その127 バレンタイン・桜雨ちゃんとコンプライアンス
■その127 バレンタイン・桜雨ちゃんとコンプライアンス■
社会科準備室は、職員室のある校舎の3階の一番端にあります。
教室の半分ほどの大きさで、出入り口は廊下の行き止まり側に1つ。
横スライドのドアに、『使用中』の札。
室内は、もともと広くないスペースに壁を覆う棚、棚、棚・・・それらに資料が詰め込まれ、隙間には地球儀等の教材が置かれています。
中央のローテーブルと4つの椅子にも、プリントや参考書が置かれいます。
こんな社会科準備室を使う先生は、高等部では5人居ます。
けれど、その狭さと資料と教材の圧で、先生達は長居をしません。
必要な物だけを取って、職員室で仕事をするのが殆どです。
そんな狭さが良いらしく、三鷹さんはここで仕事をすることもあります。
「水島先生、白川、来ましたよぉー・・・」
僕の主の桜雨ちゃんが、笠原先生から伝言を聞いて準備室に来たものの・・・呼び出した張本人はネクタイを緩めて、ローテーブルに長い脚を投げ出して、体格とあっていない椅子に体をようやく沈めて、お昼寝中です。
胸元に落ちている手に参考書があるので、仕事はしていたようです。
「お疲れ様です」
主は小さく呟くと、三鷹さんの向かい側の椅子の荷物と、桃華ちゃんと主の荷物を床に下ろして、チョコンと椅子に座りました。
窓は、棚で塞がれているので、外の音も日差しもこの部屋には届きません。
足元の小さな電気ストーブが、この部屋を一生懸命温めています。
「う・・・うんんん・・・」
三鷹さん、少し、うなされています。
眉間にも皺が寄っていますね。
「月の光に花も草も
夢を追いつつ
うなじ垂れぬ
声をばひそめて枝はさやぐ・・・」
主は、うなされている三鷹さんの隣に座って、参考書を持ったまま胸元に落ちている手に、呼吸に合わせて、トン・・・トン・・・トン・・・と、優しく自分の手を置きました。
子守歌は、相変わらず少し音程がズレています。
けれど、ゆっくりと優しい歌声と、主の手の温度で安心したんでしょうか?三鷹さんの眉間の皺が無くなって、うなされていたのも終わったようです。
「風邪、ひいちゃだめですよ。
・・・まぁ、無いよりはマシかな?」
気持ちよさそうに寝息を立て始めた三鷹さんに、主は自分のコートをかけました。
大きな体に、小さなコート・・・確かに、無いよりはマシかな?
主は自分の鞄からクロッキー帳と鉛筆を取り出すと、スケッチを始めました。
もちろん、モデルは爆睡中の三鷹さんです。
シャッシャッシャッ・・・
・・・トックン・・・トックン・・・トックン・・・
鉛筆が紙に擦れる小気味いい音が、いつの間にか規則正しい鼓動になっていました。
いつの間にか下りていた瞼を開けると、直ぐ近くに三鷹さんの右下45度からの横顔が目に入ってきました。
カッコいいなぁ・・・
なんて、ぼんやり寝ぼけながら、モゾモゾと寝返りを打とうとしました。
「ん?寝ずらいか?」
そんな主に気が付いて、三鷹さんが手にしていた参考書を置いて、抱きなおそうとしてくれました。
「・・・お、おはようございます。
ごめんなさい、私、寝てました?」
その動きで、主の目が覚めました。
心地よかったリズムは、三鷹さんの心臓の音だったみたいです。
「俺の隣で、スケッチしながらな」
主、スケッチしながらお昼寝タイムに突入したようです。
代わりに起きた三鷹さんが、風邪をひかない様にと、主のコートをかけて、抱っこしてくれていたんですね。
まさしく、肉布団・・・。
クロッキー帳は、鉛筆を添えられてテーブルに置かれていました。
「テスト勉強に、調理実習の手伝いで、疲れていたのだろう」
三鷹さん、それは、主が三鷹さんに言いたい言葉ですよ。
「水島先生も、お疲れのようでしたよ」
主は恥ずかしさで顔を真っ赤にして、慌てて立ち上がりました。
三鷹さん、ちょっと不満そうな顔です。
「ごめんなさい、私、ヨダレでも垂らしちゃった?」
そんな顔を見て、主は慌てて口元を両手で隠しました。
「二人っきりなのに、放れるのか?
呼び名も・・・」
三鷹さん、拗ねた子どものように、主を見上げます。
「・・・でも、ここ、学校だし・・・」
そんな三鷹さんに、主は言葉を濁しました。
まぁ、本音を言えば、主も三鷹さんとくっついていたいんですもんね。
「ここ(準備)は(室)、誰も来ない。
家でも二人っきりは難しいから・・・今日、少しぐらい」
あ、そう言う事ですか。
僕は分かりましたけれど、主はまだピン!と来てないようですよ、三鷹さん。
「・・・今日、いつにも増して、告白されていただろう!?」
「ああ!それね。
でも、ぜーんぶお断りしました。
当たり前でしょう?!
チョコレートも、佐伯君がクラス皆にって作ってくれたモノと友チョコ以外は、お断りしましたよ」
三鷹さんに言われて、ようやく主も分かったようです。
「・・・ここに」
三鷹さんは、短髪の頭をボリボリ掻いてから立ち上がると、代わりに主を椅子に座らせました。
「佐伯のと、寸分たがわない味だろうが・・・」
主の白く小さな手に、ちょっと大きめの箱が置かれました。
桜色の和紙と、真っ赤な細いリボンが二重にかかったラッピング。
それを見た瞬間、主は瞳をキラキラ輝かせて、箱と三鷹さんを何度も見ました。
「家で・・・とも思ったんだが、ちゃんと渡したかったから」
言いながら、三鷹さんは水筒から紙コップに、紅茶を煎れました。
主の目の前のテーブルに置かれた紙コップからは、微かに白い湯気が立ち上がっています。
「今朝、美世さんに煎れて貰った」
三鷹さん、用意がいいです。
「じゃぁ、私のも、受け取ってもらえます?
水島先生は、誰からもチョコレートを受けたらないはずだけれど・・・」
「俺が欲しいチョコレートは、一つだ」
その言葉を聞いて、主は貰った箱をそっと紅茶の隣に置いて、自分の鞄を取りました。




