ルルの過去
「ルル・・・?」
一瞬だけ、目が開けられないほどの大きな光が辺りを包んだかと思うと、その次の瞬間には、今さっきまで目の前にいたルルが忽然と姿を消していた。
「ルル・・・?」
辺りをいくら探しても、彼女の姿が見当たらない。
ボクはミヒリエとガイファを睨んだ。
「お前達、ルルをどこにやった?!」
自分でも驚くほど、冷たい声がでた。
「思いの外、早かったですね」
「・・・ああ。でもそれが神様が決めた運命だから」
二人は何かを知っているように話している。
動揺もせず、驚きもせず、二人はただその光を見届けていた。
「ルルは、どこに行ったんだ・・・!」
ボクは再度強く問いかけた。
ミヒリエはガイファを一瞥して、彼はそれに頷いて答えた。
「見られてしまったのであれば、仕方がないですね。最低限の説明をしましょう」
そう言うと、彼女はこちらに近づいてきた。
ルル。
どこに行ったんだ。
ルル。
ミヒリエが近くまできた。
ボクの鼻とミヒリエの鼻が後数センチでくっつきそうなくらいの距離まできた。
しかしボク達は瞬き一つせずに、お互いを強い視線でつないでいる。
「彼女は消えていないわ」
緑色の目がそう答えた。
ルルの髪の色とは違う、緑色。
ミヒリエの瞳の色はどちらかと言うと空の緑に近い。
視線を外さずに言う。
「どこにも見当たらない。ルルは無事なのか」
「無事、かどうかはわたしも知りたいけれど、少なくとも”消えてはいない”」
ミヒリエの含みを持った言い方が気になった。
「どういうことなんだ」
「ルルは、今あなたの足元にいる」
意味がわからなかった。
しかし、ボクはそう言われると、自分の足元を見るしかなかった。
ミヒリエの瞳は嘘を言っているようには見えなかった。
ボクは自分の足元に視線を移した。
眼下には、ミヒリエの桃色の靴と屋敷の石畳が整然と敷き詰められているだけだった。
日頃いかにミヒリエが掃除を頑張っているかが伺えた。
「どこにもいないじゃないか」
「もっと、アナタの足のところ。右足の方よ」
さらに注意深く見た。
すると白く汚れたボクの右靴の脇に、小さな卵のような丸い玉が転がっていた。
しゃがんで拾ってみると、それは鶏の卵よりは少し小さい石のような素材でできた玉だった。
「これは・・・?」
「ルル。ルルーディアよ。正しくはルルーディアだったもの、かな。」
「なんだって・・・」
この卵が彼女だなんて、そんなこと、あり得るはずがない。
ボクは、卵を両手で優しく持ち、ミヒリエとガイファを見やった。
ガイファはずっとマスクをしており表情は伺うことができない。
ミヒリエは悲しそうな目でボクたちを見ていた。
「お前たちは、一体なんなんだ・・・?何を知っている・・・?ルルはどうなった・・・?」
二人とも沈黙した。
まだ温かい、”ルルと言われた卵”を大事に抱え直した。
「ガイファさん・・・」
ミヒリエが助けを求めるように彼の方を振り返った。
「話しましょう。彼にも関わりがあることですから。ルルーディアが卵になってしまった理由は未だ解明できていないですが、私たちが知っていることはお話できます」
「ボクにも関わりがある・・・?どういうことだ・・・」
「あなたも、いずれ卵になるのよ」
「なんだって・・・」
「ここにきたこどもたちは全員その運命を持っている。逃れられない運命にいる。わたしたちは、その呪縛された運命からあなたたちを解放するためにここにいる」
言葉が出なかった。
「じゃあ、いなくなったみんなは卵になってしまったということなのか」
「そうよ。今は礼拝堂で眠っているわ。おそらく。彼女たちに、まだ生命が残されていればだけれども」
思考が追いついていない。
なんだ、どういうことだ。
ここで何が起こっている?
