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おまけの話11 勇一と美世3・小さな女中さんのささやかな楽しみ4

■おまけの話11 勇一と美世3・小さな女中さんのささやかな楽しみ4■


 お夕飯の片付けの最後は、竈の灰掃除。

炭は下男の武さんが片付けをしてくれるので、私は冷めた灰を竈から描き出して囲炉裏に入れるだけ。

小さな手は竈の隅まで手が届くから、目に見えて綺麗になるのが楽しかった。

 これが終わると、お風呂に入れる。


「ミヨちゃん、まだお掃除?」


 竈の前に屈んで灰をかき出している私の背中に、眠そうな声がかかった。

3日前に入った、下女中のマリさんだ。


「これを片付けたら、お風呂入ります」

「… よく働くね。

ミヨちゃん小さいのに、寝るのは一番最後じゃない?

小学校の2年生だったっけ?

それなのに、私より起きるの早いよね」


 マリさんは、女中の中で起きるのが一番遅い。

初日から、タカさんに怒られていた。


「美味しいご飯を炊くのが私のお仕事ですし、竈は私の持ち場ですもん」


 自分の持ち場は、自分で綺麗にするのがお屋敷の決まり事。

 灰を入れた塵取りを手に振り向くと、キッチンの椅子に座っているマリさんと目が合った。

お風呂上がりのようで、縦にも横にも大きな体を真っ白なネグリジェに包んでいる。

長い髪は、大きなリボンのついたナイトキャップの中。

11月も終わりの時期だから、湯冷めが心配だった。


「うん、ミヨちゃんの炊いてくれるご飯は、美味しいわ~」


 マリさんは笑うと、たっぷりついた頬肉が盛り上がって、目が線になる。


「ありがとうございます」

「それ、どこに持っていくの?

ゴミ箱?」


 土間からキッチンに上がると、マリさんが塵取りの中を覗いた。


「捨てませんよ。

灰は、ワラビやゼンマイのアク抜きに使ったり、野菜の肥料に撒いたりするんです。

けれど、どれも少量でいいので、毎日の処理は火鉢と囲炉裏に入れます。

入れておけば、武さんが『灰ならし』をしておいてくれるんですよ」

「灰ならし?」


 マリさんは小首を傾げたんだろうけれど、首が見えない。


「灰に模様を描いて、美しく整えることです。

模様を描いて、囲炉裏や火鉢の火元の清浄を保つことが第一の目的なんですって。

囲炉裏や火鉢に装飾性を持たせて、お客様をお迎えするんです。

って、私も教えてもらいました」


 キッチンを出る前に、椅子に掛けて置いた上着を羽織る。

キッチンはまだほのかに温かいけれど、ドアを開けると一気に冷気が体を包み込むから。


「囲炉裏?

囲炉裏のある部屋なんて、あったかしら?」

「西のお部屋ですよ。

奥様のお部屋のすぐ近くです。

火鉢も一緒に置いてありますよ」


 キッチンから、少し歩かなきゃいけないのが難点。

灰取りようの塵取りは大きいけれど、それでも走ったり強い風が吹いたら、灰が舞ってしまうから。

廊下の電気はついている。

私が戻りながら消す事になっていた。


「私も行く~」

「寒いですよ?」


 私の後ろにピッタリ立ったマリさんに言う。


「大丈夫よ。

私、体温高いから」


湯冷めも心配だけれど、その恰好で歩き回っても大丈夫?

女中仲間はともかく、奥様や旦那様とお会いしたら、怒られるんじゃないかな?


 そんな心配をよそに、マリさんは私お尻をポンポンと押した。

マリさんを従えるようにして、私は廊下を歩き始めた。

自分で「体温が高い」と言うだけあって背中はいつもより暖かで、いつもは感じない圧も感じていた。


「マリさん、少しは慣れました?」


 マリさんは、奥様の親戚らしい。

高校を卒業してお勤めをしていたけれど、朝は起きられないし、お仕事が合わないし、先輩たちに虐められたからと、半年で辞めてしまったらしい。

お家でゆっくりし過ぎて、ご両親にお屋敷に奉公に出されたとか…


「お腹が空くし、見たいテレビも見れないし、掃除や洗濯したら手が荒れるし… 最悪よね。

あ、ミヨちゃんのご飯が美味しいのは嬉しいわ。

私のお母さんが炊くご飯より美味しい」


 奥様の親戚と聞いた時は、タカさん達と同じ行儀見習いの上女中さんだと思っていた。

なのに、私達と同じ下女中… その理由が今なら分かるが、この時の私には分からなかった。


「ミヨちゃんは、お家にいる時は、どんな番組が好きだった?」


 マリさんは夜のお屋敷が珍しいのか、周りをキョロキョロ見渡しながら歩く。


「私の家には『テレビ』はないですよ」

「え!無いの?!

