その10 酒は吞んでも吞まれるな(後)
■その10 酒は飲んでも飲まれるな(後)■
「それと、進路調査票ですが、彼女(桜雨)は探偵になりたいそうですよ」
笠原の報告に、今度こそ盛大に吹いた。
三鷹に向かって。
口から発射された酒が、霧状になって三鷹を濡らした。
「ご、ごめん。
ホント、悪い」
見かねた周りの人が、そこら中からタオルを取ってくれた。
そのタオルで、慌てて謝りながら三鷹を拭いたけど、ウンともスンとも反応しなかった。
コイツ、まだ酔ってないよな?
「普段の白川の成績なら、これから頑張れば美大も不可能じゃないんですがね・・・
いや、大学でも専門学校でも、実家の花屋でも驚きませんよ、彼女なら。
けれど、流石に『探偵』は想定外過ぎましたね」
だよね。
俺も想定外だよ。
「なぜに、『探偵』?
何か探しモノ?
白馬に乗った王子様?と、思いましてね・・・」
「あ~・・・そう言う事か」
「そう言う事です」
笠原の言葉に、合点がいった。
俺と笠原の視線が、三鷹に固定した。
桜雨は、小2の時に黒い折りたたみ傘を貸してくれた恩人を、今でも探している。
向こうが直ぐわかるようにと、晴れの日でもどこに行くのも、その傘を必ず持っていくぐらい。
その人物に会いたくて、中学受験をしたほどに。
「いやぁ~・・・見当どころか、分かっているはずなんだけどなぁ・・・
決定的な一言、待ってるのかなぁ~」
周りの賑わいにかき消されない様に、大きめの独り言をつぶやく。
・・・相変わらず、姿勢を崩さないで呑んでるけど、三鷹のヤツなんだかなぁ。
「進路調査票の後のテストが全科目不調だから、『何か』あったのかと」
「何かあったら、桃華が大人しいはずないけれどな・・・・
桃華の居ないところで何かあっても、桜雨は必ず報告するし・・・」
「三鷹とのことまで、逐一報告はしないでしょうよ」
「あんな関係だからか、黙ってはいられないみたいよ。
まぁ、黙っていても、顔に出るから、直ぐわかるらしい。
前に、桃華が言ってた」
「兄も兄だが、妹も重症ですね」
笠原は、呆れながら一気に緑茶ハイを吞み干した。
「お褒め下さり、有難うございます。
小林先生、緑茶ハイ2つお願い!」
「褒めてません」
呆れながら、笠原は回ってきたホッケと枝豆を前に置いてくれた。
「今は、教師と生徒だ」
枝豆をつまもうとした瞬間、真横から声がした。
思わず三鷹を見ると、相変わらず酒を見つめたまま。
「親族以外で一番身近で、過ごす時間も多い男と言うだけで、親近感を恋愛感情と勘違いしていてもおかしくはないだろし、そもそも恋愛に夢を見ている可能性もある」
「やだ、大人な意見」
久しぶりの長セリフと思ったら、大人な考えを披露してくれちゃって、まぁ・・・
うん、まぁね、可能性はあるんだよね。
「それに、まだ護られるべき年齢なのだから、手を出していいわけがないだろう。
怖がらせたり、傷つけたりしたくない」
「あ、滅茶苦茶我慢してるわけね」
思わず、感想が漏れた。
そうね、大切に大切にして、我慢してるからこそ、小暮みたいなのには敵意剥き出しになっちゃうわけだよな。
それは良くわかる。
「倫理観は確りしているようだから、一応安心はしますけどね。
一応は。
なんにせよ、フォローお願いしますよ」
笠原がそう言った瞬間、店の入り口当たりで激しい口論が始まった。
「東条先生、水島先生、出番。
また、尻澤先生と加戸先先生達が始めた」
何処からともなく、呼ばれた。
3年の4人の先生方は寄りが合わないらしく、酒の席では多々喧嘩になる。
初めは口喧嘩だけれど、最後には殴り合いになる。
そこで、武道に覚えのある俺と三鷹が仲裁役に呼ばれるわけだけれど・・・
「はいはいはい」
返事をしながらスマホをいじり、LINEスタンプを1つ押して、立ち上がった。
「・・・三鷹、修二叔父さん呼んだから、吞んでなよ」
今の三鷹の心理状態だと、喧嘩を止めるどころか下手したら、どさくさに紛れて小暮を殴りかねないもんな。
「そこまで、馬鹿じゃない」
俺の考えが分かったのか、三鷹は溜息をついて立ち上がった。
すると、テーブル席の方から、随分と派手な音が聞こえ始めた。
テーブルやら、椅子やらがひっくり返ったり、ガラス類の割れる音も聞こえた。
「あー、今夜は早いな。
まだ2時間も呑んでないじゃんね。
竹ちゃん、ごめんね~。
修二さん呼んだから、ドア開けといて」
現場に向かいながら、声を張る。
人の垣根を分けてテーブル席スペースに出てみると、見事な散乱具合だった。
大の大人4人が殴り合って、みっともない。
幸いなことに、誰一人ダウンはしていないから、床に飛び散った醤油やソースで汚れることも、ガラスの破片で怪我もしていない。
まだ。
「あと5分、やらせとく?