「では、お話しよう。呪われた運命にあるこどもたちよ。君たちの行く末を。」
ゴクリ、と硬い唾が喉元を痛みとともに流れていくのを感じた。
ボクがここにいる理由。
すでに卵になってしまったルルのこと。
そしていずれ卵になって死んでいくボクの未来。
館から消えていなくなった10人のこどもたち。
ミヒリエとガイファの正体。
「その前にまず、ルルの過去について話そう。君は彼女の過去を聞いたことはあるか?」
ルルの過去。
聞きたくても聞けなかった。
彼女から切り出さなかったから、聞いてはいけないと思っていた。
知りたい。
ルルのことを、もっと。
「その様子は、知らなそうだね。では、昔話から始めようか。いずれ君も卵になる運命。それであれば、根知ってから眠りにつくと良い。もしかしたら運命が変わるかもしれない。」
そういうと、ガイファはゆっくりとボクの前に歩いてやってきた。
相変わらず歩くたびに軋み、謎の機械音が絶え間なく響くその巨体を引きずらせて、こちらまでやってきた
。
「ルルは、ここから一番遠い村からやってきた。商人に引き取られたのは12番目。卵になる期間が一番ながいはずだった。基本的に卵になるのは、年齢と比例している。つまり、年を重ねるごとに卵化が早まる。しかし、年齢なんて、ここにくるこどもたちにはあってないようなものだ。こどもたちは、基本的に生まれや育ちに何かしらの問題がある子ばかりだからね。君もそうだろう、ヒオニ。辛く、痛ましかったね。よく頑張って、ここまで生きてきてくれた。ルルという素晴らしい友人にも巡り合えたね。」
「ボクの話はいいよ。真実を教えてくれよ。」
「そうだね。分かったよ。」
ガイファはいつになく、優しい声で答えた。
そして始まったのは、ルルの壮絶な運命だった。
ルルは、ここよりも少し暑い村で生まれた。
夏には、果実がたくさん実り、海からは魚介が豊富に取れた。
村は平和で、誰もが幸せに暮らしていた。
そしてある日、農家の娘と漁師の息子が出会い、恋に落ち、そして女の子が生まれた。
その子が、ルルーディアである。
ルルの生活は贅沢なものではなかったものの、両親から愛情をたくさん受けて育った。
母親譲りのその緑色の髪の毛はとても特徴的で、見る人を魅了していた。
不思議とルルの髪の毛を触るとその滑らかな肌触りと、なんとも言えない芳しい香りに村の人々は虜になっていた。
ある日のことだった。
ルルがいつものように外で遊んでいる時だった。
一人の観光客が、ルルのその髪を見て、数本分けてくれないかとねだってきた。
髪ならいいよ、と彼女は即答をした。
観光客はルルのその素直な態度に感銘を受けて、金貨5枚と髪の毛数本を交換した。
ルルは母のもとに帰り、その観光客のことを話した。
しかし母は喜ばなかった。
「あなたの大事な体の一部よ。誰でも彼でも渡してはいけないわ。大切な人にだけ、自分の体を捧げるのよ」
ルルの母は堅気でとても真面目な性格だった。
貧しい家に金貨を持ってきたことを褒めてもらえると思っていたルルだったので、母に注意されたのは少し表抜けをしてしまったが、むしろとても嬉しく感じた。
お金よりも、ルルのことを気遣う母の優しさと愛に触れたのだった。
金貨は自分で持っていなさいと言われ、ルルはその夜、ベッドの下に置いてある宝箱に金貨をしまい、眠りについた。
そして、運命を揺るがすことが起こった。
ルルは大きな物音で目が覚めた。
まだ夜は明けていないので、きっと3時くらいだろう。
朝日が昇るのにはまだ時間がある。
グラグラと大きな音が地面からして、そしてその次にベッドから転がり落ちるほどの衝撃がやってきた。
地震だった。
初めての地震にルルはびっくりして何もできなかった。
ただこの大きな揺れをやり過ごすしか、手立てがなかった。
すぐに隣の部屋から母と父の声が聞こえた。
「ルルーディア!大丈夫か?」
「うん。大丈夫だよ。ベッドから落ちただけ。」
「こっちは引き出しがドアに引っかかってしまって、外に出られない。隣のおじさんを呼んできてくれないか」
「分かった」
外からはざわざわと人の声が大きく聞こえてくる。
みんなこの地震で目が覚めて、家の外に出てきたのだろう。
隣のおじさんも庭でランタンを掲げながら外の様子を見ていたので、すぐに見つけることができ、事情を話て母と父を部屋から救ってくれた。
「おかあさん!」
ルルは母に抱きつき、安堵で涙を流した。
父はその様子を見て、優しくルルの頭を撫でた。
まだグラグラと地面は揺れるけれども、ルルには母と父がいれば何にも怖いものはなかった。
「おい、あれはなんだ・・・?」
村人の一人が海に向かって叫んだ。
海の向こうから、大きな怪人がゆっくりと歩いてこっちに向かってきているように見えた。
その後、ルルはその大きな海の怪人が津波だということを誰から教えてもらった。
津波はゆっくりと、でも確実に大きくなり、ルルの村を端から順番に食い尽くして行った。
青黒いその怪人はまだまだ腹が満たされぬと、どんどんと村の上にやってくる。
幸にして、ルルの自宅は山のてっぺんに近いところにあった。
母の畑仕事がしやすいようにと、父は山に家を建てていた。
