その1 二人の美女はタイムセールがお好き
■その1 二人の美女はタイムセールがお好き■
皆さん始めまして、僕は傘です。
何の飾りもない、黒の折りたたみ傘です。
あ、持ち手の頭に、子ども用の可愛いカエルのシールが貼ってあります。
僕の主は、そのシールが色褪せたり取れたりしないようにって、テープを貼ってくれています。
だから、主は僕の事を『カエルちゃん』って呼んでくれます。
僕は今日、白桜私立高等学校2年B組に居ます。
新学期を2日後に控えた今日は、新しいクラスメートとの顔合わせで、このまま卒業まで過ごす仲間です。
今は、ホームルームを待つ少しざわついた時間です。
皆、新しい教科書が配られたり、入学式等の説明が始まるのを待っています。
教室の窓際の一番後ろの席で、2人の女子高生が向かい合って座っていて、外の校庭を眺めながらお話をしています。
正門から校舎への通路に植えられた桜並木は、すっかり青々とした葉をつけて、数週間前の満開の面影はもうありません。
右側に座る少女の薄く入れた紅茶色の猫っ毛は、日が当たっている所は金色に見えます。
そんな髪をショートボブにしていて、そこから覗く細い首筋は雪のように白いです。
髪の隙間から見え隠れする頬は、うっすらと桜色・・・
軽く下がった愛らしい焦げ茶色の瞳や、ふっくらとした小さな桜色の唇が、彼女・白川桜雨、僕の主で、実年齢より幼く見えるのを気にしていたりします。
左側に座る少女は、腰まで伸びた癖のないサラサラな黒髪がとても綺麗で、僕の主のお気に入りでもあります。
主より長い首は乳白色で、腕も脚も机の上に置かれた指も細く長いです。
切れ長ですっきりとした黒い瞳に、紅を引いたように赤い唇が、日本人形のような主の従姉妹・東条桃華ちゃんです。
二人とも、襟や袖には朱色細い3本のセーラーテープの入った、膝下の白いセーラー服が良く似合っています。
スカーフも、朱色です。
二人が並んで話をしている光景はいつもの事で、クラスメートの男子はそんな二人と、二人の間に置かれた一枚の紙で、どんな会話がされているのか、各自で勝手な妄想を広げています。
「失礼。
白川君」
高校生にしては野太い声がして、大きな影がサッと教室に入って来たかと思ったら、二人の横に立って、教室のざわめきが大きくなりました。
「オイオイ、あの先輩、なんて時に来るの?」
「東条さん、スマホ触ったじゃん。
来ちゃうよ、来ちゃうよ!」
「なんなの、あの先輩?
もしかして、知らないの?」
「ウメちゃん、何分で来るかしら?」
綺麗に切り揃えられた角刈り頭に、浅黒い四角い顔に乗った大きな目と、存在をこれでもかと強調している黒い眉。
筋のしっかりした大きな鼻と、上下ともに分厚い唇。
体も筋肉質な四角で、白い学ランで更に膨張して見えます。
ざわめきの中、野太い声が自己紹介を始めました。
「君は知らないと思うが、自分は3年F組柔道部部長の近藤武と言う。
君に・・・その・・・」
最初こそ勢いは良かったのですが、二人の少女にジッと見つめられて、近藤さんは浅黒い顔を赤くしました。
そんな三人を、クラスメート達は言葉もなく、ジッと見守っています。
「こ・・・こう・・・
その・・・
あの・・・付き合ってくれないか?」
近藤さんはようやく言い切ると、勢いよく頭を下げました。
「はい、良いですよ」
「本当か?!」
主のおっとりとした可愛らしい声に、近藤さんの上半身はバネ仕掛けの人形のように起き上がりました。
「はい。
先輩も、タイムセールに行かれるんですね。
ご一緒、しますよ」
「・・・タイム・・・セール?」
主の目は、微笑むと更に目じりが下がります。
そんな笑顔を、近藤さんとクラスメートは『天使』と内心思いつつも、近藤さんは動揺を隠せていませんでした。
「はい、タイムセールです。
今日は牛乳と卵が格安なので、どうしても行きたかったんです。
午後の授業が無くて、ラッキーでしたね。
桃ちゃんにも、一緒に行ってもらえるようお願いしたんですけれど、先輩は何を買われます?
