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その140 春が来ます・・・『未来へのチケット』

■その140 春が来ます・・・『未来へのチケット』■


 早朝の海から戻った主は、玄関の中まで三鷹(みたか)さんに送られると・・・


「三鷹君、早く早く!」


 喫茶店のバックヤードから玄関に、エプロン姿の()()さんが飛び出してきました。

そして、三鷹さんの腕を取って、あっと言う間に玄関から出て行きました。

 主と三鷹さんは、一言も言葉を交わすことなく・・・すぐに、外から車の急発進した音が聞こえました。

主は耳をピコピコさせた(あき)君を抱っこしたまま、ボーゼン・・・。


「お帰り、(おう)()

美世ちゃん、行っちゃった?」

「あ、お母さん、ただいま。

・・・うん、三鷹さん連れて行っちゃった」


 お花屋さんのバックヤードから、美和(みわ)さんが顔を出しました。


「三鷹君の乗る飛行機、時間ギリギリなの。

美世ちゃんの運転なら、間に合うと思うけどね」


 車の行き先は、空港なんですね。


「お母さん・・・」

「三鷹君と、お話しできた?」


 美和さんは、主から秋君を受け取ると、上がるように促しました。


「・・・うん、出来た」


 主はモコモコのブーツを脱ぐと、ちょっと足元がスースーしたので、慌ててスリッパを履きました。


「そう、良かった。

お風呂湧いてるから、ゆっくり入ってね」


 主がそっと口元を緩めたのを見て、美和さんはホッとしたように秋君を主に戻しました。


「でも、学校・・・」

「今日は、午前で終わりでしょう?

今から行っても、直ぐに帰って来るようになるし、誕生日ぐらい、ゆっくりしていいのよ。

ああ、あとこれ・・・」


 美和さんは、2枚のチケットを主に差し出しました。


「『絵本の森』・・・絵画展」

「来月、アパートの1階に新しい店子さんが入るの。

朝、説明ついでに部屋を見に来てね。

その時、頂いたのよ。

なんでも、職場で数枚貰ったんですって」


 そう言って、美和さんはお仕事に戻って行きました。


「私の周りは、私を甘やかす人ばかりね」


 主は今更ながらに呆れて、チケットを指に挟んで秋君の頭をナデナデ・・・


「秋君も、お風呂だわ」


 撫でた毛並みの中に、ジャリ・・・っとした細かいモノに触れて苦笑いをしました。




 学校を休んで、午前中から入るお風呂は格別でした。

窓から入るお日様の光を浴びながら、ほのかに香るミカンの香りと温かなお湯に包まれて、主は全身の力が抜けていました。

美和さんが準備してくれたお風呂は、自家製『みかん風呂』です。


 秋君は、少し大きめのタライに溜まったお湯に浸かって、こちらも脱力中です。


「・・・贅沢ぅ~」



 主はお湯の中で思いっきり体を伸ばして、歌い出しました。

大好きな、テレビCMの歌です。

もちろん、ちょっと音は外れています。



 お風呂上り、主が秋君に丁寧にドライヤーをかけてあげると、秋君はご機嫌にリビングのクッションの上でお昼寝を始めました。

 主はローテーブルの前にペタンと座り、お風呂に入る前に煎れておいたカモミールティーを飲みながら、美和さんから貰ったチケットを眺めました。

冷めたカモミールティーは、ポカポカになった体にみるみるうちに吸収されます。


『絵本の森・・・

あの懐かしい絵本から最新の絵本まで・・・

多彩な原画の森をお楽しみください』


 長細いチケットには、有名な芋虫のイラストと、開催日、時間、会場が記載されています。


「あ・・・」


 チケットを裏かえすと、協賛団体の中に見覚えのある出版社名を見つけました。


『満月出版社』


・・・一番やりたいことを選べばいい。

やって駄目だったら、次の事をやってみればいい・・・


 さっき、海で三鷹さんに言われた言葉が頭に響いて、出版社名に三鷹さんの顔が重なりました。


「・・・うん、やってみよう」


 主はチケットをローテーブルに置くと、体を大きく伸ばして立ち上がりました。



 主は一度絵に集中すると、場所も構わず時間を忘れて、一心不乱になります。

今日はお家のリビングです。

 ローテーブルの上に色鉛筆やソフトパステル、ハードパステル、オイルパステル、クレヨンが広げられています。

それらを気分に任せて使って、白色のクロッキー帳をどんどん埋めていきます。


 お昼過ぎに、学校から帰って来た桃華ちゃんが傍に座って、自分のスケッチブックを広げました。

テーブルの上の画材を使って、桃華ちゃんも絵を描き始めますが、主は桃華ちゃんに全く気が付かないで、描き続けます。


 おやつの時間を過ぎた頃、双子の(とう)(りゅう)君と()()君が帰って来ました。

元気よく帰って来たのに、返事は桃華ちゃんの一人分しか帰って来ませんでした。

なので、主が集中していると直ぐに分かった双子君達は、桃華ちゃんのように、ランドセルをお部屋に置いて、代わりに自分のスケッチブックを持って来ました。

 画材の広がるローテーブルの前に座ると、好きなモノ、好きな色を手に取ってお絵描き開始です。


シャカシャカ・・・

シュッシュッ・・・

コシコシ・・・

クスクス・・・


 パステルやクレヨンが紙の上で擦れる音の中に、たまに小さな含み笑いが混ざります。


「これはね・・・」

「この犬は秋君と友達で・・・」

「ネズミは?海があるよ」


 主が書き続ける周りで、桃華ちゃんと双子君達はお互いのスケッチブックを見せ合いながら、何やらお話し中です。

そんな様子を、主は無意識に見ていて、クロッキー帳の新しいページに書き込んでいきました。


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