その250 恋する乙女の自己中
■その250 恋する乙女の自己中■
主が三鷹さんと下の喫茶店で絵を見ていた頃、東条家のキッチンではお風呂上がりの桃華ちゃんと笠原先生が、忘年会のお片付けをしていました。
坂本さん達は、明日もお仕事があるので、ほろ酔いの状態で帰りました。
両家の両親は、それぞれ仲良くお風呂タイム。
梅吉さんは三島先生におねだりされて、駅までお見送りに行きました。
リビングのツリーの近くでは、双子君達と和桜ちゃんと佐伯君が熟睡です。
「今学期の成績は、納得ですか?」
笠原先生、試験管を洗うような手つきで、汚れた食器を洗っていきます。
「出来すぎ。
私、こんなにお勉強できたんだって、驚いてるわ」
桃華ちゃんは、笠原先生の横で、折り畳みのイスに座ってホットミルクを飲んでいます。
フード付きのモフモフのパジャマに、モフモフの靴下がとっても暖かそうです。
「普段から、あんなに勉強ばかりの日々では、息が詰まるでしょう。
やれば出来ると分かって、良かったですね」
「・・・大学に入ったとしてよ?
今の勉強のペースを崩したら、落第しちゃわないか心配だわ」
笠原先生は、山のような汚れた食器を左から右へと洗い終わると、今度は手早くすすいでいきます。
「その危機感があれば、大丈夫ですよ」
「大森さんの不安、私も分かるな。
勉強していて、フッとした瞬間に数か月後には1人なんだって思ったら・・・怖くなる時があるの。
ずっと一緒だった桜雨と放れるのが、凄く怖いわ」
水切りカゴに少し食器が溜まり始めると、桃華ちゃんが布巾で丁寧に吹き上げ始めます。
「『案ずるより産むがやすし』ですよ。
どうしても一人が怖いのでしたら、付いて行きますよ?
大学でもどこでも」
笠原先生は、ジッと桃華ちゃんを見つめながらも、手元は止まっていません。
桃華ちゃんの方が、全身ストップしています。
「高校を卒業したら、独占していいんですよ?」
「・・・『先生』をしているうちは、独占できない事ぐらい、私だって分かるわ。
笠原先生は、生徒一人一人をちゃんと見てくれる先生ですもの」
桃華ちゃん、今日の教室でのことを思いだして、ちょっと唇を尖らせました。
「辞めればいい事ですよ?
二次で受験して、桃華と同じ大学に通いましょうか?」
笠原先生、大学生になるんですか?
「過保護すぎるのは、兄さんと水島先生だけで十分。
・・・嬉しいし、心強いけど。
でも、そんなに甘やかされたら、私、社会人としてやっていけないわ。
大学卒業したら、幼稚園か保育園の先生よ?
笠原先生は、小さい子の面倒をみるんですか?
高校生相手に、ネチネチ言いながら科学を教えている方が、お似合いですよ」
桃華ちゃんは、手元の食器を凝視しながら、手をセカセカ動かします。
「よく、お分かりで」
笠原先生はちょっと笑いました。
「この気持ちは、しょうがないんです」
「進学の不安ですか?」
「・・・それもそうだけど」
桃華ちゃんは、ちらっと笠原先生を見て、また少し、唇を尖らせました。
「先生を独占したい気持ち。
先生に、私だけを見ていて欲しい気持ち。
・・・でも、私は、『先生』をしている、よ・・・義人さんが好きだから」
桃華ちゃんの声はだんだん小さくなって、お顔もだんだん下を向いて、両手で持っていた大きなお皿に隠れた時には、お耳まで真っ赤でした。
「そうですか、それは確かに、しょうがないですね。
まぁ、教師としてこれ以上『特別扱い』は出来ませんが、義人としてならいくらでも『特別扱い』、出来ますよ」
最後のお皿の泡が流されて、キュッとお湯が止りました。
笠原先生は大きなお皿を持っている桃華ちゃんの手に、自分の手を重ねます。
「今からしますか?『特別扱い』」
桃華ちゃん、笠原先生の視線を感じて、お顔を上げることが出来ません。
「じゅ、受験生!
私、受験生ですから!!」
グっと、お皿を笠原先生の方に押し出すと、真っ赤なお顔のままチラッと笠原先生を見ました。
「では、受験が終わったら・・・
その時には、あの時の答えを聞かせてください。
あの指輪がはまっているのを、期待しますよ」
笠原先生は、桃華ちゃんの指先に軽く唇を付けると、乾いた布巾を取り出して、水切りカゴに溜まった食器を拭き始めました。
「・・・期待、しててください」
さらに真っ赤になりながら、桃華ちゃんは素直に頷きました。
そして、不安なのは、独占したいのは自分だけじゃなかったって思い出しました。
「ごめんなさい、私、自分の気持ちばかりしか考えていなかったわ」
「構いません。
それだけ、俺の事を思ってくれたのですから」
笠原先生、大人の余裕ですね。
「大丈夫ですよ。
桃華が高校卒業したら、俺の全部をあげますから」
桃華ちゃんは、まだお皿を持ったまま、お口を金魚の様にパクパクさせています。
自分でも、何を言っていいのか、どう返していいのか、分からないみたいです。
そんな桃華ちゃんに、笠原先生はモコモコのフードをスポッと被せました。
「そんな可愛い顔を見せられたら、卒業まで我慢できませんよ?」
「我慢して、先生」
さらっと言った笠原先生に帰って来た声は、カウンターの向こう側からでした。
「早かったですね」
「・・・狼と死神に、可愛い妹達が食われるんじゃないかって、心配でね」
悪びれる様子が微塵もない笠原先生に、梅吉さんはげんなりして答えました。
「心労、お察しします」
「・・・ありがとう、ございます」
笠原先生は、洗いたてのグラスに水を汲んで、カウンターに置きました。
梅吉さんは、苦々しい顔でその水を一気に飲み干すと、大きなため息をつきました。
「あ、桃華ちゃん・・・」
「寝る!
お休みなさい」
梅吉さんに名前を呼ばれた瞬間、桃華ちゃんは弾かれたようにキッチンから出て行ってしまいました。
もちろん、お皿は置いていきましたよ。
「か~さ~は~ら~・・・」
恨めしそうな梅吉さんを尻目に、笠原先生は何事もなかったかのように、布巾を梅吉さんに差し出しました。
「卒業までは、頑張って我慢しますよ。
聖職者なので」
「・・・そうしてくれよ、頼むから」
大きなため息をついて、差し出された布巾を受け取った梅吉さんは、キッチンに移動してお皿を拭き始めました。
笠原先生と並んで・・・
2人とも無言だったので、お風呂から出て来た修二さん達がビックリしていました。




