詣にも行った。
勇一さんと修二君はきちんと着物姿で、私はお下がりのピンクのワンピースにコールテン生地の赤いコート。
お正月だからと、サヨさんが髪を編み込んで、ナツさんがピンクの口紅を塗ってくれた。
「… ミヨ、絶対に俺と兄ちゃんから放れるなよ」
赤いコートを着てお洒落をすると誘拐される。
と、修二君の中に刷り込まれたらしい。
私の左隣で鼻息を荒くして、周りを威嚇するように歩く修二君はとても可愛かった。
右隣は勇一さん。
前を歩く武さん達や、すぐ後ろのサヨさん達ともお喋りを楽しみながら歩いた。
小道の端にポツンポツンと露店が現れ始めると、大通りが近い合図。
進むにつれて露店の数も増え、大通りに出る。
そこまで来ると、修二君は目を輝かせて飛んで行ってしまった。
慌てて武さん達、ほろ酔いの下男さん達が追いかけてくれた。
「挨拶をしてくる」
勇一さんは知り合いを見つけたのか、サヨさんに懐から懐紙に包んだ何かを渡して、人込みの中に消えて行った。
「じゃ~ん!
勇一様ったら、太っ腹ね~。
何食べる? 磯辺焼き? たこ焼き? たい焼き?」
サヨさんは懐紙を開けて、5千円札を取り出して見せてくれた。
私達も喜びながら人込みの中に入り、あっちの露店、こっちの露店と覗きまわった。
お店があり過ぎて、買いたいものがなかなか決まらなくって、人が多すぎて… 10分もしないうちに、私とサヨさんは皆とはぐれてしまった。
私は心細くなったけれど、サヨさんはあま気にしていないようで、変わらず周りの人にまぎれて露店を覗く。
「ミヨちゃん、勇一様の事どう思ってるの?」
バナナ、食べる?
と聞く口調で、不意にサヨさんが聞いてきた。
「あ、今朝の事… ごめんなさい、立場をわきまえないで。
夜、勇一様にお勉強を見てもらっているうちに、寝ちゃったみたいで…」
サヨさんは、人込みを上手く歩けない私の手を取って、なるべく人の少ない所を選んで歩き始めてくれた。
「あ、そんなことは、私、気にしてないから大丈夫よ。
タカさんじゃあるまいし。
私はミヨちゃんが勇一様をどう思っているのか、興味があるだけよ」
確かに、サヨさんの顔は少しワクワクしている。
「どう…?」
「お兄さんみたいとか、お父さんみたいとか…
本当は苦手とか、好きとか…」
首を傾げた私に、サヨさんがどんな感じ?と追い込む様に聞いてくる。
「修二様は、弟みたいです。
実家の弟の方が、聞き分けがいいですけど」
「修二様じゃなくて、勇一様よ、勇一様」
分からなかった。
「兄さんや父さんとも違うと思うんですよね…
苦手じゃないです。
色々な事を教えてくださるし、私なんかに良くもしてくださるし… 何でしょう?」
勇一さんは、いつも私を護ってくれていた。
「勇一様の事を考えると、ここがドキドキしたり、キュッと痛くなったりしないの?」
言いながら、サヨさんは自分の左胸を軽く握った手でトントンとした。