どうやって生きて来たの?!

私は無理無理無理!!」


 私の返事に、マリさんが怯えた声を出した。


「私の家、田舎で貧しいんです。

1台のラジオが世界の情報源なんですよ。

でも、私達兄妹には大人向けの番組やニュースは難しいから、聞くのは子ども向けの歌でした。

たくさんラジオを聞けるのは雨が酷く降った日なんです。

外のお仕事ができないから、家の中で両親のお仕事を手伝いながら聞いていたんですけれど、そんな日は電波の入りが悪くて、ちゃんと聞こえないんですよ」


 雑音だらけの歌は、それでも幼い私達兄妹を楽しませてくれた。


「そっかぁ~、ミヨちゃんのお家、そんなに貧乏なんだね。

だから、売られちゃったんだ。

可哀そう」

「でも、ちゃんとご飯が食べられて、隙間風の入らないお家で生活できて、お布団んも温かいです。

何より、学校に行けてるんです。

家族と一緒じゃないのは寂しいですけれど、お屋敷の皆さんが助けてくれるから、私は幸せですよ」


 言い終わると同時に、目的のお部屋の前に着いた。

障子の前に半身になってしゃがんで、声をかける。


「ミヨです。

失礼します」


 障子を少し開けると、うっすらと光が漏れる。

続いて、温められた空気が流れ出てきた。


「勇一様、囲炉裏と火鉢の灰を足しに来ました。

入ってもいいですか?」


 さらに障子を開けると、囲炉裏の向こう側、火にあたりながら難しそうな顔で本を読んでいる勇一さんが見えた。

寝巻の浴衣の上に丹前を着て、胡坐をかいている姿は実年齢より少し上に見える。

その傍らには、読み終わったものなのか、これから読むものなのか… 十数冊の本がいつも置かれていた。


 たまに、この部屋で勇一様が夜更かしをすることがあった。

それがいつなのか分からないので、念のために声をかけてから開けるようにしていた。


「ミヨ」


 勇一さんは、本から目をあげることなく私の名前を呼んで、部屋の右隅を指さした。

私からは死角になっているけれど、何があるかは分かっている。


「はい」


 短く答えて、部屋に入る。

真っ先に、勇一さんが指さした場所に塵取りを持って行った。

そこにあるのは大きな蒼い火鉢で、花や鳥の絵が鮮やかに描かれている。


今夜は、どんな問題かな?


と思いながら、蒼い火鉢の中を覗き込んだ。


『この3日間でおぼえた かんじ で文をつくる』


 火鉢の中の灰に、綺麗な文字が書かれている。

勇一さんから私への問題だ。


 火鉢に塵取りの灰を継ぎ足して、勇一さんの隣に座る。

囲炉裏は大きいけれど、火は小さい。

この火が落ちたら、勇一さんは寝るつもりなのだろう。

少し身を乗り出して、囲炉裏の隅に刺さっている火箸を手にして灰に字を書き出した。


おさかなの頭は、おみそしるのダシにしました。

ゆういちさまの弓、すてきです。

クジつきのガム、当たりました。


「… うん」


 勇一さんは短く頷いて、私の頭にポンポンと手を置いた。

良く出来ました、の合図。

この合図が貰えるのが嬉しくて、勉強を頑張っている所もあった。


 書いた字は、上から塵取りの灰をかけてしまえば消えてしまう。

残らないけれど、何度でもかける所がいい。

灰を使えばノートが無くても勉強はできるから、竈から灰をかきだす前に、書き取りや計算練習をしていた。


「勇一様、お風邪ひかないでくださいね」

「… ん」


 塵取りの灰を全部入れて、きちんと座りなおして勇一さんにお辞儀をしてから部屋を出た。


「勇一様って、本当に喋らないわよね。

ミヨちゃん、よく意思疎通ができるわね」


 障子を閉めると、マリさんがコソコソと私に声をかけて来た。


「うん」


 マリさんには、火箸の灰に書かれた問題や、囲炉裏に書いた答えは見えていないから、そう思うのだろうとこの時は思っていたけれど… 今なら思う、マリさんの言葉に同意できる。

勇一さんは、昔から言葉数が少ないと。


 いつもの様に廊下の電気を消しながら、キッチンへ向かう。


「マリさん、そんな恰好でお屋敷の中を歩かないでください」


 キッチンまでもう少しという所で、まだ女中姿のタカさんに遭遇した。

案の定、タカさんはマリさんの格好にガミガミ言い始める。

小声で。

それを聞き流しながら、私は小さな欠伸をしながらガミガミが私まで飛び火する前にと、お風呂に向かった。


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