蠢く海の中に父の漁船が飲み込まれたような気がしたが、漁船は何千も飲み込まれていたので、もはやあの船が父のかさえも確認出来ないくらいだった。
明くる日、村の地形が大きく変わっていたのは、言うまでもない。
漁業で栄えたこの村は跡形もなく消え去り、ルルが知っている村ではなくなっていた。
たくさん通っていた海沿いの駄菓子屋さんも、母とよく行った売店も、友達と遊んだ公園も、何にも残されていなかった。
ルルの眼科にあるのは、崩れ去った家のガラクタばかりだった。
そして、生臭い匂いだけが鼻にこびりついてきた。
村の被害は相当なもので、人口の三分の一が海の怪人の餌食となり、残されたのは幸に山側に住んでいた老人が大半だった。
父と母は貴重な働き手として、村の再建に日夜追われることになった。
ルルはその日から一人で過ごすようになった。
昨日まで遊んでいた友達は、誰一人として、ルルの前に姿を現さなかった。
しばらくすると、どこかの国から救助がやってきた。
見たことのない恰幅のいい男たちが、この地震と津波の被害を聞きつけて手助けにきたらしい。
太陽に照られされて汗をかきながら瓦礫を片付けたり、村の再建のために尽力するその姿は、ルルには英雄に見えた。
ルルは一人の時間をずっと過ごしていたのもあり、英雄の男たちに興味を持つのは言うまでもないことであった。
毎日男たちを見ては、観察をして、時間を過ごした。
そしていつの間にか、イロアスという一人の男と仲良くなった。
イロアスには、ルルと同じくらいの娘がいて、この救助活動が終われば国に帰って娘と遊ぶのが楽しみだと話していた。
ルルはこの村以外に国があることを知らなかったので、イロアスの話はとても新鮮に感じた。
彼はとても真面目な人柄で、親切で友人も多そうだった。
ルルの父と母は、毎日労働に駆り出されており、会話をすることはほとんどなくなっていた。
唯一、言葉を交わしてくれるイロアスはルルにとってかけがえのない存在になっていった。
ある日、ルルはいつものようにイロアスに会いに行った。
そこには知らない男たちが数人輪になっているだけで、イロアスの姿は見つけれらなかった。
「ねえ、イロアス、知らない?どこにいるの?」
輪になっている男の一人に話しかけた。
男は無反応で、半分白目を向いて何かをずっと呟いていた。
口からはだらしなくよだれが流れ、若干頬を赤らめて息を激しくしているその姿は非常に気持ちが悪いものだった。
イロアスに会いに行かないと。
そう思い直し、踵を返した瞬間だった。
男のうちの一人が、ルルの腕を掴んだのだ。
「なあ、おい。この子の髪の毛、”ヒロポン”に似てねえか」
歯並びが悪い男が誰かに話しかけた。
「ああ。そういえば似てるよな。ずっと前からそう思ってたわ」
髪がぼさぼさの男が答えた。
「もうこの村に来て何日も経って、アレがなくなって来ちまったな」
髭が顔中に汚く生えている男が言った。
「ちょっとだけ試すのもアリだよなあ」
爪の間にたくさんゴミが詰まっている男が返答した。
「そうだな。毎日アイツにくっついて回っているってことは、孤児に違いねえ。孤児なら何をしても足がつかないからな。ちょうどいい」
息が一番荒い大柄な男がそう言うと、ルルを後ろ手に拘束して、動けないように力を込めた。
「やだ・・・やめて・・・助けて・・・」
ルルは在らん限りの声で助けを呼んだ。
「おかあさん!おとうさん!助けて!!!!」
ルルの抵抗も虚しく、髪がぼさぼさの男が、無理やりルルの髪を引っ張った。
「やだ!痛いよ!やだ!やめて!!!!」
ルルの声が届いたのか、ちょうど瓦礫を運んできたイロアスがその現場を見つけ、止めてくれた。
「・・・・」
ルルは恐怖と痛みで声が出なくなった。
イロアスが優しく抱きしめてくれたので、なんとか心を落ち着かせることができた。
「おい、何をしたんだこの子に」
イロアスは男たちを睨んだ。
「そんな怖い顔するなよ、イロアス。ここに来て何日も経つが、十分な食料もなければ、太陽は暑くて仕事なんてやってられねえよ。それに毎日瓦礫を運んで、死体を見つけるなんて、並大抵な精神じゃ続けられねえ。しかも唯一の”アレ”も切れかかってきたとなれば、な?俺たちが働いている報酬は、この村からもらうしかねえ。ちょうどいいところに”狙ってたやつ”が来てくれたんだよ。お前だって、欲しいだろ?アレがないと、やってやれないんだよ」
「この子には父も母もいる。孤児ではないし、それに村の大切な生き残り、宝だ。この子にはもう手を出さないでくれ」
イロアスはそういうと、ルルを抱いてその場を後にした。
そして着いたのは、ルルの家だった。
家には誰もいなかった。
父も母もまだ働きに出ている。
「いいかい。ルルーディア。あそこにはもう行ってはいけないよ。みんな常識が通じる相手ではない。みんないろんな目的でここに来ている。僕に会いたいのであれば、毎日夕方、仕事が終わったらここに会いにくるよ。それまではここで大人しくしていてね」
イロアスはそう言うと優しくルルの頭を撫でて、ニッコリと微笑んだ。
ルルは、髪を抜かれた痛みで頷くことしかできなかったが、イロアスの優しさに触れたことで、少し元気を取り戻した。
