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脱出

その日はあっという間にやって来た。

ルルが最後の実をつける日だ。

つまりこの日がルルにとって最後に世界を見る日だった。

しかしもう衰弱しきったルルはなにも感じなくなっていた。

外の光も夜の闇もルルにとっては何一つ変わらない悲しみでしかなかった。

自分を守るためにルルはもう目を開くことをやめた。

あんなに輝かしく潤んでいた緑色の瞳を両親は何年も見ていなかった。

言葉も忘れてしまったようだ。

足も手も動かない。

ただ、ルルは父と母の感触だけは覚えており、彼らが触れるとほんのりと体温が上がり、強ばった体がゆったりとほころぶのを感じられるのだった。

「看守様、ではそろそろ」

「あぁ」

看守はそう短く返事をして、鉄格子の扉の鍵を開けた。

重く鈍い音がぽっかりと空いた空間に響いた。

「今から夕刻の鐘がが鳴るまでだぞ。必ず戻るように。まぁ、町には護衛がごまんといるから逃げたくても逃げられないがな」

「そんな、逃げるなんて密葬もありません。そんなつもり、全くありません。この機会に感謝いたします」

父はそう言って深々と頭を下げた。

母と手を繋ぎ、幼児の頃から体重が変わらないほど軽いルルを片手で抱き上げて光が溢れるドアへと向かった。


町は人でごったがえしていた。

どこからも威勢が良い声が聞こえ、まるで祭りのように人が高揚していた。

市場にはたくさんの見たことがない食べ物が並び、初めて見る服装の男女が道を闊歩していた。

空は目を細めなければならないほど、眩しすぎた。

「あなた…」

母が手を強く握った。

「あぁ、大丈夫だ。安心してくれ。何もかもうまく行くから」

父は母の手を強く握り返し、そして人形のように脱け殻になったルルを胸に強く引き寄せた。


3人は人気が少ない広場へ移動した。

ちょろちょろと流れる噴水の縁に腰を掛けて辺りを見渡した。

すると建物の影から何人かがこちらを覗いているが見えた。

やはり監視の体制は万全のようだ。

こんな女の子に国の交渉がかかっているなど誰が想像できようか。

なぜルルなのか。

なぜ私ではないのか。

何万回も問いかけたその疑問の答えは一生帰ってこない。

それであるならば、答えを見つける努力は辞めよう。

この状況を少しでもよくするよう考える方がまだ幸せだ。

目の前を幸せそうな家族が歩いていく。

当たり前にそこにあった幸せはもう遠く彼方。

せめて、せめてルルだけは。

いままでがんばってきたルルには。

母と父は変わらず力強く手を握り合い、しばらく噴水の音に実を任せていた。


「そろそろ、時間だな」

「えぇ、そうですね」

こそこそと二人だけにしか聞こえない声で会話をした。

「今まで苦労を掛けたな」

「そんなこと、ないですわ。私は幸せでしたわ。あなたと、そしてかわいいルルーディアと三人で」

「そうだな」

「生まれ変わっても、また三人で過ごしたいですわ」

「海が見えて、山もあって、都会ではないゆっくりとした時間が流れる場所で、暮らしたいな」

「そう、ですわね」

ルルは寝ていた。

彼女にはもう朝や昼といった感覚はもうなく、幸せか不幸かそれしかない。

寝ているルルの寝顔は生まれたときのままで、その幼さが両親の胸を強く締め付けた。

ルルが大きくなった姿を見ることはもう叶わない。

運命のいたずらなのか。

神様の気まぐれなのか。

そんなことを考えるのも、もう今日で終わりだ。

さぁ、そろそろだな。

「さぁ、これを」

父はボロボロのズボンの中から小さな包み紙を出した。

手のひらには三つの包み紙がある。

母は何も言わずにひとつ受け取った。

「これで楽になれますね」

「そうだよ」

「ルルには申し訳なかったが、これがきっと、一番良い」

「そうですわね」

父と母は包み紙をまるごと口の中に入れた。

そして後ろに流れている噴水の水を飲もうと体をお互いに傾けた。

言うまでもなく、包み紙の中身は毒薬だった。

致死性の高い毒薬を父はなんとか入手をしていた。

せめてルルを他の人の手ではなく自分達の手で最後にさせてあげたいと両親は願っていた。