多分、大人しくなるよ?」
「店に迷惑だし、怪我されても困りますよ」
提案は、笠原に一掃された。
確かに、店の被害は大きくなるな。
「んじゃま、やりますか。
あ、来た来た」
暴れている4人を、とりあえず手前から取り押さえて行こうとした時、開けられた店のドアから、街人が入って来た。
「餓鬼ども、人様の店で騒ぐんじゃねぇよ!」
俺より少し身長は低いけれど、親世代にしてはまだまだ締まった筋肉質な躰をしていて、黒い短髪に、目じりの切れ上った強面のこの人は、素早く右拳のストレートを1発づつ的確に腹に決めて、4人を床に沈めた。
瞬殺。
俺と三鷹の出る幕無し。
「竹ちゃん、ごめんね。
ちゃんと4人に弁償させるから、被害総額計算しといて」
「はいよ~。
修二さん、ありがとうございます。
いつもすみません」
奥に避難していた店主・竹ちゃんの声を聴きながら、俺と三鷹と笠原と修二さんで、伸びた4人を1人ずつ担いで店を出ようとした。
「東条先生、どちらに行かれるんですか?」
慌てて、三島先生が追いかけて来た。
「駅隣の安宿に、突っ込んでくるんですよ。
いつもの事だから、大丈夫です」
「いつもの・・・・事なんですか・・・
・・・笠原先生、意外と力持ちなんですね」
まぁね、笠原、ガリガリだから、大人の男を担げるとは思わないよね。
でも、力はあるんだよね。
「あの、そちらの方は?」
驚きと戸惑いを隠せない三島先生は、おずおずと修二さんを見た。
そうね、喧嘩の仲裁って分かっていたから、怖い目元隠す用の伊達眼鏡、置いて来てるもんね。
しかも、ボクサー並みの動き見せられちゃぁね、怖いよね。
「ああ、俺と一緒に住んでいる叔父です。
白川のお父さん。
この商店街で、暴力沙汰が起きたら、毎回呼ばれるんですよ。
腕っぷし、良いから」
「梅吉、飯が冷める」
ああ、ご飯中でしたか。
少しイラっとした修二さんは、顎で俺を促した。
「じゃぁ、お休みなさい」
修二さんにビクビクしている三島先生を置いて、俺たちは駅に向かって歩き出した。
「梅~、桜雨ちゃんのご飯が冷めたら、罰金5千円な」
「修二叔父さん、それ高い!」
「三鷹、今夜泊まらせてください。
帰るのが面倒になりました。
貴方のあの気持ちの悪い寝室には入りませんから、安心してください」
「・・・朝食」
「はいはい、作りますよ」
「いいよ、笠原。
もう、テスト終わったんだろ?
朝食は、家で食えよ。
なんなら、家に泊まればいいさ。
まだ、呑み足りないだろう?」
「ありがとうございます。
遠慮なく、お邪魔します」
「・・・あざっス」
そんな話をしながら、駅横の安宿に4人を突っ込み、家に帰ると・・・
修二叔父さんの夕飯は見事に冷めていた。
その場で5千円を徴収されたので、後日店から預かった請求書にその5千円も上乗せして、4人から回収した。
本日の教訓・『酒は呑んでも呑まれるな』お酒は20歳を超えてから、楽しく安全に飲みましょう。