その晩、目を真っ赤に腫らした娘を見て、母は何かを察した。
無理やり抜かれたのは、こめかみのあたりで、大きさで言うと1センチ四方くらいであったが、綺麗に皮膚が見えていた。
母はその日からずっと家にいてくれるようになった。
仕事のことは、父と相談をして、自宅でできるものを続けることになった。
久しぶりに家族三人で過ごす夜に、ルルはとても幸福感を覚えていた。
地震が起きて、津波が来て、友達も遊ぶところも奪われてしまったけれど、父と母がいれば、ルルはそれだけで満足だった。
その日、ルルは神様に「ずっと三人でいられますように」と願った。
久々に見上げたお月様は綺麗で、眩しいくらいに光り輝いていた。
異変が起きたのは、翌日だった。
なぜか昨日男たちに抜かれた髪が翌朝には生えていたのだ。
それもルルの他の髪の長さと同じくらいに。
肩まである髪と長さは同じだったが、違うことが一つだけあった。
髪の先端にぷっくりと何か丸みがあるのだ。
触ってみても痛くもないし痒くもない。
痛覚はないみたいだ。
しばらく色々と眺めてみたけれども、何も変化はなかったので、ルルは放っておくことにした。
しかし、その膨らみは日を追うごとに増していった。
髪全体がぷくぷくとしたもので覆われるようになってきた。
それでも体に対しての違和感は全くなく、父も母も流行りの病か何かと心配はするものの、ルル自身が変わりなく元気なので様子を見ることにした。
村のお医者さんにも診てもらったが、村医者でわかることもなく、薬もないので、そのまま自宅に帰った。
さらに変化があったのは、初めて髪の毛の先端に丸い異物ができてから1週間が経った頃だった。
ルルはその朝、とても芳しい香りの中から目を覚ました。
いつまでも夢見心地のような気持ちがいい感覚がずっと続いていた。
このまま夢から醒めなければいいのにとも思ってしまうほど、魅惑的な空間の中にいた。
それでもルルは母に会いたいと思い、体を起こした。
芳しい香りはまだ続いている。
ふわふわと心地が良い感覚を背負いながら、朝ごはんの支度する母に声をかけた。
「おはよう、おかあさん」
母はルルの顔を見るやいなや驚愕した。
「ルル、どうしたの・・・?何があったの?」
母は明らかに動揺していた。
「なあに?おかあさん」
ルルはまだ夢見心地でふわふわとしている。
「こっちにきて。鏡で見てみて」
「なあに〜」
ルルはそのまま勢いよく洗面台に連れて行かれた。
そして鏡で自分の姿を見た瞬間、目が覚めた。
「おかあさん・・・何・・・これ・・・」
ルルは自分の姿に衝撃を受けた。
髪から、花が咲いていたのだ。
ルルの緑色の髪の毛は、まるで植物の茎のように少しばかり太く膨らんで、しなやかなたおやかさを感じるほどに弾力がある。
さらに髪の毛の先端には蕾のような小さな膨らみがいくつもある。
そして右耳のちょうど下あたりに、可愛らしい優しい桃色の花が顔を覗かせている。
母は娘の変わってしまった姿を見て、何も言えなかった。
ただただ、ルルーディアを抱きしめることしかできなかった。
その日、母は珍しく忙しい仕事を休み、一日中家にいた。
父は朝早くから仕事に出ており、帰ってくるのは夕方すぎだった。
母は、ルルーディアにたくさんの質問をした。
その花は痛むのか、痒いのか、どういう感覚なのか。
自分で自覚はあるのか。
何か心当たりはないか。
他にこのことを知っている人はいないか。
涙ぐむ母の目を見ながら、「知らない」と答えるのみだった。
ルルーディアは何も知らないから。
その花はひっぱっると、髪の毛も引っ張られるように感覚が少しあるようだ。
しかし、今のところ特段変わったところもないし、熱もなければ、気分はいつも通りだった。
花が生えたことはむしろルルーディアにとっては嬉しいことだった。
なんだか可愛らしいし、絵本で見たお姫様のようだし、いい匂いもする。
何よりもこの花が理由で母と一日中一緒に入れるのがたまらなく幸せだった。
いつも忙しく働きに出ている母を独り占めできるのは、本当に嬉しくてたまらなかった。
大きな地震と津波が来て以来、初めてのことだったから。
しかし、ルルーディアの幸せな時間はそう長くは続かなかった。
「ルル?いるかい?遊びに来たよ」
夕刻になって、彼女の家を尋ねる者がいた。
もちろん母は怪しがった。
この幼い女の子に男の尋人が来るなんて、怪しすぎる。
「あ!イロアスだ!きっとそうだ!イロアス!」
ルルーディアは無邪気にドアに駆け寄った。
「こんばんはイロアス!遊びに来てくれてありがとう!」
「ああ、元気そうだね。・・・その髪についているお花、素敵だね」
「うふふ。ありがとう!これね、今日の朝、ルルの髪から生えてきたんだよ」
ニッコリと笑いながらルルはイロアスと話した。
「ねえ、ルル、その男の人は誰かしら」
母は奥の部屋に隠れるようにして、問いかけた。
「あ、おかあさん。この人はね、イロアスって言って、わたしの友達なの」
手を引いて、イロアスと母を向き合わせた。
「あ、あなたは・・・?」