もし、牛乳と卵でなければ、一緒に買ってもらえますか?
どちらも、お1人様1点までなんです。
あ、勿論、先にお金はお渡しします」
主は桃華ちゃんとの間に広げてあるA4両面カラー刷りのチラシを、近藤さんが見やすいように向きを変えました。
そこには、今日一番の目玉商品である牛乳一リットル75円と、Lサイズ10個入1パック50円の卵に、赤の油性ペンで確りと丸が付けられています。
それは今朝、主が朝食を食べながらチェックをしていたものですね。
「いや、あの・・・その付き合うではなく・・・」
「近藤先輩、タイムアウト、試合終了です」
タイムセールの話をウキウキとする主を可愛らしく思いつつも、どう訂正していいものか迷っている近藤さんに、桃華ちゃんが愛想笑いもなく冷静な声で言い放ちました。
「近藤ぉぉ、3年のお前が、何でここに居るのかな?
ホームルームはどうした?」
桃華ちゃんの言葉と同時に、近藤さんの頭は大きな片手でわし掴みにされ、優しく声を掛けられ、同時にクラスメート達は
「来た来た!」
「今日、早くね?」
「何処にいたんだ?」
「や~ん、ウメちゃんてば、今日も過保護」
「今日のジャージ、おニューじゃない?」
と、口々にざわめいていました。
近藤さんも170センチはあるでしょうね。
でも、それを優に超えた上に手の主の顔がありました。
小顔に、気持ち目じりの下がった甘めな黒い瞳。
乳白色の肌に、たっぷりレイヤーの入ったミディアムロングの茶髪。
バランスの取れた長身を黒のジャージに包んでいるのが、体育教師でバスケ部顧問の東条梅吉さん、主の従兄で桃華ちゃんのお兄さんです。
主と桃華ちゃんが大切過ぎて、周りからは『シスコン先生』と呼ばれていたりします。
「はい、直ぐ戻ります!
すみませんでした!!」
返事をした瞬間に頭を放された近藤さんは、綺麗な一礼をして、弾かれたように教室から出て行きました。
「先輩、何を買いたいのかしら?
卵と牛乳、頼んじゃダメかしら?」
そんな近藤さんをキョトンと見ながら、主は桃華ちゃんに聞きました。
「あのね、桜雨・・・」
「代わりに、俺がご一緒しますよ、お嬢様方。
ホームルーム、終わってからね」
説明しようとした桃華ちゃんと、キョトンとしたままの主の頭をポンポンと撫でて微笑みかけ、梅吉さんは教卓に向かいました。
「いや、東条先生、貴方このクラスの担任じゃないでしょうが。
話途中で消えるから、学年主任、お怒りですよ」
そんな梅吉さんに、後ろのドアから入って来た科学の笠原義人先生が呆れて突っ込み、クラスの笑いを誘いました。
伸びた髪を雑に輪ゴムで一本にまとめて、銀縁眼鏡をかけ、生徒たちからは『骨格標本』と呼ばれている体を白衣に包んでいるこの先生は、梅吉さんと同期ですが、肉付きが悪いのと猫背気味のせいか、やや年上にみられています。
梅吉さんは無言で、爽やかな笑顔のまま、教卓の横に置いてある椅子に座りました。
「・・・ほら、早く、職員室に戻ってください」
笠原先生はシッシと、犬や猫を追い払うように手を動かしながら教壇に立ち、何やらノートを広げました。
「高浜先生、話長いし、怒り方ネチネチしてんですもん。
職員室戻るの、嫌かな~って」
「『ですもん』、じゃないですよ。
貴方、曲がりなりにも教師でしょうが。
嘘でもいいですから、生徒の前では『はい』と返事だけして、帰ってしまえばいいじゃないですか」
唇を突き出した梅吉さんの言い分に、笠原先生は呆れてため息をつきましたが、生徒達は
いや、ヨッシー(義人先生)、あんたの言い分もぞんざいだろう。
と、僕を含めクラスの皆が、心の中で突っ込んでいました。