その179 ルーツ5
■その179 ルーツ5■
東条勇大さんは、今年80歳になる老人です。
白髪と黒髪がバランスよく混ざりあって、グレーに見えるオールバック。
神経質そうな印象を与えるのは、細い眉とキュッと結ばれた口元。
切れ長の黒い目と、右目には片眼鏡。
背筋がスッと伸びたダークブラウンのスーツ姿と、それにマッチした細身のステッキ。
そんな外見や、歯切れのいい話し方と声の張りから、実年齢を言わなければ初老で通ります。
産まれた時から東条家の跡取りとして育てられて、二男一女に恵まれ、『ベビーベッドから墓場まで』と謳われ、国内外で名を馳せている東条グループの現取締役会長を務めています。
つまり、とっても偉い人なんです。
そんな偉い人がお供の人達から逃げて、ホテルのロビーの隅っこのソファに座っていました。
隣には、髪を高めに結い上げて、赤いマーメイドラインのワンピースを着た美世さんが座っています。
「ご無沙汰しております。
お変わりはありませんか?」
2人とも正面の日本庭園を見たまま、一度も視線を合わせません。
ホテルの内と外を仕切るのは、よく磨かれた厚いガラス。
そのガラスに映るお互いの姿を見ています。
「ああ、変わりはないよ。
まぁ、変わった事と言ったら、あの頃から家で上手い飯が食べれなくなった事だな。
一美の口煩さは、変わりようがない」
「それは何よりです」
美世さんはクスクス笑って、立ち上がりました。
「勇一さん」
トイレから出て来た勇一さんを、美世さんが手招きします。
勇一さんは美世さんの隣に座っている勇大さんを見て、一瞬体が強張りました。
けれど、美世さんが笑っているのを見て、足を動かしました。
「さぁ、どうぞ」
滑らかとは言えない動きで自分の前まで来た勇一さんに、美世さんは今まで座っていた場所へ促しました。
けれど、勇一さんの体は動きません。
「立ち話は目立つわよ」
少し不安そうな勇一さんの背中を、美世さんはお母さんのように優しく摩りました。
そして、勇大さんとの間に一人分の隙間を開けて座り、その開いている空間に片手で座るように促しました。
それでも座ろうとしない勇一さん。
美世さんは苦笑いをしながら、勇一さんの手を引っ張りました。
「今夜は卵料理にするわね」
その一言で、勇一さんはストンと座りました。
同じ顔が並んだのをガラス越しに見て、美世さんはちょっと可笑しくなってクスっと笑いました。
「・・・体調は、どうだ?」
「変わりありません」
沈黙です。
会話が続きません。
美世さんは、2人の心情を想像して、クスクスと笑いました。
「そんなに、可笑しいか?」
「はい。
不躾ですみません。
けれど・・・可笑しいです」
美世さんは身を乗り出して、勇一さんと勇大さんの顔を見ました。
「お二人とも、良い大人なんですよ。
なにも、殴り合いをしろなんて言っていませんわ。
お話しすればいいだけでしょうに」
美世さんの呆れた声に、勇大さんは小さく鼻で笑いました。
「時間は無限ではありませんよ。
ましてや、お義父様はお忙しいのですから。
私、席を外しましょうか?」
「「いてくれ」」
息ピッタリで即答でした。
美世さんは、ハイハイと笑いながら姿勢を戻しました。
「・・・スケッチブックを見せてもらった。
お前たちの日常が描かれていて、報告書を読むよりよくわかった。
皆、生き生きとしていて、とても素敵な絵だった」
美世さんが優しく微笑みます。
「・・・そう」
「いたいた、徘徊老人」
勇一さんが何か言いかけた時、3人を見つけた修二さんと美和さんが来ました。
修二さん、愛想笑いの『あ』もなく、機嫌の悪さを前面に出しています。
「ご無沙汰しております」
そんな修二さんの横で、美和さんがゆっくりとお辞儀をしました。
珍しく、緊張しているようです。
「人を呼びつけておいて、居なくなるんじゃねえよ。
迷惑も良いところだ」
「迷惑か・・・言うようになったな」
今にも噛みつきそうな修二さんの手を、美和さんがぎゅ!っと両手で握りました。
修二さん、大きく開けた口をアワアワさせてから、キュッと閉じます。
「喧嘩出来るんでしたら、まだまだお葬式の心配はありませんわね」
「そんな心配は無用だ。
・・・そうだな、喧嘩をするために来てもらったわけではなかったな」
勇大さんは、美世さんの嫌味に少しだけ口の端を上げました。
美和さんもホッとしたみたいで、肩の力が少し抜けたみたいです。
ちょっとだけ、沈黙が流れました。
「すまなかったな」
勇大さんが大きい声ではないですが、ハッキリと言いました。
「何が?」
修二さんの片眉がピクッと上がります。
「今までの事は、謝ったところで消えはしないだろう。
今回の事だ。
娘達には、怖い思いをさせてしまった。
完全に、私の監督不行き届きだ」
ほんの少し、勇大さんの頭が下がりました。
「今回の事だって、消えはしねぇよ。
あんたが病気になろうが死のうが、知ったこっちゃない。
とは言え、あんたに何かあれば少なからず、俺や兄貴に迷惑が来るのは想定内だけどな、子ども達は止めてくれ」
修二さんは、汚いものを見るような目で、勇大さんの頭を見下ろしています。
「次、今回みたいなことがあったら・・・そうだな、俺が社長になってやるよ」
ニヤっと、修二さんが笑いました。
「何万何十万といる関係者が路頭に迷うから、それだけはやめて頂戴。
今回の事は、私の失策でもあるわ。
美世さん、美和さん、ごめんなさいね」
美世さんより少し高い慎重に、勇大さんと勇一さんによく似た顔。
焦げ茶色のショートカットの女性が近づいて来ました。
東条グループ代表取締役社長・東条一美さんは、勇一さんの妹で、修二さんのお姉さんです。
「いえ、娘達には頼もしい王子様が付いていますから」
美和さんがニコニコしながら言いました。
「本当、少数精鋭で素晴らしいチームワークだわ。
そんな王子様が付いていているのだから、会食だって平気でしょう?
美世さんと美和さんの手料理には負けるかもしれないけれど、ここのコックの腕も確かよ。
たまには、ゆっくりお食事を楽しんで」
「これ(勇大)とか?」
修二さんが顎で勇大さんを指した瞬間、一美さんのデコピンが修二さんのオデコに命中しました。
「いてー!!」
「仮にも、父親でしょうが!
貴方は自分の子どもに、今やったような教育をしているの?」
答えによってはもう一発。
と、一美さんはデコピンの構えです。
「そんなわけないだろうが!
うちの子達は天使なんだよ!
純真無垢!!」
今にも一美さんに殴りかかっていきそうな修二さんですが、さすがに相手が女性なので踏みとどまっているようです。
「貴方の口から『純真無垢』って言葉・・・合わないわね。
子ども達が良い子だって、分かっているわよ。
美和さんと美世さんが居るのだから、良い子に育たないわけがないじゃない。
ほら、いつまでもキャンキャン喚いていないで、行くわよ。
お父様も、もう気はお済になったでしょう?
あまり下々の手を煩わせないでください。
時間の無駄ですから」
修二さんと勇大さんに向かって、一美さんは捲し立てるように言い切ると、美和さんと美世さんの腕を取って、エレベーターホールの方へと歩き出しました。
「変わらんだろう?」
「ふん」
3人の後ろ姿を見ながら、勇大さんが呟きます。
修二さんは、赤くなったオデコを摩りながら、荒い鼻息で返事をしました。