「すみません。申し遅れました。僕はイロアスと言います。今回の被害の救助と復興のために、国から派遣されたものです。ルルーディアさんとは、たまたま知り合いまして、たまに一緒にお話をしたりさせていただいています。ルルーディアさんのお友達が、まだおうちに遊びにこないようなので、代わりに遊ばせてもらっていました。祖国には妻とルルーディアさんと同じくらいの年の娘がいるので、どうしても放って置けなくて・・・」
「あら・・・そうなの。」
母はイロアスの好青年ぶりに少し安堵したようだ。
「国から派遣される救助隊の方々は、みなさんとても真面目にお力を貸していただいているそうですね。本当にこんな何もない村ですのに、助けに来てくださって本当に感謝しますわ。」
「困った時は、お互い様ですから」
ははは、とイロアスは土で汚れた顔で笑った。
「こんなに遅い時間に来ていただいたのに申し訳ないのだけれども、ルルは今日少し具合が悪いみたいなの。また体調が良くなったら、遊びにいらしてくれる?」
母はイロアスが信頼におけそうな人物だと思い始めていても、ルルーディアに起きた不可解な事案を払拭することができずにいたため、今日はお引き取り願うことにした。
「ああ、そんな時にすみません。ルル、体調に気をつけてね。また元気になったら、キャンプまで遊びにおいでよ」
イロアスは体を屈み、ルルの頭を撫でて、退出しようとドアに向かった。
「えー。ルル元気だよ」
「じゃあ、またね」
今日はなんだかイロアスも疲れているようだった。
連日の復旧作業もこの夏の炎天下の中だと流石に応えるだろう。
ルルはイロアスにまた会えるのを期待して手を振った。
今日は母がいてくれるので、イロアスがいなくてもいいのだった。
その晩、父が帰ってきて、母がルルの髪に生えた花のことを話した。
当然父もルルのことを心配してくれた。
久々に父にギュッと抱きしめてもらえた。
おかあさんとおとうさんはとても不安そうだけれど、こうしてまた前のように三人で過ごせることにルルは本当に幸せを感じていた。
花が生えたくらい、いいじゃない。
ルルはそう思っていた。
翌朝、悲しいことが起こった。
あんなに綺麗に咲いていた花が、落ちてしまったのだ。
朝、父と母の間で目を覚ました時、ルルの睫毛をくすぐるものがあって、何かと思えば、昨日まで耳の脇で咲いていた自分の花だった。
花からは甘い香りがして、ちょうど花粉のあるところに、豆粒くらいの小さな実のようなものがついていた。
もちろん父と母は喜んだ。
ルルが普通になったと。
体調の良さそうだし、熱もない、腹痛もない、ルルは元気そのものだった。
母はルルの元気そうな顔を確認すると、仕事に行くと行ってきた。
復興を待つこの村は、猫の手も借りたいくらいの忙しさなのだ。
父もルルの笑顔を見て、仕事に向かって、母も間も無く後を追った。
家にはルルだけになってしまった。
イロアスは疲れてそうだし、相変わらず遊ぶ友達もいない。
ルルはトボトボとあてもなく家を出た。
外に出ると、気持ちがいい青空で、昨日までのかんかん照りの太陽も少し休息が必要なようで、今日はうって変わって涼しいくらいだ。
ん〜と背伸びをしていると、隣のおじさんが窓から外を眺めているのが見えた。
「おじさん、何しているの」
「ああ、ルルか。お友達は災難だったね。海の方はだいぶやられたようだからね。ワシらのような山の人はまだ海よりかは被害が少ないが、山には年寄りしかいないからなあ。年寄りはこうして外を見るくらいしかやることがないのさ。働きに出れるわけでもない、力仕事ができるわけでもない」
「ルルも、やることないの。一緒だね」
「いいや。ルルは、そうして元気に生きてさえいればいいのさ」
「そうなのかな」
ルルは、足元にある小さな石ころを蹴った。
「みんな忙しそうなの。ルルはいなくてもいいみたいな感じ。昨日たまたまルルの様子がおかしかったみたいで、おかあさんが一日一緒にいてくれたけど、今日はもいない。イロアスも疲れてるみたいだし、会いに行けない。おとうさんからは、海にいっちゃいけないって毎日言われるし。ルル、どこにもいくところがない。」
そう自分で言いながら、ルルは泣き出しそうになってしまった。
「おやおや、泣かんでいいよ。じゃあ、今日はじいじと遊ぼうか。何がいいかな。絵本かな。お歌かな。」
「えっとね・・・おままごとがいいなあ・・・」
「ようし。それなら、じいじはお客さん役をやろうかな」
ぱあっとルルの顔が太陽をそのまま顔にしたかのように輝いた。
「うん!うん!ルル、お家から色々持ってくるね」
ルルは弾むような気持ちでうちに走って帰り、いつも一人で遊んでいるおままごとセットをたくさん持ってきた。
「りんごを一つ、くださいな」
「アラ、いつもありがとう。お魚一つと交換よ」
「はいよ。今日はいいのが釣れたんじゃ」
ルルはお店の店員さん、おじいさんはお客さん役でしばらくおままごとが続いた。
ほんの些細なおままごとだったが、ルルにとっては何ヶ月ぶりかのおままごとだった。
今までは近所の友達や母が相手をしてくれたが、今はその相手すらいない。
一人でするおままごとは、なんだか自分を惨めにさせる悲しい行為のように感じていた時だったので、ルルはこの上ない楽しさを感じていた。