そして監獄ではなく、生まれ育った自然がある村にはほぼ遠いものの青空の下で最後を迎えたいと感じていた。

もう、これで楽になれる。

二人は強く手を握り合い、噴水の水に唇を触れさせた。

その時、後ろから馬車の音がした。

「ルルーディアさん、ですよね」

そして娘の名前を誰かが呼んだ。

やはり看守の目が行き届いていたのか、自決すらさせてくれないらしい。

父は一瞬諦めて毒薬のはいった包み紙を口から素早く手へと隠して声のする方に向き直った。

そこにいたのは、看守ではなく、ただの行商人だった。

中年くらいのよく日に焼けた肌が深々と被った帽子越しから見える。

「あ、あの、、、あなたは、、、」

なぜこの人がルルのことを知っているのか。

やはり監視の人なのだろうか。

「すみません。申し遅れました。わたしは行商人のシーヴァです。運び屋をしています。怪しいものではありません。あなた方の娘さんを恐らく助けられる、かもしれません」

その行商人は周りに配慮してなのか、自分達にしか聞こえないよう小さな声で話をした。

娘を助ける?そんな都合の良い話があってたまるか。

それにこんなにタイミングよく救世主が現れるのもおかしい。

人さらいか。

新手の看守か。

「なぜ、ルルのことを知っているんだ」

「それは、私が導かれたといいますか、職業柄と言いますか、自分は奇病の噂を聞き付けてここに来ました。わたしの依頼主さまはそうした奇病の研究をして治療する仕事をしています。世界中から奇病のこどもたちを連れてきて欲しい、と」

「そんな虫がいい話あるわけない。あなたも看守の一員なんだろう」

「いいえ、違います。すみません。時間があまり無いようです。断っていただくことも可能ですが、そうすると娘さんの命はもう幾ばくもないかと思います。いかがされますか」

この行商人はなぜかルルのことを知っている。

そしてルルの奇病もだ。

怪しさしか感じられないが、もしかしたらルルの病気が治るかもしれない。

このまま毒薬を飲んで死ぬよりはいいかもしれない。

だが、いま、あったばかりの男に娘の命を預けて良いのだろうか。

もっと酷いことをされるのではないだろうか。

「躊躇われるのも分かります。ただ、時間がありません。」

「あなた、、、」

母はすがるようにわたしの肩に手を置いた。

母もきっと同じ気持ちのはずだ。

自決する覚悟できたが、娘を治せるかもしれない可能性が出てきた。

しかしこの男が信用に足る人物かは分からない。

「決断の参考になるか分かりませんが、実はわたしのこどもも奇病児でした。依頼主さまのところで療養をしています。これがわたしのこどもです」

行商人は胸からロケットペンダントを大事そうに出した。

傷だらけのペンダントの中には幸せそうな家族の笑顔があった。

「すみません。本当に時間がないようです。監視たちが近づいているようです。わたしも怪しまれています。お願いします。ご決断を」

どうする。

どうする。

どうする。

父は決めかねていた。

大事な局面に即決を求められる緊張感が何万回もからだの中をめぐった。

「お願いします」

肩の奥から力強い言葉が聞こえた。

もちろんその声の主は母だった。

「少しでもルルが助かる見込みがあるなら、この子が幸せになれるなら、お願いします」

母は涙をたくさん目から流しながら言った。

そうだ。

何を躊躇しているんだ。

娘の幸せ。

それが親の幸せだ。

この子が少しでもいまより幸せになれるなら、その可能性にかけるしかない。

「わたしからも、お願いします。どうか、ルルを」

「ご決断、ありがとうございます。それでは娘さんをお預かります。決してひどい仕打ちはいたしません。わたしがお約束します」

行商人はそう言って、馬から降り、ルルを優しく抱き上げた。

なぜだか、この男は大丈夫だ、と父は瞬間感じた。

暖かい匂いがする、そんな気がした。

「かわいらしい、女の子ですね」

母は泣きながら何度も頷いた。

「最後にこれを受け取ってください」

行商人は腰の鞄から何かを出した。

「これは特殊なビー玉のようなものです。親子三人が再び出会えるように同じ種類のものを飲み込みます。願掛けがされています。また巡り会えるように、離れていても繋がっていることを意味しています」

