その227 喧嘩を売ってはいけない人
■その227 喧嘩を売ってはいけない人■
それは、梅吉さんが帰宅する数時間前。
主達がまだ、学校でお勉強していた時でした。
「田中さん、ごめんね。
受験しない私まで教えて貰っちゃって」
放課後の図書室です。
主は佐伯君の受験勉強に便乗して、欠席分の授業内容を教えてもらっています。
「いいのよ。
人に教えることも、勉強になるの。
自分がきちんと理解していたら、他人にきちんと教えることが出来るでしょう?
理解できていなければ、教え方もあやふやになる。
この時間は、自分がきちんと消化できているかの確認になるの。
勉強は、復習も肝心なのよ」
「ありがとう」
ハッキリ言って、田中さんの教え方は丁寧で、分かりやすいんです。
へなちょこな先生なんかより、よっぽど分かりやすい。
だから、入院中の分どころか、育児疲れでちゃんと聞いていなかった分も、教えてもらっています。
「受験しないし、就職決まってるなら、出席日数と問題起こさなきゃ卒業できるじゃん。
勉強しなくても、いいんじゃない?」
今日は、大森さんも参加です。
頭が疲れたのか、ミルクティーで糖分補給。
1リットルの紙パックに、長いストローをさして直飲みです。
「高校で教わることは、必要な事でしょう?
教わった事をどうするのかは、その人その人の今後の選択になるけど。
私がこれから付くお仕事に、どんな教科がどれだけ必要かは分からないけれど、ちゃんとお勉強をしていて損は無いでしょう?
まったく不必要じゃないだろうし」
「ふーん・・・お勉強できる人は、考え方が違うわね」
大森さんはズズズズズー・・・ってミルクティーを飲んだ後、クッキーを一枚。
「あら、私、成績は真ん中ぐらいよ。
桃ちゃんの方が、成績良いもの」
「良い子には、変わりないわよ」
言いながら、大森さんは主のお口に、クッキーを一枚押し込みました。
「あんまり頭使うと、また胸から痩せちゃうから」
ニヤって笑う大森さんに、主は小さなお口をモグモグさせながら、苦笑いです。
「本当、小暮先生ってば、こんな貧乳のどこが良いんだろう?」
不意に、主の後ろから、敵意剥き出しの声が投げつけられました。
田中さんは参考書から顔を上げて、主と大森さんは振りむきます。
佐伯君は、構わず問題集に集中。
「勉強だって、中ぐらいなんでしょう?」
「いいわよね、顔が良ければ庇ってもらえるんだから」
主みたいに小柄な子は、大きな胸を突き出すように腰に両手を当てています。
雰囲気が田中さんによく似た子は、主達を小馬鹿にしたように見下ろしてます。
そんな2人の真ん中に立っている子は、長い茶色の髪を可愛く編み込んで、お化粧もバッチリです。
「白川ッチ、友達?」
そんな3人を冷めた目で見ながら、大森さんは主に確認します。
主、お口の中にクッキーが入っているので、首を横に振って返事をしました。
「そうだよね、こんな低レベルの友達、いなかったよね」
「何よ、低レベルって!!」
鼻で笑った大森さんに、田中さんによく似た子が声を荒げました。
「抵レベルだから・・・」
「煩い」
大森さんの小馬鹿にしたような反撃を、田中さんの冷静な一言が遮りました。
「ここは、醜い感情をぶつけ合う場所じゃない。
勉強する場所よ。
静かに勉強が出来ないのなら、他の人に迷惑だから出て行って」
淡々とした口調が、とても怖いです。
「そ・・・そんなこと言ったって、この子のせいでトモちゃんが引っ越ししちゃったのよ!
この子が小暮先生にまで、色目使うから!!」
ああ、なるほど。
主を突き飛ばしてバスに撥ねさせた子の、お友達なんですね。
「うるせぇよ、女。
小暮?
アイツ、白川の従兄だろ?
それに、あの女、引っ越さなきゃ今頃殺されてるぜ、白川の親父に」
佐伯君は問題集から目を放さないで、片手でシッシと払う素振りをしながら、メチャクチャ不機嫌な声で言いました。
「え?従兄なの?」
「はぁ?
なに馬鹿な事言ってるの?
なんでトモちゃんが殺されなきゃいけないのよ!」
「殺されても文句言えない事、したからだろうが。
お前等の友達がやった事は、立派な殺人未遂だよ。
白川の親父が殺さなきゃ、水島先生がやるよ。
白川があの時死んでたらな」
佐伯君の言葉に少し怯えた声で返すと、さらに凄んだ声で追い打ちをかけます。
三人はタジタジしながら、顔を見合わせました。
そうなんです、修二さんと三鷹さんが殺人者にならない様に、主を押した子は引っ越しと転校をさせたんですよね。
犯人の子の処分はとってもスムーズで、主が意識を失っているうちに終わりました。
それもこれも、犯人の子の命を守るためです。
「喧嘩を売る時は、人を見て出方を変えるものよ。
あと、喧嘩を売っていい相手かどうかも、考えないとね」
言いながら、田中さんは図書室の出入り口を指さしました。
「・・・ふん、傷物の顔で、大好きな先生に嫌われなきゃいいわね」
苦々しく嫌味を言って、三人は主達に背中を向けて歩き始めました。
「三鷹さんは、顔の傷一つぐらいで気持ちを変えるような人じゃないのよ。
それに、たった一つの傷で、あの人と私の今までの時間は覆らないわ」
その声はいつもと変わらなく優しくて軟らかだけれど、揺るぎ無く真っすぐに、三人の女の子を打ちました。
女の子たちは振り返ることも無く、小走りに図書室を出ていきました。
「かっこい~」
「図書室」
大森さんが、茶化すようにピュゥーって口笛を吹くと、田中さんがピシャリと言いました。
「白川ッチ、言う時はビシッと言うよね」
「私の事をどう言われてもいいんだけれど、三鷹さんの事を言われるとね」
主、恥ずかしそうに顔の下半分を教科書で隠しました。
「・・・いや、マジであの時の修二さん、ヤバかったから。
あれを押さえる美和さん、マジ女神としか思えねぇから」
佐伯君、思い出して顔を真っ青にして、教科書を持ちながらガタガタ身震いまでしています。
修二さん、手術室から出て来た主を見た瞬間、顔つきが瞬時に変わったんですよ。
それはもう、悪魔としか・・・
病院の出口に向かおうとした修二さんを、すぐに止めたのは美和さんだったんですけれど、一緒に止めに入った佐伯君は一発殴られて、数メートル飛ばされて壁に頭を打ったんですよね。
「あ、ここに居たのね、白川さん」
そこに、美術部顧問の芳賀先生が来ました。
珍しく、慌てていますね。
「先生、どうしたんですか?」
「・・・あのね、その・・・いい報告と悪い報告、どっちから聞きたい?」
先生の中でも、混乱しているようです。
困ったような、泣きそうな、けれど嬉しいし・・・と、感情が入り混じった何とも言えない笑顔で、芳賀先生が聞きました。