「ねえ、たまにはゆっくりお買い物して行ってよ。」
「そうじゃのう。お話でもしようかのう」
「じゃあ、とびっきりのお茶を入れるわね」
「おお。かたじけないのう。せっかくだから頂こうか」
ルルはお気に入りのティーポットでお茶を注ぐそぶりをした。
このティーポットは、元々は母の息にりいだったが、部分的にひび割れてしまい、お湯を入れるとこぼれてきてしまうので、ルルがおままごと用にもらったものだった。
「ああ〜。いい香りだ。おいしいのう。店員さんは、お茶を入れるのが上手だねえ。将来はいいお嫁さんになるよ」
「えへへ。ありがとう。将来はね、おとうさんみたいな人と結婚するんだ」
「ほほほ。そりゃいいのう。」
二人でにこやかに笑い合っている時、ルルはあることを閃いた。
「ねえ、そういえば、いい紅茶が手に入ったの。せっかくだから飲んでいかない?」
「ほう。それは飲んでみたいのう」
「じゃあ、少し待っててね」
ルルは一目散に家に向かって走って行った。
「これはこれは珍しい色の花だのう」
おじいさんはルルが持ってきた花をマジマジと眺めながら言った。
「なんだか、そそられるような香りがするし、この桃色がとっても綺麗だねえ。一体どこに咲いていたんだい。おじいさんは生まれてからずっとこの村にいるけれども、一度もこんな綺麗な花を見たことはないよ」
「えへへ。たまたま見つけたのよ」
ルルはその花が自分の髪から生えてきて、朝に落ちたことは話さなかった。
「こんな綺麗なお花を紅茶にするなんてもったいないよ」
「ううん。いいの。なんだか、このお花は私のところにあっちゃいけないものだから」
少女の言葉に、おじさんは一瞬裏を考えたが、止めることにした。
ここでそんなに推理を巡らせても仕方がない。
「では、お言葉に甘えて頂こうとするかの」
ルルは、おじいさんから借りたティーポットに熱湯をかけてしばらく置いた。
自分でもびっくりするくらいの芳しい香りにうっとりとしてしまった。
こんな素敵な香りの花が自分から生えていたなんて、枯れてしまったのがもったいないくらいだ。
それでもこの花があるおかげで、母は涙が止まらなくなるし、父も動揺してしまうので、生えてこない方がいいのだ。
でも、生えてくると、家族三人で過ごす時間が増えるので、それはそれで幸せだから、困ったものだ。
「ハイ、どうぞ」
差し出された紅茶に、おじいさんは魅了された。
「今まで飲んできた紅茶の中で一番素敵な香りがする。ずっと嗅いでいたいくらいだ。むしろこの紅茶になりたいくらいだ。」
ティーカップの中で渦巻く紅茶は柔らかい桃色だが、キラキラと表面が輝き、香りたつ湯気も宝石のように光り輝いていた。
「なんだか、飲むのがもったいないな。飲むと今まの紅茶に戻れなくなる気がするよ」
それでもおじいさんは躊躇なく飲んだ。
飲んだ。
飲んだ。
飲み干した。
「・・・これは・・・!」
「どう?おじいさん?」
「もういっぱいくれ!全部だ!全部飲ませてくれ!」
それまで穏やかだったおじいさんが急変した。
まるで紅茶に取り憑かれたかのように、ルルの両肩を力いっぱい握り締め、強く紅茶を要求してきた。
「いいから!早く!」
おじいさんは別人のように、紅茶を求め続けた。
ルルは怖くなって、熱々のティーポットをそのままおじいさんに渡した。
おじいさんは熱々の紅茶をティーポットからそのまま直接飲んでいた。
よだれが後からどんどんと流れ出て、「もっとくれ。もっとくれ」と言い続けていた。
怖くなったルルは、そっと気づかれないようにおじいさんの家を出て、自分の家に帰った。
そして、自分のベッドの上で布団を被り、震えながら母と父を待った。
永遠にも等しい時間だった。
ふとした瞬間におじいさんが家にやってきそうで怖かった。
まだまだ日は高い。
母も父も帰ってこない。
イロアスも今日はきっとこない。
ルルは一人で、紅茶をあげたことを後悔しながら、ただただ待つしかなかった。
気がつくと、母が隣にいた。
どうやら途中で眠ってしまっていたらしい。
母の顔をみた瞬間にルルは安心して少し涙を流してしまった。
「おかあさん」
ギュッと、ははにしがみついた。
ベッドに腰掛けながら、母は優しく抱きしめ返してくれた。
「ルル、どうしたの。涙の跡があるわ。何があったの」
「ううん。何もない」
母の温かい香りを胸いっぱいに吸った。
「そう。よかったわ。なんだか、隣のおじいさんが急に呆けてしまったらしいの。ずっと同じことを言ったりね、凶暴になっちゃったみたいで。ルルに何かあったら嫌だと思って、お母さん、仕事を早く切り上げてきたのよ」
「・・・おじいさん?」
ルルは胸騒ぎがした。
「そうよ。お隣のおじいさん。いつも優しいおじいさんじゃない。でも今日急に怒鳴り散らしたり、徘徊したり、同じ言葉をずっというようになっちゃったんだって。お医者さんは”年のせいだ”って言っているから大丈夫だと思うし、今日は病院に行ったみたい。ルルに何もなくてよかったわ」
「・・・おじいさん、なんて言ってたの・・・?」