渡されたそのビー玉は、そとの光をたっぷりと吸い込んで緑色に幾重にも輝く宝石のようなものだった。

疑う心はもうすっかりなくなっていた。

母と父とルルーディアは、そのビー玉を迷わず飲み込んだ。

いつか、また会えるように、と。

「さぁ、行きましょう」

行商人は馬車の後ろにある揺りかごにルルーディアを寝かせて馬に乗った。

「今回は特別です。荷台に乗ってください。この町から出ます」

行商人は急ぐ口調で荷台に視線を送りながら言った。

彼が意図していることは瞬間察した。

私は母の手を取り、勢いよく荷台に飛び乗った。

それと同時に物陰に隠れている看守たちが鬼の形相でこちらに向かって飛んできた。

パシッと行商人が馬の手綱に力を入れ、荷台が大きく揺れながらスピードを増して噴水のある広場を跡にする。

当然馬も何も持っていなかった看守たちは追い付けるはずもなく、どんどん彼らの姿は小さくなっていった。


しばらく馬を走らせたあとで行商人は馬の走るペースを歩くまでに落とした。

さっきまで自分達がいた場所はもう小さすぎてどこにあるかも分からないほどだった。

長年閉じ込められていた城も檻ももう見えない。

町の外は残酷なまでに穏やかで心地よい風が吹いている。

一面見渡す限りに緑の芝生で覆われ、色とりどりの花が風に頭を揺らしている。

ルルーディアのこの先の人生も、このように穏やかなものであって欲しい。

彼女は今ゆりかごの中ですやすやと眠っている。

「もうここまでくれば追ってはこれないでしょう。念のために、もっと遠くにいこうと思います。そこにいくともう“ここ”には二度と来れません。しかし、きっとその方がお二人のためだと思います。“ここ”に残ることもできますが、どうでしょうか」

冷静に言われる提案は自ずと選択肢を明るくしてくれる。

「“ここ”にはもういる理由はありません」

母もわたしの回答に大きく頷いた。

「分かりました。では一度荷台にお戻りいただけますか。こちらも少しだけ準備がありますので」

言われるがままに私は母と後ろの荷台に姿を戻した。

荷台は四角いテントのようになっていた。

荷台の中は思っていた以上に広かった。

オレンジ色のライトが天井から優しく荷台全体を照らし、椅子やテーブルが備え付けられている。

毛布や食器などがきれいに並べられ、食料もたんまりとある。

行商人一人が生活をするには少し多すぎるほどのものがある。

食器は少し小さめだった。

子供用だろうか。

そう思うやいなや、パチンと行商人の方から指をならすような音が聞こえた。

そしてまもなく「いいですよ」と声が聞こえた。

なんだなんだと思い、荷台の外から顔を出した。

すると、そこには息を飲むような光景が広がっていた。

「う、海だ…」

太陽に燦々と照らされ、眩しくて目を見開けないほどの輝きを見せる海が眼前に広がっていた。

青い空、青い海、そして懐かしい潮の香り。

「え…嘘…」

母も驚愕の声をあげる。

「森があるわ。緑の匂い。気が見える。懐かしい土の匂い」

海の反対側には深い緑色をした山々がそびえ立っていた。

さっぎで平坦な原っぱだったところから、どうやってこんなところに?

そんな疑問はどうでもよかった。

自分が生まれ育ち、幸せな形を築いたあの地に似た場所に再び戻ってこれるなんて一生叶わない夢だと思っていた。

「ここからもう少し歩くと村があります。平凡な村ですが不便はないでしょう。人々も穏やかです。きっと無理なく生活ができると思います。わたしができることはここまでです。お嬢さんは責任を持って依頼主様にお届けします。しかし奇病が治るかはお約束できません。さらに再びお二人が今のこの時代に、ご存命のうちに会えるかは分かりません。しかしそのための願掛けを先程いたしました。きっと来世でまた巡り会えるでしょう。そうお祈りしています」

行商人はそれだけ言うと私たちを荷台から下ろし、馬車を走らせていった。

最後にルルーディアの顔を見ると、この上なく穏やかな表情で血色も戻り健康的な顔色で眠っていた。

わたしたちは行商人の荷台が見えなくなるまで見続けた。

そして村へと足を進ませた。

ルルーディアの幸せを願って。

また、再び出会えることを祈って。人々も


父と母のその後を知る者は誰もいない。

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