表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
144/434

その144 白桜の歌姫

■その144 (はく)(おう)の歌姫 ■


 春休み最後の日。

午前の練習が終わって、合唱部員が居なくなった音楽室に一人。

窓から入って来る風が気持ちよくて、風が運んでくれる春の香りが好きだから、窓は全て開けっ放しです。


 ぴしっと綺麗にアイロンがかかった制服は、襟や袖に朱色の細い3本のセーラーテープの入った、膝下の白いセーラー服。

ハーフアップにした艶やかな長い黒髪には、スカーフとお揃いの朱色のリボン。

乳白色の肌はほんのりピンク色に染まって、切れ長ですっきりとした黒い瞳は春の光を受けて、宝石のようにキラキラしています。

それは、僕の主の(おう)()ちゃんが誇る『(はく)(おう)の歌姫』こと、東条(とうじょう)(もも)()ちゃんの姿です。

 桃華ちゃんは主の従姉妹で、とっても仲良しです。


 大好きな春風を胸いっぱいに吸い込んで、紅を引いたように赤い唇から、天使の歌声が流れます。


それは、皆が聞きなれた学校の校歌でした。


 3年生になったばかりの桃華ちゃんは、受験生なので部活は夏前で引退です。

いつも、独唱パートを歌って会場をわかしていた桃華ちゃんですが、出場できる大きなコンクールは、もうありません。

 今日は、入学式の数日後にある、新入生オリエンテーションで歌う後輩さん達の練習を見に来て、練習が終わった後で一人歌い始めました。


 桃華ちゃんは歌う事が大好きなので、時間とチャンスがあると、こうして音楽室で歌います。


「先生、春でも廊下は寒いんじゃないんですか?」


 校歌を歌い終わると、桃華ちゃんは音楽室のドアの影に居る人に、素っ気なく声をかけました。


「今来たばかりですよ」


 ヒョッコリ顔を出したのは、科学の笠原(かさはら)義人(よしひと)先生で、2年生の時の担任で、桃華ちゃんの両親が経営しているアパートに住んでいます。

伸びた髪を雑に輪ゴムで一本にまとめて、銀縁眼鏡をかけて、生徒たちからは『骨格標本』と呼ばれている体を白衣に包んでいますが、最近は桃華ちゃんや主のご飯を食べているので、体格もですが肌や髪の艶も良くなってきて、健康的になってきました。

でも、猫背気味は治りませんね。

 今日の白衣の下は、ショッキングピンクのパーカーです。


「・・・特等席、空いてますけど?」


 桃華ちゃん、ちょっと恥ずかしそうに、でもそれを隠そうとして少し口調がきつくなりつつも、目の前の椅子をチョンチョンと指さしました。


「良いんですか?」


 そんな桃華ちゃんの事を分かっている笠原先生は、いつもの飄々(ひょうひょう)とした態度で、音楽室に入ってきました。


「笠原先生だから、1曲ぐらいなら構いませんよ。

その代わり、1曲ですよ。

皆とのお花見に遅れちゃうから」

「十分ですよ」


 今日は春休み最後の日。

午後から、新しい教科書の配布や、入学式の説明等があるらしいです。

なので、早めに集まって、中庭の桜の下で、皆でお花見をすることになっていました。

お昼を皆で食べるんです。

お重箱の中身は、主と桃華ちゃんが早起きして作って、車で運んでくれたのは桃華ちゃんのお兄さんで、笠原先生の同僚の(うめ)(よし)さんです。


 桃華ちゃんは、目の前のお客様にうやうやしくお辞儀をして、歌い出しました。

今度は、文化祭で独唱した『ビリーブ』です。


 桃華ちゃんは、天使が羽を広げるように両手を広げます。

鼻をツンと上げて、高く高く見上げる延長線上には、窓の向こう・・・青く広がる空。

音楽室に響く天使の歌声は、春風が外へと運んでいきます。


 笠原先生は、桃華ちゃんを眩しそうに見つめます。

細い体のどこにそんなパワーがあるのかと思うぐらい、高い音も力強く伸びやかに歌っているので、音楽室は狭そうに思えます。

 今にも春風に乗って、窓から飛び出した空で歌うのが自然のように思える程です。


 最後の声が空に溶け込むと、桃華ちゃんはうやうやしくお辞儀をしました。


「さすがですね。

1人で聞くのがもったいないと言いますか、特別感が凄いと言いますか・・・でも、こんな狭い空間ではなく、貴女には大きな舞台が似合いますね」


 笠原先生は、拍手をしながらご満悦です。


「あら、私は歌えれば、場所は何処でも構わないわ。

それに、大きい舞台で歌うのは確かに気持ちがいいけれど、皆と楽しく歌う方が私は好きよ」


 確かに。

桃華ちゃん、良く主と歌っていますもんね。


「あと・・・大勢の人に向けて歌うより、大切な人に歌いたいし」


 恥ずかしそうにそっぽを向いて、桃華ちゃんは小声で付け足しました。


「桃華・・・」


 笠原先生が、嬉しそうに桃華ちゃんの名前を優しく呼んだ瞬間・・・


「さ、先生!早くしないと、お昼が無くなっちゃいますよ。

私も、確り歌ったから、お腹が空いちゃった」


 ちょっといい雰囲気になったのを吹き飛ばすように、桃華ちゃんは思いっきり、明るい声で言いました。

桃華ちゃん、大人の雰囲気がまだまだ苦手というか、慣れないというか・・・恥ずかしくてしょうがないんですよね。

笠原先生に名前を呼ばれるだけで、赤面しちゃうぐらいなんですから。


「・・・それは、困りますね。

(さけ)は、ありますか?」


 笠原先生は残念そうに、けれど、桃華ちゃんの気持ちを分かって、いつもの調子に戻りました。

ホッとした桃華ちゃんと、少し残念な笠原先生は、話しながら窓を閉めていきます。


「サーモンのカルパッチョ。

少し、多めに作りましたよ」

「ありがとうございます。

急ぎましょうか」


 大好きな鮭が食べられると、ソワソワしだした笠原先生を横目で見て、桃華ちゃんはクスクス笑っていました。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