「なんだったかしら。”紅茶。紅茶を出せ”みたいなことだったかしら。私も聞いた話だからわからないけど、妙よね。」
ルルは大きく自分の心臓が鳴るのを感じた。
ドクンと響いたその胸の鼓動は、朝まで痛みを残し続けた。
明くる朝、ルルは一睡もできなかったことや昨日のことを母に言うことができずにいた。
もしかしたら、おじいさんが変わってしまったのは自分のせいかもしれないことを話せずにいた。
話したところで、何か進展があるわけでもないし、おじいさんがいつもの優しいおじいさんに戻る気もしなかった。
むしろ母を悲しませてしまうのではないかと思い、何も言えずにいた。
母はそんなルルを察してか知らずか、今朝は特に具体的なことは聞かれずに、「今日も元気で遊んでてね。もう少ししたら一緒に遊べるから」といつもの言葉をかけただけだった。
ルルは母が仕事に行った後、しばらく家にいた。
しかし、家にいても、落ち着かなかった。
昨日豹変したおじいさんのあの様がずっと脳裏を離れずにいた。
何をしてもおじいさんが「紅茶。紅茶」と言いながら追いかけてくるのだ。
ここにいたら、自分がおかしくなってしまう。
ルルは思い切って、外に飛び出した。
外の空気を吸うと、きっと気持ちが晴れる。
そうだ、イロアスに会いに行こう。
忙しいけれど、きっとイロアスなら相談に乗ってくれる。
少しだけ。少しだけ。
イロアスに会いたい。
ルルはそうしてイロアスが寝泊りをしているキャンプに続く坂道を勢いよく駆け下りて行った。
キャンプ地には、人がまばらにいるだけだった。
昼過ぎの村は、太陽が燦々と降り注ぎ、日陰もない中で蒸し暑さだけがそこにあった。
ルルは、イロアスを探し続けた。
必死に探すあまり、暑さなんて感じなかったが、しばらくするとその小さな体は悲鳴を上げ始めていた。
イロアスがいそうな場所をいくつか回ったが、彼の姿はどこにもなく、仕方ないのでまたキャンプに戻ってきた。
キャンプ地はひっそりとしていて、木陰もあり、静かで涼しかった。
中央には夜用のキャンプファイヤがあって、消された火の跡が残っていた。
ただ、ルルはこの場所が好きではなかった。
以前、イロアスを訪ねてきたときに、知らない男たちに囲まれた経験から、嫌な記憶しかなかった。
でもルルが知っているのはこの場所しかないし、今は家にいてもどうしようもないし、遊びに行く友達の家もなければ、隣のおじいさんはもしかしたら自分のせいで狂ってしまったかと思うと、もうどこにも行く場所がなかった。
木かげの奥に丸太があったので、そので少しだけ休むことにした。
もう、心の中が悲しさでいっぱいだった。
ルルは何をして、こんなに悲しい思いをしなければならないのだろう。
ルルは何をしたのだろう。
何度も何度も考えても、ルルの中で答えは見つからなかった。
その小さな体には何もない。
ルルは何も悪いことをしていないのだから。
たまたま、この村に地震と津波が来てしまった。
それだけのことだった。
ブチっ
耳の後ろで大きな音がした。
びっくりして後ろを振り返ると、見覚えのある男が息を切らして立っていた。
「おお。よく来てくれたな。」
その男は、歯並びが悪い男だった。
ルルを見る目がとてもねっとりとしていて、全身品定めされるように舐め回す視線がルルは嫌だった。
「え・・・」
状況が掴めずにいるルルを置いて、男は話始めた。
「お嬢ちゃん、お前はやっぱり上物だ。アレを生み出せるやつなんて世界にそうそういない。どれ。一緒に金を稼いでみないか」
「え・・・?」
ルルが動揺と恐怖でその場から動けなくなっていた。
足が震えて、立つことで精一杯だった。
「これ。最高級品なんだよ」
男が手に持つものをルルの目の前に見せた。
それは、見たことがるものだった。
「これ・・・わたしの・・・お花・・・」
紛れもなく、男が持っていたのはルルの花だった。
ルルから生えていた花を男は無理やり紡ぎとったのだ。
「え・・・いつの間に・・・わたし・・・知らない・・・」
いつの間に生えたのだろう。
家を出るときには、生えてなかったし、生えている感覚も全くなかった。
「これはなあ、麻薬なんだよ。人を狂わせるな。でも、いい夢を見させてくれるんだよ。それと引き換えに、次の瞬間にはあの世いきさ。」
男はニタニタと笑い、並びの悪い歯をたくさん見せた。
ルルはその場から逃げたかったが、一歩も足が動かなかった。
震えが止まらないし、背中には気持ち悪い汗が流れて、気分は最悪だった。
男の息がふうとルルの顔にかかる。
もう、ルルはだめだと確信した。
そのとき。
「ルルーディア!」
耳に心地よい声がルルの意識を引っ張り出した。
それと同時に、ルルの体はふわりと持ち上げられ、次の瞬間には風を切って、坂道を登っていた。
はあ、はあと力強い息遣いが聞こえる。
これは。
なんだろう。温かい。
気がつくと、ルルは自分の家のベッドの上にいた。
目を開けると、母とイロアスが心配そうにルルの顔をのぞいていた。
「おか・・・あ・・・さん・・・」
「ルルーディア!」
母はルルに覆いかぶさるように、抱きしめた。
そして涙をたくさん流ししていた。
「ルル・・・ごめんね・・・」
母はずっとルルを抱きしめていた。
もう離さないというようにきつく、ルルの体を引き寄せていた。
「ごめん・・・僕も、約束を守れなくて」
イロアスも申し訳なさそうな表情で謝ってきた。
歯並びが悪い男からルルを救ってくれたのは、イロアスだったらしい。
仕事がひと段落して一旦キャンプで休憩をしようとしていたとき、キャンプの奥でルルが男に絡まれているところを発見し、家まで連れかってきたのだった。
ルルは家に着いてもずっと寝ていたので、母が来るまでイロアスが看病していたらしかった。
「おかあさん・・・ルル・・・イロアス・・・大丈夫だよ。ありがとう」
ルルは、とびっきりの笑顔を見せた。
そのとき、ルルの中でプツプツと何か音がした。
でもそれは気のせいだと思った。
夜、父が帰ってきて、イロアスは事情を話した。
父も母もずっと仕事でルルに構ってあげられなかったことを後悔し、ルルに誤り、明日からまた昔のように三人でゆっくり暮らそうと話した。
村の復興も、派遣隊のおかげでだいぶ捗ったらしく、父は仕事を減らしてもらうように明日同僚に話をつけると約束した。
幸せな時間が戻ってくる。
ルルはそう確信した。
だが、運命はルルに試練を与えた。
ドンドンドンッ
聞いたこともない大きな音がした。
誰かがドアを力いっぱい叩いているようだった。
ドアからこんなに大きな音がするのかと一瞬は驚いたが、次の瞬間には嫌な予感が家の中を一気に充満させた。
誰が、ドアを叩いているのか。
全員が同じ気持ちだった。
そして。
どうして、ドアが叩かれているのか。
その理由を知っているのは、一人だけだった。
「何の用だ。」
イロアスが、ドアに向かって話した。
「お〜。お前か。何だ、いるなら話は早い。早く”アレ”を遣してくれよ。みんな待ってるぜ。”上物”だって話、お前も知ってるんだろ」
「じょうもの・・・キャンプの男の人に言われた・・・何・・・じょうものって・・・」
「ルルは静かにしていて」
イロアスは力強くいった。
「彼女は”アレ”じゃない。みんなの見当違いさ。さあ、帰ってくれ」
「な〜に。独り占めしようとしてるな。アレが本物ってのは、アイツが身を持って証明してくれたさ。天国見て、もうすでにあっちの世界に行っちまってるさ」
イロアスの頬から汗が流れる。
「ここは被災した村人の家だ。今日は帰ってくれないか」
「いーや、もうダメだね。もうキャンプのやつらが大勢向かってきてる。お前が先に唾を付けたのは知っているから、取り分は多めにやるさ。なあ、わかるだろ」
「どういうことなんですか」
父はイロアスを睨みながら聞いた。
「説明をしたいのですが、彼らは話を聞いてくれる相手ではないです。それよりもここでは皆さんの安全を優先しましょう。裏口から逃げる準備をしてください。話はその後です」
いつにも増して低くて大人の口調で話すイロアスをルルは少し怖いと感じたが、この張り詰めた空気は間違いなく家族が危険にさらされている。
「ルル」
母がルルを引き寄せて、裏口に向かった。
「話は後でしっかり説明してもらう」
父はイロアスにそう言い残して、一緒に裏口に向かった。
「ルル、お父さんにしっかりつかまっていて」
「うん」
久々に抱かれた父の腕は前よりも痩せているように感じた。
けれども父の匂いや温かさはそのままだったので、すぐに安心感を感じた。
今はなぜだかわからないけど、よくない状況にいる。
けれども、母と父と三人でいられることにルルは幸せな気持ちだった。
明日には、いつも通りの幸せな毎日がやってくる。
三人で朝食を食べて、三人で夕食を囲んで、遊んで、お話をして。
ルルはすぐそこにあった当たり前に手を伸ばそうとした。
しかし、彼女が掴んだのは、知らない男の手だった。
冷たくてゴツゴツしていて土埃で汚れていてひどく臭う。
ルルが意識を取り戻したときにはもう、母と父からは遠く離されていた。
男たちがルルをキャンプに連れ去ろうとしている。
すでに裏口には男たちが溢れていて、ドアを開けた瞬間、ルルは男に引かれていた。
ルルは在らん限りの声で叫んだ。
泣いた。
泣いた。
泣いた。
悲しさがルルの体を駆け巡った。
悲しい。
悲しい。
悲しい。
行かないで。
おとうさん。
おかあさん。
寂しい。
離さないで。
離さないで。
そばにいて。
ルルの髪は、月夜に照らされていた。
緑色の髪から、たくさんの花が生えていた。
それはもう花束のように頭を一面埋め尽くしていた。
ルルの緑色の髪が見えなくなるくらい桃色の花が咲き乱れていた。
人とは思えないその光景に、一瞬男たちは魅了されていたが、その花の芳しい香りに身をもっていかれ、大勢の男たちが小さなルルの体に飛び込んだ。
ルルは声すら上げることができなかった。
ただただ、泣くことしかできなかった。
自分がどうしてこうなってしまったのか。
なぜ大勢の男たちがルルの髪の花を毟って喰らっているのか。
そしてその花を食べた男たちが、一瞬うっとりした表情を見せたかと思えばあっという間に白目を向いて口からたくさん唾液を出して、舌をだらんとだらしなく出して倒れて行っているのか、わからなかった。
ただ、ただ、父と母に触れていたいだけだった。